石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

2 / 3
無荷核粒子の存在可能性 2

「計算が間違ってますね、いや計算は正しいか? じゃあ何が……」

 

 私は呟く。机の上には参考までに引っ張り出してきた各種の雑誌と分光学の資料集。この資料集の編集人はヘズリン・ホルトという実験屋で、最近は面倒な政治とか予算配分とか冬の講演会の準備とかで忙しくなりめっきり鏡も回折格子も触らなくなってしまったという男だ。そんなやつがなぜのんびりと古めの雑誌を読んでいるのかは考えないほうがいいだろう。

 

 だから嫌だったんだ。本好きの前にこんな本棚を差し出したらこうなるのはわかっていただろう。駄々をこねられても困るし、ここで本を持ち帰られたりなんかしたら後で女中補がうるさい。蔵書の後継者として名乗りを上げて私のことを簒奪者呼ばわりする彼女はサーロウ教授の大姪であるのだし、教授と会ったことのない私に比べれば正当性があるのが困るところだ。

 

「君への依頼の中に、論文の詳細についての批評は入っていないが?」

 

「今なら電報で計算が正しかったかどうかぐらいは問い合わせられるでしょう、組版もそこまで進んでいないでしょうし」

 

 そう言いながら、紙に自分しか読めないどころか明日になれば自分でも読めないような奇怪な字で計算を進める。計算結果は微妙だが、まあ非常に大まかに言えば、1に近い。

 

「……それで、何か面白いものは見つかったかね?」

 

「質量数問題に大きな進展がありますね。解決したかどうかまでは断言できませんが」

 

「説明してみたまえ」

 

「……分光学の権威たるホイットマール卿に? それとも」

 

「冬の講演会に来るような子供相手に、だ」

 

「……毎年来ているような子でいいですか?」

 

 王認自然学会(ザ・クウェーンズ・フェローシップ)が毎年冬にやっている連続講演は、子供料金であっても紳士向けの硝酸水銀がたっぷり含まれた帽子ぐらいのお値段がする。私はちょっと事情があってこのあたりの金銭感覚が狂っているが、たぶん普通の少年少女が自ら小遣いを一年間貯めても難しいぐらいの額だ。そこに毎年来ていると言うなら、下手な教授よりも基礎を押さえていたとしてもおかしくはない。

 

「許そう」

 

「助かります、真空中に凹面回折格子を置く話を子供向けにできるのは総帥ぐらいしかいないので」

 

 原子論の基礎、光媒質(エーテル)の特徴、透過線に質量分光。このあたりの説明を全部飛ばせるのはいいものだ。

 

害質(ハームシャフト)を考えてみましょう。大気のうち八割を占め、非常に安定。分解するためには火花の放電や、あるいは大陸帝国(コンチネンタル)の高圧技術者たちが近年達成したような特殊な環境が必要です。この気体に水銀放電管から出る紫外線を照射し、散乱光を分光します」

 

 私は手元の論文を見ながら言う。

 

「散乱光の説明がない」

 

「このあたりは勘弁してもらえませんか? 振動光媒質(エーテル)理論だの(グープ)だのを弄り回す講義になりますよ?」

 

 私は確かに数学ができるが、このあたりは本職の理論屋の領分である。三脚試験(スリーシャンク)で上位三人に入ってやっと挑めるかどうかという代物だ。結論を追いかけることはできても思いつくことはできないし、ましてや他の人に説明するとなればかなり酷いものになってしまう。

 

「……まあ、私も理解しきれていないから構わないが、あとで数式の一つでも残しておいてくれ」

 

 私は頷く。まあ結局は節数違いの局所振動のうなりだ。結局はこれも微分方程式であり、適切に模型を立てれば運算機関(レックニングエンジン)が音を立てて作業をしてくれるのである。一番重要なのは計算量を減らす下準備と待ち時間を作らせない工程設計であるが。

 

「えーこの散乱光の波長と強さの組み合わせで核の中に入っている粒子が偶数か奇数かがわかります。具体的には捻れ数ですね。捻れには右か左、あるいは正か負があって、奇数ならどうやっても相殺できません。それに電荷と全捻れの偶奇一致の経験則にも反しています」

 

「話が長い。秤では十四個あるはずなのに、紙袋を開けてみれば七個しか林檎がない、でいい」

 

「……いいんですかねぇ、そうすると水質(ワータシャフト)核と電子の結合の話が難しくなりますし捻れ数とかが表現できなくなりますが」

 

「見えない透明な林檎がある、ということで十分だ。あと偶奇については貨幣の話でいいだろう。一個なら半青銅貨(ヘイシャット)でいいものを、青銅貨(シャット)半青銅貨(ヘイシャット)で釣り銭のないように支払いをする。偶数個なら青銅貨(シャット)だけで払えるが、奇数個なら半青銅貨(ヘイシャット)がどうしても必要になる」

 

「うーん、まあ妥当な比喩だと思います。語り落としているものも多いですが」

 

「全てを語ろうとすると光媒質(エーテル)のような奇妙な物性と高次元性を持つ代物になるぞ」

 

 私は頷いた。さて、ここからが面白いところと言いたいのだが、結論自体は非常に素直なものだ。というより今までの学術議論だの今回の論文だのを読めばとても自然になる。

 

「というわけで紙袋の中には透明林檎が七個入っている、ということになります。十四個ではない。だから普通の林檎と合わせて合計は偶数。そしてこの論文が分析した甘質(ソートシャフト)の放出する放射線(アウトビーム)というのは、この透明林檎であると考えると辻褄が合います。極短波長光とするなら光圧におかしなところが出ますし熱量も保存されない。まあ実際は第一種放射線(アウトビーム)の構成因子からなる渦集団とかの仮説が否定できていないので有力な仮説、ぐらいですが」

 

「後半は削ったほうがわかりやすいだろうな。それで、見えない林檎をどうやって扱う?」

 

「飛んでいる時に他の林檎に当たれば、他の林檎が動いたことは確認できます。弾き飛ばされた林檎がどこまで飛んでいくかを見れば、透明林檎の重さと速度を見積もれます」

 

「軽くて速い林檎と、遅くて重い林檎を区別する方法は?」

 

「というのがこの論文ですよ、計算が合わないって言ってますけど普通に質量を仮定すれば導出できて、重さはほぼ水質(ワータシャフト)核と一緒。つまり透明林檎は普通の林檎と同じで透明なだけ、あるいは電荷を持たないだけ、と考えると綺麗に収まります」

 

「御講義中失礼、ミス・バクスター」

 

 私が自慢げに言った時、後ろから男の声が聞こえた。足音の一つもしていなかったのに。震えながら、私はゆっくりと振り返る。

 

 普段余所行きに使っているお人好しの顔とは異なる、冷たい目をした屋敷の執事、ラドウィックが紅茶の乗った盆を持って、そこに立っていた。




The difficulties disappear, however, if it be assumed that the radiation consists of particles of mass 1 and charge 0, or neutrons.
しかし、その放射線が質量1、電荷0の粒子、すなわち中性子(ニュートロン)から成ると仮定すれば、それらの困難は解消される。

CHADWICK, James. Possible existence of a neutron. Nature, 1932, 129.3252: 312-312.
ジェームズ・チャドウィック『中性子の存在可能性』、1932年
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。