希望と絶望は、不幸と幸運に似ている。   作:an-ryuka

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 マスカット棟からストロベリー棟へ向かう中で、狛枝は一度だけ振り返った。

 

 追ってくる足音はない。

 

 葦原が眠ってから、それほど時間は経っていなかった。今なら、彼女が目を覚ます前に戻れるかもしれない。

 

 ストロベリー棟の一階へ着く。

 

 ファイナルデッドルームの扉には、昼間と同じ注意書きが光っていた。

 

 命が惜しい者は入るな。

 

 狛枝は迷わず取っ手を押した。

 

 扉の先は、客室より少し狭い部屋だった。

 

 寝台、机、クローゼット、左右の壁に埋め込まれた数字の操作盤。奥にもう一つ扉があるが、取っ手は動かない。

 

 寝台の上には、モノミが座っていた。

 

「狛枝くん! 何をしに来たんでちゅか!」

 

「見れば分かるんじゃないかな。脱出ゲームを始めに来たんだよ」

 

「危険だって書いてあるでちょう! 今すぐ戻って――」

 

 背後で扉が閉まった。

 

 錠の下りる音がする。

 

 狛枝が取っ手を回しても、もう動かなかった。

 

「遅かったみたいだね」

 

「そんな暢気なことを言ってる場合じゃありまちぇん!」

 

 モノミが寝台から飛び降りる。

 

「この部屋は、最後まで解かないと中から出られないんでちゅ! あちしも出ようと頑張ったんでちゅけど……」

 

「先に見てたなら、ヒントくらいは期待していいのかな」

 

「期待しないでくだちゃい! というか始めないでくだちゃい!」

 

 その時、外側の扉が、もう一度開いた。

 

 モノミが振り返る。

 

 葦原が立っていた。

 

 髪は寝る前のまま整えておらず、靴の片方は踵を踏んでいる。走ったのか、呼吸が僅かに速かった。

 

「早いね」

 

 狛枝が言う。

 

「早いじゃない」

 

 葦原が中へ入る。

 

 背後の扉は、またすぐに閉まった。

 

「明日って言ったよね」

 

「日付はもう変わっていると思うけど」

 

「そういう意味じゃない」

 

「うん。ごめん」

 

 狛枝が素直に謝ると、葦原はかえって言葉を止めた。

 

 それから扉を押し、取っ手の周囲と枠を確かめる。

 

「外からは開くのに、中からは駄目なんだ」

 

「だから、葦原さんまで入ってくる必要はなかったよ」

 

「起きないと思った?」

 

「よく眠っていたからね」

 

「でも、起きた。長椅子見たら、狛枝くんいなかった」

 

「戻るつもりだったんだ」

 

「私が起きる前に?」

 

「できれば」

 

「無理だったね」

 

 葦原は奥の扉へ向き直った。

 

 怒っているのか、呆れているのか、声だけでは判別できない。

 

「二人とも出られなくなっちゃったじゃないでちゅか!」

 

 モノミが両耳を抱える。

 

「喧嘩してないで、まず戻る方法を――」

 

「ないんでしょ?」

 

「うっ」

 

「じゃあ、解く」

 

 葦原はクローゼットを開けた。

 

      *

 

 部屋にある物は、最初から組み合わせるために置かれていた。

 

 クローゼットのハンガー。机の引き出しに入ったペンチ。寝台の下に落ちているが、指では届かない小さな鍵。

 

「工具を取られたあとに、こんなところでペンチ返すの性格悪い」

 

 葦原はハンガーの一部をペンチで切り、細い針金へ曲げた。

 

「返してくれたわけじゃないと思うよ」

 

「分かってる」

 

 針金で鍵を引き寄せる。

 

 鍵は机のもう一つの引き出しを開け、中から鋏が出てきた。

 

「次は何を切るんだろうね」

 

「物を壊すのは禁止じゃなかったの?」

 

「ここでは壊さないと進めないようでちゅ……」

 

 モノミが申し訳なさそうに、部屋の隅にあるモノクマのぬいぐるみを見た。

 

 葦原も同じ方向を見る。

 

「分かりやすい」

 

「あちしは何も言ってまちぇん!」

 

 ぬいぐるみの縫い目を鋏で開くと、綿の中から電池が出てきた。

 

