焼いた仔羊の骨付き肉。付け合せは茹で野菜に茹で芋。パンにはバターを塗って。そういえば今日は昼食を抜いてしまっていた。それにしっかり動いたので食事がおいしい。空腹は実に良い調味料である。健康には良くないのだろうが。
「あ、おいしい」
フィーマが青菜を食べて言う。そう言われて味わってみると、確かにあまり口の中に刺さるような感じがない。しかし崩れるほど茹でられているというわけでもない。
「蓚酸が今年は少ないと店の人が言っていたけど、確かにそうね」
そう言って微笑む女性はミセス・ブラッケン。この屋敷で一番偉い人、と言っても過言ではない。指輪は外しているが既婚者。そしてここの住み込みの女中長。あまり詳しい事情は彼女も語ってくれないが、夫が植民地にいて、結果として彼女が夫の家に居づらくなったとなれば、向こうで何かがあったのだと考えることはできる。
やってくれているのは掃除、調理、会計、あと機械と汽缶の管理。
その彼女が作るうちの食事は良いものだ。比較対象が息抜きに読んだ家政書になるのだが、この屋敷から想定されるような食事に比べれば質素なものとはなる。とはいえしっかりと食べることはできるし、贅を凝らしたものではないが味としては実に申し分ない。時折長く煮込むようなスープを作ることがあるが、その時には私かフィーマが見張るか、あるいは可変温度制御の天火に突っ込む形になる。
とはいえ、我が家には豪華な食事みたいなものを出す儀礼とか何もあったものではないからな。本棚に押されて狭くなった一階の食堂はほぼ使われず、食事は大体ここ。むしろなんで運んで冷まさなくちゃいけないんだというわけである。女中服を着ているなら食堂で食べることができないので台所で食べるしかない、という実に合理的かつ規範を遵守した行動でもある。
「ところで、今日は誰か来たの? 茶葉の缶が動いていた」
女中長のミセス・ブラッケンが執事のラドウィックの方を見て言う。留守番をしていたのは私なのだが。そんなに私のことが報告者として信頼できないというのでしょうか。彼女のこのあたりの眼識には信頼が置けることは間違いないので、私は余計なことを言わない。
「……ホイットマール男爵が来られた」
「は?」
フィーマの手から滑ったフォークが皿に当たる音がよく響く。手入れされた銀食器は手に重い。軽銀のほうが軽いし安いしいいじゃないか、もし切れないのが良くないなら不銹鋼でいいじゃないかとは思うが、執事の貴重な仕事を奪うのは忍びない。
「ならもう少し良い紅茶を使ってください」
「場所がわからなかったんだ」
「後できちんと伝えます」
「……わかった」
固まっているフィーマの隣で淡々とミセス・ブラッケンとラドウィックが話している。なお我が家で普段使っている茶葉は安物だ。脳の覚醒と水分補給が主であって、あまり味わうことを目的としていないのもある。それと本を読んでいるとすぐに冷めてしまうからな。あとでラドウィックと一緒に茶葉の場所を確認させてもらおう。
「どうしたの、フィーマ」
「いや待ってください、ホイットマール男爵ってあのホイットマール男爵ですよね?」
総帥が有名人なのは当然なのだが、こうやって面と向かって言われると奇妙なものだ。
「私の知り合いのその人ね」
「いやわざわざここに来るとは……もしそうなら本に署名を頼んだのに……」
「彼から頼まれた原稿、食事が終わったら見てもらうから。それと報酬として追加で署名入りの本でも欲しい?」
「そこまでではないですね」
フィーマのこの手の熱量は妙に読めないが、人間には読めないことがいっぱいあるのであえて探ることもないだろうと考えている。価値観が異なれど、規範を守ればある程度はなんとかなるのだ。そこで価値観のほうまで合わせようとするから大変なことになる。私だって大学時代にいた学寮の信仰とかは特にわからなかったがそれでも一応毎週祈っていたんだぞ。最近はろくに行ってないし、食前の祈りもおざなりになっているが。
「何か書くよう頼まれたの?」
ミセス・ブラッケンが私を見て言う。
「はい。
「詐欺ではないの?」
「……違う、と思います」
雑誌の広告を見てみれば
そしてうちの屋敷の四人はこの手の話がきちんとできる人達で、あまり怪しいものには引っかからないだろうと思われる。ミセス・ブラッケンは
「そう。締切はきちんと守るように」
「寝る前に書き上げて翌日フィーマに確認してもらってから郵便で送ります」
「よろしい」
満足したようにミセス・ブラッケンは頷く。この手の口頭確認だのは彼女が現役時代だった時の癖というか、まあ起源を辿ると半世紀ぐらい前に
「というわけで片付けますね」
私は空いた皿を回収して予洗いしてから輸入ものの食器洗浄機に突っ込む。温かいお湯、高圧水道に高圧空気、そして燃料用と照明用の二種類の気体配管。このあたりを全部引くのにはそれなりに金がかかっただろうが、サーロウ教授はこのあたりに金をかけることの価値を知っていたのは間違いないな。
そして適当に濃いめの紅茶を淹れておく。日付が変わる前までには寝たいし、書く文章もそこまで複雑なものにはならないだろうが、それでも気合を入れるというのは大事なのだ。
淡白な食事に満足を見出す味覚の素朴さが、濃厚な肉料理への食欲よりも優れており、望ましいものであるかについては、かなり議論の余地のある問題である。その違いは、軽い葡萄酒に対する渇きと、強い
The Chemistry of Cookery, second edition, by W. Mattieu Williams, 1892.
料理法の化学、第2版、W. マチュー・ウィリアムズ著、1892年