警報が鳴り渡り、人々が騒ぎ出す。何年も前から存在した警報の音は、それを聞きなれない者達の不安を掻き立て、次々と混乱を伝染させた。しかしベンチに座っていた楯無、リディア、ラージの三人は、すぐさま取るべき行動を取った。乱れを起こす群衆の中でいち早く状況を察知し、その鍛えられた観察眼と身体能力を駆使してとある場所を目指した。
警報が青空を駆け抜けていく。人の中を走り抜ける三人の上を通り過ぎて、ロシアの街に危険を知らせにいく。
ふと、こめかみに違和感を感じた。発症者は楯無だった。楯無はすぐさま上を見上げ、目を凝らした。直視することもままならい太陽の陽射しを我慢し、眼球に神経を集中させて違和感の正体を探りーーーそして捉えた。
「離れてッ!!」
とうとつな楯無の張った声はリディアとラージの耳に届き、そして周りの人間達の鼓膜にも伝わった。いや、伝わったというよりも、楯無はその声を利用して周りの人間達を『反射』させた。ビクンと身体を跳ねさす声を出して、強制的に動かした。
悲鳴を上げ、飛び退く人間達。危険を察知して、大きく回避運動を取ったリディアとラージ。そして一歩遅れてその場から飛んだ楯無の視界に黒い影が過ぎり、刹那、凄まじい爆音と衝撃を周辺に撒き散らす。
衝撃に身体を打ち付けられて吹き飛ばされる最中、楯無は思考の隅で先ほど視界に映り込んだ影がミサイルであったことを思い出した。小型であったが、あれは強力な種類の爆弾だ。使えば周辺はおろか、当たりどころが悪ければそれだけで戦いが終わる代物だ。
ーーー背中に衝撃が走り、障害物にぶつかったのだと分かる。幸い爆発の一歩手前でISを展開していたお陰で、体に傷といった傷は見受けられない。が、真近にミサイルの熱をもらってしまった所為か、〈ミステリアス・レイディ〉の補助ブースターが一箇所焼け落ちていた。操縦に問題は無いが、これでは遠隔操作が出来ない為、コンソールパネルで指示を送らなければならない。
呻いた楯無は視線を動かし、ミサイルの被害がかなり大きいことを知った。綺麗だった街並みが焦土に変わり果ている。こんな景色を見て怒りを感じるのは、不思議なことでは無い。違和感を感じた唇を舐めると、舌に鉄の味が伝わった。
「前方に機影……っ!? はっ!敵の姿が!!」
高鳴ったアラームの信号に目を見開き、両手を目の前で組む。瞬間、激しい熱量とエネルギーを持った熱線が立ち込める黒煙の中から現れ、防御の構えを取る楯無の腕に直撃した。
熱いーーー!口中で叫び、顔を顰める楯無だが、ただで終わる女でないのも楯無だ。だからこうやっている最中でも、背中越しからアクア・ナノマシンを地面に伝え、熱線が飛び出している場所までを水浸しにしている。即ちーーー!!
「クリア・パッションはとっても熱いわよ!!」
指を鳴らしたその途端、浸っていたアクア・ナノマシンが活性化し、爆音と共に爆ぜる。黒煙を巻き上げ、熱線を掻き消し、地面を抉って空気を揺らす。
不敵に笑った楯無は、止んだ熱線によろめき立ち、手のひらにガトリングガンを呼び出して射撃した。アクア・ナノマシンの弾丸を込めたガトリングの雨は、微かに浮き彫りになった敵影目掛けて正確に飛んでいき、そして直撃した証拠となる直撃音を上げてくれた。
ーーーが、晴れた煙の中に在ったのは『空間』だった。地面に伏せた敵も、蜂の巣になった敵の姿も存在しない。
ハッと息を飲んだ楯無は半ば本能的に振り返って、蒼流旋を握り締めた右手を振るった。するとーーー鉄と鉄がぶつかった際のような甲高い音が鼓膜を震わせ、楯無の背筋に不快な寒気を走らせた。
「お前……っ。白ウサギじゃない!」
背後に忍び寄っていた敵。それは二対の耳を尖らせた、白亜の体を持つ偽りの獣ーーー白ウサギであった。
「予定よりお早い登場ね」
鍔迫り合いの中、微笑を浮かべた楯無は、目の前に存在する白ウサギに睨みを効かせる。背中からアンカーを伸ばし、背後の建物に突き立てて、重力に逆らって壁に立つ白ウサギは、そんな楯無に対して反響した笑い声を零した。