 左右の壁には、方角を示す記号と数字が散らばっている。床の中央には、地図で北を示す形に似た印があった。

 

「NEWS」

 

 狛枝が操作盤の上の文字を読む。

 

「ニュースじゃなくて、北、東、西、南の順番だろうね」

 

「三、九、五、七」

 

 葦原が各壁の数字を拾った。

 

 狛枝が左の操作盤へ入力する。

 

 壁の一部が開き、デジタルカメラとUSBメモリが落ちてきた。

 

「順調すぎて怖いでちゅ……」

 

「解けるように作った問題なら、解けるのは普通だよ」

 

 葦原がカメラへ電池を入れる。

 

 保存されていた画像には、白と黒の石を並べたような模様が写っていた。机の上にあるカード、ノートパソコンの文字列、右側の操作盤の点灯位置を重ねると、次の数字が浮かぶ。

 

「九、八、七、五」

 

「今度はキミが入れる?」

 

 狛枝が場所を譲る。

 

「狛枝くんが入れて」

 

「どうして?」

 

「外れた時、爆発する可能性あるから」

 

「それなら、キミはもっと下がった方がいいね」

 

「正解だと思うけど」

 

「ボクもそう思うよ」

 

 狛枝が四桁を入力した。

 

 爆発は起きなかった。

 

 代わりに、右の壁から小さな接続口が現れる。USBメモリを差し込むと、ノートパソコンのロックが外れ、奥の扉から機械音がした。

 

 普段なら短く終わる作業でも、空腹で指に力が入らず、何度も手が止まった。窓も時計もない部屋では、入ってからどれだけ経ったか分からない。

 

「開いた」

 

 葦原が取っ手を回す。

 

「待ってくだちゃい!」

 

 モノミが二人の前へ回り込んだ。

 

「ここまでなら、ただの脱出ゲームでちゅ。でも、この先何があるか分かりまちぇん!」

 

「戻れないなら、進むしかないね」

 

 狛枝が答える。

 

「だから、そもそも入らないでって言ったんでちゅ!」

 

「それはもう終わった話」

 

 葦原は扉を開けた。

 

      *

 

 午前七時になっても、狛枝と葦原はマスカット塔へ来なかった。

 

「あの二人、部屋にもいなかったぞ」

 

 左右田が言う。

 

 モノクマ太極拳は、欠席者がいても始まった。

 

「一、二、三、四! 命を惜しむ心と一緒に、筋肉も伸ばしてー!」

 

「今その言い方すんな!」

 

 左右田は腕を上げながら怒鳴った。

 

「寝台は空で、長椅子に毛布だけ残ってた。あいつら、どこ行きやがった」

 

「ファイナルデッドルームだと思う」

 

 七海が言う。

 

「昨日の話、葦原さんなりの覚悟の方法だったんじゃないかな」

 

「なんで先に言わねえんだよ!」

 

「今、考えがまとまったから」

 

「体操してる場合ではありません!」

 

 ソニアが型を途中で止める。

 

「二人を助けに参りましょう!」

 

「体操をサボると健康に悪いよ?」

 

 モノクマが片足で立ったまま言う。

 欠席もサボりも咎めるつもりは無いようだった。

 

「飢えさせた張本人が言うな!」

 

 日向たちは体操を放り出し、ストロベリー棟へ向かった。

 

 ファイナルデッドルームの外扉は閉まっている。

 

「これ開けるだけならセーフだったりしねぇかな?」

 

「試してみよう!」

 

 メカ弐大が扉に手をかけようとする。

 

『中に入ったら挑戦者になるよ! 応援だけなら廊下でどうぞ!』

 

 メカ弐大の足が止まる。

 

「入ったからといって、助けになるとは限らないよ」

 

 七海が扉を調べた。

 

「二人がもう進んでいるなら、合流できても危険が増えるだけかも」

 

「じゃあ、ここで待ってろってのかよ」

 

 左右田が壁を殴る。

 

「何もできないで待つのが嫌なのは分かる。でも、今入る方が二人の邪魔になるかもしれない」

 

 日向が言うと、左右田は開いた外扉を睨んだ。

 

「出てきたら、一発ずつ殴る」

 

 終里が拳を鳴らす。

 

「生きて出てからにしろよ」と九頭龍が言った。

 

