石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

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無荷核粒子の存在可能性 10

 響く電鈴の音。何だろうな。音は裏口の方の来客を知らせている。私が帽子を忘れずに持って使用人用の階段を降りると、もう既に受け取りが終わって配達人が扉を閉めたところだった。

 

「はい、お嬢様」

 

 そう言ってミセス・ブラッケンが私に封筒を渡してくる。表と裏を確認。差出人は王認自然学会(ザ・クウェーンズ・フェローシップ)本部。宛先はラドウィック。なるほど、これは私が開けていいやつだな。執事のラドウィック宛にここから手紙が届くことはないだろうし、執事でないラドウィック宛ならこの屋敷に届くはずがない。つまり実質的にはこれは私宛だ。そうじゃなかったら後で謝ろう。

 

「紙切刀ってあります?」

 

 ミセス・ブラッケンに聞くと、黙って斜め上の方に指を立てた。つまりは作業室か。

 

「はーい」

 

 私はそう言って階段を上って二階の部屋に入る。椅子に座って作業中のフィーマは拡大眼鏡をつけて、丁寧に本を分解しているところだった。

 

「よろしい?」

 

「手短に」

 

 集中している時のフィーマに話しかけるのはあまりよくないが、めったに届かない手紙である。

 

「封筒を開けたい」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

 そう言って封筒を置くと、彼女は手早く手元の刃物で封筒の上部分を割いてくれた。封筒に入っていたのは紙色が違う二種類の便箋。別に折られているので、とりあえず上の方にあったものを開いて内容を読んでいく。

 

「……手書きとは丁寧なことで」

 

「普通ですよ」

 

 フィーマが言う。なんだよ、私がいつも打字機(ステイヴライター)で手抜きをしているみたいな言い方じゃないか。

 

 たぶん総帥の直筆だろう。綺麗に繋がって書かれた文字は幅も揃っていて読みやすくていい。内容としてはラドウィック、そして間接的に彼の「主人」に宛てたものだ。私は誰が誰に何を頼んだのかを知っているが、それを知らないとちょっとわかりにくいようになっている。秘密の管理のつもりだろうか。そんなに気にしなくてもいいのにな。私なんか大学に行ったんだぞ。

 

 挨拶が終わると内容は先月に書いた前文についてに変わった。原稿の端っこが微妙に余ったので少し文章を詰めたことを許してくれ、と言われるがあれはもう別に私の書いたものではないのだ。名義を出さないということはできたものをどう使われようがあまり文句を言えない、ということである。逆に言えば世間に出した人がその責任を負うことになる。今回なら物理分会の担当者か、あるいは合同の編集部か、ということだ。

 

「……ああ、これ何かと思えばリードフィントン教授からのか」

 

 この文章を書いた人物を紹介しろ、ともともと前文を書く予定であったリードフィントン教授に言われて、本人は忙しいからと断ったら手紙ならいいだろうと押し付けられたらしい。

 

 便箋を広げてみると文字の形からして違う。こっちのほうはかなり太い線でかつ詰めて書かれているので印象として、まず来るのは黒いということだ。

 

「……フィーマ?」

 

「黙ってください」

 

「はい」

 

 最初の一行目を読んだ時点でなんかこう、圧があったので目を背けてしまった。その先の方に見えた文章も辛い。はい。根拠のない理論です。あの測定結果自体を鵜呑みにしているのはよくないです。何かを検証するために使われたわけではない実験から得られるのは示唆のみです。

 

 このあたりをできれば誰かに読んでもらって少しずつ薄めて接種したかったのだが仕方がない。覚悟を決めて私は読んでいく。

 

 元論文の実験環境の不備と情報不足は私のせいじゃないだろ。透過量を測定する各種の手法の提案。いやこれ普通にそのまま論文として成立するぐらいの密度だぞ、緊急で代理をやった人間に投げていいものではないだろ。

 

 あと私が前文で引用した論文についてできれば翻訳をくれとのこと。いやまあ、うちはそういうことやっていないわけではないのですが手間は嫌だ。フィーマはそこまで多言語ができるわけではないので、私が頑張るしかないのだ。私は三陣営の旗艦誌に使われるような共通語(ウルガー)も、共同連邦(コモンウェルス)のクウェーンズも、大陸帝国(コンチネンタル)のコミュヌも、連合議会(コングレス)のジェネラルも、文章として読むだけなら大抵の論文でできるし、学術論文であれば単語対応表をもとに翻訳もできる。書くのはちょっと難しいかもしれない。少なくともちゃんと校正をしてくれる人が欲しい。

 

