左右田和一は、葦原の鉛筆を三度目に図面の外へ押し返した。
「だから、そこはオレが今から描くって言ってんだろ」
「待ってたら配管の位置ずれるから」
「ずれねーよ。お前が勝手に熱交換器でかくしたんだろうが」
「電気街の冷蔵庫、二台分使えばこの大きさになるよ」
「飛行機へ冷蔵庫二台積む気か!?」
「最初から飛ばさなくてもいいでしょ。地上で回して、余計なところ削って、それから載せる」
レストランの一番長いテーブルは、三日前から食卓ではなく作業台になっていた。
第三の島から運んだモーター、変圧器、冷却管、用途の分からない基板。油を拭いた部品の隙間へ、葦原の図面が何枚も広がっている。朝食の皿を置く場所は、端に追いやられて半分しか残っていなかった。
「食べ物の横に汚いガラクタ置かないでよねー」
西園寺が椅子の上へ膝を立て、果物の皿を抱える。
「汚くねえ。全部拭いた!」
「さっき整備士のおにぃのパンにネジ乗ってたけど」
「あれはオレのだからいいんだよ!」
「よくないと思うよぉ。間違って飲み込んだら大変ですからぁ」
罪木はそう言いながら、テーブルの端へ落ちていたワッシャーを一つずつ拾っている。澪田はその背後から、巻かれたケーブルへ手を伸ばした。
「この黒くて太い弦、一本もらっていいっすか?」
「弦じゃねえし、一番使うやつだ!」
「では赤い方を」
「色の問題じゃねー!」
左右田がケーブルを抱えて守ると、澪田は代わりに細い銅線を指へ巻き始めた。
「完成した暁には、ぜひ名を授けさせてください」
ソニアが図面を覗き込む。
「大海原を越えるのですから、『無敵戦艦ジャバウォック号』などいかがでしょう!」
「まだエンジンだけですけど、いいですねソニアさん!」
「軽薄なる名だ。鋼鉄の心臓には、世界を灼く獄炎の銘こそ相応しい」
「田中は黙ってろ!」
「脱獄一号でよくね?」
終里が、部品の箱へ肘をついた。
「何号まで捕まるつもりだよ」と日向が言う。
「一号で出られなかったら二号作るんだろ?」
「ゲームなら、試作機を作るたびに性能が上がっていくやつだね」
七海は携帯ゲーム機から顔を上げずに答えた。
「一号が爆発すると、二号の開発イベントが始まるかもしれない」
「縁起悪ぃこと言うな!」
左右田が怒鳴る横で、葦原は既に別の紙へ冷却管を描き直していた。
部品は増えた。けれど、使える形で揃ったわけではない。
飛行機へ載せられる重量に収めるには部品が重すぎ、船を動かすには船体から作る必要がある。完成図を一つに決めれば、その瞬間に使えない部品の方が多くなった。
それでも、材料が何もなかった頃よりはいい。
違うなら外し、足りなければ別の物を繋ぐ。左右田が手を動かせば、葦原は次の線を引く。腹の立つ相手ではあるが、こういう時だけは説明を半分省いても話が通じた。
「おはよう。ずいぶん賑やかだね」
レストランへ入ってきた狛枝が、入口で足を止めた。
左右田は、葦原の鉛筆が止まるのを見た。
「おはよう、狛枝くん。どこにいたの?」
「病院へ寄ってきたんだ。九頭龍クンの意識が戻ったって、罪木さんへ伝えに」
罪木が拾いかけのワッシャーを落とした。
「ほ、本当ですかぁ!?」
「うん。まだ話せる状態ではないみたいだけどね」
「すぐ行きますぅ!」
罪木は救急箱を抱え、椅子へ足をぶつけながら走っていった。
西園寺は果物へ視線を落としたまま、何も言わない。
狛枝は空いた席へ座らず、作業台の端にあった小箱を左右田へ差し出した。
「電気街の床に落ちていたよ。使えるかどうかは分からないけど」
「お、皿ネジと六角か。混ざってんの面倒だけど、捨てるよりマシだな」
左右田が箱を受け取る。
「狛枝くん、『みんなで脱出する』って言うとき、自分も入れてる?」
葦原が突然聞いた。
狛枝は僅かに目を丸くした。