「生きて出てきたらだよ」

 

 その声は、閉じた扉の奥までは届かなかった。

 

      *

 

 奥の部屋には、机が一つだけ置かれていた。

 

 その上に、回転式の拳銃がある。

 

「はーい、お待ちかね! ファイナルデッドゲームの最終関門、ロシアンルーレットでーす!」

 

 机の陰からモノクマが飛び出した。

 

「待ってまちぇん!」

 

 モノミが両腕を広げる。

 

「参加者は二名なので、二人とも挑戦してもらいます! 弾を入れて、よーく回して引き金を引く。空なら合格、当たりなら人生から脱出成功!」

 

「当たりの意味が逆でちゅ!」

 

「やらなかったら?」

 

 葦原が聞く。

 

「扉は開きませーん。ここには食べ物も水もないから、ゆっくり考えてね!」

 

「ゆっくりできないね」

 

 説明を聞き終えた葦原は、拳銃を見たあと、モノクマへと視線を向ける。

 

「私の分、狛枝くんに撃ってもらうのはあり?」

 

「葦原さん?」

 

 問い返した声は、自分で思っていたより低かった。

 

「もちろん、ありです!」

 

 モノクマの赤い目が光る。

 

「ただし、実弾だったら狛枝クンが葦原さんを殺したことになるからね。無事に外へ戻れたら、楽しい学級裁判が始まっちゃうかも!」

 

「それでいい」

 

 返事が早すぎた。

 

 葦原は、狛枝を残して死ぬのも、狛枝が先に死ぬのも嫌だと言った。一緒ならいい、と。

 

「それでいい、って、ボクも裁判で死ぬこと含めてかな」

 

「それもある」

 

 葦原は、否定せずに認めた。

 

「よくないでちゅ!」

 

 モノミが葦原の脚へ縋りつく。

 

「どっちかが死ぬ前提で考えちゃ駄目でちゅ! 二人とも自分でなんて撃たなくていいんでちゅよ!」

 

「でも、撃たないと出られない」

 

「ほかの方法を探しまちょう! きっと何かありまちゅ!」

 

「ここまで来るのに、ほかの方法はなかったよ」

 

 葦原はモノミを見下ろした。

 

「多分、これも同じ」

 

 モノミが言葉を失う。

 

 葦原は狛枝を見た。

 

 狛枝は目を逸らさなかった。

 

「ボクの幸運は、あくまでボクにとっての幸運だよ。キミまで守るとは限らない」

 

「私が死なないことが、狛枝くんにとっての幸運なら守られる」

「私は狛枝くんの幸運、信じてるから」

 

「信じるだけで、弾の位置は変わらない」

 

「狛枝くんが私に死んでほしくないなら、私にも分けてくれると思ってる」

 

 才能への信頼だけではなかった。

 

 葦原は、狛枝が自分を死なせたくないと思っていることまで、幸運が働く条件へ入れた。

 

 そうであってほしいという願いを、本人より先に事実として置いている。

 

「ボクが、キミに死んでほしくないと思っていることまで条件に入れるんだ」

 

「違う?」

 

 違うとは言えなかった。

 

 言葉にしなくても、それが答えになったことを、彼女の顔を見れば分かった。

 

 モノクマが一発を弾倉へ入れ、回転させる。

 

 どこに入ったかは見えない。

 

 狛枝が拳銃を持つ。

 

 金属の重さは、これまで自分自身へ向けてきたどの危険より明確だった。

 

 自分が引き金を引き、葦原が死ぬ。

 

 その順序には、希望のための踏み台も、才能を試す名目もない。

 

 ただ彼女が、自分の幸運を信じて立っている。

 

「怖くないの?」

 

「怖いよ」

 

 葦原の視線は、銃口ではなく狛枝の目へ向いていた。

 

「でも、狛枝くんに任せる」

 

 怖くないから任せるのではない。

 

 死ぬ可能性が分かっていて、そのうえで彼女は狛枝に任せようとしている。

 

「ボクが外したところで、キミの仮説が正しい証明にはならないよ。六分の五を引いただけかもしれない」

 

「それでもいい」

 

「実弾だったら?」

 

「私の仮説が違った」

 

「それだけ?」

 

