希望と絶望は、不幸と幸運に似ている。   作:an-ryuka

1 / 7
1.

 

左右田和一は、女の手が自分の図面をさらっていく瞬間を、なぜかよく覚えていた。

 

中学の技術室。油と鉄粉と、古い木製机に染みたニスのにおい。窓の外では運動部が掛け声を上げていて、室内では旋盤の低い唸りだけが妙に落ち着いていた。

 

「返せよ!」

 

「見る」

 

「見んな!」

 

「もう見てる」

 

葦原アイは、奪った図面を両手で広げて、左右田の罵声など最初から音として処理していない顔をしていた。

綺麗とか汚いとか、好きとか嫌いとか、そういう感想ではなく、そこにある線の理由だけを拾っていく目だった。

 

「……ああ。実物触る人からしたら、こっちの方が思いつきやすいってことだよね」

 

「だから見るなっつってんだろ!」

 

「でも、設計ならこっちの方が綺麗じゃない?」

 

「うるせー! 実物触ってねーやつが偉そうに言うな!」

 

「実物一番うまいの左右田じゃん。他の劣化品見る必要ある?」

 

悪意がない声だった。

 

それが一番腹立った。

 

葦原は、褒めているつもりで相手を削る。本人は自分が削ったことに気づかない。図面を返すときも、「あ、わかった。ありがと。じゃね」と軽く去っていった。

 

左右田はその背中に向かって、中指を立てかけてやめた。

 

嫌いだった。

 

なのに、希望ヶ峰学園の書類に並んだ肩書きを見た時、彼はしばらく声が出なかった。

 

超高校級のメカニック。

 

超高校級の設計士。

 

「なんでよりによって同じとこなんだよ……」

 

その横で葦原は、書類の文字を眺めて言った。

 

「超高校級の才能って、呼び方バカっぽくない?」

 

「そこじゃねーだろ!」

 

「才能ってなによ。ただ興味あって調べて試して失敗して、回数多くやってるだけでしょ」

 

その声が、潮騒に溶けた。

 

左右田は目を開けた。

 

砂が頬についていた。口の中がざらつく。鼻に入ってくるのは、海藻の生臭さと、強すぎる日差しで温まった砂のにおいだった。

 

「……は?」

 

目の前には、青い海があった。

 

やたら青い。絵の具をこぼしたみたいな海。空も同じくらい雑に青く、雲だけが白くて、全部が観光パンフレットの表紙みたいにわざとらしかった。

 

 左右田は跳ね起きた。

 

「どこだよここ」

 

 少し離れたところには、葦原アイが立っていた。

 左右田は葦原が黙っているところを、初めて見た。

 

 うるさい女ではない。

 声を張るわけでも、人の輪の真ん中を取りたがるわけでもない。けれど、葦原の口はいつも何かしら動いていた。目についた蝶番の位置、雨樋の勾配、机の脚のつなぎ方。答える相手がいなくても勝手に疑問を出して、勝手に仮説を並べて、途中で違うと思えば勝手に捨てる。

 

 その葦原が、波打ち際で固まっていた。

 

「……おい、葦原」

 

 返事がない。

 

 頭の奥が鈍く重い。最後に覚えているのは、希望ヶ峰学園の教室へ足を踏み入れたところまでだ。そこから先を探ろうとすると、配線を途中で切られたみたいに記憶が途絶えている。

 

 なのに、目の前には青すぎる海があった。

 

 白い砂浜には、自分と葦原のほかにも大勢が倒れている。既に起き上がって辺りを見回している者もいれば、状況が飲み込めず座り込んでいる者もいた。知らない顔ばかりだった。

 

「葦原!」

 

 二度目で、ようやく葦原の顔が動いた。

 

「左右田。最後に覚えてるの、どこ?」

「は?」

「場所」

「教室だよ。希望ヶ峰の……つーか、なんなんだよここ! お前、なんか知ってんのか?」

「私も教室」

 

 葦原はそれだけ言うと、海、左右田、浜にいる人間、奥に見える建物を順に見た。確認するたびに視線が止まる。まるで一つずつ、図面へ書き込んでいくような見方だった。

 