「もちろん。ボク一人だけ島へ残ったら、みんなの希望を見届けられないからね」
「見届けるためなんだ」
「ボクが脱出すること自体には、大した価値はないよ」
「でも人数を数えるときは一人に入るでしょ。価値の話と、所属の話を混ぜるから分かりにくいんだよね」
「朝から始めんな!」
左右田は図面を叩いた。
「こっち止まってんぞ!」
「紙は待てるから」
「オレは待ってんだよ!」
狛枝が来る前まで、葦原はエンジン以外ほとんど目へ入っていなかった。
今は鉛筆を置き、狛枝の返事を待っている。
左右田には、その切り替わり方が気に入らなかった。
機械へ負けるならまだ分かる。人間一人に自分との作業を中断されるのは、もっと気に入らない。
「葦原、病院の小型ポンプを見たいんだろ。罪木追っかけて、ついでに寸法測ってこい」
「今?」
「紙は待てんだろ?」
「さっき左右田が待ってるって」
「いいから行け!」
追い立てると、葦原は不満そうに鉛筆を置いた。図面を一枚選び、ソニアを振り返る。
「一緒に来る?」
「はい。九頭龍さんのお見舞いもしたいと思っておりました」
二人がレストランを出る。
狛枝はその背中を見送り、左右田の前に残ったネジの箱へ手を伸ばした。
「分けるの、手伝おうか?」
「混ぜたのお前じゃねーだろうな」
「拾った時からこの状態だよ」
「だったら長さごとに置け。勝手に捨てんなよ」
狛枝は言われた通り、ネジを一本ずつ並べ始めた。
七海は隣のテーブルへ移り、ゲームを続けている。日向と終里は食料庫へ行き、澪田は西園寺を音楽施設へ誘って断られていた。二人きりではない。それでも、狛枝が葦原のいない時を選んだように左右田には見えた。
「左右田クンは、中学の頃から葦原さんと一緒だったんだよね」
やはり、ネジの話ではなかった。
「同じ学校だっただけだ。何回言わせんだよ」
「その頃も、あんなふうに人と話していたのかな」
「あんなふうって何だよ」
「自分がしていたことを止めて、その人の返事を待つような話し方」
左右田は、手にしていたナットを箱へ戻した。
「してねえよ」
答えてから、余計なことを言った気がした。
狛枝は急かさない。ネジの長さを揃え、頭の形が違うものを別の列へ置く。
「あいつが見てたのは、大体物だ。オレが作ったもんか、図面か、作り方。聞きたいことだけ聞いて、分かったら帰る」
「左右田クン本人には、興味がなかった?」
「ねーよ。オレにもあいつへ興味なんかねー」
隣のテーブルから、ゲームの効果音が一度鳴った。
「それにしては、詳しいね」
七海が画面を見たまま言う。
「同じ中学だったんだから、嫌でも覚えてんだよ!」
「興味がないことと、覚えていることは両立すると思うよ」
「フォローになってねえ!」
左右田は声を落とし、狛枝へ向き直った。
「一回、あいつに実物見せたくなくて、適当な図面渡したことがあんだよ。使えねえ線を混ぜてな。そしたら、間違い見つけて、そこから勝手に実物の形まで当てやがった」
「それで?」
「正解だって分かった瞬間、『ありがと、じゃね』で終わりだ。オレが図面取り返すより先に帰った」
口にすると、当時の腹立たしさまで戻ってきた。
「昼に一緒に食うとか、帰りを待つとか、そういうのはなかった。用がある時だけ勝手に来る。答えが出たあとまで同じ場所にいたことなんか、オレは知らねえ」
狛枝の指が、短いネジの上で止まった。
「じゃあ、今は違うんだね」
「勘違いすんなよ。壊れ方が分かんねえ機械ほど、あいつはしつこく見る。お前が人間として特別なんじゃなくて、故障箇所が多すぎるだけかもしれねえだろ」
「なるほど。すごく納得できる説明だよ」
「そこで嬉しそうにすんな! 悪口だぞ!」
七海がゲーム機を伏せた。
「狛枝くん。左右田くんから聞いた葦原さんの答えは、葦原さんの答えじゃないよ」
