希望と絶望は、不幸と幸運に似ている。   作:an-ryuka

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19.

 

 九頭龍がストロベリー棟二階のラウンジへ出た時、掛け時計は午前五時を少し過ぎていた。

 

 空腹で眠りが浅くなり、寝台へ戻る気にもなれない。長椅子へ座っていると、階段の方から重い足音がした。

 

 メカ弐大が一階へ下りていく。

 

「こんな時間に何してんだ……?」

 

 九頭龍は掛け時計を見た。

 

 秒針は、何事もなく進んでいる。

 

 部屋に戻る気にもならず、そのままフロアにしばらくいると、掛け時計が突然鳴り出した。

 

「うるせえ!」

 

 午前五時半。

 

 今まで一度も使われなかったアラームが、金属を叩くような音をラウンジへ撒き散らす。

 

 左右田が粗末な客室から飛び出してきた。

 

「なんだ!? 朝か!?」

 

「時計見ろ。まだ五時半だ」

 

「じゃあ誰が鳴らしたんだよ!」

 

 田中も姿を現す。

 

「時を告げる鐘に狼狽えるな。魂の弱さが露呈するぞ」

 

「オメーは平気そうな顔してんじゃねえ!」

 

 左右田が時計のアラームを止める。

 

 直後、建物の下から大きな衝撃が来た。

 

 床が揺れ、ラウンジの額が壁へぶつかる。

 

「今度はなんだ!」

 

 九頭龍が立ち上がる。

 

「あっちならエレベーターかもしれねぇ。見てくる!」

 

 左右田が階段を駆け下りる。

 

 田中は動かなかった。

 

      *

 

 同じ頃、マスカット棟でも低い轟音が響いた。

 

 終里は粗末な客室の扉を蹴るように開けた。

 

「なんの音だ?」

 

 廊下へ出た日向が、首を横へ振る。

 

「下じゃないか?」と日向が床を見る。

 

 狛枝が部屋の扉をあけて出てくる。その後ろでは、葦原が寝台の上へ身体を起こしていた。

 

「……始まった。いや、終わったかな」

 

 葦原が寝台から下り、床へ手を当てる。

 

「振動は一度だけ。塔か、エレベーターが動いた時の音かも」

 

「見に行く?」

 

 狛枝はそう言い、葦原はエレベーターの方を見たまま少し動かなかった。

 

「七時の体操には全員集まる。その時に聞こう」

 

 結局、全員が部屋へ戻った。

 

      *

 

 マスカット塔の前へ集まったのは、日向、七海、終里、ソニア、狛枝、葦原の六人だけだった。

 

 ストロベリー棟にいるはずの四人は来ない。

 

 連絡エレベーターも動かなかった。

 

 日向が二階の電話へ走る。

 

『エレベーターが壊されてる!』

 

 受話器から、左右田の声が響いた。

 

『制御盤の配線を切られてんだよ。こっちは直すから、塔を見ろ! 弐大がいねえ!』

 

 マスカット塔の扉は開いた。

 

 最初に見えたのは、床へ広がった黒い油だった。

 

 その中央で、メカ弐大の身体が二つに分かれている。

 

 頭部は倒れた柱のそばに転がり、胴体は仰向けのまま動かない。両足には金属のワイヤーが巻かれていた。片方の手の近くには、見覚えのない大きなハンマーが落ちている。

 

「弐大!」

 

 終里が油の中へ踏み込もうとする。

 

 七海が手を伸ばす。

 

「待って、多分もう……」

 

「離せ! まだ分かんねえだろ!」

 

「私が見る」

 

 葦原は油を避け、弐大の身体の近くへ膝をついた。

 

 首の断面、胸の時計、背中側にある小さな蓋へ順に目を向ける。どこにも手は触れなかった。

 

 狛枝は入口から、その様子を見ていた。

 

 ファイルの文字が、頭の奥に残っている。

 

 超高校級の絶望、その残党。

 

 ここで失われたのは、希望だったのか。絶望だったのか。

 

 ファイルだけでは、目の前の身体へどちらの名をつけるべきか分からない。

 

「動いてない」

 

 葦原が立ち上がる。

 

