希望と絶望は、不幸と幸運に似ている。   作:an-ryuka

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2.

 

モノクマの笑い声が残る場で、十神が手を叩いた。

 

ぱん、と乾いた音がして、騒ぎがほんの少しだけ止まった。

 

「騒ぐな。感情的に喚いても状況は変わらん」

 

「テメーは落ち着きすぎなんだよ!」九頭龍が噛みつく。「殺し合いしろって言われてんだぞ!」

 

「だからこそだ。全員がバラバラに動けば、相手の思うつぼになる」

 

十神はモノクマを睨んだまま、低く言った。

 

「今日は各自コテージに戻れ。鍵をかけて休め。明日の朝、レストランに集合する。そこで改めて情報を整理する」

 

「寝ろって言うのかよ、この状況で!」

 

左右田が叫ぶ。

 

「休めと言った。眠れるかどうかは知らん」

 

「暴君でちゅうううう!」

砂まみれのウサミがよろよろと起き上がった。

「でも、でも、みなさん! 殺し合いなんてしちゃダメでちゅ! あちしが何とか――」

 

「はいはい、モノミちゃんは黙っててね」

 

モノクマがもう一度ウサミを転がした。

 

モノミ。

 

 さっきまでウサミだったものを、モノクマは当たり前のように別の名前で呼んだ。

 

 空だけが、何事もなかったように明るさを取り戻していく。

 白い砂、透明な海、風に揺れるヤシの葉。ついさっきまで綺麗だと思っていたものが、左右田には急に設計じみて見えた。

 

 仲間を殺せば帰れる。

 そんな言葉を聞かされた直後に、誰かと一緒にいるのも、一人になるのも嫌だった。

 

「とにかくだ。今夜は各自のコテージへ戻れ」

 

 最初に場を動かしたのは十神だった。

 

「出入口には鍵がある。施錠し、朝まで不用意に外へ出るな。明朝七時、全員レストランに集合だ。来ない者がいれば、複数人で確認へ行く」

 

「勝手に仕切ってんじゃねーよ」

 

 九頭龍が低く吐き捨てる。

 

「俺に従う義務がないと言いたいなら、好きにしろ。ただし、明日の朝に姿がなければ、最初に疑われるのはお前だ」

「脅してんのか?」

「起こり得ることを教えてやっただけだ」

 

 九頭龍の眉間に皺が寄る。その一歩後ろで、辺古山は竹刀袋へ手を添えたまま動かなかった。

 

「十神の言う通りだよ。今はみんな、頭がごちゃごちゃしてるでしょ? 話すなら少し休んでからにしよう」

 

 小泉が間へ入ると、九頭龍は舌打ちして先に歩き出した。辺古山は何も言わず、その背を追った。

 

「あの、あちし……」

 

 片耳を潰されたモノミが、おずおずと前へ出る。

 

「本当に、ごめんなちゃい。あちしがもっとしっかりしていれば……」

「泣いて済むなら、あの熊をどうにかしてよ」

 

 西園寺の声に、モノミは小さな身体をさらに縮めた。

 

「日寄子ちゃん、今それ言っても仕方ないでしょ」と小泉が窘める。

「だって、あいつの仲間かもしれないじゃん」

「ち、違いまちゅ! あちしはミナサンに、らーぶらーぶしてほしくて……!」

「それ、今はやめた方がいいと思うよ」

 

 七海が静かに言うと、モノミは両手で口を塞いだ。

 

「誰も殺さなければいい。それだけの話だよ」

 

 狛枝の声は穏やかだった。

 

「こんな絶望的な誘いに、みんなが負けるはずないんだからさ」

 

 十神がその言葉を引き取る。

 

「そういうことだ。今夜は余計な行動をするな。解散する」

 

 ばらばらと人が動き出した。

 

 左右田もコテージのあるホテルへ向かった。ソニアが歩き出したのが気になり、そちらへ寄ろうとする。だが、数歩進んだところで、見慣れた姿が視界の端から消えた。

 

 葦原だ。

 

 ついさっきまで列の最後にいたはずなのに、皆とは反対側へ向きを変えている。

 

「おい!」

 

 左右田が呼ぶと、葦原は普通に足を止めた。こっそり抜けるつもりすらなかったらしい。

 