 とはいえ大陸帝国(コンチネンタル)内部の河川同盟(レーノスブント)で話されていたりする地方語とかはわかりませんし、母の祖国の言語は長らく扱っていないし、かろうじて聞いて話すことはできても相当訛りがあると思うし、読むことも書くこともできない。

 

「翻訳って、頼んだらいくらぐらいするかな……」

 

「信頼できる人を探すのは難しいですよ、論文とかですか?」

 

「そう」

 

 私はフィーマに返す。彼女の繋がりでそういうことを内職でやっている人を探すとかもいいかもしれないが、論文一本ぐらいなら私がどうにかしてしまってもいい。そもそも文法さえわかってしまえば単語を置き換えるだけで大抵はどうにかなるのです。各地で共通語(ウルガー)を輸入している分野としていない分野が分かれているのは辛いところだが。

 

 例えば我らが共同連邦(コモンウェルス)の女王陛下の血は元を辿れば今の河川同盟(レーノスブント)あたりに連なるのだが、大陸帝国(コンチネンタル)嫌いがあって言葉とか文化とかを旧き良きものに戻そうというのが微妙に起こったり起こらなかったりして言葉が面倒になっているのだ。古い論文とかを読むと、そのあたりがいい加減で困る。

 

「あ、無荷核粒子(アンラーデン・キュルネルモート)はちゃんと検証されている」

 

 質量の測定もできている。無荷核粒子(アンラーデン・キュルネルモート)によってもともと纏っていた電子を置き去りに弾き飛ばされる核は正電荷を帯びているので、移動していると磁場を受けて曲がる。色々と資源が有り余っていらっしゃる連合議会(コングレス)のほうでは銅亜鉛電池を大量に並べて強力な電磁石で磁場を作るが、貧乏な共同連邦(コモンウェルス)では普通の磁石を重ねるのが限度である。

 

 そうして作った磁場の中では移動している荷電粒子は曲がる。それを撮影して、曲率半径を見て、質量分光とかで見られる質量とか、あるいは普通の光分光から得られた同位体質量比とかから核の質量を得て、そこから力積を割り出す。そこから速度を経由して運動熱量だの無荷核粒子(アンラーデン・キュルネルモート)の質量を見ればいい、となるわけだ。

 

 複数の種類の核を弾き飛ばした結果によれば、無荷核粒子(アンラーデン・キュルネルモート)の質量は水質(ワータシャフト)核の1.007倍ぐらいとなるそうだ。誤差範囲についても丁寧に論じられている。リードフィントン教授はこのあたりが丁寧だから論文を読んでいて安心できるのだ。

 

 しかし微妙な値である。電子でもくっついているんじゃないかと思いたくなるがそうすると捻れ数が解決しなくなる。まあこの問題は将来の誰かが立ち向かってくれるだろう。私はそれを観客として応援させてもらうだけだ。




We find therefore that the mass of the neutron is 1·0067. The errors quoted for the mass measurements are those given by Aston. They are the maximum errors which can be allowed in his measurements, and the probable error may be taken as about one-quarter of these.* Allowing for the errors in the mass measurements it appears that the mass of the neutron cannot be less than 1·003, and that it probably lies between 1·005 and 1·008.

したがって、我々は中性子(ニュートロン)の質量が1.0067であることを見出した。質量測定に関して示された誤差はAstonが示したものである。これらは彼の測定において許容される最大誤差であり、確率誤差はその4分の1程度とみなすことができる。*質量測定における誤差を考慮すると中性子の質量は1.003を下回ることはなく、おそらく1.005から1.008の範囲にあるものと思われる。

* The mass of B11 relative to B10 has been checked by optical methods by Jenkins and McKellar (‘Phys. Rev.,’ vol. 39, p. 549 (1932) ). Their value agrees with Aston’s to 1 part in 104. This suggests that great confidence may be put in Aston’s measurements.

* B11のB10に対する質量は、JenkinsとMcKellarによって光学的手法を用いて検証されている(‘Phys. Rev.,’ vol. 39, p. 549 (1932) )。彼らの値は、Astonの測定値と104分の1の精度で一致している。このことから、Astonの測定結果には高い信頼を置くことができると考えられる。

CHADWICK, James. The existence of a neutron. Proceedings of the Royal Society of London. Series A, Containing Papers of a Mathematical and Physical Character, 1932, 136.830: 692-708.
ジェームズ・チャドウィック『中性子(ニュートロン)の存在』、1932年

参考までに、該当文献は JENKINS, F. A.; MCKELLAR, Andrew. Mass ratio of the boron isotopes from the spectrum of BO. Physical Review, 1932, 42.4: 464.、『BOのスペクトルから得られた(ホウ)素同位体の質量比』の誤りであると考えられる。
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