「胸の時計は七時半で止まってる」

 

 塔の時計は、まだ七時十一分だった。

 

「また、才能の一つが失われたんだね」

 

「才能じゃなくて、メカ弐大くんが死んだんだよ」

 

 葦原が訂正する。

 

「今は同じことじゃないかな」

 

「違う」

 

 日向が狛枝を振り返る。

 

「狛枝」

 

「分かってるよ。犯人を見つけないと、次は全員だからね。今はそれでいいだろう?」

 

 いつもの言葉とほとんど同じだった。

 

 ただ、そこにあったはずの熱だけが消えていた。

 

 死体発見アナウンスが、塔の中へ流れた。

 

      *

 

 モノクマファイルに、死因も死亡時刻も書かれていなかった。

 

 その代わり、現場には余るほどの情報が残っていた。

 

 ハンマーには油が付いているが、硬い金属を何度も殴った跡がない。倒れた柱の破片は、弐大の頭部の下と油の中へ散っている。

 

「ハンマーも柱も、死因を隠すための飾りだね」

 

 七海が言った。

 

「柱が先に倒れたなら、破片の上へ身体が乗る。弐大くんがぶつかって、柱も折れたんだと思う」

 

「上から落ちた」

 

 葦原は、足へ巻かれたワイヤーの端を見ていた。

 

 輪のそばには、床から外れた物ではない金属の塊が落ちている。

 

「これ、ストロベリー塔のドアノブだと思う。輪を上の扉へ掛けて、弐大くんを吊った。塔の床だけマスカット側へ下ろせば、身体は上に残る」

 

「それで、ワイヤーが外れたら一番下まで落ちる……」

 

 日向が天井を見上げた。

 

「でも、弐大が起きてたなら、吊る前に抵抗するだろ」

 

 葦原は首の後ろを指した。

 

 ずれた蓋の下に、押し込まれたスイッチが見える。

 

「オヤスミスイッチ。強制的に意識を切る」

 

 左右田へ電話で確認すると、もう一度スイッチを操作するか、胸のアラームが鳴れば起動するという。

 

「これを押すのと、死ぬのって、どこから違うんだろうね」

 

「今は事件を調べよう」

 

 狛枝が言うと、葦原は一度だけ彼を見た。

 

 胸の時計は電波時計で、犯人にも時刻を変えられない。

 

 建物の時計は、すべて二時間遅らされていた。

 

 九頭龍が弐大を見たのは、建物の時計で午前五時。本当は七時だった。

 

 毎朝七時の太極拳へ向かう弐大だけを起こし、ほかの全員を客室へ残すための細工だった。

 

 犯人は弐大を眠らせ、胸のアラームを七時半に設定する。塔の床を利用して身体を吊り上げ、本人が目覚めて動く力で落下させた。

 

 二人が聞いた衝撃音は、その時のものだった。

 

 連絡エレベーターの配線は、工具でまとめて切られていた。ワイヤーも、偽物のハンマーも、工具も、同じ物がオクタゴンに揃っている。

 

 ストロベリー棟とマスカット棟の間を移動するには、ファイナルデッドルームの先にある秘密通路を使うしかない。

 

 現場にいた全員の視線が、狛枝と葦原へ集まった。

 

「戻ってない」

 

 葦原はすぐに答えた。

 

「でも、私たちならできた。構造も通路も知ってるし、工具がある場所も見た」

 

「葦原さんまで、親切に容疑を増やさなくてもいいのに」

 

「できることを、できないって言ったら、あとで余計に疑われる」

 

「ボクたちは、音がした時には同じ部屋にいたよ」

 

 狛枝が言う。

 

 受話器の向こうで、九頭龍が答えた。

 

『タイマーで落としたなら、その時どこにいたかは関係ねえ』

 

「うん。仕掛けて戻っていればいい」

 

 葦原は否定しなかった。

 

 狛枝も、それ以上は庇わなかった。

 

 彼女は建物の構造を知っている。工具を扱える。全員で死ぬ方がいいと口にしたばかりで、狛枝が眠っている間に部屋を出ることもできた。

 

 狛枝にも、同じことができる。

 

 そして、同じ寝台で眠っていたことは、互いの無実を証明しない。

 