「狛枝くんは、私を殺したくて撃つわけじゃないでしょ」

 

 葦原が撃つよりも、自分が持つ幸運へ賭けた方が生き残る確率が高い。そう判断することはできる。

 

 理屈だけなら。

 

 狛枝は銃口を、葦原のこめかみへ当てた。

 

 五つは空で、一つだけが死へ繋がる。

 

 確率だけなら、生きる方がずっと高い。

 

 それでも、引き金へ置いた指は、すぐには動かなかった。

 

「狛枝くん」

 

 葦原が名前を呼ぶ。

 

 急かす声ではなかった。

 

 ただ、任せた相手がまだそこにいるか確かめるような呼び方だった。

 

 狛枝は葦原の目を見たまま、引き金を引いた。

 

 乾いた作動音だけが鳴る。

 

 弾は出なかった。

 

「ほら」

 

 葦原が小さく息を吐く。

 

「何が、ほら、なのか分からないよ」

 

 狛枝は拳銃を下ろした。

 

 自分の幸運が、葦原一人を生かすために働いた。

 

 そう見えたことを、否定しきれなかった。

 

 葦原の才能が残ったという評価より先に、彼女が生きていることへの安堵が来た。

 

 

「信頼と幸運が織りなす感動の一発でした!」

 

 モノクマが拍手する。

 

「では次、狛枝クン! 普通に一発で挑戦してもいいけど、五発入りなら特別賞を付けちゃうよ!」

 

「五発?」

 

 葦原の顔から、さっきまでの安堵が消えた。

 

「六つのうち五つが実弾! 当たりを引かない確率は、たった六分の一! 超高校級の幸運には、こっちの方がお似合いでしょ?」

 

「いいね。そうしようか」

 

 五つの薬室へ実弾を入れ直す。

 

 自分の命を材料にして、才能を試し、その結果で情報を得る。

 

 葦原へ向けて引いた一発より、こちらの方が狛枝にはずっと理解しやすかった。

 

「今それやる必要ない」

 

 葦原がすぐに言った。

 

「ボクの幸運が本物なら、これでも死なない」

 

「狛枝くん、その幸運、今必要?」

 

「特別賞。 モノクマが最初に言ってた餌はこれじゃないかな。 これ以外に手に入れる手段も無さそうだ」

 

「一発で出られる。情報のために、狛枝くんが死ぬ確率上げるのおかしい」

 

「ここで死ぬなら、ボクの幸運は希望の踏み台にすら使えない、その程度だったってことだよ」

 

「踏み台とかそういう話じゃない」

 

 葦原は拳銃へ手を伸ばさず、狛枝の顔を見た。

 

「私が狛枝くんの幸運を信じるのと、狛枝くんが死ぬ確率を高めるのは別」

 

「葦原さんは、自分の命はボクの幸運へ預けられるのに、ボクの命だと預けられないんだ?」

 

 葦原の視線が止まった。

 

 条件は同じではない。

 確率を下げる話と、上げる話だ。

 

 でも今は、彼女が考えるその一瞬を、作れればいい。

 

 葦原が口を開き直す前に、狛枝は弾倉を回した。

 

「待っ――」

 

 銃口を自分のこめかみへ当てる。

 

 同じ拳銃のはずなのに、葦原へ向けた時ほど重くはなかった。

 

 引き金を引いた。

 

 音は、一度目と同じだった。

 

 実弾は出ない。

 

 拳銃を机へ戻すより先に、葦原が空いている方の狛枝の手を取った。

 

 指を強く重ねたまま、その場へ座り込む。

 

 葦原は自分の命より狛枝の命へ強く怯えたようだった。その差を見つけて嬉しいと思ってしまうのは、あまりに醜い。

 

 それでも、取られた手を引く気にはなれなかった。

 

「葦原さん」

 

「今の、私が答えられない間にやった」

 

 葦原が被せるように問い詰める。

 

 撃つ前の、彼女の答えが形になるまでの時間を、狛枝は奪った。

 

 葦原も、それを分かっている。

 

「ずるい」

 

「ごめんね」

 

「謝ってる声じゃない」

 

 葦原は自分の手の甲で目元を擦り、モノクマを睨んだ。

 

「出口開けて」

 

「えぇー。 もう少し成功者インタビューを――」

 