「どこ行くんだよ」

「島の方」

「寝ろって言われただろ!」

 

 葦原は左右田の顔を見て、少し首を傾けた。

 

「左右田も寝られない?」

「なんでそうなるんだよ!」

「それなら、もう一回飛行機見たいんだけど」

 

「今から!?」

「うん」

「殺し合いって言われた直後だぞ!?」

「部屋に入ったところで寝られないし」

「それはそうだけどよ!」

 

「寝た後、起きた時に、それが今の自分と連続してるか分かんないじゃん」

 

左右田が固まった。

 

日向も、少し離れたところで足を止めた。

 

葦原の声は、特に震えていなかった。怖がっているようにも見えなかった。ただ、寝るという行為に含まれる一瞬の断絶を、他人より少し真面目に見てしまっているようだった。

 

「……お前、怖ぇこと言うなよ」

「怖い?」

「怖ぇよ!」

「そう」

 

葦原は自分の手の中の鍵を見て、指先で回した。

 

「エンジンなしでも、そこら辺の設備引っこ抜いて組み替えて、代わりにできないかな」

 

「……」

 

左右田の目が、ほんの少しだけ変わった。

 

日向にも分かった。怖さの中に、機械に触れる時の集中が混じったように見えた。

 

「実際に飛んだとして、ウサミが……いや、今はモノクマか。モノクマが止めに来るか」

 

「来るだろ、普通に」

 

そう言いつつも、左右田は顎に手を当てた。

日向は、嫌な予感がした。

 

「左右田、お前まさか行く気か?」

「行かねーよ! 行かねーけど、理屈としては気になるっつーか……」

「行くんだね」

七海が眠そうに言った。

 

「行かねーって言ってんだろ!」

「でも目が行く時の目だよ」

「どんな目だよ!」

 

狛枝が近づいてきた。

 

「二人だけで行くのは危ないんじゃないかな」

 

左右田が身構えた。

 

「お前も来るとか言うなよ」

 

「ボクが行っても役には立たないよ。ただ、夜に外を歩く理由をモノクマに与えるのは、あまり得策じゃないと思っただけ」

 

「じゃあ止めろよ、こいつを!」

 

狛枝は葦原を見た。

 

「葦原さん、明日じゃダメなの?」

「今見たい」

「そっか」

「納得すんな!」

 

左右田が叫んだ。

 

狛枝は困ったように笑った。

 

「でも、眠れないのに部屋へ押し込めても、あまり意味はないかもしれないし」

 

「意味はあるだろ! 安全とか!」

「安全って、今この島でどのくらい保証されるんだろうね」

 

左右田は口を開きかけて、閉じた。

 

その会話を、十神が聞き逃すはずもなかった。

「何をしている」

重い声が降ってきた。

 

左右田の背筋が伸びる。

 

「いや、これは、その、あれだ」

「葦原がまた勝手に動こうとしているのか」

 

葦原は十神を見た。

 

「飛行機を見るだけ」

「見るだけで済む顔ではないな」

「顔で判断するの、非合理じゃない?」

「お前の場合は行動実績で判断している」

「まだ会って一日も経ってないよ」

「十分だ」

 

十神は短く切った。

 

「今日は戻れ。明日、全員の前で調査方針を決める。今は統制を乱すな」

 

葦原は少し考えるように黙った。

 

「飛ぶのに必要な出力を作れれば、元のエンジンじゃなくていいでしょ」

 

「話聞いてんのか!? それに、重量も燃料も推力も全部合わせなきゃなんねーんだぞ。発電機何個か積んで回るような話じゃねえ」

 

「じゃあ飛行機は保留。船なら?」

 

 左右田は口を閉じた。

 

 島には金属板も配管も、動いているポンプもある。浮力を確保するだけなら、空のタンクや密閉した容器を組み合わせられるかもしれない。推進機構は別に必要だが、飛行機を一から飛ばすよりはまだ現実的だった。

 

「……船体に使えるもんが足りねえ。波に一発やられて終わるようなの作っても、自殺と変わんねーぞ」

「人を乗せる前に、無人で流せばいいよ。ロープつけて、どこまで行けるか見る」

「潮に流されるだけだろ」

「島から一定距離で消えるとか、壁に当たるとか、何か分かるかも」

 

