夏から始まっていた液体水質の調達計画は、雨の中に雪が混じり始めるころになんとか最初の配送を行うことができた。冬の講演会まであと一月半、という頃である。
案外、このあたりの仕事は金で終わらせることができた。というより金持ちが偏ってそれなりにいる社会のおかげで、その金持ちのためにあれこれとやる仕事が既に色々と揃っているのである。本来使用人とは金持ちのためにあるはずなのに金の足りない世帯も見栄のために雇わなくちゃいけなくなり、そうして貴重な若手の労働力があまり良くない場所に吸われていくのだ。しかしこの状況を解決するのはかなり困難だろう。
「口が止まってますよ、ミス・バクスター」
そんな事を考えていても作業は進まない。地下の印刷室で私の言葉を書き留める準備をしたまま待ちぼうけを食らわされているフィーマから向けられる視線に私は背筋を伸ばし直す。
「わかりましたよ」
そして、金があるところはもっとうまくやるのだ。連合議会の続報と、大陸帝国のほうで出た水の蒸留による濃縮の可能性についての報告。科学を競争と見るのであれば、共同連邦は遅れてしまっている。いやまあ中性子の発見は小さいものではないですがね。
そしてなんとかまた論文一つの翻訳を終わらせた。今時の研究者は軟弱で困る。昔は共通語は当然として今では大陸帝国に含まれることになった多様な地域の言語を読めていたというのに、今では翻訳なしではそれらもおぼつかないそうだ。連合議会のジェネラルはまだ共同連邦のクェーンズと似ているはずなのだが、あちらでは植民地にあった様々な言語を全部混ぜて取り込んでいるのもあって原型を留めていないらしい。集中して学べばなんとかなるというのに。
「しかし総帥もやってくれたわね……」
私は積み上がった文書を見て息を吐く。追加で海外から取り寄せることになった文献もいくつか。液体水質の注文を取りまとめる担当者があのリードフィントン教授になったせいで、そこ経由で文献の注文も取りまとめられて回ってくるのだ。どうやら向こうは私のことをあらゆる文献を探し当てて処理できる汎用の存在だと勘違いしているらしい。
確かに記号処理の範囲においては再帰と分岐を搭載した運算機関は汎用ですが、それは計算哲学とでも呼ぶべき問題の話であって、計算術における計算が可能というのは人の寿命が終わる前に、できれば数日のうちに運算機関で回し終える事ができることを意味するのです。
「悪いのは総帥でもリードフィントン教授でもないと思いますよ」
「じゃあ誰だって言うの」
「鏡持ってきましょうか、お嬢様」
「いらないわよ」
論文を流し読みしながら私は言う。一部の論文には最初の頁に要約がついているものがあるが、あれは本当に素晴らしい発明だと思う。全部の雑誌がそれを採用してほしい。そして自動的に主要言語に翻訳されて配布されてほしい。
「……でもお嬢様も少しは休んだほうがいいですよ、仕事」
「一つ、これは仕事じゃない。二つ、これは仕事ってことにしておいて」
何を言っているのか自分でもわからないようなことを言ったが、フィーマは頷いてくれた。
「わかってますよ、暖炉掃除面倒ですものね」
「汽缶扱えるのがミセス・ブラッケンしかいないからいいけれどもね……」
私達は声を潜めて言う。私がお嬢様として振る舞っている間は多少家事が免除されるという暗黙裡の取り決めがあり、その仕事を手伝っているときのフィーマにもその恩恵がやってくるのだ。かわりに苦労するのが執事のラドウィックである。かわいそうに。とはいえ今年も暖炉をつけるのをできるだけ遅らせて、屋敷を巡る温水でなんとかしていきたいものだ。
ともかく、他所の屋敷に比べれば楽な仕事なのであまり愚痴を言わないようにしよう。そして気になっていたものを手に取る。物理学系の会議の議事録だ。興味深いことが書いてあるらしいという噂だけで取り寄せることになった。頼むのは電報一本。やってくるまでには海を渡って十日。そこから翻訳して届けるとなると一ヶ月。そしてそもそもその文献を知らないといけない。面倒が多すぎる。
表題は摩擦電圧発生装置による粒子の加速。まあそれぐらいはできるだろう、とは思っていた。数字を見るまでは。
「……百万単位電圧?」
今までの放電管とかに使われていた電圧より一桁上だ。桁数を念のためもう一度確認する。
「何ですか、間違えて空想科学小説でも紛れ込んでいますか?」
「……いや、まあ普通に蓄電瓶とかでも数万単位電圧とかは行くわけだし、それで加速を行うことはできるのだけれども」
見世物としての電圧発生装置はあった。例えば撃力的な電圧を電磁作用によって高電圧に変えて、空気を破るほどの火花を起こすであるとか。それはわかる。でもこれはそういう放電を起こさないように設計されている代物だ。電圧差を作り出すためのものだ。
今まで作られる電位差は、せいぜい質量分光が行えるようにする程度だった。しかしこれだけの加速ができればより精度を上げることもできる。
「フィーマ、紙を貸して」
「はーい」
そう言って渡されたものに私は数字を書き込んでいく。一般的な第一種放射線の持つ熱量を、電荷素量で割り算して、熱量と電気仕事の換算係数である4.24をあれやこれやすればいい。結果はざっくりと、数百万単位電圧。
「百万単位電圧ってことは……銅亜鉛電池が百万個?」
私の計算結果と言うべき奇妙な文字列を睨みながらフィーマが言う。
「生み出せる熱量は微々たるもののはずよ。電圧……というより電荷量はそこまででもないはず。重要なのは、天然の放射線に頼らないで高速の核を作れることで……」