ふっーーー腕に力を込め、苛立ち混じりの声を上げた楯無は、勢い任せに槍を振り上げ、白ウサギが握るナイフもろともに弾き飛ばした。際に、緋色の火花が散り、互いの顔を照らす。続けざまに蹴りを見舞うと、それが見事にヒットして白ウサギの体が建物の壁に叩きつけられた。だんっ、と衝突音が鳴り、アンカーを壁に接続していた白ウサギは地面に落下することなく宙ぶらりんになる。
ごめんなさい、と舌を出し、建物の建造者に申し訳なさを感じながら槍を構えた楯無は、その切っ先にアクア・ナノマシンを集めた。超振動するナノマシンの奔流が槍を伝わり、腕を伝わり、全身を興奮させる。地面にも伝わっていく胎動を感じながら口元を釣り上げた楯無は一歩足を踏み出し、力を込め、張り裂けんばかりの咆哮と共に集めたアクア・ナノマシンを放出して、凄まじい出力と破壊力を持ち合わせた水のレーザーを発射させた。
空気を裂いて突き進む一撃が、周囲の物を巻き込みながら白ウサギと建物に直撃する。肌に伝わる空気の振動。目の前で崩壊していく建物と立ち昇る煙に確かな手応えを感じなから、楯無は槍を再び構えた。
◆
鳴り渡った警報から導き出した答えに従ったナターシャは、無意識に隣の彼の手を握り、「走って」そう叫んでいた。彼は突然の指示に戸惑ったようだったが、意外にも冷静で、ナターシャと同タイミングに走り出す。
風を切って目指す場所は、街から遠く離れた人気の無い軍事基地ーーー『兎狩り』のメンバーが集まる予定だった基地だ。外部の人間に知られるのはこの際仕方がない。どっちみちこの状況だと、避難民が基地に集まってくる。
視線を横に動かすと、装甲車が次々と街に集結し始め、慌てふためく住民達の誘導を始めていた。さらに視線を向こうに移すと、遠くで火災が起こったような黒煙や、爆発する様が目に映った。
嫌な予感に思考を奪われていたのか、隣で伴走していた彼が体を抱き上げ、「ナビしてください」ナターシャの走りよりもさらに速い速度で走り始める。少しだけ頰に熱を感じつつも、視線を戻したナターシャは基地が存在する場所に辿り着くまでの道のナビゲートを始め、彼の体温に頰を赤くした。
◆
全壊した建物の瓦礫が蠢く。それはーーーまだ敵が生存しているという証拠だった。
「しぶとい……!」
皮膚を刺激する緊張感。唇を舐め湿らせ、生唾を飲んだ楯無は槍のセーフティを解除し、出力を全開させた。
槍の刀身の一部がスライドして中身が結露し、そこから槍の内部に貯蔵されていたアクア・ナノマシンの飛沫が溢れ、槍全体をコーティングする。槍を包んだアクア・ナノマシンは、電動ノコギリのように振動し、触れればズタズタになる惨殺武器と変身した。
「来る……」二度目の舌舐めずりをし、足の踏み込みを強くする。暑くもないのに汗が頰を伝い、地面に落ちて染み込む。そして遂にーーー目の前の瓦礫が弾け飛び、白ウサギが飛び跳ねた。
『良いィ〜ねぇ〜……良い腕だよ楯無ちゃん♪』
瞬きすら出来ない程のスピードで接近され、容易く顔面を蹴つけられる。視界が揺れ動き、一瞬体の稼働が鈍った。
全身に喝を入れ、血液の熱が上昇するのを感じながら槍を振るった楯無は、槍のトリガーを押し込んで出力を段階上げし、白ウサギを切り裂こうとした。しかしその攻撃は空を斬り、今度は背中を蹴られ、踏み台にされる。
バク転のように宙をひっくり返った白ウサギが、両手に握り締めた何かをこちらに放ってくる。このタイミングで投擲してくるものとなれば相場が決まっている。反射的にアクア・ナノマシンのコートを身に纏った刹那、白ウサギが放り投げた『物』が眩い閃光を放ちーーー爆発した。水のコート越しにその光景を見た楯無は、(テロリストはなんでこう爆発物が好きなのかしら……)と若干呆れた。
『凄い、良い反応するね。流石は君だ!』
「意外に良く喋るテロリストなのね」
『そういう君は話に聞いた通りのお・ん・な、の・こ♡』
不快な仕草でそう言った白ウサギ目掛け、苛立ち混じりに蛇腹剣の刃を伸ばす。しかし容易く避けられ、不発に終わる。
「貴方、ムカつくわ……」