「寝てた、にしては変だね。誰も縛られてない。荷物もない。ここに運んだ人も見えない」

「だからなんなんだよ」

「分かんない」

 

 答えた声には、いつもの平坦さが戻っていた。

 

 そのまま葦原は島の奥へ歩き出した。

 

「待て待て待て! どこ行くんだよ!」

「中」

「見りゃ分かるわ! 一人で行くなって言ってんだよ!」

 

 葦原は足を止めた。振り返った顔に反省はなく、左右田の後ろで起き上がり始めた人間たちを一度見ただけだった。

 

「じゃあ、そっちは任せた」

「何をだよ!」

 

 返事はなかった。葦原は今度こそ、ヤシの木の向こうへ消えた。

 

「勝手な子ね。追わなくていいの?」

 

 呆れた声に振り向くと、カメラを首から下げた少女が腰に手を当てていた。

 

「いいんだよ、あいつは。建物でも見せときゃ勝手に戻ってくるから」

「知り合いなのか?」

 

 竹刀袋を持った長い銀髪の少女が尋ねる。

 

「同じ中学だっただけだ。友達じゃねーからな」

「まだ誰も友達かなんて聞いてないけど」

「うっせー!」

 

 カメラの少女がじろりと睨む。その横から、派手な髪の少女が勢いよく顔を差し込んできた。

 

「同中! 腐れ縁! 常夏の島で再会! むむっ、唯吹の耳が青春イベントの開幕音を聞きつけましたぞ!」

「鳴ってねえ! むしろ終了済みだ!」

 

 少なくとも中学時代の左右田にとって、葦原との遭遇はイベントではなく事故だった。

 

「あの方も、希望ヶ峰学園へ招かれた方なのですか?」

 

 柔らかな声に、左右田の背筋が伸びた。

 

 金色の髪。気品のある微笑み。こんな状況だというのに、そこだけ後光が差して見える。

 

「は、はいっ! 超高校級の設計士とかいうヤツで! オレは左右田和一、超高校級のメカニックです! あなたのお名前もぜひ!」

「ソニア・ネヴァーマインドと申します。どうぞお見知りおきを」

「よ、よろしくお願いします、ソニアさん!」

 

「分かりやすーい。さっきの女にはあんな顔しなかったのに」

 

 小柄な少女が、くすくす笑いながら隣の罪木を肘でつついた。罪木は自分が責められたわけでもないのに、肩を跳ねさせる。

 

「ご、ごめんなさぁい! 何についてかは分からないんですけど、今から考えますからぁ!」

「なんでお前が謝んだよ……」

 

 そこからは、収拾のつかない自己紹介になった。

 

 澪田唯吹は自分の名前を妙な節に乗せ、西園寺日寄子は砂が気持ち悪いと文句を言い、小泉真昼はまず人数を数えようとした。罪木蜜柑は名乗る途中で舌を噛んだ。

 

 終里赤音は「メシはどこだ」と最初に聞き、弐大猫丸が腹の底まで響く声で笑った。花村輝々は食材さえあれば自分が作ると胸を張り、辺古山ペコは静かに周囲を警戒している。九頭龍冬彦は群れる気はないと言い捨てた。

 

 田中眼蛇夢の名乗りは長すぎて、左右田には途中から何の話か分からなかった。七海千秋は自分の番が来るまで立ったまま眠りかけていた。

 

 そして、やたらと体格のいい十神白夜が、全員の声を一言で止めた。

 

「騒ぐだけなら獣にもできる。まず状況を整理しろ」

 

「テメー、何様だよ」

「十神白夜だ。二度言わせるな」

 

 九頭龍の低い声にも、十神は眉一つ動かさなかった。

 

 少し離れたところでは、白い髪の少年が、まだ目を覚まさない男子のそばにしゃがんでいた。

 

「呼吸は安定しているよ。たぶん、もうすぐ起きるんじゃないかな」

「たぶんって……大丈夫なの?」と小泉が顔をしかめる。

「ボクは医者じゃないからね。罪木さんに診てもらった方が確実だと思う」

 

 口調は穏やかだったが、知らない島で一人だけ目覚めない人間を前にしているにしては、妙に落ち着いていた。

 

「狛枝凪斗。才能は……超高校級の幸運、らしいよ。抽選で選ばれただけの、取るに足らない才能だけどね」

 