「特別賞置いて、さっさと出てって」

 

「怖いなあ。さっきまであんなに感動的だったのに!」

 

 モノクマは机の下から厚いファイルを出した。そして、実物には使い用がないミニチュアサイズのモーター。

 

「これが特別賞! この先のオクタゴンも、好きなだけ見ていってね!」

 

 奥の壁が左右へ開く。

 

 同時に、外へ続く扉の錠も外れた。

 

「あちしも、こんな部屋は二度とごめんでちゅ!」

 

 モノミは外へ続く扉へ急ごうとする。

 

「何言ってんの。お前はまだロシアンルーレットやってないでしょ!」

 

「はわわ……」

 

 モノクマがモノミを引きずっていく。

 

「出口はあっちみたいだよ」

 

 狛枝は開いた壁の先を示す。

 

「分かってる」

 

 葦原は立ち上がったが、狛枝の手は離さなかった。

 

      *

 

オクタゴンには、食料以外なら何でも揃っているように見えた。

 

 刃物、薬品、工具、縄、爆発物。用途の分からない装置まで、八角形の壁に沿って並べられている。

 

「最強の武器って、一つじゃないんだ」

 

 葦原が言う。

 

「選ぶ人次第、ということかな」

 

「使う前提で並べてるのが嫌」

 

 葦原の手は、ロシアンルーレットの部屋を出てからも狛枝の手と繋がったままだった。

 

 ファイルを調べるにも、室内を見て回るにも不便なはずだ。それでも、葦原は離そうとしない。

 

 狛枝も、離してほしいとは言わなかった。

 

 窓の外には、トリックハウスの外周が見えた。

 

 ストロベリー棟とマスカット棟は、横ではなく上下に重なっている。外側を回るようにエレベーターの軌道が続き、中央の塔は一つの空間を二棟で共有していた。

 

「当たってた」

 

 葦原は、それだけ確認して窓から離れた。

 

「もっと喜ばないの?」

 

「出られないなら、今はどうでもいい」

 

「正解そのものより、使えるかどうかなんだね」

 

「狛枝くん、今さら?」

 

 葦原にとって、構造を見抜くことは目的ではない。

 

 正しく理解した構造を使って、何を動かせるか。何を作れるか。ここから出られるか。

 

 才能を持つ者が、自分の才能を飾るためではなく、当然のように使っている。その姿を狛枝は好ましく思っていた。

 

 その才能が、何のために使われてきたのかも知らずに。

 

 中央の机には、モノクマが置いていったファイルがある。

 

 表紙には何も書かれていない。

 

 狛枝は片手で表紙を開いた。

 

 葦原と繋いでいる手を離せば、もっと簡単に読める。

 

 そうする必要を思いつかなかったわけではない。

 

 

 ファイルの最初の数頁には、希望ヶ峰学園の生徒名簿が載っていた。

 

 花村、小泉、辺古山、澪田、西園寺、罪木。既に死んだ者も、今生きている者も、同じ形式で並んでいる。

 

 十神白夜を名乗っていた人物の欄には、氏名不明、超高校級の詐欺師と記されていた。

 

 彼が別人だったことに驚きはしたが、才能まで偽りだったわけではないらしい。誰かの代わりとして生きることを極めた才能。それなら、超高校級と呼ぶに足る。

 

 次に、日向創の名前があった。

 

 才能欄は空白。

 

 所属――希望ヶ峰学園予備学科。

 

「予備学科……」

 

 口に出したのは葦原だった。

 

 狛枝は、その一行から目を動かせなかった。

 

 日向クンにも、自分で思い出せていないだけで何かの才能がある。

 

 そう考えていた。

 

 何の根拠もない期待だった。それでも、才能を失っているのではなく、まだ見つかっていないのだと思う方が自然だった。

 

 その期待が、たった一行で途切れる。

 

 才能を持たないのに、才能ある者と同じ場所へ紛れ込んでいた。

 

 そんな日向クンを相手に、狛枝は希望について語り、問い、答えを求めていたらしい。

 

 滑稽だった。

 

 だが、日向の欄は、その先にあった記述と比べれば小さな問題だった。

 

 頁を捲った狛枝の指が止まる。

 

 更生対象者――超高校級の絶望、その残党。

 

