石炭時代の終りと淑女   作:小沼高希

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核と中性子 10

 ストヤルティ名誉教授が壇上に立った。細い身体からは老いが感じられた。

 

「閃質(リームシャフト)が悪人の手に渡れば、と考えたことがありました。見えざる放射線(エマナメン)が遠くからでも人を殺し、あるいは検出不能な毒として体内から人を侵すのではないか、と」

 

 誰も口を開かなかった。やっと終わる会議の疲れもあったのだろうが、それでも大物の言葉を聞き落としたくなかった、というのもあるだろう。

 

「結局は、そうはなりませんでした。かわりに起こったことは、研究者と女工の病でした。私達は未来を見ようとして、何かを避けようとして、それらに失敗しています」

 

 何を言うか、と私は少し呆れる。老人の戯言だ。ああ、確かに放射線(アウトビーム)は人間に不幸をもたらしたとも。ではその不幸は金属片の埋まった、あるいは癌が見つかった患者を不幸にしたままにしていいほどのものなのだろうか。惜しむべきは発見することが、あるいは制止することが遅れたことであるべきだ。進んだことではない。機械を破壊するというのは、擦り切れた服を着る人を増やすということでもあるのだ。まあ、もちろん程度もあるわけで、その調整のために我々は少なくない税金をそういう担当者に回しているのだがね。

 

「今回の会議で、私達は今まで繋がっていなかった多くの核についての性質を見出しました。それらは世界についての理解を深め、同時に新しい用途への可能性も拓きました。例えばもし中性子(ニュートラオン)によって第一種放射線(エマナメン)のみを出す元素を患部に薬剤として投与した上で、中性子(ニュートラオン)を当てればどうなるでしょうか?」

 

 一拍置いて、彼女は私達を見渡す。ゆっくりとした話し方が、聞くことと並列して考えるだけの時間を与えているのだ。演出なのか結果としてそうなっているのかはわからないが。そしてそれなら深部の病巣だけを狙えるわけだ。よくまあ考えつくものである。

 

「同時に、私は危惧することもあります。もし反応が連鎖的に起こるのであれば、それは僅かな時間で、止める間もなく膨大な量の放射線(エマナメン)を生み出すことになります。それがあなた達の身体を刺し、臓器の機能を失わせても、あなた達はそれに気がつくことができません」

 

 感光膜(フィルメ)による放射線(アウトビーム)を受ける量の推定と医学的影響を結びつける統計議論の結果はまだ曖昧な部分が多い。そもそも他の部分に問題があるのではないかという仮説も十分にある。天神質(テューシャフト)は金属で、それ自体の毒性が強い。とはいえ、その増幅現象によって毒性の逆転が起こりうるのであれば、警戒して然るべきだろう。

 

 彼女は話を続けていく。会議の締めくくりにふさわしく、招待された人達の発表や背景を踏まえたもの。手元の原稿を見るに、かなりしっかり準備をしたのだろう。あるいは弟子である魔女や魔法使い達の手を借りたか。

 

「放射線(エマナメン)はそれ自体が私達の物理学の限界を見るための試金石でもあります。光媒質(エーテル)の圧力を受けるほど速く、光媒質(エーテル)の振動を感じるほどに軽い粒子が起こす現象は、他にはありません。それは電気や磁気といった、既に解明されたと思われている分野にもまだ多くの謎があることを思い起こさせてくれます」

 

 いい言葉だ。我々は確かに光媒質(エーテル)の方程式を立て、電気と磁気を理論上は予測できている。では具体的にそこで何が起こっているのかというのは別の話だ。式を立てることと解くことを同一視するのは数学者のやることである。物理学者であれば、せめて解ける形の式を持ってこなければならない。

 

「私が研究をして、鉱石から物質を抽出していた時代には、その熱量がどこから来るのかはわかりませんでした。今やそれは質量の欠損が熱量に転化したものである、ということが計算から示されました。ではどのように質量が熱量になっているのか、という一段深い謎について、我々はまた挑むことになっています」

 

 会場から笑いが出た。ただ、この方向だと永遠に我々は何もわからないのかもしれない。未知の現象があれば式の形や光媒質(エーテル)の性質に全てを押し付け、実験という審判の前に逆らうことを是としない。もちろんそれでもなおと理論を信じて成功した例はないわけではないが、大抵は恥のために公開されない成果として終わっている。

 

「科学者の責務の一つは、自然界から見出したものを人々の幸福のために使える形にすることです。薬を、素材を、肥料を。物質の核が持つ力が、そのような幸福に使われることを私は強く望みます。だからこそ、我々は我々の理解を広く共有せねばなりません。物理学者と化学者が、生物学者と鉱物学者がいがみあっていては、我々の知識は狭くなってしまいます」

 

 いいことを言うな。彼女の背景と科学院での地位を考えればそんなことができる組織はそうそうないし、そこにちゃんと研究成果を出せよということでもあるのだろう。そうだそうだ、どこの誰が作ったかもわからない雑誌もどきの読者投稿欄に変なものを送ってくるんじゃない。

 

「病を隠した女工も、その存在を隠蔽しようとした工場も、詳細を明かさなかった保険会社も、彼らは皆知識を繋げることを拒み、人々の幸福よりも小さな安寧を選びました。私達は学ぶ必要があります。隣人に成果を奪われると恐れて公開を止めるよりも、隣人と成果を分かち合うことを、そして分かち合えることができた成果を誠実に受け取ることを、科学者として選ばなければならないのです」

 

 個人的感想であるのだろうし、彼女が見てきて、そして責められてきたことでもあるのだろう。だからこそ次こそは、ということかもしれない。そもそも実験の現場に立つことなく、放射線(アウトビーム)で死ぬよりも運動不足で死にそうな私が何かを言えた義理ではないが。

 

 原稿を閉じた彼女に、ぽつり、ぽつりと拍手が湧き起こった。中には立っている人もいた。顔を見ると彼女の弟子の世代だ。こういうところにも派閥とか政治とかはあるし、その境界を壊そうという意見もまた一つの閉じた世界を作る意見であるのだ。まあ、それでも私はストヤルティ名誉教授の言葉に同意する者の一人ではあるのだがね。




Dear Wright,
I daresay you remember my ringing you up about a man working here who had a patent which he thought ought to be kept secret. I enclose a letter from him on the subject as you suggested. I am naturally somewhat less optimistic about the prospects than the inventor, but he is a very good physicist and even if the chances were a hundred to one against it seems to me it might be worth keeping the thing secret as it is not going to cost the Government anything.
With apologies for this hasty note, believe me, Yours sincerely,

親愛なるライトへ
秘密に保たれるべきだと彼が考えていた特許を持っていた、ここで働いている男について電話したことを覚えていてくれているだろう。提案どおり、例の件についての彼からの手紙を同封する。私は当然だが見通しについては発明者よりは幾分控えめに楽観的であるが、彼は非常に優秀な物理学者で、たとえ確率が百に一つでも、政府に何ら費用をかけない予定である以上、その件を秘密にしておくことには価値があるように思う。
取り急ぎ済まない、敬具

[LINDEMANN, Frederick A.] [Letter to C. S. Wright]. 26 February 1936.
クラレンドン研究所所長フレデリック・リンデマンより海軍本部(アドミラルティ)科学研究実験部チャールズ・シーモア・ライトへ、1936年2月26日
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