槍の先端を突きつけながらそう言ってやると、白ウサギが腹を抱えて笑い声を上げた。白銀の装甲に包まれた脚を震わせて、心底可笑しそうに悶える。楯無は、何が可笑しいのだ、と目を細め、目の前で悶絶する白ウサギに苛立ちを覚えた。
槍の穂先を降ろして腰に携え、僅かな吐息を吐き出す。それだけで熱くなった我が身の体温は静けさを取り戻し、思考の波が落ち着く。楯無は目を閉じ、そして開けた。白煙が視界の全体を霞めるが問題は無く、楯無は再び戦闘の構えを白ウサギに向けた。
こちらの気配に気付いた敵が、やっと馬鹿笑いを止める。それでようやく荘厳なる静けさが訪れたが、決して安堵の静けさでは無かった。再び戦闘の舞台が整い直されただけである。
乾いた喉に生唾を流し込む。この緊張感は嫌いではないが、いささか濃過ぎるプレッシャーだ。その所為で、胸の内から吐き気に似た何かが込み上げてくるのが分かる。
嚥下し、口元を歪めた楯無は、まず第一の一歩を踏み込んだ。大地を踏みしめて跳躍し、柔軟な稼働域を誇る自らの身体をしならせて槍を放つ。
極限まで引き伸ばされた弓の一撃の如く、楯無の放ったランスは宙を突き進む。到達先に存在するのは白ウサギ。身動ぎする様子も無く佇む白銀の悪魔。
堕ちろーーー! 憎しみを全面に押し出しながら、槍の飛来を見届ける楯無の口元は、待ち望む結末を想像して歪に綻んだ。槍の切っ先が彼奴の胴体を撃ち抜く未来を思い浮かべて、異様に歪み曲がった。
『危険だね……君は』
白ウサギが何かを呟いたようだったが、しかし楯無にとってそれは幻聴であった。聞くに値しない戯言に過ぎなかった。ーーーだからだろうか。白ウサギが右手を掲げ、五指を広げたことに気が付かなかったのは。ーーーだからだろうか。白ウサギの右手から緋色の閃光が溢れて線となり、この身体を貫こうと迫ってきたことに反応出来なかったのはーーー。
それは、一瞬であった。熱く、悶えるような痛み。肉を貫通し、背中まで突き抜けた感覚。白ウサギの照射した一撃は己の身体を通り抜け、黒煙の混じった青空の彼方に消えた。一体何が起こったのか判断出来ずにいた楯無は、急激に身体を刺激してきた痛みに目を見開き、声にならない悲鳴を零した。そしてすぐさま脳裏で理解し、歯を噛み締めた。
「き……貴様ぁぁァァアッ!!」
激しい怒りを感じた。故の、咆哮だった。
撃ち抜かれた左肩を脱力させた状態で地を蹴ると、振動が脚から伝わって痛みの源を活性化させた。しかし楯無はそれを、気にするものかと半ば暴走気味に抑え込み、左手に集中させていたアクア・ナノマシンの水流を白ウサギ目掛けて放った。
激しい荒波の如く、突き進んでいくアクア・ナノマシン。しかし楯無は直感でそれが当たらないことを察知し、二度目のアクア・ナノマシンを右手から放った。勢いこそ初発のものより劣ってはいるが、それでも一匹の獣を狩る程度の威力は持っている。これならば、殺れるーーー。
しかし、その望みは絶望と共に打ち砕かれる。白ウサギは自らに及んだ危険を掌から出現させたシールドで受け止め、完封してみせた。シールドを滴るアクア・ナノマシンの雫が、異様な程の敗北感を楯無に感じさせる。
『……怖がっているみたいだね』
「黙れっ!」
『粋がるから、己の欠点が結露するのさ!』
飛び跳ねた白ウサギ。残像する軌跡が虹となり、楯無の頭上に燐光を残す。太陽の光と一緒くたになったその輝きは、大地に眠り埋まっていた宝石の如く、空を照らした。
一瞬眩んだ視界に歯を噛み締めた楯無は、脱力した右腕に再び筋力を込める。握り締めた槍に残り僅かなアクア・ナノマシンを掻き集め、三度目の激流を撃ち放った。
ーーーが、その重き一撃すら、白ウサギは容易く受け止める。まるで赤子をあやす母親のように、もう相手をする気は無いといった様子の緩慢さをみせながら、アクア・ナノマシンの水流を爆散させた。
その光景に脚の力が奪われ、急に体勢か崩れ落ちる。手をついた地面にはアクア・ナノマシンが染み込み、己の心を映し出したかのように酷く濁っていた。歯を噛み締めた楯無は、「くそ」と胸中に毒を吐き出し、力任せの拳を大地に振り下ろした。