 葦原が犯人なら、絶望だったという記録へ中身ができる。

 

 嫌うための材料になる。

 

 そう考えた一瞬だけ、答えが簡単になったような気がした。

 

 その答えの先で、正しい投票が彼女を処刑へ送る。

 

 胸の内側に生まれた安堵は、すぐに別の恐怖へ裏返った。

 

 彼女に無実であってほしい。

 

 だからこそ、狛枝は自分の判断を信用できなかった。

 

 左右田がエレベーターを直し、ストロベリー棟の三人が合流した。

 

 左右田は弐大の身体を調べ、オヤスミスイッチの蓋にある小さな傷を見つけた。

 

「棒か何かで押したにしちゃ、細けえ傷だな」

 

 田中の外套の中で、何かが動いた。

 

 四匹ともいる。

 

 狛枝は、その小さな爪と、蓋の傷を見比べた。

 

 田中の外套には、昨夜までなかった裂け目もある。

 

 ファイナルデッドルームへ入った時についた傷かもしれない。

 

 それだけで犯人とは決められない。

 

 けれど、田中は弐大の身体を見ても、一度も驚いたふりをしなかった。

 

 捜査終了を告げる声が響く。

 

 狛枝は答えを口にしないまま、地下へ続く昇降機へ乗った。

 

      *

 

 学級裁判では、最初に死の仕組みが確かめられた。

 

 ハンマーは偽物の凶器。

 

 弐大はストロベリー塔から落下し、柱へ激突した。

 

 建物の時計を二時間遅らせたのは、弐大だけを本当の七時に動かすため。

 

 連絡エレベーターを壊した犯人は、オクタゴンの秘密通路で二つの棟を移動した。

 

 そこまでの仕組みは、葦原と七海の説明で繋がった。

 

 残ったのは、誰がそれをしたかだった。

 

「一番怪しいのは、やっぱりオメーら二人だろ」

 

 左右田が狛枝と葦原を見る。

 

「秘密通路を知ってて、工具も見てる。夜は二人だけ。口裏合わせたら何でも言えるじゃねえか」

 

「私を犯人に置くとして」

 

 葦原が言った。

 

「音が鳴る前に仕掛けて部屋へ戻る。狛枝くんが寝てる間ならできる」

 

「キミが眠ったあとなら、ボクにもできるね」

 

「面白がるなよ!」

 

「面白がってはいないよ」

 

 狛枝は笑っていた。

 

 その笑いを、自分でも信じてはいなかった。

 

「でも、ボクたち二人にできるというだけでは、どちらがやったか決められない」

 

「だったら、オヤスミスイッチだ」

 

 日向が言った。

 

「弐大の後ろへ回れないなら、長い棒か何かで――」

 

「予備学科らしい、つまらない発想だね」

 

 裁判場が静かになった。

 

「……何だって?」

 

 日向が狛枝を見る。

 

 長い棒が正しいかどうかは、ほとんど関係なかった。

 

 狛枝の頭に浮かんだのは、ファイルにあった空欄だった。

 

 才能欄――空白。

 

 所属――希望ヶ峰学園予備学科。

 

 才能を持たない日向が、超高校級の生徒たちと同じ場所に立ち、同じ顔で答えを求めている。

 

 葦原を絶望だと切り捨てられない自分の揺らぎより、その事実へ軽蔑を向ける方が簡単だった。

 

「特別賞のファイルに書いてあったんだ。日向クンは希望ヶ峰学園の予備学科。思い出せない才能なんて、最初からなかったんだよ」

 

「狛枝くん」

 

 葦原が名前を呼ぶ。

 

 責める声ではない。

 

 戻る前に決めたことを、覚えているか確かめる声だった。

 

 狛枝は一度だけ彼女を見た。

 

「今、必要な部分だけだよ」

 

 言い訳だということは、自分でも分かっていた。

 

「俺に才能がないことと、推理に何の関係がある」

 

 日向は目を逸らさなかった。

 

「棒じゃないなら、何を使ったと思うんだ」

 

「小さくて、弐大クンが敵だと思わないもの」

 

 狛枝は田中の外套を見た。

 

