私はぬるくなりつつある珈琲を飲みながら、上品な二人が笑顔でしている会話を聞いている。交わされる
「しかし、これは国際的な会議となります。だからこそどの地域の人であっても来訪者として広く迎えるべきでしょう」
そう主張するのはストヤルティ名誉教授。笑うと口元と目の皺が目立つ、波打った白髪の老婆である。しかし服は上等で、話し方もしっかりしている。少なくともただの老人だと思うわけにはいかない。というより普通に話していて面白いんだよな。とはいえ、敵意は隠せていない。この種の嫌な感じというのはたぶんほとんどが思い込みであるが、それが悪い方向に転ばないならいいとしよう。
「会場は決して広いわけではないし、集めすぎても話が発散するだけだ。だからこそ、鋭気ある若者をしっかりと選ぶべきではないかね? そう、彼のように」
クローツルはそう言って、
「あなたはどう思う? ニーリッジ氏」
「難しい問題ですね……」
ストヤルティ名誉教授から投げられた質問にフレイス・ニーリッジは対応しきれていない。可哀想に。まあ、そういう人選なのだから仕方がないか。あくまでこの会合は
とはいえ、基本的にはある程度固まっている。会場と人員の提供は
「……主題としてはどうしましょう? 放射線にするか、あるいは核の話にするか。それともいっそのこと、割り切って
議論がある程度落ち着いたところで私は言う。周囲の人間の様子を見るに、どうせ落としどころは核なのだろうというわけだ。まあそうだよな。
「人を集めて議論を戦わせるなら核の話ぐらいがちょうどいいだろう」
クローツルに言われたので、私は鞄から刷っておいた名簿を取り出す。四人分ちゃんと用意してありますとも。
「では、これが使えますね。私の雑誌、
私なら選ぶだろう、という人達。若手研究者を中心に、周辺分野からも面白い話が聞けそうな人をまとめてある。この中で誰を呼び、誰を呼ばないかは政治になるのでそういうのは面倒くさいのが得意な方々に任せよう。
「……バクスター氏の御慧眼ですな、本職の知らない名前まである」
クローツルが言う。うん、半分皮肉だろうな。こんな無名な奴等を集めてどうするのか、と。それを言わせてもらえばエンツォ悪童団だって物理の世界を出たら無名ですよ。普通の人が知っている物理学者の中で一番有名なのはたぶんストヤルティ女史ですから。とはいえこの呼び方は肩書を無視しているようで良くないと思うんだよな。夫人とかもそうだ。なら有名な女性の夫は誰かの婿と呼ばれるのだろうか、と考えて世界で最も有名な女性の夫はそう呼ばれていたなと思い出した。
「彼らをわざわざ呼び寄せるつもり?」
眉をひそめながらストヤルティ名誉教授が言う。
「
「
当然のように言うニーリッジに、私を含めた三人が溜息を吐いた。ああそうでしょうとも、そちらには金がありますからね。海路を閉ざされて面倒な陸路を開拓しなければならず、通貨問題もあってあまり金を派手には使えない
「……あとは
名簿を見ながらクローツルが呟いた。全体のほとんどとかになったらちょっと気になるかもしれないが、半分ぐらいまでなら仕方がないだろう。とはいえ
しかしこういう話をしていると
まったく、外交官の真似事というのは嫌なものだ。恩人と呼ぶべき人々から嘘吐きと罵られても仕方がないことをしている。とはいえ、そこから逃げたくてどうやって関係者名簿から私の名前を外すか、あるいは以前雑誌を作る時に助言をもらったミスヴィッツの名前をねじ込むかを平気な顔で考えられるのだから、私は少なくともそこまで外交官に向いていないわけではないのだろう。
Glaubt uns! Glaubt, daß wir diesen Kampf zu Ende kämpfen werden als ein Kulturvolk, dem das Vermächtnis eines Goethe, eines Beethoven, eines Kant ebenso heilig ist wie sein Herd und seine Scholle.
私達は、嘘という毒の武器を私達の敵から奪い取ることはできない。私達はただ、彼らが私達に対して偽証しているのだと全世界に訴えることしかできない。あなた方、私達を知るあなた方、これまで人類最大の宝を共に守り続けてきたあなた方に、私達は叫ぶ:
私達を信じてくれ! ゲーテ、ベートーヴェン、カントの遺産が、自らの炉と土と同じように神聖である文化国民として、私達がこの戦いを最後まで戦い抜くことを信じてくれ。
[FULDA, Ludwig]. Es ist nicht wahr. In: Frankfurter Zeitung und Handelsblatt. 4. Oktober 1914, Jg. 59, Nr. 275 (Zweites Morgenblatt), S. 2.
ルートヴィヒ・フルダ『それは真実ではない』、フランクフルト新聞・商報、第二朝刊二面、1914年10月4日。