「……何?」
私はやってきた読めない雑誌に目を通しながら言う。山岳会広報誌の過去五年分丸ごと。霧箱写真が特集されている部分だけ取り寄せられればよかったのだが難しいという話になったので国際支払いでまとめ買いしたのである。むしろよくまあ五年分の在庫を持っていたものだ。
というわけで届いた規格小木箱を引きずって温水の通る熱交換器の前に置いて、気灯の下で頁をぱらぱらとめくって見ている。どの号にも中盤に同じ著者が霧箱写真と記事を連載している。近所の図書館にあった向こうの紳士録には名前がなかったんだよな。司書の方に申し訳なさそうな顔をされてしまったのを思い出す。
「うーんなかなか良い製本ですね、本職の人でしょうか?」
フィーマはなかなかこの本に感心しているようだ。
「そんなに?」
「綴じもしっかりしていますし、写真も石か亜鉛の光版画ですね。小部数なら印画紙を貼ってもいいぐらいだろうによくまあ……」
「私からするとなんか知らない粒子が当然のように扱われていることのほうが驚きなのだけれどもね」
宇宙からの
そしてそれぐらい強い粒子は指の幅の半分の厚さぐらいの鉛板だろうが平気で突き抜ける。というかたぶんこの鉛板は余計な粒子を見ずに熱量を抱え込んだものだけを選び出すために使われていたのだろうな。で、どういうわけかその鉛板から何かが出てきている。少なくともそうとしか見えない写真が何枚もある。さらに巻が進むと徐々に鮮明になっている。
「……ねえ、フィーマ。電子と同じ質量電荷比を持っているなにかがあって、それが普通の電子とは逆の電荷を持っていたらどうなると思う?」
「そりゃまあ
「そうよね」
これは間違いなく大発見である。この写真撮影者は
「……いやこれどう考えても逆向きの電子だな?」
私は呟く。見れば見るほどそうなる。というか磁界下で電子と大局的に見れば対称に分かれているとなればそうだろう。なんでここまでの重大事態が知られていないのだろうか。前に読んだ科学論文の謝辞で撮影装置の監修をしてくれた人が奇妙な粒子を観測しているみたいな一文があったから気になって取り寄せたはいいものの、ここまで変なものを引っ張ってくるとは思っていなかった。
「そう言っているじゃないですか」
「フィーマ、この装置の話が具体的に文章にある巻を探してもらえる?」
「えー、読めませんよ」
「気合よ気合。単語の雰囲気はわかったりわからなかったりするんだから」
「はーい……」
かくして数十冊の雑誌を巡り、綺麗な山の景色と鳥と腸詰めに思いを馳せ、途中で寄り道をして該当のものを見つけた頃にはラドウィックが帰ってきてしまっていた。答え合わせができてしまうのは、少しだけ悔しくもある。
「届いたのですか」
私達が床に座って雑誌に囲まれていても執事は顔色一つ変えずに見下ろしてくる。
「はい、というわけで読めますかこれ?」
そう言って私が手渡した雑誌を見て、彼は難しそうな顔をした。
「ほら、読めないんですってよ」
フィーマが私の耳元で囁く。
「余計なこと言わないの。私達だって読めないんだから読めなくてそもそも当然なのよ」
「聞こえていますよ淑女のお二方。……これは何の装置の話でしょうか?」
「たぶん自動撮影機械なのよね。論文でしばしば言及されているのは見たけれども、この全体像から見るとかなり複雑な構成をしているし……」
そう言って私はラドウィックの手の中にある雑誌に指を乗せる。おそらくは上の方から
「具体的な話は書かれておりませんな、放電管と電磁石で動く写真装置の組み合わせであるということぐらいしか」
「そんな事はわかっているのよ。……ラドウィック、少し見積もりを出して欲しいのだけど」
ああまったく、こんな重要な知識を秘めているというのは実に良くないことだ。良くないことは正さねばならない。そして私にはその力がある。
「何でしょうか、お嬢様」
「彼一人をここまで呼んで通訳をつけるのと、あるいはラドウィックと私が現地に行って話を聞くのと、どっちが安い?」
「……
「……ラドウィック」
「はい、お嬢様」
「よく天才と言われない?」
「愚か者は他者の知性を低く見積もりがちと言いますから、お嬢様は賢者ですな」
「微妙に馬鹿にされているような……」
そんな私とラドウィックの会話をフィーマは面白そうに見ている。なんだよ。しかし発想は妥当だよな。旅費はこちらで持つ、そして内容自体が十分価値があるということでこちらに呼ぶのはいけるだろう。汽車と船代はミス・バクスター名義の寄付が埋め合わせてくれるし、あとはこれで基礎研究への敬意をおろそかにした
そうと決まれば金の力でどうにかしてしまうのがいいだろう。査証とかは総帥名義で出せるのかな。あるいは先にリードフィントン教授あたりに連絡しておいたほうがいいかもしれない。というかリードフィントン教授経由でそういう人を呼ぶので興味ありそうな人に声をかけてもらえませんかとでも書けばいいか。おまけでこの記事の翻訳と複写
これらの効果を解釈するためには、電子に匹敵する質量を持つ正に帯電した粒子を想定するか、さもなければ、同一写真上において、二つの粒子の共通の発生点を示すように位置した独立な飛跡の偶然の発生を認める必要があると思われる。確率の観点において、後者の可能性は極めてありそうにない。
ANDERSON, Carl D. The apparent existence of easily deflectable positives. Science, 1932, 76.1967: 238-239.
カール・デイヴィッド・アンダーソン「容易に偏向する正荷電物の観測上の存在」