「分かってるよ。昔の彼女が、どういう人だったか知りたかっただけなんだ」
「攻略情報を見てから選択肢を選ぶみたいだね」
「キミに言われると、反論しにくいな」
狛枝は笑い、持っていたネジを正しい列へ置いた。
*
夕食後も、エンジンは完成しなかった。
左右田は使えない基板を調べるため電気街へ戻り、ソニアと田中は見張りを兼ねて同行した。西園寺は音楽施設へ行ったきり戻らず、澪田が少し離れた場所で付き添っている。
レストランには日向、七海、終里、弐大、罪木が残っていた。病院から戻った罪木は、九頭龍が自分で会話できる程度まで回復したと報告し、明日には一度みんなへ顔を見せたいらしいと伝えた。
葦原は作業台の端で、熱交換器の寸法を書き直していた。
狛枝が向かいへ座っても、すぐには顔を上げない。
昼間、左右田から聞いた話が頭に残っていた。
知りたい物へ近づき、分かれば去る。狛枝自身がこれまで想像していた葦原と、よく似ている。
違うのは、彼女が今もここにいることだけだった。
「葦原さんって、本当に変わってるよね」
狛枝が言うと、鉛筆の音が止まった。
「普通なら、ボクとは必要以上に関わりたくないと思うけど」
「変わってるのは否定しないけど」
葦原は鉛筆を持ったまま、狛枝を見る。
「うん。……狛枝くん、私の質問嫌がらないの、ちょっと嬉しいし」
最後だけ声が僅かに小さくなった。
視線を図面へ戻し、既に引いてある線の上を、意味もなくもう一度なぞる。
「ボクじゃなくても、話が面白ければ誰でもいいんでしょ?」
葦原は顔を上げた。
「案外いないんだよね。そういう人」
真顔だった。
「それは、否定になっていない気がするな」
「誰でもいい、が広すぎるから。話が面白い人ならって条件ついてるでしょ」
「ボクの持っている情報が面白いだけじゃないの?」
狛枝は笑って聞いた。
その笑顔がいつもより正しく作られていることに、葦原が気づいたかは分からない。
「情報だけなら、聞いたこと全部書いて置いていってもらえばいいよ」
葦原は図面の余白へ指を置いた。
「でも話すと、私が何か返したあとで狛枝くんの次の答えが変わる。最初に聞こうと思ってたことと違う場所へ行く。それは書いてある情報を読むのと別」
「ボクは、反応する装置みたいなものかな」
「装置なら、答えをわざと残して次へ回したり、自分を悪く言って質問の向きを変えたりしないでしょ」
狛枝は笑顔のまま、黙った。
「左右田に、何聞いたの?」
今度は狛枝の方が目を逸らした。
「どうしてそう思うの?」
「今日、病院から戻ったあと、左右田が私に『昔と違って随分暇なんだな』って言ってきたから。左右田だけなら、もっと直接うるさい」
少し離れた席で、七海が日向へ小声で言った。
「攻略情報、ばれてるね」
「聞こえてるよ、七海さん」
狛枝は苦笑した。
「中学の頃、キミがどんな人だったか聞いたんだ。知りたいものが分かれば、すぐ帰っていたそうだね」
「左右田、まだあれ怒ってるんだ」
「怒るだろ」と日向が言う。
葦原は少し考え、引き直した図面を端へ寄せた。
「左右田の言ってることは大体合ってる。昔は、聞きたいことが終わったら帰ってた」
「左右田クンには、答えを知ったらすぐ『ありがと、じゃあね』と言っていたんだって」
「うん」
「ボクにも、そう言う?」
「会話が終わったら言うよ。でも、明日また話さない理由にはならないでしょ」
問い返され、狛枝は答えなかった。
「狛枝くんじゃなくても、話が面白ければ話すよ。そこはたぶん合ってる」
葦原は淡々と言う。
欲しかった否定を与えないまま、続けた。
「でも、同じ話し方する人が案外いない。今いる中だと、狛枝くんと話すのが一番面白い」
一番。
必要だとも、特別だとも言わない。ただ比較した結果だけを、葦原は机の上へ置いた。
狛枝には、その方が信じやすかった。
