「必要であれば作れるが、推奨するものではない」
夕食後のゆったりとした時間に、執事のラドウィックは紅茶を飲みながら言う。地下の台所でなければもう少し風情というものもあったのだが、この場所のいいところの一つはお湯を沸かし直すのが容易だということなのでよしとしよう。
「推奨しない理由は?」
「まず前提を整理させてもらおう、お嬢様」
そう言って、彼は紙と鉛筆を取り出した。
「私からの要請は何らかの形で研究者に資金、物品、情報を提供できる組織。それは人を雇用し、機材を購入し、寄付の形で渡すことができ、かつ調整も行うものであってほしい。私の名前は出したくない。もし名義が必要ならミス・バクスターで」
私の言葉を聞きながら執事は記録を取っていく。この後で色々と修正が入るだろうし、まずは言えることを言ってしまったほうがいいだろう。完全に条件を満たさなくともどこまでなら行けるか、みたいな話は彼の得意分野だ。
しかし屋敷の外にいるときの少し気の抜けた彼と、ミセス・ブラッケンやフィーマの前で見せる執事としての彼と、今の真面目な表情を浮かべている彼と、どれが本性なのかは正直よくわからない。あるいは全て違うのかもしれない。それを混ぜることがかつての彼の仕事であったわけで、今でもその仕事は続いているのだろうし。
「必要であれば使える法人はいくつかある。それらは信頼できる会計士と紐づいており、専門家の調査があればわかるようになっている」
「それは精査に耐えるという意味で? それとも誰かが来たことを検知するという意味で?」
「後者の役割が大きい」
「なるほどね」
そんな感じで私はラドウィックの講義を受けていく。大学で色々と聞いてきた経験から一方的に批評させてもらうのであれば、彼の話し方は落ち着くものだ。紅茶の刺激がなければ眠りに落ちてしまいそうになる。このあたりの調整も彼の技量に入っているのだろうか。もしそうだとしたら色々と恐ろしいので、ただの偶然かあるいは私の寝不足ということにしておきたい。
「……すなわち、七人を集める必要がある。もちろん全員名義を借りるだけでもいい。法人格は個人とは切り離されて運用されるからな」
ラドウィックは何もないところからちゃんと法人を作る方法を説明してくれる。思ったより簡単だし、そう簡単に穴はないかという両面がある。堂々とやれる事業をしたいなら問題ないが、後ろ暗かったり秘密を保ちたかったりするなら知識か金が要る、というわけだ。
「私は署名できる?」
「法的には可能だが、私の依頼主は嫌がるだろうな」
「今更ではあるけどね。……そういえば、本名の私は今どこにいるの?」
「大学卒業後は消えている」
「消えている……?」
私の理解が足りていないと判断したらしいラドウィックは少し考えていた。申し訳ないね、一般常識というものが欠如していて。
「具体的な事例を考えよう。もしある名前の人物を、この
「何かの名簿を探すことになる、という認識でいい? 出生登録簿、不動産取引、選挙人、登記、あとはそうか、保険評議会がやっている共通名簿紙みたいなもの?」
よくある誤解として
「概ねそれでいい。では、それらを調べて載ってない人は存在しないと言っていいか?」
「……出生証明書は名前を変えれば探しにくくなるし、都市にいる人間について一人ひとり追跡して調べることはできない。私は女性で世帯主ではないから選挙人名簿には当然無い。本名で探しても大学時代の話までしか出てこないなら、存在しないも同然、か」
私の言葉にラドウィックは頷いた。まあこの私の本名に相当するものも東洋の響きを無理やり
「必要であれば、東洋系の女性がやってきたという形で書類を作ることはできる。それに、ラジリッズ
「……ラジリッズ
母の家が懇意にしていたという商会だ。茶葉よりももっと大きなものをやり取りしていたという話は聞いている。「民間船舶用大型汽缶」に「精密光学観測計算機器」、「海事用複合素材」だの「高圧機械用特殊鋼」、はては「人道的医療物資」と引き換えに比較的真っ当な美術品とか工芸品とか繊維製品と一部で人気の広告とかを取引していて、途中から開き直って普通に重工業製品と工芸品の貿易会社になった組織。医薬系は別の地域で失敗したのでさらりと撤退したらしい。
「ああ。実質的に茶葉の輸入企業という体面だった組織としては解散し、公に貿易を行う複数の企業の集合体として再編された。だがかつて倉庫を借りるための名義としてラジリッズ
「……よく考えなくても、私に流れている血は両方とも碌でもないものね」
誰だかわかっているのは母親のほうだけであるが、物心付く前の朧げな記憶にあるあれがその母親に相当する人物なのかはわからない。雇われの乳母に育てられ、大使館では現地語を使うのが基本であるとのことでクウェーンズばかりだったし、母について語ってくれる人はあまりいなかった。今ではちょっと変らしいとは理解できたが、当時はそういうものだと思っていたからな。
とはいえ、母の祖国についての話は当然聞くわけだ。極東の神秘の島国、
そしてまあ、両親の組み合わせが色々と問題があって、私は表に出せないがかといって処理するにも困るということで生活費と屋敷を抱えて暮らしているのである。何が面白いって屋敷を見繕ってくれたラドウィックと生活費の額を決めた担当者との連絡がまともに取れなかったせいで過剰に貰っていることなんですがね。私に責任があることではないので気にしても仕方がないが。
6. 合法的な目的のために結集した7人以上の者は、
Great Britain. Companies Act 1862, 25 & 26 Vict. c. 89, § 6.
英国、1862年会社法、ヴィクトリア女王の治世25・26年、89章6条