『君は弱いね……誰にも助けを求めようとしないーーーだから弱い。人間は非力だからこそ群れるのに、君がそれをしようとしないのはなんでだい?』
膝をつく楯無の頭上に、白ウサギの影がのしかかる。重い動作で顔を待ち上げると、目の前にはこちらを見下ろす白ウサギの姿が間近にあった。
「……貴方が殺したからよ」
『殺した?……あーあー……なるほどなるほど。井伊月重吾という男のコ・ト・カーーー』
ケタケタとした笑い声が鼓膜を刺激した瞬間、楯無は槍を拾い上げていた。目を見開いて歯を噛み締め、悔しさの混じった叫びと共に牙を振るっていた。
話しを遮って差し向けた槍の穂先は白ウサギを捉え、吸い込まれるように飛んでいく。まるで楯無の意思を汲み取ったかのように向かっていって、白銀の毛並みに一筋の傷をなぞって手元から離れていく。空気が裂ける音を奏でながら弧を描き、地面に突き刺さり落ちた槍は役目を終え、そして握り手である楯無が敵に蹴り飛ばされる光景を見つめた。
『怒るなよ……お前らが駆り立てたクセに……。忘れさせたままでよかったのに……お前らが駆り立てんだろッ!』
初めての激昂ーーー。白ウサギは両手を翳してエネルギー弾を放ち、楯無の足元を吹き飛ばす。ところ構わず乱射し、周りの風景を瓦解させていく。
『幸せになれたんだ‼︎ 産まれて初めて‼︎ なのにお前らァ……‼︎』
「勝手なことばかり言って……! 殺したのは貴方よ‼︎ なのに井伊月さんの幸せなんて……知った風な口を聞かないでっ‼︎」
そうだ。知っておいて欲しくなんてない。彼とお前は真反対の存在なのに、解り切ったような口を開くな。ズブズブと侵入してくる黒い意思に楯無は、人間本来の本能を感じ取った。これが本当の『怒り』なのだということを悟った。
……だからこそなのだろう。同族嫌悪というやつか、ずっと白ウサギが憎く思える。ーーーいや、理解出来てくる。あの悪魔はーーー女性はーーー自分のように井伊月重吾のことを愛してる人間なんだということが伝わる。
その時、ふと熱を感じた。今はもう動かない、左手の薬指からだった。冷たくなった肌を伝って胸に広がるその熱は、どこか懐かしい過去の感覚。決して忘れてはいけない筈の、大切な誰かとの思い出。
『刀奈……貴方は我慢強い娘よ。ーーーでも、我慢し過ぎて、いつか独りになってしまう女の子でもあるわ』そう言って笑った女性は儚くて、自分にとても良く似ていた。
『だからね、刀奈……。貴方に最後にひとつだけ、大切なことを教えてあげる。いい? これは絶対に忘れてはいけない大切なことよ?』そう言って優しく頭を撫でてくれた女性は哀しくて、今の自分にとても良く似ていた。
『もし将来、貴方にとって特別な男の子が出来たら、めいいっぱい甘えなさい。甘えて甘えて、その人が困った顔をするぐらいに泣きなさい。……そして泣いたら今度は、その人からもらった分の『愛』を……その人に、返してあげなさい』そう言って笑った女性は目を閉じ、冷たくなった。言葉も話さず、身動ぎもせず、まるで死んだように眠りにつく。
気付くと、頰を涙が伝っていた。左手の薬指の熱に負けないほどの温かさである。『あ』そう呟いた楯無は、その時に何もかもを思い出した。
自分に、大切なことを教えてくれた女性。最後まで自分に、心配をかけまいと笑ってくれていた女性。目を閉じて尚、ずっと手を握り締めていた女性をーーーー楯無は思い出した。そしてそれが鮮明になった瞬間、泣き崩れ落ちた。
「おかあ……さま」
急激に力を失っていく肉体。大地を蹴っていた脚は空を蹴り、保持者である楯無の身体を崩し落とす。
涙で視界が染まり、何も見えなかった。楯無は思い出してしまった自分の過去に、懐かしむことが出来なかった。弱い自分にならないように、その大切な家族との記憶を別離させてしまっていた己の弱さに、ただ泣き喚くしか出来なかった。
宙を舞っていた身体が地面と接地し、したたかに叩きつけられる。肢体を投げて、痛みに呻く。もう何もしたくない。そんな怠慢な思いと、諦めにも似た感情が交錯し、楯無を酷く弱らせていく。
