石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

38 / 38
原子番号九十二より小さい元素の生成可能性 8

「お嬢様」

 

 食事が終わり、私が脊梁同盟(レーガ・ドルサーレ)からやって来た人工放射性物質に関する論文誌を読んでいると神妙な声色で執事のラドウィックが言った。

 

「なんでしょうか、ラドウィック」

 

「冬明けに、しばらく暇を頂ければと思いまして」

 

「……いや別にいいけど、期間と行き先は?」

 

 もし彼が辞めるとかであれば普通に推薦状の何枚でも書くのだが、ただ彼のことだから自分で書いたほうがいいものができるとか考えそうだよな。もちろん違法である。まあ、もし彼がそういう事をしたのなら罰金ぐらいは払ってやってもいいのだが。

 

「連合議会(コングレス)の旧友に会いに行きます。出版と翻訳にかかわる人も揃える予定です」

 

「いやそこまでラドウィックがする必要は……いや、したいの?」

 

「させていただければ、と」

 

 ラドウィックの声色は真剣だ。とはいえ、私からは断る理由はない。それに彼もここの執事以外の顔もあるだろうし、人生の全てを私の子守に捧げる義理もないわけだ。とはいえ彼は昔の仕事をそこまで語りたがらないし、今の仕事より楽だったというわけではないのだろう。

 

「……少し詳しく事情を説明して欲しい。私はそのあたりのことをよく知らないし、ラドウィックが信頼できると思っている点であっても、私から見て決定的な問題があるかもしれないから」

 

 私の言葉にラドウィックが頷いた。こういう案件で、ラドウィックが執事みたいな振る舞いを見せるのは珍しい。そんな話をしていればミセス・ブラッケンとフィーマも椅子に座っていた。これだとまるで家族会議だ。

 

「私の昔の同僚は、色々と苦労をしています。彼らに仕事を提供できれば、と思いまして」

 

「……適切な投資無しに、情報が手に入ると上の方は思っているので?」

 

 私は念のために確認する。間諜騒ぎみたいなものはあるらしいが、ラドウィックを見る限りおそらくそういう種の仕事をしている人間はどこにでもいるのだろう。そして大抵は苦労しているのだ。彼らのおかげで平和が保たれているといいのだが、実態はどうであることやら。

 

「陸軍は金がないのです。統計を見てもらってもいい」

 

「そういう時に王室費とか、野党から色々言われる不透明な資金とか、政府の操り人形みたいな企業を使うべきでは?」

 

「そういうものは海軍の仕事です」

 

「やっぱりこの国の軍は碌でもないのでは?」

 

 私の言葉をラドウィックは否定しなかった。とはいえ人を動かすのにはとにかく金がかかるのだろう。私でさえ受け取っている額を全力で回しても三十人かそこらを雇える程度であり、そして本来それは使用人への給与とかとして使われてしまう金なのだ。そして一つの陣営を探るのに三十人ではどう考えても足りないだろう。

 

「……そういう人達に物理学だの化学だのの素養は?」

 

「お嬢様に比べれば、ないでしょうな」

 

「私を基準にして勝てるやつは……あまりいないんじゃないかしら」

 

 というかそういう人材は普通は研究とかの方面に進むべきだろう。もし彼らが遠い異邦でせせこましく本を買ったり新聞を読んだり執事の演技をしているなら人員の無駄と言うものだろう。まあ人がいないからどうにかして一人あたりでできる作業を増やして給料を抑えようと考える共同連邦(コモンウェルス)とは異なり、連合議会(コングレス)は南部から「雇用」した「労働者」を用いるそうだから、現地に溶け込むという意味ではいいのかもしれない。

 

 しかし連合議会(コングレス)も奴隷制を無くすみたいなことを戦争中に一瞬言っていたとか言っていないとかいう話があった気がするが、あれは今はどうなっているのだろうか。新聞とかで見る限りでは整然とした街並みに摩天楼、そして良く墜落する航空機による郵便配達とか音楽とかそういう場所らしいが、きっと現地に行かなければ見えないものもあるのだろう。

 

「そういう役割は現地で大学生に依頼することができるでしょう。しかしその人物を探すこと、信頼できる業者を探すこと、電信の文面を作ることはそういう専門知識がなくとも可能です」

 

「それはわかる」

 

 別に数学を理解していなくとも実験はできるのだ。もちろん電気力学とかにおいては定式化がかなりうまく行われて数学は物理学の言語である、という意見が確立してしまったのもあり、物理学の一部の分野では理論屋以外が入りにくくなっていることは否めないが。

 

「……私がここで働けているように、彼らにも働ける場所を、友人として作ってやりたいのですよ」

 

「国家の必要のために動く人物が、そういう情に惑わされていいわけ?」

 

「動くためには安全が必要なのですよ。退路を断たれ、怯えた人間は確かに一度は使えるでしょう。戦争中であれば、そういうことも許される。しかし平時であれば、関係は維持されねばならないわけです」

 

「おや、私はこの手の間諜というものは異国で戦争の火種を起こす類の悪党だと読んだのだけれども」

 

「否定はしませんが、こちらに延焼されない程度には気を配りますとも」

 

