「……大丈夫?」
私はぐったりと椅子に座っている少年に言う。既に酒瓶を開けて遊び始めている隣の個室の人々は適当に無視して、私達は私達のほうの作業をしなければならない。
「ああ、すみません……バクスターさん、ですよね。慌ただしくて今まで挨拶もできず」
「いいのいいの。ミーズ君は鉄道連絡船は初めて?」
学会で総帥付き従僕として働いている彼は少しは言語と物理ができるようで、駅に見送りに来てくれた総帥からは色々と学ばせてやってくれと出かけ際に言われた。そういうことはもう少し早く言うんだよ。
「はい。ああ、酔っているわけではないです、純粋に昼まで色々とやっていたので疲れていて……」
大変そうである。というわけで来賓である男どもと合わせたおかげでなかなか上等な寝台車とともに
「ミス・バクスター、早く寝ないと明日辛いですよ。あまり寝やすいものではないので」
そう言いながらフィーマは明らかに上機嫌である。旅が嫌いではないというか、面白いものを見るのが好きなのだろう。何冊か旅行書を買っていたのを私は知っている。それぐらいは経費で出そうかと思ったが、経費で出すとそれは追加で買われる分になりそうなんだよな。一応読ませてもらったが、建前としては同僚の女中から本を貸してもらったということである。
「わかりましたよ、ミス・サーロウ」
ついフィーマと呼んでしまいそうになるが、ここではあくまで専門家同士である。というより肩書的に館長代理である彼女の方が偉いのだ。私はあくまで通訳に徹するということになっている。
「改めまして、ミス・バクスターはお久しぶりです。そしてミス・サーロウははじめまして。ミーズです。お二人とも、総帥から話は聞いています」
「……うん」
私は曖昧に頷く。なぜなら彼はミス・バクスターもミスター・バクスターも知っている人物だからだ。学会にいればそのあたりは気がつくだろうし、まあそれぐらいはいいと思っている。なにかあったら総帥から伝えてもらって裏事情を説明してもらうのもやぶさかではないが。というか二人のバクスターの関係については知っているのだろうか。聞くつもりはないが。
「ミーズ君も仕事大変そうですよね、あの総帥って近くから見るとどういう感じなんですか?」
フィーマが彼に聞いてるが、なかなか上手だなと思う。言葉で相手の興味を引きつつ、自分たちと同じ側として扱うわけだ。こういうのは慣れもあるが、ある種の才覚みたいなものもあるのだろう。私はあまりそういうのが得意ではなくて、どうしても黙って講堂の隅にいるような人物だった。面白い講義をする教授の時には最前列に詰めかけるんだがね、そういうものはめったに無いのだ。
「働いてそれなりになりますが……忙しい人だと思います。でもたぶん忙しいのは彼のせいです」
「というと?」
「怠けているようにしか見えない時間が結構あって、その間に手紙を書いたり誰かと会ったりしていればここまで慌ただしくなることはないんじゃないかと」
「うーん、仕事の切替というのが重要なので、難しいものはある程度集中できるまとまった時にやるべき、みたいな議論は知っている?」
「知っていた上で、です」
「なるほど」
フィーマとミーズが楽しそうに話している横で、私は参加者の名簿に改めて目を通しておく。基本的に若手が中心で、リードフィントン教授は来ていない。本当は測定とかの話を聞きたかったのだが。かわりにその研究室の若手が一人名簿にいる。以前私を無視したやつだ。今度は無視させてやらないぞ。いやしかし外交儀礼上は通訳を無視することが必要なのではないか、などと面倒なことを考えてしまっている。
「だからあのバクスター嬢、頭はなかなかに切れるんですが怠け者なんですよ」
「総帥と同じ側の人ですね、楽しそうに話すわけだ」
「お兄さんのほうも同じ。だから図書館は働いていてなかなか楽しいところだよ?」
フィーマが嘘を吹き込んでいるな。年下の少年をからかうのは程々にしておくべきだと思う。いやどこまで嘘かと言われると怪しいところがあるし、既製服を着てあたかも従者か秘書ですよみたいな顔をしている私が言えた義理は全くないが。
「……二人とも、あくまで私達がするのは仕事よ。もてなす側の不手際でこちらの紳士が恥をかいたら向こうのせいだと言えるけれども、私達がやらかしたらその評判は
「気負いすぎです、バクスター嬢。ただでさえ
フィーマが諭すような口調で私に言ってくる。どうせ本の受け売りだろう。
「素晴らしいわね、革命的に革命分子を丸ごと
「二人とも、そういう冗談を向こうで言うのはやめたほうがいいのでは……」
ミーズ君は困ったような顔をして言う。まあ、そうだよな。雑に付き人だからってまとめられたら困ってしまうだろう。人数で計算して列車を取ったので男女別とか考えてなかったのが悪い。四人が寝れる部屋が三つ、となれば招待された八人で二部屋、あまりが私達となるのは当然ではないか。
それにしても誰がこの手続きしたんだろうな。私が裏方として少し働いた気もするが列車関係の手続きはしていなかったはずなので、私のせいではないのだろう。名簿とかの管理は少し手伝った気がするので、そのあたりで情報伝達の問題があったとすれば私にも多少責任があるのかもしれないが。
教会に見どころが多いせいでそこが礼拝の場であることを忘れてしまうことがあると時に気が付かされたとしても、旅行者はそれを不親切だと受け取ることはないはずでしょう; そしてもし自らの都合や楽しみのために、礼拝者たちが頻繁に訪れている時間帯に彼が教会を訪れるのであれば、オペラグラスやガイドブックといった、その他の携行品が他者の祈りの妨げになりかねない場合にはそれらの使用をやめるよう心がけるべきです。あいにくこのことはあまりにも軽視されてきたため──とりわけイギリス人とアメリカ人によって──一部の教会では、入口の上に「神の家に敬意を」と書き記すことが必要であると認められるに至っています。賢明な人にとっては一言で十分です。
THOMAS COOK AND SON. Cook's Tourist's Handbook for Southern Italy. London: Thomas Cook and Son, 1875.
『クックの南イタリア観光手引』、1875年