そしてその過程で、厚かましくも彼らは世界各国に対して単位系を統一しようと言い出した。かくして、外交的奇跡としか呼べない何かのせいで、世界の全ての文明国がその単位系を採用したのである。何回か改正されているし、今から考えれば馬鹿みたいな定義の単位もあったのだが。
例えば1
とはいえこれでは良くない、もっとちゃんとした圧力を既に定められている単位を元に決めよう、となるわけである。かくして標準気圧は
では
ここで二つの対立が起きた。一つはそもそも振り子は真空中であれば温度に関係なく揺れるのであるから温度の定義を消そうというもの。もう一つは単純な振り子ではなく実際の精密測定結果の外挿として基準値を得ているのだから互換性を担保せよというもの。そして彼らは水の三重点を
とまあそんな感じでできた国際会議の後継が螺子の規格だの紙の大きさだの用語だのを決めているのだ。なんと素晴らしいことに弾薬も砲弾も規格化されているので、南方では現地勢力が
「うっげ」
そんなどうでもいいことを講義風に思い出しながら該当の頁をめくっていると、私の手元を覗き込んできたフィーマが嫌そうな顔をしてきた。
「見なければいいのに」
屋根裏部屋で気灯の下のんびりと寝る前に読む論文というのはなかなかいいものなのに、寝間着姿のフィーマはそうではないらしい。
「いやまあ気になって……微小振動力学ですか?」
「それを使って
微小振動力学は電子の振る舞いについての最有力の解釈の一つ、というかそうでもしないと電子の振る舞いを説明できないとして消去法で選ばれた理論である。運動量の離散性仮定は
もちろんそのような振動を引き起こすのは熱ではない、という微視熱力学からの批判はすぐにやってきた。数学的にも弾性論だの音響学の変分法の手口を山程取り込んだ代物になった。とはいえ、それはかなり良く各種の分光像を再現できてしまう模型だったのだ。私が大学で物理をやっていたときには、学友たちとこの手の議論で盛り上がったものだ。
そして数学的邪道が詰め込まれたこの理論は、一旦波動形式に変換して計算をしやすくしてから戻すみたいな奇妙な手法が必要で実に面倒である。いやまあ工学においてそういう方法は王道であるし、大学時代に物理を教えてくれた教授の一人はそのあたりの裏付けをした人なのであるが。だからといって演算子法の未解決の問題の証明を宿題にするな。できたやつはあの時二人だけだったぞ。私は全く別方向に進んで結局駄目でした。
「……いやこれ相当難しいことしているわね」
そう呟きながら私は頁をめくる。積み上げられる無茶な仮定。引用されているのは機械振動の共鳴の論文だろうか? 座標軸上で取られた電子位置から導かれる確率模型。このあたりは
そして相関によって生まれる作用を電気力学的な点と点の問題に変換する。
「私でも読めると思いますか?」
フィーマが聞いてきた。ひとまず最後まで目を通してしまおう。やろうとしていることは原子核の安定性を
「……数学的な道具がいくつか必要。たぶん屋敷にあるけど、なければ参考書として買う」
「わかりました。今後そういう論文の翻訳を口述筆記させられるなら、最低限そのあたりは知らないといけないので」
フィーマはそう言って、私に早く寝るように手で促した。はいはい。どうせこういう内容だって、一年か二年もすれば冬の講演会で扱われるようないい比喩をもった模型に調整されるか、あるいは致命的な計算間違いが見つかったり実験との食い違いが起きて悲惨なことになるのである。それを見るのもまた楽しい、というのはあまり良くない観客としての態度だろう。
同様に、二つの中性子の相互作用は相互作用エネルギー $-K(r)$ によって記述されることになるが、ここで H2 分子との類推から、このエネルギーは中性子間の引力をもたらすものと仮定することができる2)。ついで、陽子に対する中性子の質量欠損(エネルギー単位で)を $D$ で表す。ここで関数 $J(r)$ および $K(r)$ によって与えられる力作用、ならびに二つの陽子の各々の間におけるCoulomb反発力 $e^2/r$ の他は、核の構成要素間にはいかなる顕著な力作用も生じないものと仮定される。さらに、全ての相対論的効果、すなわちスピンと軌道との間の相互作用も無視されるものとする。関数 $J(r)$ および $K(r)$ については、ただいくつかごく一般的なことを述べることのみができる。これらは、10-13 cm 程度の領域において、$r$ の増大とともに急速に零へ低下すると推測される。さらに、分子との類推において $r$ の通常の値に対しては関数 $J(r)$ は $K(r)$ より大きいものと仮定されるものとする; この仮定は、後に重要であることがわかる。中性子の質量欠損 $D$ は、元素における通常の質量欠損に比べて小さいはずである。
2) Für den Hinweis hierauf und für manche anderen wertvollen Diskussionen möchte ich Herrn W. Pauli herzlich danken.
2) この点に関するご指摘に対して、ならびに他の多くの有益な議論に対して、私はW. Pauli氏に心より感謝申し上げたい。
HEISENBERG, Werner. Über den bau der atomkerne. i. Zeitschrift für Physik, 1932, 77.1: 1-11.
ヴェルナー・ハイゼンベルク『原子核の構造について I』、1932年