 見出しの下には、この修学旅行へ参加した生徒たちの名前が並んでいた。

 

 狛枝凪斗。超高校級の幸運。

 

 葦原アイ。超高校級の設計士。

 

 何度読み直しても、文字は変わらない。

 

「絶望……?」

 

 声が、紙の上へ落ちた。

 

 これまで希望の象徴として見ていた才能ある仲間たちが、その才能を絶望のために使った。

 

 絶望なんかに屈するはずのない才能が、絶望を乗り越えるどころか、その手足になっていた。

 

 自分も、その中にいる。

 

 自分が価値のない人間だったことなら、今さら驚くことではない。

 

 超高校級の才能を持つみんなまで、希望ではなかった。その事実の方が、狛枝には耐え難かった。

 

 喉の奥から笑いが出かけた。

 

 いつものように笑って、自分ごと貶せば形になると思った。

 

 音になる前に消えた。

 

「こんな連中が、希望を語って殺し合っていたんだ」

 

 モノクマが裏切り者と呼んでいた人物。

 

 その一人だけは、絶望の残党ではない。

 

 狛枝は、名簿の中から葦原の名前を探した。

 

 超高校級の設計士。

 

 それ以外に、ほかの生徒と違う印はない。

 

 裏切り者が誰かは、分からない。

 

 それでも、狛枝はファイルから目を離せなかった。

 

「モノクマが作った記録だから、全部本当とは限らないよ」

 

 葦原が言う。

 

「キミは信じないの?」

 

「更生施設ってところは、多分当たってる。最初の夜にモノミへ聞いた時も、更生の話だけ反応が違った。罪木さんが思い出した記憶とも合う。十神くんが別人だったことも、さっきの資料で繋がった」

 

「なら、十分じゃないか」

 

「未来機関が作って、ウサミが管理するはずだった。そこへモノクマが入った。ここまでは固いと思う」

 

 葦原は繋いだ手へ一度視線を落とした。

 

「仮想空間か、現実の施設かはまだ保留。でも、記憶を選んで消せて、身体の傷も病気も再現されてないなら、現実じゃない方が説明は少ない」

 

「キミは、ずいぶん落ち着いているね」

 

「予想に名前が付いただけだから」

 

「絶望の残党、という名前が?」

 

「更生が必要なことをした、までは前から候補にあった」

 

 葦原にとって、絶望とはまだ中身のない名前でしかないらしい。

 

 狛枝にとっては違った。

 

 希望を否定し、才能を汚し、人を不幸にするもの。

 

 何をしたか分からなくても、その名だけで嫌悪するには十分だった。

 

 そのはずだった。

 

 葦原が狛枝を見る。

 

「……絶望だった私のこと、嫌い?」

 

 嫌うべきだ。

 

 答えは最初から決まっている。

 

 なのに狛枝は、すぐには答えられなかった。

 

 希望を踏みにじる絶望なら、嫌悪するべきだ。

 

 才能を絶望のために使った人間なら、価値などない。

 

 その分類へ葦原を入れれば、答えは簡単になるはずだった。

 

 狛枝は、繋いでいる手を見た。

 

「……分からない」

 

 出てきたのは、答えにならない言葉と、それでも離せない手だった。

 

「そう」

 

 葦原も手を離さなかった。

 

 安心したようにも、傷ついたようにも見えなかった。そのままついでのように話し出す。

 

「私は、狛枝くんが絶望だったの、何があったのかなって気になる」

 

「ボクが何をしたか?」

 

「何があって、そっちへ行ったのか。今の狛枝くんが、希望じゃなく絶望を選んでた時、何を考えてたんだろうね」

 

「知ったら、キミもボクを嫌いになるかもしれないよ」

 

「それは知ってから考える」

 

 狛枝はようやくファイルを閉じた。

 

「キミも絶望だったんだよ」

 

「うん。私も何したんだろうね」

 

「怖くないの?」

 

「分かんない物は怖い。でも、名前だけで中身増えないし」

 

 葦原は机の上のモニターを見た。

 

「モノクマ。まだ聞いてるでしょ」

 

 モノクマが近くの柱から出てきた。

 

「もちろん! 絶望的な正体を知った二人が、愛憎の果てに殺し合うところまで見届けるのが学園長の務めです!」

 

