石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

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無荷核粒子の存在可能性 3

 執事。本来は男性使用人の統率者であり、給仕に食器の手入れ、主人の代理としての書類仕事に来客の応対、警備に酒類の管理、そして女中たちの愚痴の対象となるなど非常に高度で専門的な職であり、しばしば館の主人よりも力を持つことがある。王よりも側近が、大臣よりも秘書が、社長よりも会計人が力を持つ、というのはむしろ陳腐なほどでさえある。

 

 まあうちの屋敷では彼のために税金を払ってはいる以上執事であるが、ラドウィックの役割は実質的な何でも屋である。統率は女中長の仕事であるし、執事が掃除の時に銀食器とかに逃げようとしても手入れは掃除ではないと怒られる側だからな。

 

「……ミス・バクスターの無礼をお詫びします、卿」

 

 譲歩も妥協もない、全面的な詫び。他人の失態をつつくことを貴族の責務と考えていらっしゃる方々からすれば屈辱的でもあるのだろうが、我が執事の有能さと総帥の性格を考えればまあ妥当である。

 

「今更だよ、ラドウィック。君達には面倒な娘の遊び相手になれと言われたり、小切手一枚で口をふさがれたりと困らされてばっかりだ。まあ、男爵としての心得を教えてくれたことには感謝しているがね」

 

 そう言って総帥は紅茶を飲んだ。女王陛下の共同連邦(コモンウェルス)において、紅茶は必需品である。その摩訶不思議な薬効が化学(ミングリングケン)によって合成されるただの物質であると判明してもなお、だ。かの初代ウェレウ女男爵でさえ患者にはまず紅茶を与えておけばいいとまで言ったほどである。

 

「仕事ですので」

 

 相変わらずラドウィックはつまらないやつである。これが街中を歩いている時はちょっと着崩した服装で、主人がめ(・)っ(・)た(・)に(・)いない屋敷を管理する気楽な執事を決め込んでいるのだから、人間の能力というものには実に驚かされる。

 

「そうか、それなら仕方がない。友人に頼んでいた原稿を取りに行ったら腰をやっていてね、その帰りにたまたま立ち寄ったんだ」

 

 総帥の言葉が執事にどう受け止められたのかは知らないが、弁解としては十分だろう。不運なのは私が今日一人で留守番をしていたことぐらいだ。だからこれは事故である。それぞれの思惑が噛み合った結果起こった問題であって、それぞれが穏便に納得してくれたので問題ではなくなった。そういうことになってくれないかな。

 

「……かしこまりました。今度からは、屋敷の我々も卿にふさわしいもてなしをできるよう心を致します」

 

「そうか。……ところで、ここだけの話なんだが」

 

 声を潜めた男爵に執事は頷いた。私は目をそらしておく。

 

「いつから彼女はミス・バクスターになったのかね?」

 

「三脚試験(スリーシャンク)以降です。もともとお嬢様は名前に愛着がない方ですが、これについては気に入ったようで」

 

 小声ではあるが普通に聞こえる。まあいいか、私にそんな会話に入る資格はないのだし。

 

「……なるほど。私も君をミス・バクスターと呼んでいいかね?」

 

 総帥は私の方を見て言った。

 

「もちろんです、卿」

 

 しかし名前というのは大切だな。今まではそのあたりの管理は全部執事にやらせていたが、私もいい歳だ。多少は自分の名義で何かをしてもいいかもしれない。

 

「そしてミス・バクスター。せめて前掛けぐらい外したらどうだ?」

 

「なるほど」

 

 総帥に言われ、私は後ろ手に紐を引っ張って、飾りについても手首と襟から外す。というか最初からこの格好で出ればよかったな。外したものは軽く畳んで机の上に置こうとしたら、執事が手を出してきたので渡す。いいじゃないかどうせ後で着直すのだし。いや午後用のに変える必要はあるか。もう昼過ぎである。

 

「……ラドウィック。彼女に仕事を頼みたいのだが、何か問題はあるかね?」

 

「いえ。卿からの依頼でしたら、私からは何も言うことはありません」

 

「ありがとう。どこまで礼になるかはわからないが、今度何かいいものでも送らせてもらうよ」

 

「四人で食べられるぐらいの量でお願いいたします。私はもういい歳ですから」

 

「何を言う、私より十も若いじゃないか」

 

