ストヤルティ名誉教授との手紙のやり取りは何往復か続いている。手紙の内容は比較的真面目なものばかりだ。
「……まあ、こんなところね」
私はそう言って原稿を見る。第八号の原稿に載せる、編集長名義のものである。こういうふうに雑誌の編集部が自らの意見を出すのは初めてになるのかな。今回は私の個人的な意思の話が強い。つまりは懸賞問題の話である。
評価の基準は私の趣味、ということにした。厳密に定義された条件とかは決められなかった。いや発見の独立性とか予測と実証のどちらを重く見るかとか、参加者の貢献度合いとかって難しいじゃないですか。そういうわけで、懸賞金は二種類である。
一つは低額のもの。間もなく解かれそうな、しかし注力が必要となるもの。もう一つは高額で、それが解かれることによって核物理学においてより深い理解が得られるもの。というわけで以下の問題を設定しました。
低額のものとしては、より効率的な中性子の生産と検出について。これは今後一年ごとに選んでいく。そもそも作れているかどうかも怪しい代物だし、線源の質もきちんと把握できていないのだ。精密測定の技法確立か、あるいは面白い手法が見つかることを期待している。
高額なものとしては、中性子が核内で果たしている役割と、
賭け金は合計で二百
こう言うと私が勝ったときに誰が払うんだとなりますが、こちらは胴元である。つまり賭けに参加するために雑誌を買ってもらえれば、それ自体がある程度原資になるのである。とはいえ実際はそれなりに持ち出すことになるのだろうな。
ひとまず、今必要なのは散らばった情報をまとめて整理することだ。できれば直接専門家を集めて議論させたいし、そういう話もストヤルティ名誉教授とやっているが、限界が多い。そもそも誰を呼ぶか、どこに呼ぶかだけで外交的な意味を持ちうるのだ。三陣営が世界を分割してしまっている以上、かつてのように中立な場所というものはあまりない。
強いて言うなら
「入れ込みすぎですよ、表題を
フィーマが私の清書した原稿を見ながら言う。
「さすがにそれだとわざとらしすぎない?」
私は反論する。もちろん
「いいじゃないですか、趣味なんでしょう?」
「趣味だけれどもね……」
出す金額としてはかなりのものではあるが、この手のものは普通に資金支援をしたらその一桁上になることも珍しくない。それならこういう金の使い方のほうがいいかもしれない、というのもある。とはいえ、他にも間接的に金を使っているのだ。
とはいえ、これが拡大していくことはあまりないだろう。確かにこの雑誌は便利なものであるとは思う。翻訳まで用意されているのだから。ただ、そういうのは言語ができる人が何人かいる大きい分野であればもう少しどうにでもなるものだ。数式さえあればいいという理論系の物理学ではそもそも手法自体が内輪に留まるので参入が少ないなんて話もあるが、これは例外だろう。
化学は金になるので、各地から文献を集めている企業の図書館がある。そういうものに金を投じないと批判される
だとすれば、今ぐらいがちょうどいいのかもしれない。世界中のこの分野の論文であれば、私は大半に目を通していることになるだろう。そのために一日の大半の時間を使い、細かいものは流し読みになっているが、それでもだ。
というより、私みたいな人も他の分野にはいるんだろうな。話したら楽しいのかもしれないが、それぞれの分野で閉じているのかもしれない。手紙のやり取りよりも、片言でもいいので
ある例は、重大な実際的疑問が提起されているということを示すかもしれません。ちょうど今、原子核物理学者たちはβ線崩壊において観察されるある種の奇妙な事実を説明することになっている
* Doubtless until a truer understanding of the spin problem is reached, it is better to make shift with neutrinos than to ignore the difficulty which they are intended to meet. I have no objection to neutrinos as a temporary expedient, but I would not expect them to survive—except that, as suggested in this paragraph, survival may not be wholly a question of intrinsic merit.
* スピン問題についてより正確な理解が得られるまでは、
EDDINGTON, Arthur. The philosophy of physical science. Cambridge: Cambridge University Press, 1939.
アーサー・エディントン『物理学における哲学』、1939年