色々と論文を翻訳していたのだが、その波がちょっと落ち着いた。ここ一年でなにかと実験が起こりすぎたので大変だったのだ。
ええと何があった?
しかし考えてみれば、こういう発見が重なる時というのは珍しくはないのだ。私が大学にいた頃には微小振動力学が定式化されたわけで、それ以前にも理論的にそれまで物理学にとって不可解であった
もちろんそれより前は
「いやお嬢様、聞いていますか?」
フィーマが言ってくる。夏に入りかけた時期で、外は散歩にはちょうどいいぐらいだ。外套の前を開けて気軽に歩けるぐらいである。
「聞いていないわよ、現実から目を逸らしている最中だもの」
波が引いたとはいっても、やることは多いのだ。ゴロヘシュト教授との手紙のやり取りの仲介は続いているし、液体
一応、金は余ってはいる。寄付として乱暴に突っ込んでいた分を多少自重したので、そのあたりはどうにかなる。それでもたかだか数千
「溜まっているものがあるんですよ、翻訳に原稿の執筆依頼に手紙の文面決めてもらうのに。ほら」
そう言ってフィーマは手紙の山を押し付けてきた。
「ちょっとまって、原稿の執筆依頼は聞いてないんだけれども」
「なんかどこかに埋まってましたよ」
というわけでしばらく捜索して該当のものを見つけた。このあたりはちゃんとした管理が必要になってくるかもしれない。ミセス・ブラッケンに言ったらまずは机と椅子と紙束の入った箱の配置からになるだろう。活動写真による記録で腕の動きを最低限にできているか確認したり、手紙一つを開いて読んで処理する工程を懐中時計を使って秒単位で計測するとか、そういうやつだ。
私は機械ではないと文句を言ってやろうと思ったが二重の意味で面倒になるのでやめた。一つ、そもそも言われていないことに勝手に怒りを抱いているのは私の方であってこれは一般的には愚かな行為である。二つ、たぶんミセス・ブラッケンは機械の管理に必要な多くの手間を説明して人間にはそれが不要だから大丈夫だと言うだろう。そうではないのだが。
というわけでその手紙を見つけ出してきました。ええとなになに、今度の雑誌にわかりやすい逆電子の解説を書いてくれないかとのこと。紹介者はリードフィントン教授。ふざけるなよ。私を本格的に何だと思っていやがるんだ。
まあやりますけどね。科学への貢献ってやつですよ。私に投じられた手間暇は本来次の世代の物理学者とかを育成するためのものだったわけで、その点において学術界に対して私は少なくない借りがあるのである。金で返せるような類のものかと言われると微妙であるし、文筆もできるのでいいのですが。
「しかし金が欲しいわね、気軽に使えるほどの」
「十分あるじゃないですか」
「百
「人間の一年を動かすぐらいの金を考えないで出すような人間にはなってほしくないのですが」
「……まあ、それもそうか」
となるとそういう組織をちゃんと作るべきかもしれない。文章の整理と翻訳と代筆をやってくれるようなところ。たぶん
「しかしあれですね、元素を転換させることができるなら何かいい方法ないんですかね、金とかを作れないのでしょうか」
「多分できるわよ、適切な加速条件さえあれば……具体的にその加速条件を探るだけで数百
「元が取れるのはいつ頃でしょうか?」
「当分先ね」
私の言葉にフィーマは不満そうだった。そんな簡単に色々と原子を弄る事ができてたまるか。しかしかつて絶対不変にして不可分とされたものがちょっとした装置で破壊したりできる時代である。あと十年ぐらいしたらあらゆる元素が大量生産できるようになっていてもおかしくはないな。
「ならあれです、うまい具合に第一種
「足し算と引き算という素晴らしい演算子法があってね、そうすると元の原子は
このあたりは実際の実験値を見ないとわからないし、そもそもまだどういう条件でどういう物が出てくるかがはっきりしていないのだ。片っ端から試していくしかない。そういうところにこそ私の金を突っ込むべきだが、素材とか実験機材とかが高いのである。
「じゃあ
「今の弾き出すよりも効率の良い作り方が見つかったら考えてもいいかもしれないわね」
線源として
原子の変換に力の源を求めようとする人々に対し、時宜を得た警告が発せられた──そうした期待は、全くの
[FERGUSON, Allan (A. F.)]. Atomic Transmutation. Nature. 1933, vol. 132, no. 3333, pp. 432–433.
A. F.(アラン・ファーガソン)『原子の変換』、1933年