 暗黒四天王の一匹が、襟元から顔を出している。

 

「彼らなら、蓋の隙間へ爪を掛けられる。身体ごとスイッチへ乗れば、弐大クンの背後へ人が回る必要もない」

 

「我が眷属へ、罪人の刻印を押すか」

 

 田中が低く言う。

 

「刻印じゃねえ」

 

 左右田が答えた。

 

「蓋の傷と爪の大きさは合う。押すことも、多分できる」

 

「ですが、それだけで田中さんが犯人とは――」

 

「もちろん、決められない」

 

 七海が答える。

 

「暗黒四天王が押すことができたとしても、田中くんが全部の仕掛けを作った証拠にはならないよ」

 

「じゃあ、秘密通路だ」

 

 九頭龍が言う。

 

「犯人はストロベリー塔で弐大を眠らせたあと、ストロベリー側の扉のスイッチを壊した。連絡エレベーターも使えねえ。そこからマスカット棟へ回って、塔の床を下げるには、オクタゴンの通路しかない」

 

「そこを通ったのが確実なのは、狛枝と葦原だろ!」

 

 左右田が二人を指す。

 

「犯行より前に、ね」

 

 狛枝は楽しそうに見える声で答えた。

 

「犯人もファイナルデッドルームを突破したんだよ。オクタゴンから工具とワイヤーを持ち出し、建物の仕組みと通路を知った」

 

「突破した人を、モノクマは教えてくれませんね」

 

 ソニアが議長席を見る。

 

「個人情報だからね!」

 

 モノクマが胸を張った。

 

「殺人の挑戦者情報を守る、信頼と実績の学園長です!」

 

「自分の機嫌で範囲変えるくせに」

 

 葦原はモノクマへと言葉を投げ捨てた。

 

「じゃあ、行動から絞るしかない」

 

 そこから先は早かった。

 

 九頭龍は、本当の七時からアラームが鳴るまで、ストロベリー棟二階のラウンジにいた。

 

 左右田が客室から出てきたところは見ている。田中は、アラームが鳴ったあと、階段側から現れた。

 

 豪華な客室は防音で、ラウンジのアラームは聞こえない。

 

 田中が部屋で眠っていたなら、あの時刻に出てくる理由がない。

 

 秘密通路から戻った犯人は、九頭龍がラウンジにいたため客室へ入れなかった。

 

 だからアラームを鳴らし、ほかの者が起きてきた騒ぎへ紛れた。

 

「違うなら教えてくれ、田中」

 

 日向が正面から田中を見る。

 

「五時半、どこからラウンジへ来た?」

 

「沈黙を敗北と読むな」

 

 田中は胸を張ったまま答えた。

 

「貴様らの推論には、最後の穴がある。鋼鉄の守護者は、なぜ俺様の待つ塔へ一人で踏み込んだ?」

 

「毎朝の体操に行ったからだろ」

 

「道が閉ざされているなら、仲間を呼ぶこともできた。奴は愚かではない」

 

 終里が、田中を睨んだ。

 

「弐大が、自分から行ったって言いたいのか」

 

「奴は、俺様の殺気を感じ取った。己の前に立つ敵を見つけ、逃げずに戦いを選んだ」

 

「騙してスイッチ押して、吊ったのが戦いかよ!」

 

「その言葉で、奴を侮辱するな!」

 

 田中の声が、終里の怒鳴り声を断った。

 

 暗黒四天王が、外套から一斉に顔を出す。

 

「奴と俺様は、互いに一切の手加減を禁じた。己が持つ力の全てを使い、生き残るために戦ったのだ!」

 

「オヤスミスイッチもか」

 

「俺様の力は、この身の筋肉だけではない。眷属を従え、獣の習性を読み、敵が立つ地を支配する。それが超高校級の飼育委員たる俺様の全力だ!」

 

 田中は負けるために挑んだのではない。

 

 弐大も、殺されるために塔へ入ったのではない。

 

 どちらが勝っても、生き残った方がこの閉じた場所を終わらせる。

 

 二人は、そのために互いを倒そうとした。

 

「弐大くんも、負けるつもりはなかった」

 

 葦原が田中を見る。

 

