容易に偏向する陽粒子の観測上の存在 1
「楽しみですね」
もこもことした格好のフィーマが言う。積もり始めた雪、気灯の照らす店先、そして白い息。馬車が行き交い、と言いたいが行き交っていないのだ。この時期は、というかこの講演のために人が集まるので期間限定でこの通りは一方通行で運用されている。自転車とか動力車とかが都市で禁止されていなければもっと悲惨なことになっていただろう。
「報酬とか関係無しの私の個人的な奢りだからね」
私は言う。大人なので
「わかってますよ、これが仕事なら気合を入れますがそうでないので純粋に楽しみます」
私達は別に馬車でもいいのだが、こんな時期にじっと座ったまま寒い風の中を移動したら倒れてしまいかねないのでせめて歩くことで熱量を生み出すことにする。お陰で淑女には似つかわしくないしっかりとした長靴である。合成樹脂で防水性も高く、厚手の靴下越しならそこまで指先もかじかまない。
全部で六回の講演は年末年始の休暇を使って行われる。とか考えていると馬車から降りてきた子供たちがとてとてと私達を追い越して歩いていった。私にもこういう時代があったのだろうか。まあこいつらとは比べ物にならない高級地に私は住んでいたんだぞ。各地の大使館が集まり、高級宿泊施設が並び、そして気取った訛りのきついところ。いやまあその話し方を私はやろうと思えばできるし、かなり得意ではあると自負しているのですが、それはそれとして寄宿学校とか女子学寮時代に身につけたあまりよろしくない表現とか、あと暇な時に手を伸ばしてしまった各種小説由来の色々も操れますが。
いや別にそういうものに積極的に興味があるというわけではないのですよ、フィーマと違って買うほどのものではないと思いますし。というかフィーマが異常なんです、給与のほぼ全額を突っ込むのはおかしいですよ。それでいて買う本の中にそこまで実用書はない。
何度か通った
建物の中に入ると一気に暖かくなる。そして騒がしくもなる。
「ここ入るの、初めてですね」
フィーマが周囲を見て言う。壁に貼られているのはいつかの博覧会の時の告知紙。技術分野の展示についての案内が記されている。結構古いんじゃなかろうか。
「結構いいところよ。図書室とか使うなら紹介状があったほうがいいかもしれないけど、必要なら総帥に書いてもらう?」
「……よく考えるとあなたは相当無茶をしますよね」
「
「なんのことだか」
そんな会話を騒がしさが反射する廊下を歩きながら小声でして、そして目標の講堂まで向かう。昔ながらの低いところに講師がいて、その周りを中心を共有した半円が高さの差をつけながら取り囲むようになっている構造だ。前の方は子供たちが詰めている。私達は後ろの方の壁寄り、全体が見下ろせる場所に立つ。
「総帥に会ったことは?」
「ないですね、本は面白かったですが」
「あれ本人が監修してはいるけどそこまで書いてはいないと言ってたわよ」
「それでもいいものなんですよ、というより監修もかなりやっていると思いますよ」
そんな話をしていると講堂の灯りがぽつりぽつりと消される。中央制御の灯火かな。そして中央を照らすのはたぶん
「皆さんが身近な生活の中で、電気を感じることは多いでしょう。例えば」
特に挨拶も導入もなく、総帥が講義を始める。取り出される毛皮の外套と……あれは何だ?
「これは加硫樹脂の棒。馬車の車輪にも使われているものですね。これをこすり合わせると……」
ここはまだ導入だ。というかこのあたりは静電気の話をやるなら多くの人が知っているものだろう。紙片が舞うのとかは完全に見栄え優先だ。とはいえ総帥の恐ろしいところは何をやるか大体読めていて先の予想すらしている私でさえ驚かしてくるようなことをやる点なんですがね。
ちらりと隣を見る。フィーマはじっと総帥を見ていた。彼は役者としてしっかりと鍛えている。舞台監督とか脚本家をやっている人から技を盗んだと前に自慢していた。まあその時に色々技術とか装置について指南したり、脚本の科学要素に説明を入れたりどうすればそれらしい演出にできるかで総帥が手を貸したので結局金銭的には帳消しになったとも笑っていたな。盗めてないだろ。
「では、これをもっと大きな機械でやってみましょうか」
総帥が指を鳴らす。灯りが消える。いや、一部は残っているな。目が慣れた頃には、回転音が鳴り始めていた。圧縮空気で動く摩擦電圧発生装置だ。なるほどね、今回はまず視覚的印象を強めてから実際の話に入るらしい。
前の方にいる子供が何かを言っている。後ろの方の親らしい紳士や淑女も興味津々だ。いいね、この装置の話をした意義があった。
二つの並んだ金属球体の間に、遠くから見てもはっきりと分かるほどの火花が飛んだ。こんなものを出されたら近くで精密測定をしている人から怒られるだろうが、流石にそれぐらいは事前に話を通しているとは思いたい。
池に石を投げれば波が立つように、あらゆる種類の電気や磁気の作用は
そういう話はできるのだろうか。いや、今回は純粋な技術的応用をやるって言っていたからな。摩擦電圧発生装置はあくまで原子の中を探る手段として話すのだろう。一応ちょっとだけではあるが、各種の測定結果も出ているわけだからな。
Sir W. JOYNSON-HICKS Attention has already been drawn to the state of traffic in the neighbourhood of Dover Street and Albemarle Street, and a notice was issued to the Press by the Minister of Transport on 4th instant. I have consulted the Commissioner of Police on the second part of the question, but I am advised that under present conditions it is impracticable to make these two streets into one-way traffic streets.
グリン少佐は内務大臣に対し、ドーヴァー街およびアルベマール街近隣における深刻な交通渋滞と、それに伴う
W. ジョインソン゠ヒックス卿 ドーヴァー街およびアルベマール街近隣における甲虫状況につきましては既に注意が向けられており、今月四日には運輸大臣によって報道機関へと通知がなされました。質問の後半部分については警視総監と協議いたしましたが、現在の状況下においてこれら二つの通りを一方通行とすることは実行不可能である、との助言を受けております。
HC Deb 10 December 1925 vol 189 cc723-4W
英国議会下院議事録、1925年12月10日