今までは放射性物質から飛び出した放射線か、それが別の物質にあたって飛び出してくるものしか使えなかった。しかし、この装置が動くのであれば放射線に相当するものを、簡単に作り出せるようになる。
「で、どうせその装置のために特殊な金属とかが必要というところでしょう?」
「空き缶と絹の布切れと適当な回転動力ね」
「なんと高級な」
フィーマは驚くように言った。これいいな、まだ総帥の原稿が間に合うならちょっとこの話を盛り込んでもらえないかやってみよう。うまく行けば放射線関連の研究のために使える電圧発生装置を輸入する後押しになるかもしれないし。
10. The application of extremely high potentials to discharge tubes affords a powerful means for the investigation of the atomic nucleus and other fundamental problems. The electrostatic generator here described was developed to supply suitable potentials for such investigations. In recent preliminary trials, spark gap measurements showed a potential of approximately 1,500,000 volts, the only apparent limit being brush discharge from the whole surface of the 24-inch spherical electrodes. The generator has the basic advantage of supplying a direct steady potential, thus eliminating certain difficulties inherent in the application of non steady high potentials. the machine is simple inexpensive, and portable. An ordinary lamp socket furnishes the only power needed. The apparatus is composed of two identical units, generating opposite potentials. The high potential electrode of each unit constants of a 24-inch hollow copper sphere mounted upon a 7 foot upright Pyrex rod. Each sphere is charged by a silk belt running between a pulley in its interior and a grounded motor driven pulley at the base of the rod. The ascending surface of the belt is charged near the lower pulley by a brush discharge, maintained by 10.000 volt transformer kenotron set, and is subsequently discharged by points inside the sphere.
10. 放電管への極めて高い電位の印加は、原子核およびその他の基礎的諸問題の研究のための強力な手段を提供する。ここで述べる静電発電機は、そのような研究に適した電位を供給するために開発された。最近の予備試験において、火花間隙による測定は約150万ボルトの電位を示し、その際唯一の制約要因となったのは直径24インチの球状電極の全面から発生する刷子放電であった。この発電機は直流の定常電位を供給するという基本的な利点を持ち、それによって非定常な高電位の印加に固有の一定の困難を排除している。また、この装置は構造が単純で安価であり、可搬性がある。通常の電灯用受け口が、必要とされる唯一の電力を供給する。本装置は、互いに逆極性の電位を発生させる二つの同一単位構造で構成されている。各単位構造の高電位電極は、高さ7フィートの直立した耐熱ガラス製棒に取り付けられた直径24インチの中空銅球で構成されている。各球体は内部の滑車とロッド基部にある接地された電動機駆動滑車との間を走行する絹製帯によって帯電する。帯の上昇する面は下部滑車付近で(1万ボルトの変圧器・整流真空管組み合わせ装置によって維持される)刷子放電により帯電し、その後球体内部の針部によって放電される。
VAN DE GRAAFF, Robert J. A 1,500,000 volt electrostatic generator, Proceedings of the American Physical Society, Minutes of the Schenectady Meeting, September 10, 11 and 12, 1931. Physical Review, 1931, 38: 1919–1920.
ロバート・ジェミソン・ヴァン・デ・グラフ『150万ボルト静電発電機』米国物理学会スケネクタディ会合議事録、1931年
「constants」は確認された原文ママ。