「目が覚めてすぐ、拘束を破ろうとした。ドアノブまで引き千切った。それでいい?」

 

「貴様の推論へ答える義務はない」

 

「うん」

 

 葦原は追及しなかった。

 

 終里が、弐大の写真へ顔を向ける。

 

「弐大は、最後まで生きようとしたんだな」

 

「当然だ」

 

「田中、お前も?」

 

「俺様が敗北を望むとでも思ったか」

 

「だったら、なんでオレらに言わなかったんだ!」

 

「言えば止めたであろう」

 

「当たり前だ!」

 

「そして全員で、誰かが先に倒れる時を待ち続ける。それを生と呼ぶ気はない」

 

 ソニアの目から、涙が落ちた。

 

「わたくしたちを生かすため、だったのですか」

 

「俺様の決断を、貴様らへの献身だけで小さくするな」

 

 田中は弐大の写真を見た。

 

「俺様は生きるために戦った。奴も同じだ。勝者がこの檻を破り、残る者を率いる。それだけの契約だった」

 

「結果として、全員は助かった!」

 

 モノクマが議長席で手を叩く。

 

「仲間を生かすために命を張るなんて、まさに希望の塊だよね! その恩人を正しく裁いて処刑するのは、とっても絶望的だけど!」

 

「昨日、同じことを聞いた」

 

 葦原がモノクマを見る。

 

「誰かがみんなを生かすために殺したら、どうするのって」

 

「だから希望の塊だって答えたじゃん!」

 

「殺しても希望。裁けば絶望。そのあと生きようとすれば、また希望」

 

 葦原の声は平らだった。

 

「田中くんと弐大くんが何を選んでも、モノクマの欲しい筋書きに直せる」

 

 狛枝は田中を見た。

 

「それでも、停滞した状況へ二人が道を作ったことは変わらないよ。その死を無意味にしないためにも、ボクたちは正しく犯人を選んで、生き残らないといけない。残るべき希望を――」

 

「今、狛枝くんも同じことしてる」

 

 葦原が、狛枝を見る。

 

「ボクとモノクマが?」

 

「最後に残したいものは逆。でも、二人が決めたことへ、自分の言葉を被せてる」

 

「希望に繋がるなら、何が不満なの?」

 

 狛枝が葦原へ聞く。

 

「田中クンと弐大クンの死を無意味にしないためにも、ボクたちはここで正しく犯人を選ばないといけない。そして生き残った才能が――」

 

「また同じ問答する気?」

 

 葦原は狛枝を見返した。

 

「私はこの仕組みが気に入らない」

 

「使わなければ、ただ失うだけだよ」

 

「だから全員死ねばいいって言ったの」

 

「それに何の価値があるのかな」

 

「それを決めるために、また誰か死ななくていい」

 

「黙れ」

 

 田中が二人を遮った。

 

「俺様と弐大の決闘を、貴様らの言葉を飾る骨へ変えるな。希望も絶望も、他者が俺様へ嵌めるならば首輪にすぎん」

 

 狛枝の笑みが消えた。

 

「希望を、首輪と呼ぶんだ」

 

「名を与えられねば己の道も選べぬ者には、そう見えぬのであろう」

 

 希望という名を拒む、その強ささえ、絶望に負けない希望だと言うことはできる。

 

 何を示されても、最後には希望の一部として取り込める。

 

 それでは、葦原が言ったモノクマの仕組みと、どこが違うのか。

 

 違う。

 

 最後に望むものが違う。

 

 そう答えることはできた。

 

 けれど、それはオクタゴンで一度使った答えだった。

 

「田中さん」

 

 ソニアが涙を拭かずに呼ぶ。

 

「わたくしは、あなたに死んでほしくありません」

 

「ならば全力で俺様を裁け。誤った情けで全員の命を捨てれば、弐大の戦いまで無に帰す」

 

「それでもです」

 

「貴様が望むことと、俺様が進む道は別だ」

 

 投票装置が、それぞれの前へ現れた。

 

 狛枝は田中の名へ指を置く。

 

 田中は仕掛けを作り、弐大が落ちた瞬間にはそばにいなかった。

 

 最後に落下を起こしたのは、目覚めた弐大自身の動きだった。

 