「私たちに殺し合って、絶望してほしいんだよね?」

 

「そうだよ。今さら確認すること?」

 

「でも、資料だと私たちはもう絶望」

 

「元絶望にも、新鮮な絶望は必要なんです! 更生中の絶望がもう一度堕ちるなんて、再発ものの感動があるでしょ!」

 

「ウサミは、私たちを更生させようとしてた?」

 

「先生役の営業方針については、ノーコメント!」

 

「じゃあ、みんなが衰弱死しないように、自分たちが泥を被って殺し合う人が出たらどうするの?」

 

 モノクマの目が細くなる。

 

「仲間を生かすために、自分が殺人者になるなんて。 なんて自己犠牲に満ちた、すばらしい希望でしょうか」

 

「その人を、助かった人たちが裁判で殺さなきゃいけないのは絶望?」

 

「もちろん! 希望を与えてくれた恩人を、自分たちで正しく処刑する! うぷぷ、考えただけで胸が温かくなるね!」

 

「そのあと、その人の分まで生きなきゃいけないって希望ができるのは、いいの?」

 

「希望が育てば、また壊した時の絶望も大きくなるでしょ?」

 

 モノクマは満足そうに頷いた。

 

 葦原が隣を見る。

 

「似てるね?」

 

「ボクとモノクマが?」

 

 胸の内側へ、冷たいものを押し込まれたような不快感があった。

 

 絶望を弄び、他人が壊れるところを喜ぶモノクマと、自分が似ているはずがない。

 

「希望が好きなのと、絶望が好きなのは逆。でも、片方を大きくするために、反対側を必要だと思ってる作りが似てる」

 

「一緒にしないでほしいな。ボクが見たいのは、絶望なんかに負けない絶対的な希望だよ」

 

「同じとは言ってない。作りが似てるだけ」

 

 目的は正反対だ。

 

 モノクマは希望が壊れるところを見たがり、狛枝は希望が絶望を越えるところを見たい。

 

 最後に残したいものが違う。

 

 葦原はモノクマへ向き直った。

 

「もういい。消えて」

 

「呼んだのはそっちなのに!」

 

 葦原は善悪を判断しているわけではない。

 

 ただ二つを比べ、似ている部分を指しただけだった。

 

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▼ 西暦1893年、明治26年。▼ 日露戦争を目前に控えた日本に、一人の赤子が産み落とされた。▼ 名は、飾代夜永。▼ 新興財閥の妾の子として生まれた彼女には、前世の記憶と、異質な術式が備わっていた。▼「ここは『呪術廻戦』の世界だ。それも、歴史の教科書でしか知らない明治・大正期」▼ 原作知識という最大の武器は使えない。▼ あるのは、未熟な肉体と、いずれ訪れる大…


総合評価:2301/評価:8.48/連載:17話/更新日時:2026年08月07日(金) 23:02 小説情報

魔女教大罪司教『傲慢』担当になってしまったTS僕っ子ロリ(作者:あのさぁBOT)(原作:Re:ゼロから始める異世界生活)

主人公スバルが座っていたかもしれない、大罪司教の空席『傲慢』。▼その席に一足早く座っちゃったTS僕っ子ロリの話。▼アニメ勢のにわかです。原作と違う点があっても許して▼(以下微ネタバレ注意)▼主人公描いてみました。少しでも想像の手助けになると幸いです。▼絵柄は合わせてないです(怠惰)▼↓▼【挿絵表示】▼


総合評価:13407/評価:8.9/完結:48話/更新日時:2026年08月05日(水) 12:06 小説情報

地雷系彼女(マイ・フェア・レディ)(作者:あなたへのレクイエムです)(原作:HUNTER×HUNTER)

「ねえ! あなたの目を、私にちょうだい? 綺麗な瓶に入れて、毎日眺めたいの!」▼アンドー=ルモアが出会ったのは間違いなく地雷系の女の子だった。ウワーッ!?▼ヨークシンシティのオークションまであと10年。▼ネオン=ノストラードの"破裂"する運命は変えられるのか。▼※掲示板形式主体作品の検索利便性を考慮しタグを控えていますが、幕間の末尾などに…


総合評価:70041/評価:9.03/完結:60話/更新日時:2026年06月16日(火) 20:01 小説情報


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