 総帥はこんなことを言っているが、実際はその倍ぐらいは若いはずだ。ある意味では執事は戦場帰りであるから、経験が風貌を作るのかもしれないが。さて、執事は少し下がって黙ってしまった。後で説教をされないかが怖いが、まずは依頼をこなしてしまおう。

 

「……となるとあれですね、彼らの発見をしっかりと評価しておいたほうがいいかと。むしろ電荷のない粒子だと言わなかったこと自体が彼らの謙遜であり、かつ科学者として誠実な態度と言えるかもしれません」

 

 私は改めて視線を原稿に戻す。甘質(ソートシャフト)の放出する放射線(アウトビーム)に集中してしまっていたが、それ以外の研究だって普通に丁寧で良いものが多い。理論の穴の報告、矛盾する実験の結果、そしてそれらを包括するようにしていく歩みの積み重ねこそが、科学なのだ。

 

「普通に忘れていただけだと思うがね。放射線(アウトビーム)をやっていても分光のほうで起きていた理論的解釈の問題に届かないことはある」

 

「干渉計の実験結果の解釈は難しかったですし、まあそういうこともあるか……」

 

「そういうことだ。結局光媒質(エーテル)内運動で発生する微小な歪みであり、完全に相殺される以上測定には影響はないものとして体系的に整理できたからよかったものの」

 

 私は総帥に頷く。おかげで電荷内圧だのの理論が生まれて、そこから自然の力を引き出せるみたいな話が出てきたりして、詐欺事件にまで発展したのだが。しかしおかげで趣味の研究者も増えたのはいいことだ。石と氷屋で買える炭酸雪(ドライスノウ)と自作の乾板、そして根気さえあれば新発見を掴めるという分野は珍しい。

 

「というよりこのあたりの論文から今後の展望として工学的応用を語るのも面白いかもしれませんね」

 

「放射線(アウトビーム)に応用が?」

 

「第三種放射線(アウトビーム)は本質的に透過線と同じ極短波長光です。この透明林檎……名前つけましょうか、無荷核粒子(アンラーデン・キュルネルモート)、あるいは共通語(ウルガー)でなら中性子(ニュートラオン)あたりは電荷を持たないのでなかなか干渉されない。金属箔よりも蝋によく防がれるあたり、透過線とはまた異なった活用ができるでしょう」

 

「物質の本質に迫る、という方面を考えていたが、そちらも十分良いものだな」

 

「いえ、これ物理分会の雑誌でしたね。発生と測定、そしてこの熱量の源の本質に迫り、さらに手法へと転換することができれば、我々の自然への知識はより深まる、あたりにまとめておきましょう」

 

 そうするとこれらの論文がいい感じに一つの軸に整理されていく。しかしあまりやり過ぎてもよくないな。あと関連する連合議会(コングレス)か大陸帝国(コンチネンタル)で出された論文の参照でもつけておこう。現場の人間でないので、そういうところでしか強みを出せないのだ。




2190. Masters as well as servants sometimes make mistakes; but it is not expected that a servant will correct any omissions, even if he should have time to notice them, although with the best intentions: thus it would not be correct, for instance, if he observed that his master took wine with the ladies all round, as some gentlemen still continue to do, but stopped at some one:—to nudge him on the shoulder and say, as was done by the servant of a Scottish gentleman, "What ails you at her in the green gown?" It will be better to leave the lady unnoticed than for the servant thus to turn his master into ridicule.

2190. 使用人だけでなく主人もまた、時には過ちを犯すものだ。しかし、たとえ使用人がそれに気がつく余裕があったとしても、たとえどれだけの善意からであったとしても、不手際を正すことは期待されていない。例えば主人が、今なお少なくない紳士がしているように、同席の淑女たちに葡萄酒の杯を交わして回っている時に、一人だけを見落とした場合──ある蘇格蘭(スコットランド)紳士の使用人がやったように、主人の肩を小突いて「あの緑の召し物の彼女の何が気に食わないので?」などと尋ねるのは、適切な振る舞いではない。使用人がこのように主人を嘲笑の対象とするぐらいであれば、その女性を見過ごさせたままにしておくほうがいいだろう。

BEETON, Isabella. The book of household management. London: S. O. Beeton, 1861.
イザベラ・ビートン『家政管理の本』、1861年
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