ちっぽけな少女のーーーその情けない始終を傍観していた白ウサギは、止めていた脚を動かした。倒れる少女に歩みより、腰を屈めて語りかけを始めた。
『記憶ってのは……どんなものであれ無くしちゃいけないものなのは確かだよ。ーーーけれどね、全部が全部、君みたいに感動的な思い出ばかりじゃないんだ。その人を死に導く思い出だって存在しているんだよ……』
「な……何が、言いたいの……?」
『……してはいけないことをしたってことさ』
目の前で、白ウサギの五指が広げられる。眼前にあるそれには電流のようなスパークが走っていて、楯無は脳裏に悪い予感をよぎらせた。本能的に、敵の思惟を感じ取った。
伸びてきた白腕に頭を掴まれた。ピリピリとした痛みは電流なのか、楯無の頭部を不愉快さが駆け抜けていく。恐怖とはまた違った感覚に身体が反応して、自らの意思とは関係無しに瞼を閉じてしまう。そうして先にーーー闇が広がった。
ーーーが、刹那ーーー視界が『光』で満ち溢れた。
「先輩に意地悪するなァァア‼︎」
恐怖を気合いで掻き消した、少女の叫び。
目を向けた先にいたのは、白ウサギに果敢に立ち向かう一人の小さな戦士ーーーリディア・スカイだった。
「り、リディアちゃん……駄目っ……!」
掠れたような声は少女には届かない。手を伸ばし、その背中を羽交い締めにしたくとも叶わない。楯無の思いは、恐怖に立ち向かう勇敢な少女の意思に跳ね飛ばされて消える。己の弱り切った思いは、少女に決して伝わらない。
青空のようなカラーリングを施された外装甲。背面に大きく接続された二対の巨筒の加速装置。リディア・スカイの駆るロシアが開発した〈スフィア〉と呼称される専用ISは、太陽の陽射しを一身に浴びて青く輝きーーーそして一瞬の星のように瞬いて消えた。
白ウサギに立ち向かった少女の奮闘は、ものの数秒の出来事であった。いや、もしかするともっと短い間隔だったかもしれない。白ウサギが振り上げた剣の剣先が少女の左腕を根元から捉え、そして切り離したのだ。噴出した鮮血がまるで陽炎のように揺らいで見えたのは、きっと瞳に張られた涙の所為である。
「いや……嫌ァ……」
膝をついたリディアの姿に恐怖が溢れる。次にああなるのは自分であるとの想像に、思考が埋め尽くされる。かつての保健室での暴力のトラウマに歯が震え、声が出なくなる。
ビクン、と少女が痙攣した。傷の断面から流れ出る血が、〈スフィア〉の装甲を赤く塗り潰している。致命傷を負うリディアが何を思ったのか、立ち上がろうと脚を動かし始めた。傷口はその所為で更に血を零し、少女の体を弱らせていく。
楯無は言いたかった。もういい、と。しかし今の自分では声はおろか、震えすら止められなかった。白ウサギに対しての恐怖が極限まで高まっていたのだ。酷く体の芯が冷たい。頰には、熱い涙が伝うばかりだ。
「お前、を……倒せば全部終わるんス……。リディアがお前を倒したら……楯無先輩は、悲しい顔…を……しなくてすむんスよ……」
緩慢な動きで立ち上がり、白ウサギに再び対峙したリディア・スカイ。恐怖で動けない楯無よりも遥かに弱小な少女の熱りが、敵である白ウサギを挑発する。が、既にリディアの体は限界であった。リディアの小さな体は一歩脚を踏み出した途端に崩れ落ち、血の沼地に浸かった。〈スフィア〉が解除されて露わになったリディアの体にはーーー火傷の痕が存在した。
それを見た瞬間、楯無は呻き声を上げた。自らの弱さに我慢が出来なくなり、怒りと共に吐き出した。火傷の痕を負っても尚自分を守ろうとしてくれたリディアに堪えられなくなり、呆然となった。
鼻腔を刺激した煙の香りとーーー血の匂い。視線を動かした先にはリディアの亡骸が横たわっている。手を伸ばしても僅かに届かない距離に、少女が眠っている。
もう嫌だーーー。胸中で呟いたその言葉は、諦めでもあった。微かに灯っていた闘士の火も消えかかっていた。とてつもない虚無感が体にのしかかり、心を押し潰された。
「誰か……助けてよーーー」
ーーーか細く弱ったその声は、緋色の閃光に掻き消された。
あと少し