石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

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原子番号九十二より小さい元素の生成可能性 7

 話せば話すほど、この人物を総帥が私に紹介した理由が理解できる。この人は相当に情報収集と分析についての専門家と言っていい。というより膨大な研究をするための下準備として膨大な文献の踏襲が必要だったのだろうな。土台となる調査に組み合わせの数を重ねるなら、一気にかなり遠くまで行ける。

 

「だから各地に複製を保存しておいて、それを送ればいい。各地には論文の一覧を置いておけばいいのだ」

 

 従僕に持ってきてもらった紙にミスヴィッツ氏はざっくりと図面を描いていく。隅に書かれた人間の大きさからすると相当な規模の本棚だが、彼が働いていた企業ではこれがあったらしい。これだから金持ちというものは許せない。私だってそれぐらいの金が欲しかった。

 

「となるとどの論文を取り寄せるか具体的に指定するのではなく、この種の論文が欲しいという依頼を送り、そこから論文の表題とその要約を送り、そこからさらに本文を、というわけですか」

 

 私は紙を辿りながら言う。ごめんねフィーマ、私が話しすぎて。とはいえ彼女もちゃんと見てはいるので大丈夫だろう。

 

「そういうわけだ。そうすれば無駄な手間も避けられるし、電報でかかる金は決して多くはない」

 

 まあこの制度を回すのに比べれば安いものでしょうがね、と私は思う。とはいえ一語で銀貨(テストゥーン)一枚が飛んでいく世界であり、新聞社が全文を送れるのは政府の支援と専用回線敷設あってのものだ。なら海底線を通らない範囲でまとめて、印刷物なり孔紙帯(ホールテープ)なり感光膜(フィルメ)なりを一括で送るべきだろう。

 

 ラドウィックもここまでのことはしていなかったので、経験者の意見というのは実に助かる。逆に言えば科学分野ではミスヴィッツ氏はこの手の方法でかき集めた各地の文献を参考に研究を進めていたわけか。論文の役目としては適切なのであるが、そうすると盗まれているとか発案を持っていかれたと考える人も出てくるだろう。難しいところだ。

 

 ただ、ミスヴィッツ氏のやっていたことは既にあるものを各地の支社などを経由して集めることに近いらしい。となればやり取りをするという発想では勝てるだろう。一方的な翻訳ではなく、複数の方向にそれをやってまとめるというものだ。

 

「もしよければ、そちらのほうの文献との連携もできないでしょうか?」

 

 私は紙にあれこれ書き留めながら言う。文字ではなく図に近いので後からの解読もやりやすいだろう、というちょっとした期待がある。

 

「そういう時は学会などに対して、協力してくれるのであれば雑誌の料金を下げるとすればいい」

 

「いい発想ですね」

 

 高くなってしまいそうな声を意図的に抑える。フィーマの方をちらりと見るが変な視線が飛んできていないので大丈夫そうだ。

 

 そうして議論をしただけで、かなりの進展があった。今まではなんとなく金を出せばできるだろうと思っていたことが、それなりに実現可能性のあるものになったのだ。

 

「大陸帝国(コンチネンタル)の本部を一つにするか複数にするかが悩みどころですね、コミュヌだけでは調べきれないでしょうし」

 

「脊梁同盟(レーガ・ドルサーレ)には置いてほしくないところだがな」

 

「と、言いますと?」

 

 南部半島の地域連合。言語が通じる未加入の地域に対する諸々の外交的あれこれで知られるところ。そして旧き宗教の本拠地でもある場所だ。

 

「……一応は、好敵手という枠だからな」

 

「ああ、エンツォ悪童団」

 

 私の言葉にミスヴィッツ氏は頷いた。大学時代に噂は聞いたことがある。大物物理学者にして政治屋が率いる物理学研究者集団。あからさますぎるぐらいの後援があるし、その上で研究成果を出しているのだから仕方がない。核物理学の研究において、大陸帝国(コンチネンタル)で一番進んでいると言ってもいいぐらいかもしれない。

 

 というより私はこいつらのことをどう評価すればいいのかわからないんだよな。趣味が悪いわけではないのだろうが、それはそれとしてなんていうか気に食わないところがあるのだ。

 

「今は彼らが作ったという新元素の検出で追いついているかどうかというところだからな」

 

「えーと、知らないやつですね」

 

 山脈を越えた先のほうの話は純粋に届かないのだ。どうでもいい噂はおそらくは光媒質(エーテル)の縦波によって一瞬で伝わるのに、こういう興味深いものは微妙な地域間の意地の張り合いの結果外部になかなか出てこないのである。

 

