石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

17 / 18
質量二の水質同位体 7

「確認ですが」

 

 ミセス・ブラッケンが口を開いたので、書類をがさがさとやっていた私とラドウィックとフィーマは手を止めて彼女を見た。

 

「こういった行為について、許可はされているのでしょうか?」

 

「ミセス・ブラッケン。そもそも我々は何も禁止されているわけではないのですよ」

 

 ラドウィックはそう言うが、まあ詭弁だな。多くの作法書は規範を書く以上によくある逸脱を咎める形をしている。つまり、誰もやらないようなことはそもそも禁止されないのだ。とはいえ確か法律で禁止されていること以上のことを罰することはできないとする大陸帝国(コンチネンタル)に比べて、こちらの方は裁判しながら法律相当のものを作れたりするのだが。連合議会(コングレス)はそのあたりがごちゃ混ぜで大変だから優秀な弁護士は発明家よりも尊敬されると聞いたことがある。

 

「実務上の問題です。関係者と齟齬が起こるのであれば、事前に知る必要があります」

 

「……それもそうですな。言っておきますが、本来お嬢様はそれなりに社交をし、名前を出すことを前提にされていたことは知ってほしいのです。屋敷に死ぬまで軟禁して外界との連絡を絶とうとしていた、というわけではありません」

 

「はい……」

 

 私は縮こまりながら言う。

 

「あれですよね、金があるならこんな騒がしくて狭い場所じゃなくて、もっと高級なお屋敷が並ぶところとか、郊外の邸宅とか、そういう場所で暮らせってことですよね」

 

 フィーマの言葉にラドウィックは頷いた。はい。いやですね、寄宿学校時代に後見人枠でやってきたラドウィックから希望があるかと言われて当時面白いなとなっていた数学とか物理とかの本があると嬉しいですねと言ったんですよ。そうしたらどういうわけかこの屋敷が選ばれたわけです。確認したら私がそれをラドウィックに言う前にサーロウ教授は亡くなっていたので、裏でなにかがあったわけではないそうだ。

 

 まあその結果一人で働きながら屋敷の蔵書をかろうじて維持していた少女の頭越しに色々と取引が行われたことになるのだが、このあたりはあのフィーマでも語ってくれないのだ。あまり気軽に尋ねていいものでもなし、冗談になる範囲を探りながら付き合っていくしかない。

 

「そういうことです。そして話を聞いた担当者によれば、科学の方面に寄付をしてくれるのであれば使途としては申し分ない、とのことでした」

 

「まあ他のところに使われるよりいいですよね、競馬とかやりますか?」

 

 フィーマが私を見ながら呟く。運算機関の作成予算を半ば横領して数学的な予測で大勝ちしたかと思えば、その後普通に負けて結局少しだけ資金を増やせたのはよかったが、以降監視されることになった女性とかじゃないんだから。

 

「やらないわよ、賭けるにしても馬主やるにしても私はそういう性格じゃないから」

 

「えー、でもお嬢様は演劇とかで気に入ったのあったらのめり込むと思いますよ」

 

 そんなことあるだろうか。あるな。劇場に行くような人でなくてよかった。かわりに相応の額をその手の学会とか協会とかに寄付していることになる。王認自然学会(ザ・クウェーンズ・フェローシップ)については迷惑料の側面もあるのだが。

 

 というところでラドウィックが咳払いをした。はい。目上の人が話しているときには余計なことを言わないようにしましょう。女中の基礎である。

 

「ともかく、お嬢様に資金を提供している関係者からは名前を表立って出さないのであれば、その手のことについては問題ないとのことでした。偽名であれば、むしろ歓迎されるでしょう」

 

「よし、ミス・バクスターとして頑張らないと」

 

 大学時代の友人というか一緒に問題を解いたり馬鹿なことをやったやつらと直接会う機会はそうそうないだろうが、それでも気がついてくれたら嬉しいなという思いがあるのだ。三脚試験(スリーシャンク)上位十二人が招待される晩餐会の代金を立て替えて払ったのは親切として伝わってくれただろうか。

 

「……確認しておきますが、その種の関係者というのは、私の夫のような人達ですか?」

 

 ミセス・ブラッケンが執事のラドウィックに尋ねた。女王陛下のための忠実な公僕、というもの。あるいはあちこちにいるのに、誰からも見られない存在。以前誰かが言っていた「歩く内閣」という表現は面白かったな。

 

「……そういう側面は、ある」

 

「わかりました。私としては、これ以上言うことはありません。お嬢様がやりたいことがあるのであれば、それを支えるのが女中長としての務めです」

 

 諦めたのか、覚悟を決めたのか。後者だと思いたい。

 

「それで、ラドウィック。どれぐらいの手間と、どれぐらいの時間がかかる? 私にできることがあれば分担したいのだけれども」

 

 私はそう言って書類を見る。金は比較的どうにかなる。問題は金で手に入れるのが難しいものだ。時間とか、専門家の手間とか。例えばこの屋敷では一番高価なものが専門技能に基づいて手を動かすことであるので、こと家政において技能を持たない私は誰でもできるような掃除をさせられるのである。ここで暮らす以上不可欠だというのはわかるし、拒むわけではないが、それはそれとして面倒で疲れることは否定できない。

 

「……この種の技能は、特別な才覚と鍛錬を必要とするものです。お嬢様にはそれがありません」

 

「はい」

 

「ですので、あなたの専門分野について手を貸してもらいたい。具体的にどのように広告を出せばいいか、買ってくれそうな人はいるか、あるいは既存の設備を活用できるかどうかの助言。必要なときには、ミス・バクスターなり、ミスター・バクスターなりを呼ばせていただきます」

 

「あー、じゃあそろそろ髪も切らないといけないな」

 

 面倒くさがって先延ばし先延ばしにしてきたのだが、そろそろ肩にかかってくるころだ。膨らまない髪質なのでかさばるというわけではないが、それでも流行から外れるのは事実だ。まあ流行とかを語れるほど外に出るわけではないからいいか。

 

「今回であれば書類だけで終わるでしょう。ただ、ホイットマール卿には話を通しておいてください」

 

「リードフィントン教授についての愚痴と一緒に、今度遊びに行った時に伝えておきますよ」

 

 電報の一本でも送って彼の予定が問題なければいいだろう。あるいは図書室でなにか面白い文献ないか探しに行くついででもいいか。定期的な運動が健康に重要であることは広く知られた事実だしな。




But suppose the mass of the people are not able to elect—and this is the case with the numerical majority of all but the rarest nations—how is a Cabinet government to be then possible? It is only possible in what I may venture to call DEFERENTIAL nations. It has been thought strange, but there ARE nations in which the numerous unwiser part wishes to be ruled by the less numerous wiser part.

しかし、もし一般大衆が選挙することができないなら──実際、極めて稀なものを除く全ての国家の数の上での多数派はそういう状態にあるわけだが──いかにして内閣制が可能となるのだろうか?それは私があえて「恭順な(DEFERENTIAL)」国家とでも呼びたいものにおいてのみ可能となる。奇妙に思われてきたのであるが、数の上では多い賢明でない層が、数の上では少ない賢明な層によって統治されることを望むような国家が、実際に存在するのだ。《/small》

The English Constitution, by Walter Bagehot, 1867
ウォルター・バジョット『英国憲政論』、1867年
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。