 それだけ名乗ると、狛枝はまた倒れている男子へ目を戻した。

 

 左右田はその白い頭を一瞥し、すぐに島の方を見る。

 

 葦原は戻らない。

 

 元々、周りが止めた程度で予定を変える女ではない。ただ――目を覚ました葦原が、あれほど長く黙ったままでいたところを、左右田はやはり知らなかった。

 

「オレ、向こう見てくる。飛行機みてーなのが見えた」

「単独行動は避けた方がいいんじゃない?」

 

 小泉の言い分は正しい。だが、全員で固まっていても何も分からない。

 

「見るだけだっつーの。何かあったら戻る」

 

 十神が止めなかったのを許可と決めつけ、左右田は空港らしき建物へ向かった。

 

     *

 

 飛行機はあった。

 

 飛べる飛行機は、一機もなかった。

 

「なんだよ、これ……」

 

 滑走路に並んだ機体は、外から見れば綺麗なものだった。錆もなければ、翼が折れているわけでもない。なのに点検口を開けてみれば、心臓だけを丁寧に抜き取ったようにエンジンが消えている。

 

 工具もなしに外せる代物ではない。しかも、乱暴に持ち去った痕跡がなかった。

 

 左右田は胴体の下へ潜り込み、奥を覗いた。

 

「ちゃんと見た?」

 

 真後ろから声が落ちてきた。

 

「うおあっ!」

 

 頭をぶつけた。鈍い音に構わず這い出すと、葦原がしゃがんでいた。

 

「急に声かけんな! つーか、どこほっつき歩いてたんだよ!」

「建物見てた。配線はどうなってた?」

「人の話を聞け!」

「エンジンないのは見れば分かる。抜いた跡、どうなってた?」

 

 左右田は文句を続けようとして、やめた。

 

 葦原はいつも通りに見える。声も、質問を重ねる速さも、他人の都合を待たないところも。

 

 ただ、頬に髪が一筋張りついたままだった。あちこち歩き回ったらしく、息もわずかに速い。疲れたこと自体に気づかず次へ行く時のような顔だ。

 

「……綺麗すぎんだよ。外したなら、コネクタなり配管なり、繋がってた先が残る。けど、最初からここで終わるように処理されてる」

「左右田なら、そこどう組む?」

「はあ?」

「エンジンを載せて、そのあと自分で抜くなら」

 

「そんなもん――」

 

 左右田はもう一度、機体の下へ目を向けた。

 

 自分なら、後で別のエンジンへ載せ替えられるように端子を残す。整備性を考えて、奥へ押し込むにしても引き出せる長さを取る。完全に使わないと決めたなら、そもそも外側だけ飛行機の形で作ったりしない。

 

 だが、この機体はそのどちらでもなかった。

 

 外側は飛行機で、内側だけが「エンジンのない飛行機」として綺麗に閉じている。

 

「……気持ち悪ぃな」

「でしょ」

 

 葦原は嬉しそうにはしなかった。ただ、自分一人にしか見えていなかった線を左右田も見たと確認するように、小さく頷いた。

 

「ほかの建物も同じ。表はそれぞれ別の人が作ってる。趣味も年代も違う。でも、裏へ回ると急に作り方が揃う」

「同じ業者がまとめて建てたんじゃねーの」

「それなら施工の癖が揃うだけ。設計まで変わらない。あと……見えないところ、私が作ったものに似てる」

 

「は?」

 

 左右田の声が、広い格納庫に響いた。

 

「お前が作ったってことか?」

「覚えてない」

「じゃあ似てるだけだろ」

「うん。似てるだけかもしれない。私が作って、忘れてるかもしれない。誰かが私の図面を使ったのかもしれない。写真で見えるところだけ別から持ってきて、足りないところを私の設計で埋めたのかもしれない」

「最後だけ急に意味分かんねーよ!」

 

「私も分かんない。だから、ほかも見る」

 

 葦原は立ち上がり、隣の機体へ向かった。

 

「おい!」

「左右田、そっちの点検口開く?」

「開くけどよ!」

 

「じゃあお願い」

 

 頼み方だけは素直だった。

 断っても勝手に触ることを、左右田は知っていた。

 