「それは光栄だな。ボクみたいな人間が、超高校級の才能を持つキミの一番になれるなんて」
「また自分を下げて話をずらした」
「癖なんだ。許してくれる?」
「直す気ないなら、許可取る意味ある?」
終里が離れた席から顔を上げた。
「お前ら、何の勝負してんだ?」
「会話だよ」と七海が答える。
「どっちが勝ってんだ?」
「たぶん、まだ対戦中」
弐大が大きく笑った。
「勝敗がつかぬまま続く勝負もある! 互いが立っておるなら、それでよかろう!」
「腹減るだけじゃねえか?」
「お前は今食ったばかりじゃろうが!」
終里が空の皿を見て、本当に不思議そうな顔をした。
狛枝がもう一度葦原を見ると、彼女は図面へ戻っていた。
けれど鉛筆を動かす前に、向かいの椅子を足で少しだけ引いた。
狛枝が座ったままでも、図面を覗ける位置だった。
*
翌朝、九頭龍は自分の足でレストランへ来た。
病院着の上から上着を羽織り、腹には厚い包帯が巻かれている。罪木がすぐ後ろへ付き、何度も戻るよう訴えていた。
「長く立っていてはいけませぇん! 傷が開いたら、また縫い直しになりますからぁ!」
「分かってる。話したら戻る」
食事をしていた全員の手が止まった。
西園寺だけは、椅子から立たなかった。
「……何しに来たの」
九頭龍は西園寺を見たあと、全員へ視線を移した。
「謝って済むと思ってねえ。許せとも言わねえ」
掠れた声で言う。
「小泉が死んだのも、ペコが死んだのも、元を辿ればオレのせいだ。オレは自分だけ助かって、何もなかったみてえに戻る気はねえ」
「戻らなかったら何なの?」
西園寺の声が細く尖る。
「あんたがずっと病院にいれば、真昼おねぇが帰ってくるの?」
「帰ってこねえ」
「じゃあ、勝手に苦しんで許された気にならないでよ」
「ならねえよ」
九頭龍は即答した。
「お前がオレを許さねえことと、オレが何を背負うかは別だ」
そう言って、上着の内側へ手を入れた。
日向が立ち上がるより早く、小さな刃が光った。
「九頭龍クン!」
罪木の悲鳴と、椅子の倒れる音が重なる。
九頭龍は包帯の上から、自分の腹へ刃を走らせた。
弐大が腕を掴み、刃を取り上げる。罪木は九頭龍を床へ寝かせ、滲み始めた赤へ布を押し当てた。
「どうしてこんなことするんですかぁ! 塞がりかけていたのに、また開いてしまいますぅ!」
誰もすぐには動けなかった。
葦原は、椅子から半分立った姿勢で固まっていた。
九頭龍の腹と、床へ落ちた刃を交互に見る。数秒して、ようやく口を開いた。
「……ああ。自分への罰か」
左右田が振り返る。
「今そこから理解したのかよ!?」
「だって、傷を増やしても小泉さんも辺古山さんも戻らないし、罪木さんの作業が増えるだけだから」
「だからって今言うな!」
九頭龍が、痛みに息を詰めながら葦原を見た。
「分かってる。何も戻らねえし、誰の判断も変わらねえ」
「じゃあ、何のため?」
「何もしねえまま、前と同じ顔でここへ座るのが、オレには無理だった。それだけだ」
葦原は返事をしなかった。
意味を測れずにいるような、遠い目で九頭龍を見る。
「人って、自分にしか効かない形でも必要なんだ」
呟いた声へ、西園寺が立ち上がった。
「分かったみたいに言わないで」
そのままレストランを出ていく。
澪田が追おうとしたが、七海が先に立った。
「今日はわたしが行くよ。澪田さん、昨日ずっと一緒だったでしょ」
「……お願いするっす」
七海が西園寺を追う。
罪木は泣きながら包帯を押さえ続け、九頭龍は謝らなかった。謝れば、また許しを求めているように聞こえると分かっている顔だった。
「病院へ戻すぞ!」
弐大が九頭龍を抱き上げる。
「終里! 道を開けい!」
「おう」
終里は扉を大きく開けたあと、運ばれていく九頭龍の背中を見た。
「自分切っても、何も終わらねえのにな」
