執事。本来は男性使用人の統率者であり、給仕に食器の手入れ、主人の代理としての書類仕事に来客の応対、警備に酒類の管理、そして女中たちの愚痴の対象となるなど非常に高度で専門的な職であり、しばしば館の主人よりも力を持つことがある。王よりも側近が、大臣よりも秘書が、社長よりも会計人が力を持つ、というのはむしろ陳腐なほどでさえある。
まあうちの屋敷では彼のために税金を払ってはいる以上執事であるが、ラドウィックの役割は実質的な何でも屋である。統率は女中長の仕事であるし、執事が掃除の時に銀食器とかに逃げようとしても手入れは掃除ではないと怒られる側だからな。
「……ミス・バクスターの無礼をお詫びします、卿」
譲歩も妥協もない、全面的な詫び。他人の失態をつつくことを貴族の責務と考えていらっしゃる方々からすれば屈辱的でもあるのだろうが、我が執事の有能さと総帥の性格を考えればまあ妥当である。
「今更だよ、ラドウィック。君達には面倒な娘の遊び相手になれと言われたり、小切手一枚で口をふさがれたりと困らされてばっかりだ。まあ、男爵としての心得を教えてくれたことには感謝しているがね」
そう言って総帥は紅茶を飲んだ。女王陛下の
「仕事ですので」
相変わらずラドウィックはつまらないやつである。これが街中を歩いている時はちょっと着崩した服装で、主人が
「そうか、それなら仕方がない。友人に頼んでいた原稿を取りに行ったら腰をやっていてね、その帰りにたまたま立ち寄ったんだ」
総帥の言葉が執事にどう受け止められたのかは知らないが、弁解としては十分だろう。不運なのは私が今日一人で留守番をしていたことぐらいだ。だからこれは事故である。それぞれの思惑が噛み合った結果起こった問題であって、それぞれが穏便に納得してくれたので問題ではなくなった。そういうことになってくれないかな。
「……かしこまりました。今度からは、屋敷の我々も卿にふさわしいもてなしをできるよう心を致します」
「そうか。……ところで、ここだけの話なんだが」
声を潜めた男爵に執事は頷いた。私は目をそらしておく。
「いつから彼女はミス・バクスターになったのかね?」
「
小声ではあるが普通に聞こえる。まあいいか、私にそんな会話に入る資格はないのだし。
「……なるほど。私も君をミス・バクスターと呼んでいいかね?」
総帥は私の方を見て言った。
「もちろんです、卿」
しかし名前というのは大切だな。今まではそのあたりの管理は全部執事にやらせていたが、私もいい歳だ。多少は自分の名義で何かをしてもいいかもしれない。
「そしてミス・バクスター。せめて前掛けぐらい外したらどうだ?」
「なるほど」
総帥に言われ、私は後ろ手に紐を引っ張って、飾りについても手首と襟から外す。というか最初からこの格好で出ればよかったな。外したものは軽く畳んで机の上に置こうとしたら、執事が手を出してきたので渡す。いいじゃないかどうせ後で着直すのだし。いや午後用のに変える必要はあるか。もう昼過ぎである。
「……ラドウィック。彼女に仕事を頼みたいのだが、何か問題はあるかね?」
「いえ。卿からの依頼でしたら、私からは何も言う事はありません」
「ありがとう。どこまで礼になるかはわからないが、今度何かいいものでも送らせてもらうよ」
「四人で食べられるぐらいの量でお願いいたします。私はもういい歳ですから」
「何を言う、私より十も若いじゃないか」
総帥はこんな事を言っているが、実際はその倍ぐらいは若いはずだ。ある意味では執事は戦場帰りであるから、経験が風貌を作るのかもしれないが。さて、執事は少し下がって黙ってしまった。後で説教をされないかが怖いが、まずは依頼をこなしてしまおう。
「……となるとあれですね、彼らの発見をしっかりと評価しておいたほうがいいかと。むしろ電荷のない粒子だと言わなかったこと自体が彼らの謙遜であり、かつ科学者として誠実な態度と言えるかもしれません」
私は改めて視線を原稿に戻す。
「普通に忘れていただけだと思うがね。
「干渉計の実験結果の解釈は難しかったですし、まあそういうこともあるか……」
「そういうことだ。結局
私は総帥に頷く。おかげで電荷内圧だのの理論が生まれて、そこから自然の力を引き出せるみたいな話が出てきたりして、詐欺事件にまで発展したのだが。しかしおかげで趣味の研究者も増えたのはいいことだ。石と氷屋で買える
「というよりこのあたりの論文から今後の展望として工学的応用を語るのも面白いかもしれませんね」
「
「第三種
「物質の本質に迫る、という方面を考えていたが、そちらも十分良いものだな」
「いえ、これ物理分会の雑誌でしたね。発生と測定、そしてこの熱量の源の本質に迫り、さらに手法へと転換することができれば、我々の自然への知識はより深まる、あたりにまとめておきましょう」
そうするとこれらの論文がいい感じに一つの軸に整理されていく。しかしあまりやり過ぎてもよくないな。あと関連する
2190. 使用人だけでなく主人もまた、時には過ちを犯すものだ。しかし、たとえ使用人がそれに気がつく余裕があったとしても、たとえどれだけの善意からであったとしても、不手際を正すことは期待されていない。例えば主人が、今なお少なくない紳士がしているように、同席の淑女たちに葡萄酒の杯を交わして回っている時に、一人だけを見落とした場合──ある
The Book of Household Management, by Mrs. Beeton, 1861.
家政管理の本、ビートン夫人著、1861年