 結局、二人で三機目を調べているところへ集合を知らせる声が届くまで、左右田は空港を離れられなかった。

 

     *

 

 集合場所には、見覚えのない白いウサギがいた。

 

 正確には、ウサギを模したぬいぐるみが二本足で立ち、甲高い声で喋っていた。

 

「ミナサン、ようこそジャバウォック島へ! あちしはウサミ。ミナサンの引率教師でちゅ!」

 

 ぬいぐるみが動いている。耳が揺れている。二足歩行で近づいてくる。目が瞬きする。口が動く。

 

「はぁ!?」

「きゃー! ぬいぐるみが歩いてるっす!」

「かわいい……と思うよ」

「いやいやいやいや! おかしいだろ!」

 

 左右田が叫ぶ横で、葦原が無言で歩き出した。ウサミの前まで近づき、しゃがみ込み、顔を覗き込む。

 

「あの、らーぶらーぶ……?」

「機械?」

「ひゃっ!?」

 

 葦原が耳を掴もうとした瞬間、ウサミが飛び退いた。

 

「いきなり触ろうとしないでくだちゃい! 先生に対して失礼でちゅよ!」

「先生?」

「そうでちゅ! あちしはみなさんの引率の先生、魔法少女ミラクル★ウサミでちゅ!」

 

 沈黙。

 

 潮風が格納庫の中を抜けていった。

 終里が首を傾げる。

 

「こいつ食えんのか?」

「食べちゃダメでちゅ!」

 

「魔法少女……」

 小泉がカメラを構えかけ、迷った顔で下ろした。

 

「えっと、誰かの着ぐるみ?」

「中に人などいまちぇん!」

 

「動力は?」

 葦原が即座に聞く。

「魔法でちゅ!」

「電源は?」

「魔法でちゅ!」

「通信してる? 遠隔操作? 自律?」

 

「乙女の秘密を暴こうとしないでくだちゃい!」

「私、頭おかしくなった?」

 

 葦原が乾いた声で笑う。

 

「ぬ、ぬいぐるみさんにも痛いところがあるかもしれませんし、もう少し優しくした方が……」

「罪木おねぇ、ぬいぐるみにまで診察するの? 綿しか入ってないんじゃない?」

「で、でも喋ってますしぃ……!」

 

 西園寺がけらけら笑い、罪木がますます小さくなる。終里はウサミの耳を見ながら「食えねぇのか」と呟き、花村が「食材として見るのはさすがに守備範囲外かな」と真顔で答えた。

 

「静かにしろ」

 

 十神の一声で、ばらばらだった視線が集まった。

 

「確認することは決まっている。この島の全容、脱出手段、食料と水、通信設備。それから、俺たちがここへ来た経緯だ。遊ぶのはその後にしろ」

 

「遊ぶために来たんでちゅよ! ここでみんな仲良く、希望のカケラを集めて、らーぶらーぶしてもらいまちゅ!」

 

「希望って何?」

「へ?」

 ウサミが間の抜けた声を出す。

 

「未来が明るいって話? 感情? 状態? 評価? 誰から見た?」

「え、ええと、希望は希望でちゅ! みんなで仲良くすれば、自然と集まるものでちゅよ!」

「自然と集まる。単位は?」

「た、単位?」

「カケラって言うなら、分割可能なんでしょ。計測してるの? 誰が?」

「そ、それはぁ……」

 

 葦原は既にウサミから手を離していたが、今度はその後ろに立ち、耳の動き方を見ていた。

 

「島の外へは出られるの?」

「今は修学旅行中でちゅから、そんなこと気にしないでくだちゃい」

「私たちを連れてきたのは誰?」

「細かいことは忘れて、まずは楽しむのでちゅ!」

「質問に答えない設定?」

「設定じゃありまちぇん!」

 

「そこまでにしておけ」と十神が遮った。「そいつが答えるつもりがないなら、自分たちで調べるまでだ」

 

 異論は出なかった。

 

 調査は続行され、食料が確保されていること、コテージが人数分あること、島の各所に監視カメラらしきものがあることが分かった。通信手段も、島外へ出る方法も見つからない。

 