「九十二番。クウェーンズで何と言うかは忘れたが共通語(ウルガー)では天神質(カエルム)だ」

 

「天神質(テューシャフト)ですね。あのあたりの神話由来は各地が勝手に名前をつけるので困ったものです」

 

「古典語を共通語彙としている科学者らしくない言葉だな」

 

 ミスヴィッツ氏に私は笑顔で頷く。ええと、一番重い核に中性子(ニュートラオン)を打ち込む話か。第二種崩壊が起きて九十三番とか九十四番になるのかね。

 

「それで、その九十三か九十四がどうしたんですか?」

 

「具体的な分離ができなくてな。減衰の様子からそれなりの寿命があるはずなのだが。うちの若いのは新元素ではないのではとも言っている」

 

「普通に崩壊が進んでいるだけでは?」

 

「わからん。だが、こちらとしては悪童共にいい顔をさせたくない。できればあの自慢げな若造に惨めな思いをさせてやりたいものだ」

 

「否定はしませんがね。もしそうだとしたら新現象ですよ」

 

「綺麗に二つに割れるのでは、という主張もある」

 

「もしそうなら懸賞金でも出しますよ。雑誌の特集号を組んでもいい」

 

 今までにない形の崩壊である。もちろんありえないわけではない。ただでさえ逆電子が見つかっているのだから、そういうことが起きてもおかしくはないだろう。ただ、それは実験を詰め切って、どうしようもなくなった上で消去法で選ばれるか、あるいは通常の崩壊では存在し得ない元素が見つかってからの話だ。

 

「言ったな、ミスター・バクスター。そうなったときの費用は君持ちということだ」

 

「構いませんよ。というより普通に懸賞金をかけるのはいいですね」

 

 この手の金の話は珍しくはない。数学の問題ではそれなりの額が賭けられることもあるし、懸賞論文みたいなものも結構ある。というかそうか、私が作ろうとしている雑誌はほぼそのままに普通の記事を載せることもできるのだな。もちろん、それをやるとしてもまずは既存の論文をまとめて共有する基盤を作ってからになるだろうが。




The number of elements which can be activated either by the impact of an α-particle (Joliot) or a proton (Cockcroft, Gilbert, Walton) or a deuton (Crane, Lauritsen, Henderson, Livingston, Lawrence) is necessarily limited by the fact that only light elements can be disintegrated, owing to the Coulomb repulsion.
This limitation is not effective in the case of neutron bombardment. The high efficiency of these particles in producing disintegrations compensates fairly for the weakness of available neutron sources as compared with α-particle or proton sources. As a matter of fact, it has been shown1 that a large number of elements (47 out of 68 examined until now) of any atomic weight could be activated, using neutron sources consisting of a small glass tube filled with beryllium powder and radon up to 800 millicuries. This source gives a yield of about one million neutrons per second.

α粒子(Joliot)、陽子(Cockcroft, Gilbert, Walton)、または重陽子(デュートン)(Crane, Lauritsen, Henderson, Livingston, Lawrence)の衝突によって放射化できる元素の数は、Coulomb反発力のために軽い元素しか崩壊させることができないという事実によって、必然的に制限されている。
この制限は中性子照射の場合には当てはまらない。原子核崩壊を引き起こす上でこれらの粒子の高い効率は、α粒子源や陽子源と比較した際の利用可能な中性子源の低い強度を十分に補っている。実際既に示されているように1、ベリリウム粉末と最大800ミリキュリーのラドンを充填した小さなガラス管からなる中性子源を用いることで、いかなる原子量を持つ元素であっても、その多く(これまでに調査された68元素のうち47元素)が放射化しうることが示されている。この線源からは、毎秒約100万個の中性子が放出される。

1 E. Fermi, Ricerca Scientifica. 1, 5, 283; 6, 330. NATURE, 133, 757, May 19, 1934. E. Amaldi, O. D’Agostino, E. Fermi, F. Rasetti, E. Segrè, Ricerca Scientifica, 8, 452; 1934.
1 エンリコ・フェルミ『中性子照射によって誘発される放射能 I』『中性子照射によって誘発される放射能 II』『中性子照射によって誘発される放射能』、エドアルド・アマルディ、オスカル・ダゴスティーノ、エンリコ・フェルミ、フランコ・ラゼッティ、エミリオ・ジーノ・セグレ『中性子照射によって誘発される放射能 III』

FERMI, Enrico. Possible Production of Elements of Atomic Number Higher than 92. Nature. 1934, vol. 133, no. 3372, pp. 898–899.
エンリコ・フェルミ『原子番号九十二より大きい元素の生成可能性』
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