「壁?」

 

「島から離れたところは作ってない可能性」

 

 左右田は眉を寄せた。

 

 昼間なら、また突拍子もない話だと切り捨てていた。だが、空の色を一瞬で変え、喋るぬいぐるみが別のぬいぐるみを変形させ、殺し合いを命じたばかりだ。

 

 この島の方が、葦原の仮説へ無理やり近づいている。

 

「仮に何かあったとして、モノクマが止めに来るだけじゃねーの」

「それも結果じゃない? どこから止めるか分かる」

 

その時、コテージの屋根の上から声がした。

 

「コラー! 壊すのはダメだって、しおりにも書いてあるでしょ!」

 

モノクマがいた。

 

いつの間にか、屋根の端に腰かけている。白黒の体が照明を受けて、看板みたいにくっきり浮かんでいた。

 

「出たあああああ!」

 

左右田が日向の後ろに半分隠れた。

 

「隠れる相手が俺なのかよ!」

 

「だって女子の後ろに隠れたらカッコわりぃだろ!」

 

「そういう問題か!?」

 

葦原は屋根を見上げた。

 

「壊さないよ。分解」

 

「同じでしょ!」

 

「違う。使って、借りて、元に戻せば壊してない」

 

「屁理屈だなあ。設計士ってみんなそうなの?」

 

「知らない。私はそう」

 

「うぷぷぷ。まあ、やってみればー? オマエラが望んでたものが見られるかは知らないけどね」

 

その言い方に、日向はぞっとした。

 

モノクマは止めない。止めないが、先に釘だけを刺す。まるで、こちらがどこまで足掻くかを見物するつもりでいるみたいだった。

 

十神の目が鋭くなる。

 

「挑発に乗るな」

「乗ってない」

 

葦原はあっさり言った。

 

「今の発言で、見ても致命的な罰はなさそうって分かった」

「そういう拾い方すんな!」

 

左右田が頭を抱える。

 

「やるにしても明日だ、明日! 工具もねーし、暗いし、俺はもう無理!」

「左右田、寝れるの?」

「寝れなくても部屋に入るんだよ!」

「そっか」

 

 葦原はあっさり頷いた。

 

 十神が全員をもう一度コテージに戻らせた。

 モノクマは屋根の上でしばらく笑っていたが、飽きたように姿を消した。

 

 左右田が歩き出す。

 だが、足音がついてこない。

 

「……お前は?」

「もう少し外見てる」

「十神の話聞いてたか? 一人でうろつくなって言ってただろ」

 

「うん」

「じゃあ戻れよ!」

 

 葦原は、灯りのついたコテージを見た。

 

「みんなが寝て、起きるの確認してから寝る」

「なんだそりゃ」

 

「ここがデータなら、寝た時に一回切られるかもしれない。朝起きたのが、今の私と同じ記憶を持ってるだけの別の私でも、外からは分かんないでしょ」

 

 左右田は一瞬、言葉を失った。

 

「……んなわけあるか」

「うん。ないかもしれない」

「だったら寝ろ」

「他の人で確認できるなら、先に確認した方がいい」

 

 平坦な声だった。

 

 昼間、浜辺で固まっていた葦原を思い出す。

 本人は仮説の一つとして並べているつもりなのだろう。けれど左右田には、それだけで一晩眠らない理由になる程度には、葦原がその可能性を怖がっているように見えた。

 

「一晩ずっと起きてんのかよ」

「一晩くらい平気」

 

「平気じゃなかったら、明日ソニアさんの前でぶっ倒れんなよ。オレまで面倒見てねえみたいになるだろ」

「左右田は面倒見てないよね?」

「今まさに見てんだよ!」

 

 怒鳴ると、葦原は少しだけ笑った。

 

「ありがと。おやすみ」

 

 そこで礼を言われると、これ以上怒鳴りづらい。

 

「……勝手にしろ。朝、絶対レストラン来いよ」

「うん」

 

 左右田は何度か振り返りながら、自分のコテージへ戻った。

 

 最後に見たときも、葦原は道の中央に立ったまま、並んだコテージの灯りを見ていた。

 

     *

 

レストランには、焼いたパンとコーヒーの匂いが満ちていた。

 