 それでも、午後には緊張が少し緩んだ。

 

 今すぐ襲ってくる人間はいない。食べ物も寝床もある。海は透明で、ウサミは全員分の水着まで用意している。疑問が消えたわけではないが、疑問だけを見つめ続けられる人間ばかりではなかった。

 

「せっかくですから、わたくしも日本の海水浴というものを体験してみたいです!」

 

 ソニアの言葉に、左右田は即座に振り向いた。

 

「オレもです! いやー、偶然だなあ! ちょうど泳ぎてえと思ってたんですよ!」

「左右田」

 

 横から葦原が呼んだ。

 

「今忙しい」

「インフラ設備見よう」

「聞いてたか!? 今からソニアさんと海なんだよ!」

「別に一緒に泳ぐ約束してなかったよね」

「これからすんの!」

 

 葦原は数秒、左右田の顔を見た。左右田が折れないと判断したのか、声がほんの少し低くなる。

 

「左右田いないと、見ても分かんないところある。ねぇ、お願い」

 

「う……」

 

「島の設備の確認は重要ですものね」とソニアが微笑んだ。「さすが左右田さんです。よろしくお願いいたします!」

 

「はい! オレにお任せください!」

 

 返事をしたあとで、左右田は自分が何を任されたのかに気づいた。

 

「うわ、便利に使われてるー。メカニックのおにぃ、がんばってねー」

 

 西園寺の笑い声を背中に受けながら、左右田は葦原と島の管理設備へ向かった。

 

     *

 

 設備は動いていた。

 

 発電機らしきものは唸り、水を送るポンプは一定の間隔で振動している。どこから燃料が来て、誰が保守しているのかは分からない。それでも電気は通り、水道からは水が出た。

 

「……教本かよ」

 

 制御盤を開けた左右田は、思わず呟いた。

 

「何が?」

「綺麗すぎる。配線の曲げ方も、端子の揃え方も、番号の振り方も。見本の写真をそのまま立体にしたみてーだ」

 

「左右田なら?」

「使うヤツが直しやすいように変える。ここはもうちょい余長取るし、この二本はまとめねえ。教科書じゃ分けるけど、現場じゃこっちの方が追いやすいからな」

 

 説明しながら、左右田の声は徐々に小さくなった。

 

 ネジの頭に傷がない。束ねられた線の間隔まで同じで、一本だけ強く締めた跡もない。誰かが手を入れたなら必ず残る、微小なばらつきが見つからなかった。

 

 綺麗というより、使われていない。

 使われていないというより、最初から「完成した状態」だけを置かれたようだった。

 

「人が作ってないみたい?」

 

 葦原が聞いた。

 

「そんなわけあるか。機械が勝手に生えてくるかよ」

「でも、人が使うために、人が作って、人が直した場所には見えない?」

 

「……見えねえけど」

 

 認めた途端、管理室の狭さが増した気がした。

 

 葦原は壁際の配管を見上げたまま、また口を動かし始める。

 

「現実じゃない……?」

「は?」

「体は動いてる。そう見えるだけかもしれない。意識だけ別の場所から入ってるとか。クローンに記憶を移したとか。データ化して、中学までしか入れてないとか」

「待て待て待て! なんで急にそうなるんだよ! 漫画じゃねーんだぞ!」

 

「喋るぬいぐるみがいる時点で、現実に寄せる方が難しくない?」

 

 言い返せなかった。

 

「建物は元からある写真を使った。写真に写らない場所は、別の設計図で補った。機械は完成した状態だけ再現したから、作った人の手順が残ってない。……なら説明はつく」

「写真からって、誰がそんなことすんだよ」

「分かんない。見世物。実験。人格の確認。何かの訓練施設……」

 

 葦原の言葉が、そこで一度止まった。

 

「ウサミ、希望のカケラを集めろって言ってたよね」

「それがなんだよ」

「希望ヶ峰学園と繋がりそう。希望が欲しいなら、今の私たちは希望がない扱い?」

 

「考えすぎだっつーの」

 

「希望ヶ峰が、人を希望ヶ峰に合うように作り替える施設を作ったとか。才能をもっと尖らせるための――」

「葦原!」

 

 狭い部屋に声が跳ね返った。

 

