リードフィントン教授の研究室の見学には、幸い私もついていくことができた。いえまああれです、通訳補佐兼記録役です。文字は汚いですが一日以内なら頑張って記録起こしができます。速記風に書いているので周囲からは読めないということにしておいてもらえませんか。
というわけで私は手帳に色々と書き留めているのである。いやぁこういうふうに間近で機材を見ることができるのも大学以来ですね。私がいた女子学寮は物理学をやっている人がいなかったからな。とはいえあの大学の人員制度というのは結構厄介なことになっていて、学寮における教授職と、付属研究所における研究者職の兼任みたいになっている。
各種の装置。小型の摩擦電圧発生装置。並べられた電池。挨拶をしてくる学生。集中している研究者。ちらちらとこちらを見てくる秘書らしい女性。こういう場所はいいものだね。とはいえここで働きたいかと言われるとそこまで心が惹かれるわけではない。私は本質的に理論屋でも実験屋でもないのだろう。そしてそういう人は、あまり学問の世界で居場所がないのである。
『放電管の構造が悪い』
「そんな簡単に改良できるものか」
『中に入れる気体をきちんと選定すれば最初に生まれる電気仕事を増やせる』
そんな会話が行われている。ああ、実務的なことはあまりわからないのでマダム・トーワードはあまりこちらに頼らないでください。そしてしばらくすると二人は半ば直接単語を並べて話し始めるようになった。
「教授! できましたよ……って、お客さんですか、すみません」
そう言って入ってきたのは若手の研究者らしい。私よりちょっと年上かな。あ、こっちを見てあからさまに無視したな。私はお前よりは多分数学ができるぞ。実験は間違いなく下手だぞ。まあいい、こうやって他人から興味を持たれない立場というのは案外慣れてしまえば気楽なものなのである。期待されないということは義務を課せられないということで、つまりは色々と面倒ごとから逃げられるのだ。
「構わない。霧箱の写真か?」
「はい。……見せていいんですか?」
「彼が前に話したゴロヘシュト氏だ。彼はそのようなものを盗む卑劣なやつではないよ」
ちなみに教授と研究者の会話もマダム・トーワードがちゃんと翻訳している。眼の前でわからない話をされるのは楽しくないよね。
『……これは?』
そう言ってゴロヘシュト氏が印画紙を覗き込む。黒い背景に、白い線が二つ。太く伸びているとなると第一種
「
『は?』
おお、驚いた時の声というのは文化によって違うものなのだな。とはいえ意味は通じたようだ。そして思ったより変な実験をやっていたんだな、と私は息を吐く。おおかた
「
『……いや、そうやって割れるものなのか』
「何を言う、君こそ我々がわからない方法で何かを割って、二つの粒子を作ったわけじゃないか」
『割ったかどうかはわからないし、私はどこからどう来たのかを調べようとしなかった。出てきたものを探すので精一杯だった……』
ああ、なるほど。確かに
「ならどうやってそれを分離しようと考えたのかね?」
『最初は二つの電子が同時に出てくるだけだと思ったんだ。だが毎回揃うというのは奇妙で、なら電荷が足し合わさって中性になるようになっているんじゃないか、という直感があった。それを試しただけだ』
マダム・トーワードが通訳した言葉に私が息を吐いたのと同時ぐらいに、リードフィントン教授も息を吐いていた。なるほど、この人は純粋によくわからない手探りのままで逆電子を突き止めたらしい。よくやるものだ。
「質量の減少は、どれほどなのだろうな」
『質量?』
「熱量と慣性質量の対応だ。まだ精密測定で詰めている最中であるが、崩壊によって熱量が生み出される過程で質量が失われるのは間違いない。運動熱量の分を調整する必要はあるが、つまりは何度目かの質量と熱量の等価性の証明だ」
『なら、電子と逆電子の合計の熱量を与えれば?』
「少し計算をしてみるか」
というわけでなんか始まってしまった。まあ私も少しやってみるか。電子の質量は暗記しているので、それに光速を二回掛け算して、熱量に換算して、電荷素量で割れば、とすればいいわけだ。このぐらいは頭の中で回してから、実際に手を動かしてあからさまに誤っていないかを確認するという手順は
ざっと十の六乗
「……鉛に電子を当てる? いや違うな、透過線か第三種
『それはどれぐらい難しいんだ?』
「準備だけでもそれなりに時間がかかるだろうな」
『……残念だ』
ゴロヘシュト氏は本当に悔しそうに言っていた。まあ、面白そうなものが自分の帰ったあとで行われるというのは辛いだろう。とはいえ彼はおそらく物理学の歴史において最初の明確な逆電子発見者として名前が残ることになる。しかし古い写真とかを掘り出してきたら逆電子相当が既に写っていたりはしそうだよな。
Experiments are in progress to determine the effect on other elements when bombarded by a stream of swift protons and other particles.
膨張室の中で観察された閃光の明るさと飛跡の密度は、それらの粒子が通常のα粒子であることを示唆している。もしこの見解が正しいのであれば、質量7のリチウム同位体が時折陽子を捕獲し、その結果として生じる質量8の原子核が2つのα粒子(それぞれが質量4であり、それぞれが約800万電子ボルトのエネルギーを持つ)へと分裂することは、ありそうにないことではない。
この見解に基づくと、エネルギーの放出は崩壊一回あたり約1600万電子ボルトであり、そのような崩壊に伴う原子質量の減少から予想される値とおよそ一致している。
高速の陽子やその他の粒子の流出を照射した際に、他の元素に及ぼす影響を明らかにするための実験が進行中である。
COCKCROFT, John D.; WALTON, Ernest Thomas Sinton. Disintegration of lithium by swift protons. Nature, 1932, 129.3261: 649.
ジョン・コッククロフト、アーネスト・ウォルトン『高速陽子によるリチウムの崩壊』、1932年