ハッパム提督については、ある程度は調べていた。だから眼の前にいる肩幅の広い、自信有りげな笑みを浮かべている男がそうだと気がつくのには少し時間がかかってしまった。
顔には年齢と潮風由来だろう皺がある。髭は整えられている。大きな手と太い指。胸には勲章がいくつかついた紺色の服。そして太い袖の金糸飾り。ああ、見るからに偉い人なのだな、とは伝わってくる。
まあ、彼らの前に並んで緊張している皆様には頑張っていただくとしよう。私は彼の視界からは入りにくい隅の方で記録を取らせてもらっています。キージスについてはハッパム提督の隣。うん、目を合わせられることは少ないからいいだろうね。
事前に作られた議事内容に従って話が進んでいく。今回は進捗の共有と今後の方針の確認、という形になっている。いつもであれば何も進みませんでした、では次までにやって来ましょう、という学生の忘れた宿題か何かのようなものが珍しくないのだが、今回は彼ら紳士が丁寧な説明とともに状況を示している。
「すなわち、核熱炉の運用上発生した問題についての具体的な対策について、現状非常に難航しているということができます」
ああ、この発言者は駄目だな、と私が思うと同時にハッパム提督の眉が動いた。緊張しているのもあるだろうが、こういう時に言い回しを調整できないのは良くない。まあ、私の評価の基準が起きているときも寝ている時も親愛なる隣人として共に地獄への旅路の友を得るための方法を考えている種の人間でさえなければ及第点であるとは思うが。
「駄目だよ、それでは駄目だよ、君」
ハッパム提督が口を開いた。よく通る、しかし野卑ではない声。いやまあ声で人格とか人間の本性を語るというのは愚かではありますが印象を決めることは否定できないのですよ。
「確かに問題は大きい。一人では背負い切ることはできないだろう。だからこそ、私はそのような事が起こらないように、既に話を通してある」
どこにだよ、と言いたくなった。保険評議会に集まる紳士たちが署名を避けるような代物を引き受けてくれる奇特な人がいるものだろうか。あるいは国家としてやるか。それは上の方の政治になって、そのあたりで決して悪くない才覚を持っているであろうハッパム提督に任せるのもやぶさかではないが。
「……どういう、ことでしょうか」
「私は最近散歩が好きでね、よく王宮に行って大侍従卿とかと話すんだがね」
気軽に言ってくれるな。彼は指折り数えて上から数人目の大物だぞ。頭の中から紳士録を引っ張り出す。名門一族であるが政治家としては叩き上げ、爵位を与えられて色々な役職を歴任した上で、今の場所にいる、とかではなかったかな。このあたりは曖昧で、具体的な人名とか関係性については私はラドウィックはおろかフィーマにすら敵わない。
大侍従卿の役職は王宮における管理。あとは議会における君主の代理。つまりは、事実上の女王陛下の代弁者なのである。彼の立場については我らが
もちろん、それは政界が彼の意のままに動くというのとは少し違う。紳士というのは名誉職に就いているのであれば、それにふさわしい慎みを大抵は学んでいるものだ。そうでない者は「陛下の御心のままに」と定められた在任期間が陛下の御心のままに短縮されるものである。
「もしこのような力が他国によって振るわれた時に、自国を守るための力を得るためであれば、多少の賭けをすることは、国家として必須であるのではないか、という考えについて、彼は語っていた」
外交系の読み方を知っていれば、王室と連なりのある実質的な有力者達はこの核熱炉計画について支援を本格的に行う、という宣言になる。もちろん読み過ぎの可能性はある。そもそも外交の言い回しというのかなり特殊であるからな。そして王室まわりの言い回しもかなり特殊で、その方面に精通していないと色々引っかかるものである。
「しかし、では……」
「うむ。諸君らの懸念を私は深く理解する。それでは誰も責任を取らないではないか、と。安心したまえ、私は対価として処刑対象者の名簿に真っ先に名を連ねることを選んでいる」
お、キージスの顔色が変わったな。つまりあれか、失敗した場合にはその責任を取らせる形で陛下の御心のままにされるわけか。一般企業において一君主程度がどこまで干渉できるのかという話もあるが、それについては
「……提督、それは」
「うむ。私とて職に愛着がないわけではない。責務から逃げるように辞すような真似はしたくはない。しかし誰かがその責を受けねばならないのであれば、臣民の一人として藩屏となることを私は厭わない」
ああ、これを堂々と言える立場は素晴らしいでしょうよ。まさに海軍軍人としてあるべき姿なのだろう。それをやらされる関係者は溜まったものではないだろうがな。賠償とかについては国家がやることになるか、あるいはそれぞれの関係者がいた組織がやるか。結局似たようなものか。このあたりも陛下の御心のままに、というやつだろう。つまり枢密院とかどっかの上の方で決まったものが内々に流れてくるのだ。その過程で何が起こったのかを知る人はほぼいない。
こいつ、わかってやってきたな。そしてそれは、今の政治部会に必要なものだった。誰がどう責任を取るかの形が決まれば、それを固めるのは事務作業であり、つまりはここに集められた人の得意とするところである。あとは利益の奪い合いだが、これは積極的にできるし終わるのも早い。
まったく、どこまで読んでいたのか、あるいは読んでいなかったのかはわからないが一言で空気を吹き飛ばすあたりハッパム提督という人は間違いなく大物だな。こういう人に睨まれる立場にいなくてよかった。そんなことを思いながら、しがない記録者である私は
この国で好まれている政治制度の下では――そして、実に他の多くの国々においても同様であるが――その
HISLAM, Percival A. The navy of to-day. London: T. C. & E. C. Jack, 1914.
パーシヴァル・A・ヒズラム『今日の海軍』、1914年