 それでも、黒は田中になる。

 

 仕掛けを作った者と、死の瞬間に手を下す者は、同じでなくてもいい。

 

 本人が選んだつもりのない動作へ、殺人の結果だけを結びつけることもできる。

 

 狛枝には、未来機関の一人が誰か分からない。

 

 葦原であってほしいという願いが混ざる以上、自分で見極めることもできない。

 

 ならば、自分ではなく――。

 

「狛枝くん」

 

 隣から名前を呼ばれ、思考が止まった。

 

 葦原は投票装置へ手を置いたまま、こちらを見ている。

 

 いつもより長く黙っていたことに気づいたらしい。

 

「間違えないで」

 

「分かっているよ」

 

 狛枝は田中眼蛇夢へ票を入れた。

 

      *

 

 田中は、処刑場へ引かれる直前まで胸を張っていた。

 

「さらばだ、愛しき怨敵どもよ!」

 

 田中は処刑場へ引かれる直前まで、胸を張っていた。

 

「俺様の眷属に、貴様らの湿った感傷を与えるな。奴らは破壊神だ!」

 

「田中さん!」

 

 ソニアが手を伸ばす。

 

 暗黒四天王は田中の外套へしがみついたまま、処刑場へ消えた。

 

 モニターへ、乾いた大地が映る。

 

 地平線の向こうから、無数の動物が砂煙を上げて迫っていた。

 

 田中は地面へ棒で魔法陣を描く。四匹を円の外にある岩陰へ移し、自分だけが中央へ立った。

 

 両手を合わせる。

 

 光は出ない。

 

 動物の群れが、田中の身体を呑み込んだ。

 

 ソニアが小さく息を吸う。

 

 砂煙が晴れたあと、地上に田中はいなかった。

 

 岩陰から出た四匹の上を、翼を持つ動物たちが空へ昇っていく。

 

 最後まで大げさな処刑映像の中で、四匹だけが生きていた。

 

 モニターが暗くなる。

 

 モノクマの声とともに、裁判場の床へ、小さな籠が下ろされた。

 

「ハムスターはお仕置き対象外だからね!ボクってばやさしーい」

 

 ハムスターが中で身を寄せ合っている。

 

 ソニアが籠を抱き上げた。

 

「破壊神暗黒四天王です」

 

 涙で声を震わせながら、モノクマへ言う。

 

「ハムスターさんではありません」

 

「そこ訂正するんですね」と左右田が呟いた。

 

「田中さんから託された、大切な破壊神暗黒四天王さんです!」

 

「別に託しては――」

 

「託されました!」

 

 モノクマが言い終える前に、ソニアが断言した。

 

 終里が籠へ顔を近づける。

 

「食わねえから、安心しろ」

 

 四匹が一斉に籠の反対側へ逃げた。

 

「なんで逃げんだよ」

 

「日頃の行いだろ」と九頭龍が言う。

 

 誰も笑いきれなかった。

 

 それでも、処刑後の裁判場に、人の声が少しだけ戻った。

      *

 

 いつの間にか気を失い、起きた時には外だった。

 遊園地にある列車に乗っていた。

 

「約束どおり、コロシアイが起きたので解放しまーす!」

 

 モノクマが車掌帽を振る。

 

 その後駆け込んだレストランには、温かいスープ、パン、米、肉、果物が並んでいた。

 

 終里は椅子へ座る前に肉へ手を伸ばす。

 

「待て!」

 

 左右田が皿を遠ざけた。

 

「何日も食ってねえ後に、いきなりそれだけ入れたら腹壊すぞ! まずスープ!」

 

「オメー、もうパン食ってんじゃねえか」

 

 九頭龍が左右田の皿を見る。

 

「これは安全確認だ!」

 

 終里は左右田が見ていない間に肉を一切れ取り、丸ごと口へ入れた。

 

「噛め!」

 

「噛んだ」

 

「一回じゃ噛んだうちに入らねえ!」

 

 日向は自分のスープを飲みながら、久しぶりに聞く騒がしさへ息を吐いた。

 

 空席がまた増えている。

 

 騒がしさが、それを埋めるわけではなかった。

 