 やはりラドウィックは紳士的な人物である。このような公僕たちに支えられて我らが共同連邦(コモンウェルス)の臣民の日々は成り立っているのである。生活の裏にある面倒事について見なくていいようにしてくれる彼らに感謝しなければ。

 

「わかった。それはそれとして適宜報告はするように。絵葉書でもいいから」

 

「かしこまりました。主人のいない間に気楽な旅行を楽しむ執事として振る舞わせていただきます」

 

「主人から暇を貰ったとかにしておきなさい」

 

 というか最初からラドウィックはそう切り出していたよな。まったく、自分から台本を無視するとは。

 

「なにかお土産もくださいね」

 

 フィーマが言う。ミセス・ブラッケンも頷いていた。

 

「……小説本と、何か化粧品でも買ってきましょう」

 

「経費は?」

 

 私は言う。このぐらいは普通に屋敷から出してもいい。まあ監査の担当はミセス・ブラッケンだが。少なくとも使用人が休暇を取るなら、気楽に過ごせるように気を配るのが雇い主としての務めだろう。

 

「今までの給与を積み立てております。私的な旅行でもありますので、このぐらいは自分で払わせてもらいますよ」

 

 ラドウィックは笑顔で言った。とはいえ癪に障るので土産代として多めに渡しておくとするか。




The Chief preached economy at all times and he religiously practised it. It was paradoxical in that if a big amount was wanted for some exceedingly doubtful purpose no limit seemed to be made; the wherewithal was almost certain to be forthcoming to meet the demand. But the loyal Britisher who came along to help the Service and his country in her hour of need, who freely and ungrudgingly offered to sacrifice everything he possessed in order to serve, who worked for nothing or practically nothing, and who perhaps paid a good part of his own expenses, received an absurdly small remuneration and little if any thanks; most certainly he never received a line in writing from anyone in high authority to express his country's gratitude.

長官(ザ・チーフ)は常に倹約を説き、また彼自らもそれを狂信的なまでに実践していた。逆理的だったのは、極めて疑わしい目的のために多額の資金が必要とされた場合には何の制限も設けられないように思われ、その要求を満たすために必要な資金がほぼ確実に用意されることになっていたという点である。一方で、祖国の危急の時に部(ザ・サービス)と自国を助けるために志願し、奉仕のために自らが持つ全てを惜しみなく無償で犠牲にすることを申し出、無給または実質的にそれに等しい報酬で働き、そしておそらく経費のかなりの部分を身銭を切って支払った忠誠心ある英国人は、馬鹿げたほど少額の報酬と、あったとしてもごくわずかな感謝しか受け取らなかった。極めて確実に言えることは、彼が自国の感謝を表明する書面の一行たりとも、いかなる高官からも受け取ることは決してなかったということである。《/small》

EVERITT, Nicholas. British Secret Service during the Great War. 3rd ed. London: Hutchinson & Co., 1920.
ニコラス・エヴェリット『大戦中の英国秘密部』、第三版、1920年
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ(作者:小沼高希)(オリジナル:現代/戦記)

【完結】「一兆ドルで重力特異点制御ができますよ」と、アクリル板越しの彼女は言った。それを形にする方法を考えるのは、俺達の役目だった。


総合評価:1374/評価:8.96/完結:250話/更新日時:2026年08月20日(木) 00:00 小説情報

永遠の火は煌々と(作者:紺野遍音)(オリジナル:歴史/日常)

1820年、新たな熱源の期待に沸き立つ世界のなかで、エルステッド嬢はふたたび不思議な光線を発見した。▼かくして、人類が火を絶やすことはない。


総合評価:7/評価:-.--/連載:6話/更新日時:2026年09月10日(木) 19:14 小説情報

クソ女大戦(作者:石崎セキ)(オリジナル:ファンタジー/コメディ)

顔と頭はいいがガチで性格が終わっている聖女たちが、遊び半分でお互いを破滅させようとする話。周囲の脳はなぜか焦がされる模様。


総合評価:433/評価:8.4/連載:5話/更新日時:2026年08月18日(火) 00:09 小説情報

TS転生したら人類の敵だった(作者:生しょうゆ)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

私の名前は伊藤桜。前世の記憶がある女子高生!▼そんな私はある日、自分の家族を惨殺し、この世界に原作があることを知ったのだった。▼この作品はカクヨムにも投稿しています。


総合評価:5602/評価:8.41/連載:29話/更新日時:2026年06月11日(木) 01:42 小説情報

2度目の人生を得た貴族令嬢の私、USSRスキル『赤い書庫』で追放先の辺境から理想の世界を作ります!~前世の職業で色々経験済みなので全く問題ありません~(作者:猫元帥)(オリジナル:ファンタジー/戦記)

【序章完結】▼異世界に転生したのは……ソ連を作った革命家!?▼地球ではないどこか遠くの異世界にて。▼辺境へ追放された元伯爵令嬢シャルロッテは、馬車の中で内心ほくそ笑んでいた。▼実家が改易され、全てを失った哀れな少女。それが今の彼女なのに。▼なぜならば、彼女の正体は転生者――前世の職業は革命家。▼ロシア帝国貴族の身分を捨て去って選んだその名は、ソフィア・レーベ…


総合評価:2587/評価:9.01/連載:11話/更新日時:2026年08月09日(日) 19:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>