「終里さん」とソニアが窘める。
「だったら、元を殴った方が早いだろ」
誰も、その言葉を拾わなかった。
弐大だけが、扉の向こうから終里を振り返った。
*
昼を過ぎても、終里はレストランへ戻らなかった。
弐大が見つけた時、終里はホテル裏の砂浜で、ヤシの木を相手に拳を打ち込んでいた。
「腰が流れておるぞ!」
呼びかけると、終里は拳を止めずに答えた。
「うるせえ。今、直してる」
「拳を痛めては直したことにならんわい!」
弐大は正面へ回り、幹と終里の間へ腕を差し入れた。
終里はようやく止まり、皮の剥けた拳を振る。
「どけよ。まだ足りねえ」
「何に足りん」
「知らねえ」
答えながら、終里は海を睨んだ。
「飯食って、走って、寝てる間に、また誰かいなくなる。九頭龍は自分で腹切るし、お前らは何もするなって言う。だったら、あのクマぶっ倒せば全部終わるだろ」
「モノクマは、お前が拳を届かせれば倒れる相手ではない」
「やってみなきゃ分かんねえ」
「既に一度やって、分からされたはずじゃ!」
終里は弐大を見た。
「次は勝つ」
迷いのない顔だった。
弐大は大きく息を吸い、吐いた。
「鍛えることと、相手の用意した場所へ飛び込むことは違う。殴れるものだけが敵ではないぞ」
「難しい話すんな。腹減る」
「ならばまず食え! 空腹で挑むなど修行以前の問題じゃあ!」
終里は一度だけ笑った。
「分かった。あとで行く」
その返事に何が抜けていたのか、弐大はすぐには気づかなかった。
*
午後、ホテル前の広場にモノクマの声が響いた。
「おい、モノクマ! 出てこい!」
終里が監視カメラへ向かって叫んでいる。
日向たちが駆けつけた時には、既に広場の中央で拳を構えていた。
「終里、やめろ!」
「止めんな。今日こそコイツぶっ壊す」
弐大が人垣を押し分け、終里の前へ出る。
「約束が違うぞ!」
「あとで飯食うって言っただけだ」
「そこではないわい!」
軽い電子音とともに、モノクマが広場の中央へ現れた。
「お呼びでしょうか、終里赤音さん! 校長先生への面会は予約制なんだけどなあ」
「予約しに来たんじゃねえ!」
終里が地面を蹴る。
最初の拳を、モノクマは横へ転がって避けた。二発目が白黒の腹を掠める。
「校則違反! 学園長への暴力は禁止でーす!」
「知るか!」
終里の蹴りがモノクマを後ろへ弾いた。
ぬいぐるみの身体が地面を跳ね、すぐに起き上がる。
「それじゃあ、正当防衛させてもらいます!」
モノクマの背後から、黒い砲身がせり上がった。
弐大が動いた。
「伏せろ、終里ィ!」
終里を突き飛ばし、その前へ立つ。
爆音が広場を揺らした。
熱と煙が一度に広がり、日向は腕で顔を庇った。耳鳴りの向こうで、何か大きなものが倒れる音がした。
煙が薄れる。
弐大が地面へ伏していた。
胸元の服は焼け、身体から細い煙が上がっている。呼びかけにも動かない。
「弐大!」
終里が這うように近づいた。
罪木がその横へ膝をつき、震える手で首元へ触れる。
「脈が……弱いですぅ。呼吸も、このままでは……!」
「治せ!」
「ここでは無理ですぅ! 病院へ運んでも、設備が足りるかどうか……」
終里は弐大の肩へ手を置いたまま、何も言えなくなった。
「まったく、世話が焼ける生徒だなあ」
モノクマが煙の中から歩いてくる。
「ボクなら直せるかもしれないよ。特別に預かってあげましょう!」
「触んな!」
終里が立ち上がりかけ、日向と左右田が左右から押さえた。
「今また殴ったら、同じことになる!」
「離せ! 弐大を持ってかせる気か!」
「ほかに助ける方法がねえんだよ!」
罪木は唇を噛み、弐大とモノクマを見比べた。
「少なくとも、このままにはできません。今すぐ処置しないと、本当に……」
言葉の続きは誰にも必要なかった。
終里の力が僅かに抜ける。