 葦原がようやく左右田を見た。

 

「何」

「オレを勝手に作業へ引っ張ってきて、自分だけブツブツ先行きやがって! お前のそういうとこが俺は嫌いなんだよ!」

 

 葦原は瞬きをした。

 

「そうなの?」

 

「今知ったのかよ!」

 

「うん。でも、作業してくれてるから、今は続けていい?」

「よくねーよ! ちょっとは人の話を――おい、次の盤を開けようとすんな!」

 

「能力に特化して、進化できる人の選別をしてるとか。あるいは観察。希望の定量化とか……」

 

 葦原の言葉は続いた。こいつは物の一ミリのズレは見つけるくせに、感情となると自分へ向けられた悪意にすら気づかない。

 左右田が葦原を嫌う理由の半分は、たぶんそこだった。

 

 それでも左右田は、葦原が指した次の制御盤を開けた。

 

     *

 

 浜へ戻る頃には、日がかなり傾いていた。

 

 海へ行きたいと散々騒いでいた左右田に、葦原は砂の上へ座り込んだまま言った。

 

「はぁ……海、行ってくれば?」

「誰のせいでこんな時間になったと思ってんだ!」

 

「左右田が一個ずつ説明するから」

「頼んだのお前だろうが!」

 

 そこへ、まだ話したことのない男子が白い髪の狛枝と一緒に戻ってきた。浜で最後まで眠っていた男だ。日向創と名乗り、狛枝に案内されて島を一周していたらしい。

 

「そっちは何か分かったのか?」

 

 日向に聞かれ、左右田は制御盤で見たものをどう説明するか迷った。

 

「分かったことはないよ」と葦原が先に言った。「仮説なら増えた」

「仮説?」

「この島は現実じゃないかもしれない。少なくとも、建物と機械は人が普通に作ったものには見えない」

 

 日向の顔に、当然の困惑が浮かぶ。

 

「いや、待ってくれ。人が作ってないって――」

「真に受けんな!」と左右田は割り込んだ。「こいつ、材料足りねえまま話を十段くらい飛ばすんだよ!」

「飛ばしてるのは分かってる。だから仮説って言った」

 

「でも、面白い考えだね」

 

 狛枝が、穏やかな声で言った。

 

「ウサミみたいな存在を見たあとなら、何が現実かを疑うのは自然かもしれない。希望のカケラなんて、不思議なものまで集めさせられるらしいしね」

 

「そもそも、希望って何?」

 

 葦原が顔を上げた。

 

 狛枝の目が、わずかに細くなる。

 

「そこから聞くんだ?」

「定義が分からないもの、集められないでしょ」

 

「あー、始まった始まった。日向、行こうぜ」

 

 左右田は日向の肩を押した。

 

「でも、いいのか? その……」

 

 日向は葦原と狛枝を交互に見る。会ったばかりの相手を二人きりにしていいのか、という顔だった。

 

「放っとけ。付き合ったら暗くなるまで終わらねーぞ」

「もう暗くなりかけてるけどな……」

 

「ボクは構わないよ」と狛枝が笑った。「葦原さんの仮説、もう少し聞いてみたいし」

 

「お前も相当変なヤツだな!」

 

 左右田はそう吐き捨て、日向を海の方へ連れていった。

 

     *

 

 狛枝凪斗にとって、希望は説明を求められるようなものではなかった。

 

 暗闇に光が差せば、光とは何かを決める前に誰だってそちらを見る。素晴らしい才能を持つ人々が逆境を越え、より強く輝く。その輝きこそが希望であり、狛枝にとっては疑う余地のない価値だった。

 

 けれど葦原アイは、最初の部品から規格を確認しなければ組み立てないらしい。

 

「未来へ進むための力、かな。どんな絶望にも負けず、前を向こうとする意志。特に、キミたちみたいな素晴らしい才能が生み出す希望は――」

 

「誰の未来?」

 

 狛枝の説明を、葦原は途中で切った。

 

「え?」

「前ってどっち。進んで、本人が嫌な場所へ着いても希望? 他人から見て正しい方へ行く話?」

 

「ずいぶん細かく分けるんだね」

「細かい?」

 

 本当に意外そうに聞き返され、狛枝は笑った。

 