 ソニアは暗黒四天王へ、パンを小さくちぎって与えていた。

 

「こちらはお召し上がりになりますか?」

 

「ハムスターに塩気のある物はやめた方がいいんじゃねえか?」

 

 左右田が言う。

 

「破壊神です」

 

「種類の話です、ソニアさん」

 

「果物を少しにしよう」

 

 七海が林檎を細く切る。

 

「ゲームでも、小動物の餌は好感度に影響するからね」

 

「現実の生き物で試すなよ」と日向が言った。

 

 一匹が林檎を受け取る。

 

 ソニアは泣きそうな顔で笑った。

 

 空席は、また二つ増えていた。

 

 食べ物が並んでも、その場所だけは埋まらない。

 

 狛枝の前にあるスープは、ほとんど減っていなかった。

 

 絶望の残党が、二人の死によって生かされている。

 

 そう考えると、口へ入れる物がすべて、誰かの命から作られたように見えた。

 

 葦原がパンを狛枝の皿へ置く。

 

「食べないの?」

 

「食欲が追いつかなくてね」

 

「身体は必要としてる」

 

「キミは、まだボクの身体を直す担当なのかな」

 

「今は食べさせる担当」

 

「ずいぶん役割が増えたね」

 

「食べないなら、口に入れるけど」

 

 左右田の手が止まった。

 

「また始まったぞ」

 

「何が?」

 

「本人らに自覚ねえやつだよ!」

 

「今はある」

 

「あるのかよ!」

 

 狛枝は皿のパンを手に取った。

 

「自分で食べるよ」

 

「うん」

 

 一口噛む。

 

 隣で葦原がスープを飲んでいる。

 

 同じ絶望の残党という分類へ、彼女を入れることはまだできなかった。

 

 けれど、彼女に食べろと言われたから食べたという事実だけは、分類し直す必要もなかった。

 

 残りのパンも、狛枝は口へ運んだ。

 

「狛枝」

 

 向かい側から、日向が呼ぶ。

 

「さっきのファイル、俺のこと以外に何が書いてあった」

 

 食卓の音が止まった。

 

「この建物を出る役には立たない、って言ってたよな。それでも俺たちのことが書いてあるなら、見せろ」

 

「今、知りたい?」

 

「当たり前だ」

 

「今は駄目」

 

 答えたのは葦原だった。

 

 日向が眉を寄せる。

 

「隠す気か?」

 

「全員、まだ頭がまともに動いてない。食べて、寝て、明日の朝。ファイルをどう扱うか、全員で決める」

 

「逃げんなよ」

 

 九頭龍が言う。

 

「逃げない」

 

「狛枝もだ」

 

 日向の視線が狛枝へ移る。

 

「ボクが逃げたら、葦原さんが追ってくるんじゃないかな」

 

「追うよ」

 

 葦原は冗談にしなかった。

 

 狛枝も、その話し合いに従うとは約束しなかった。

 

 その違いに気づいたのか、葦原がこちらを見る。

 

 何も言わず、残ったスープを飲み切った。

 

      *

 

 食事が終わる頃には、外が暗くなっていた。

 

 誰も一人で部屋へ戻ろうとしない。

 

 ソニアは暗黒四天王の籠を抱え、終里はそのすぐ後ろを歩いた。左右田は、弐大の身体を回収できないか、モノミへ聞き続けている。

 

 狛枝が自分のコテージへ向かうと、葦原も曲がり角を変えずについてきた。

 

「自分の部屋へ戻らなくていいの?」

 

「狛枝くんの部屋に行く」

 

「今日は質問じゃないんだ」

 

「嫌なら戻る」

 

 葦原は立ち止まらない。

 

「嫌だとは言っていないよ」

 

「じゃあ行く」

 

「決まるのが早いね」

 

 コテージの中には、連れ去られる前の物がそのまま残っていた。

 

 ベッドの横には、以前、葦原が使った椅子もある。

 

 狛枝が椅子の背へ触れる。

 

「キミが寝るなら、ベッドを使っていいよ。ボクはここでも――」

 

「今日は一緒に寝る」

 

 狛枝の手が止まった。

 