モノクマの後ろから現れた機械の腕が弐大を持ち上げた。
「安心してよ。新品みたいにして返してあげるから!」
機械の腕が地面の下へ消えていく。
葦原は、それまで弐大の倒れていた場所を見ていた。
黒く焼けた地面からモノクマへ視線を移す。
「今、規則を破ったのは終里さんだよね」
「その通り! だからボクは正当防衛を――」
「弐大くんは破ってない」
モノクマの声へ重ねた。
「終里さんを止めて、攻撃を受けただけ。規則を守ってる人が、破った人の罰を代わりに受けるのはありなんだ」
「罰じゃなくて事故だよ。勝手に割り込んだんだから、自己責任でしょ?」
「じゃあ、規則は結果を決めないんだね」
葦原の声は、怒鳴っていない。
それでも広場にいる全員が、二人のやり取りを聞いていた。
「モノクマが楽しい方を選んだあとで、正当防衛とか事故って名前をつけるだけ」
「失礼だなあ! ボクはいつだって、校則を公平に運用しています!」
「あなたが規則を破った時、あなたを罰する人はいないでしょ」
モノクマの笑顔は変わらなかった。
「ほんとに、ルール守らないよね」
葦原はそのまま何かを言いかけた。
けれど、広場の監視カメラへ一度目を向け、口を閉じる。
日向には、今の話だけで納得したようには見えなかった。
モノクマが自分で決めた規則すら好きに曲げられるなら、規則から安全を逆算することもできない。葦原はその先まで考えたうえで、モノクマへ渡す言葉を減らしたように見えた。
「疑り深い生徒は嫌われるよ!」
モノクマは機嫌を損ねた声で言い残し、消えた。
広場には、弐大が倒れていた焦げ跡だけが残った。
終里はその中央へ座り込んだ。
誰が声をかけても動かなかった。
*
その日の夕食は、ほとんど減らなかった。
終里の前には弐大の分まで皿が置かれたが、どちらにも手をつけない。
ソニアが温かい飲み物を勧めると、終里はカップが机へ触れた小さな音に肩を跳ねさせた。
「終里さん?」
「なんでもねえ。急に置くな」
いつもの終里なら、驚いたことを隠すより先に中身を飲み干している。
澪田もおかしかった。
「澪田おねぇ、静かにして」と西園寺が言えば、「了解っす」と口を閉じる。
冗談だと思った西園寺が「じゃあ椅子の上に立って」と続けると、本当に靴を脱ぎ始めた。
「待って。今のはやらなくていいよ」
七海に止められ、澪田は素直に座り直す。
「どっちの命令を聞けばいいっすか?」
「命令じゃないよ。澪田さん、自分で決められないの?」
「決めていいって言われたら決めるっす!」
西園寺の顔から笑いが消えた。
狛枝は食事の途中から何度も咳をしていた。
日向が水を渡すと、礼を言って受け取ったが、一口飲んだだけで机へ戻す。
「狛枝くん、顔赤いよ」
葦原が向かいから言った。
「そうかな。みんなと食事ができて、少し興奮しているのかもしれないね」
「今まで何回も一緒に食べてるでしょ」
葦原が立ち上がるより先に、罪木が狛枝の横へ来た。
額へ手を当て、次に脈を取る。
「熱がありますぅ。かなり高いです」
罪木は終里と澪田を順に見た。
「お二人も診せてください。さっきから、普段と様子が違いますぅ」
「弐大がいねえから調子出ねえだけだ」
終里はそう言ったが、伸ばされた罪木の手から身体を引いた。
その時、店内のモニターが一斉に点いた。
「緊急事態! 緊急事態!」
画面いっぱいに、モノクマの顔が映る。
「ジャバウォック島で、世にも恐ろしい伝染病の発生が確認されました! 発熱だけじゃなく、性格まで絶望的に変えちゃう、その名も――」
罪木が狛枝から手を離し、口元を覆った。
「絶望病だよ!」
モノクマは病名を告げると、楽しそうに両手を広げた。
葦原は机を回り、狛枝の椅子の横まで来た。
「狛枝くん」
呼びかける。
狛枝は目を閉じたまま、答えなかった。