「ううん。キミにとっては必要なことなんだろうね。じゃあ、葦原さんは希望をどう定義するの?」

 

「今決めていいなら、自分にとって、いい未来があるって想像できる状態くらい」

「それなら、誰かを踏みつけた先の未来でも、本人が望めば希望になる?」

「その人にとってはね。踏まれる人から見たら絶望かもしれない。だから、どこに主軸を置いて話してるか聞いたんだけど」

 

 葦原は砂の上に指で二本の線を引いた。途中で交差させ、片方の先に丸を描く。

 

「全員にとって同じ希望がある前提なら、かなり無理がある。ウサミは個人ごとのカケラを集めるって言ったから、個人基準かなと思うけど」

 

「才能は?」

「何が?」

「希望と才能は、キミの中では繋がらないの?」

 

 葦原は少し考えたあと、首を傾けた。

 

「才能って、希望ヶ峰学園が分類して名前つけただけでしょ」

「だけ、か」

「うん。超高校級の才能って呼び方、ちょっとバカっぽくない?」

 

 狛枝は一瞬、言葉を失った。

 

 自分の才能を卑下する者はいる。けれど、才能という枠組みそのものへ、趣味が悪いとでも言うように首を傾げる人間は初めてだった。

 

「ああ、文句はないよ」と葦原は続けた。「作った側の定義が大正義だから。私が気に食わないって勝手に言ってるだけ。気にしないで」

 

「なかなか気にしないのは難しいかな」

「狛枝くんは、才能って言葉が好き?」

 

「好きなんてものじゃないよ。素晴らしい才能は、それだけで人類の希望になり得るものだ。ボクみたいな人間には、眩しすぎるくらいにね」

 

「狛枝くんも超高校級なんでしょ」

「抽選で選ばれただけの幸運だよ。才能と呼ぶのもおこがましいくらいさ」

 

「幸運って、才能なんだ」

 

 葦原の声に皮肉はなかった。新しい部品を渡されたときのように、狛枝の顔と手元を順に見る。

 

「何ができるの?」

「できる、というより起きるんだ。ボクの意思とは関係なくね」

「再現は?」

「難しいかな」

「条件は?」

 

「入学者を決める抽選に当たった。それだけだよ」

 

「それだけで学園が才能認定したなら、何か記録があるんじゃない? 確率がおかしいとか。周りにも影響するとか」

 

 狛枝は答えず、笑みを深くした。

 

 会ったばかりの人間へ遠慮なく踏み込むのに、相手を知りたいという熱とは少し違う。葦原が見ているのは人柄でも過去でもなく、まだ形の分からない構造らしかった。

 

 それは不躾で、同時に妙に心地よかった。

 

「葦原さんは、ボクがどんな幸運を持っていると思う?」

「今は情報ないから分かんない。低確率を引くなら、ここにいるのも狛枝くんの影響かもしれないね」

 

 葦原はそこで、砂に引いた線を見下ろした。

 

「……狛枝くんが、この空間を作ったとか?」

 

「ボクが?」

「希望を集めるって考え方が、狛枝くんの設計思想に合ってる。建物の見えないところに私の作り方が混ざってるなら、空間全体の目的に狛枝くんの考えが混ざっててもおかしくない」

 

「買い被りだよ。ボクみたいなゴミが、キミたちのためにこんな大掛かりな舞台を用意できるはずがないじゃないか」

 

「作れるかどうかと、狛枝くんが自分をどう評価してるかは関係なくない?」

 

 即座に返された。

 

 狛枝は目を瞬く。それから、堪えきれずに声を立てて笑った。

 

「あははっ。ごめん。キミ、面白いね」

「飛躍してるのは分かってるよ。半分冗談」

「半分は本気なんだ?」

「候補を捨てる材料がないから」

 

 葦原もほんの少し笑った。

 

 海では、終里が弐大へ水を蹴り上げ、倍ほどの水しぶきを返されていた。澪田は浅瀬へ七海を引っ張り込み、七海は濡れない位置を計算するゲームでもしているように、ぎりぎりで波を避けている。

 

 左右田はソニアへ近づこうとするたびやんわりと遮られ、そのたび日向へ何か喚いていた。小泉が男子に着替え場所の配慮を求め、花村は浜辺でも料理の仕込みを始めている。

 