「椅子を二つ並べる、という意味ではないよね」

 

「ベッドで」

 

「一つしかないけど」

 

「知ってる」

 

 葦原はベッドの片側へ腰を下ろした。

 

「ファイルを見張りに来たの?」

 

「それもある」

 

「それも?」

 

「狛枝くんも、一人にしたくない」

 

 答えてから、靴を脱ぎ、壁側へ身体を移す。

 

 狛枝が入れるだけの場所を、最初から空けていた。

 

「オクタゴンで読んだことは、消えていないよ」

 

「うん」

 

「ボクがキミをどう見るかも、まだ決めていない」

 

「それも聞いた」

 

「同じ寝台へ入れば、何かが決まると思ってる?」

 

「思ってない」

 

 葦原は枕を半分だけ空けた。

 

「今日は二人とも生きて戻ったから、一人で寝たくないだけ」

 

「ボクでいいの?」

 

「狛枝くんがいい」

 

 以前、一緒に死ぬ相手として選ばれた時と同じ答えだった。

 

 今度は、生きて戻った夜に選ばれている。

 

 狛枝は椅子から手を離した。

 

 上着を脱ぎ、ベッドの反対側へ入る。

 

 二人の間には、腕一本分の隙間が残った。

 

「近すぎたら言って」

 

 葦原が言う。

 

「キミから近づいたのに?」

 

「同じベッドにしたかった。距離はまだ決めてない」

 

「相変わらず、分類が細かいね」

 

 狛枝が仰向けになる。

 

 葦原も同じ向きで天井を見た。

 

 しばらくして、寝具の上を葦原の手が動く。

 

 狛枝の手へ触れる一歩手前で、止まった。

 

「そこは聞くの?」

 

「今日は、勝手にしたくない」

 

「いいよ」

 

 葦原の指が重なる。

 

 手を繋いでも、二人の間の隙間は残った。

 

「明日になったら、ボクはもっとキミを嫌うかもしれない」

 

「その時は、明日聞く」

 

「今夜だけ保留?」

 

「狛枝くんも、まだ決めてないんでしょ」

 

「そうだね」

 

「じゃあ、今は寝る」

 

 葦原が目を閉じる。

 

 ファイルに書かれた絶望は消えていない。

 

 田中を正しく裁き、処刑へ送った事実も消えない。

 

 未来機関の一人だけを残すなら、ほかの全員を取り除かなければならない。

 

 誰がその一人か、自分には分からない。

 

 葦原であってほしい。

 

 その願いがある限り、狛枝自身が選ぶ答えは信用できない。

 

 裁判で途切れた考えが、もう一度戻ってくる。

 

 仕掛けた者と、最後に結果を起こす者は、同じでなくてもいい。

 

 本人が選んだつもりのない動作へ、殺人の結果だけを結びつけることもできる。

 

 自分で一人を選べないなら、選ぶ部分だけを自分の外へ出せばいい。

 

 それはまだ、方法ですらなかった。

 

 何を使えば、そんな仕組みを作れるのかも分からない。

 

 ただ、田中の事件で見た原理だけが、消えずに残った。

 

 繋いだ指へ、葦原が少しだけ力を入れた。

 

「また、いなくなること考えてる?」

 

 目は閉じたままだった。

 

「どうして?」

 

「手が遠くなった」

 

 狛枝は、いつの間にか緩めていた指を握り直した。

 

「今夜は行かないよ」

 

「朝は?」

 

「朝になったら、ファイルをどうするか決めるんでしょう?」

 

「質問で返さないで」

 

 葦原が目を開ける。

 

 狛枝は少し笑った。

 

「朝まではいるよ」

 

 その先は約束しない。

 

 ずっといるとも、彼女を殺さないとも、彼女だけは助けるとも言えなかった。

 

 葦原はしばらく狛枝を見ていたが、それ以上は聞かなかった。

 

「なら、いい」

 

 目を閉じ直す。

 

 繋いだ手の温度は、絶望という記録と同じくらい確かだった。

 

 どちらか一つを選ぶ代わりに、狛枝は明かりを消した。

 

 暗闇の中で、腕一本分あった隙間だけが、眠るまでに少し狭くなった。

 

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