 少し離れたこの場所だけ、同じ島の中に別の時間が流れていた。

 

「さっき、意思とは関係なく幸運が起きるって言ったよね」

 

 葦原が会話を戻した。

 

「うん」

「幸運だけ?」

 

 狛枝は、わずかに笑みを薄くした。

 

「どうしてそう思うの?」

「幸運だけが勝手に起きるなら、狛枝くんはもっと自信ありそう。何をしてもいい結果になるんでしょ」

 

「鋭いね。ボクの幸運は、だいたい不運と一緒に来るんだ」

 

「一緒って、同時?」

「不運のあとに、それを帳消しにするくらいの幸運が来る。少なくとも、今まではそうだったよ」

 

「因果関係は確認した?」

 

「確認?」

 

「不幸と幸運が一つの機能なのか、別々に起きてるものを狛枝くんが一組にしてるのか。幸運の方に不幸を起こす機能があるって、どうやって分けたの?」

 

 波の音に混じって、遠くで雷が鳴った。

 

 狛枝が空を見上げる。さっきまで雲一つなかったはずの空が、島の中央から塗り潰されるように暗くなっていた。

 

 浜にいた全員も異変に気づき、海から上がり始める。

 

「急な天気雨かな」と狛枝が言った。

 

「狛枝くんの不運?」

「だとしたら、このあとには幸運が待っているはずだけどね」

 

 空気を裂くような笑い声が響いた。

 

 ウサミのものではない。

 

 皆の前へ現れたのは、身体の中央で白と黒に分かれた熊だった。

 

 ぬいぐるみのような姿で二本足に立ち、片側だけ赤い目を光らせている。ウサミが明らかに怯えた声を上げた。

 

「どうして、あなたがここにいるんでちゅか!」

 

「引率のセンセイが頼りないから、校長であるボクが来てあげたんだよ!」

 

 熊――モノクマは、楽しげに身体を揺らした。

 

 そこから先は、状況が理解へ追いつかなかった。

 

 ウサミが逆らい、あっけなく力を奪われる。魔法の杖を折られ、片耳を潰され、名前までモノミへ変えられた。

 

 そしてモノクマは、修学旅行の目的を上書きした。

 

 島から出たければ、仲間を殺すこと。

 殺したと見抜かれず、学級裁判を切り抜けること。

 これからここで、命懸けの殺し合いをしてもらうこと。

 

「ふざけんな!」

 

 左右田の怒鳴り声が上がった。

 

「そんなの、ゲームでもなんでもないと思うよ」

 

 七海の眠たげだった目が、はっきりと開いている。

 

「誰がテメーの言うことなんざ聞くかよ」と九頭龍が吐き捨て、辺古山が無言で一歩前へ出た。終里は今にも殴りかかりそうな姿勢を取り、弐大が肩を掴んで止める。

 

 罪木は青ざめ、小泉がその腕を支えた。ソニアも唇から色を失っていたが、視線だけはモノクマから逸らさない。

 

 十神が全員の前へ出る。

 

「くだらん。誰も殺さなければ成立しない。それで終わりだ」

 

「そう言っていられるのも今のうちだよ。オマエラの中には、ちゃーんと殺す理由を持ってるヤツがいるかもしれないからね。うぷぷぷぷ……」

 

 モノクマの笑い声が、暗い空の下へ広がった。

 

 狛枝は隣の葦原を見た。

 

 葦原はモノクマを見ていなかった。

 まっすぐ、狛枝を見ていた。

 

「……これ?」

 

「何が?」

 

「狛枝くんが言ってた不運。これがそう?」

 

 殺し合いを告げられた直後に投げる問いとしては、ひどく場違いだった。

 

 けれど狛枝は、笑わなかった。

 

「さあ。まだ、結果は出ていないからね」

 

 葦原は数秒、狛枝の顔を見た。それから白黒の熊へ視線を戻す。

 

「そっか。じゃあ、まだ分かんないね」

 

 海はついさっきまでと同じ音で波を返していた。

 誰もまだ死んでいない。

 

 見えないところだけが、もう別の形に組み替えられていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。