花村がいつの間にか厨房を掌握していたらしい。皿にはスクランブルエッグ、サラダ、果物、スープが並んでいる。殺し合いをしろと言われた翌朝にしては、あまりにもまともな朝食だった。

 

「食事は心の防波堤だからね。どんな嵐の前でも、温かいスープは人間を人間に戻してくれるんだ」

 

花村はそう言って、スープを配った。

 

「余計なもん入れてねーだろうな」

 

九頭龍が睨む。

 

「愛情以外は入れてないよ」

 

「その愛情を抜け」

 

「厳しい!」

 

終里はもう三皿目に入っていた。

 

「これうめーな! おかわり!」

 

「終里さん、噛んで食べてください!」弐大が隣で腕を組む。「食事もトレーニングじゃあ!」

 

「噛むのもトレーニングか?」

 

「そうじゃあ!」

 

澪田はスプーンをマイクのように持っていた。

 

「朝食ライブっすねー。曲名は『殺し合いとか言われたけどスープうまい』」

 

「不謹慎だよ」と小泉が言いながらも、少しだけ笑った。

 

西園寺は小泉の隣にぴったり座っている。

 

「真昼おねぇの近くが一番マシ」

 

「はいはい。ちゃんと食べな」

 

罪木はスープの器を持つ手を震わせていた。

 

「あ、あの、毒見とか必要でしょうか。私、保健委員なので、もし誰か倒れたら、その、でも私なんかが触ったら悪化するかもしれなくて」

 

「毒なんか入ってないよ!」花村が悲鳴を上げる。

 

「では、わたくしが一口いただきます」

 

ソニアが堂々とスプーンを取った。

 

「ソニアさん!? ダメです、危険です! 俺が先に!」

 

「左右田さん、毒見とは本来、身分ある者の前に臣下が行うものです」

 

「じゃあ俺が臣下になります!」

 

「軽いなあ」と七海が呟いた。

 

田中は黒いパンを手に取り、しばらく睨み合っていた。

 

「この黒き塊、暗黒物質に見せかけた小麦の集合体か」

 

「普通のライ麦パンだよ!」

 

花村が笑って答える。

 

「ならば食らってやろう。我が四天王よ、刮目せよ」

 

辺古山は食事にあまり手をつけず、レストランの入口や窓を確認していた。九頭龍が「見張りかよ」と小さく言うと、「習慣です」とだけ返した。

 

日向は席に座りながら、全員の顔を見た。

 

誰も平気ではなかった。

 

それでも、食べる者は食べるし、怒る者は怒るし、ふざける者はふざける。人間は意外と、恐怖だけでは一色にならないらしい。

 

「これで全員だな」

 

十神はレストラン中央に立った。

 

「まず、俺がリーダーになる」

 

「いきなり結論から来たな」

 

九頭龍が鼻で笑う。

 

「異論があるなら代案を出せ。全員をまとめ、情報を整理し、無駄な混乱を抑えられる者が他にいるなら譲ってやる」

 

誰もすぐには手を上げなかった。

 

小泉が渋々という顔で言う。

 

「まあ、今は誰かが仕切った方がいいとは思う」

 

「わたくしも賛成いたします」とソニアが頷いた。

「俺は気に食わねー」と九頭龍は言った。「けど、勝手にしろ」

 

「決まりだな」

 十神は当然のように頷いた。

 

 十神が話を始めた。

 

 食料と水は当面尽きそうにない。各コテージの鍵は個別で、持ち主以外が開ける手段は今のところ見つかっていない。島外と通信する設備はなく、海を渡る乗り物も使えない。

 

 順番に報告が進み、空港の話になる。

 

「飛行機は何機もあったけど、全部エンジンが抜かれてた。しかも外した跡まで妙に綺麗だった」

 

 左右田が説明する。

 

「修理は可能なのか?」と十神が聞く。

「エンジンそのものがねえんだぞ。代用品を一から組むにしても、部品も工具も足りねえ」

「船は?」

「今の材料じゃ、人を乗せて海へ出せるようなもんは作れねえ。無人で何か浮かべて、島の外を探るくらいなら……まあ、考えられなくはねえけど」

 

 左右田が最後だけ渋々付け足すと、葦原がグラスから顔を上げた。

 

「昨日より前向き」

「誰のせいで夜中に考えさせられたと思ってんだ!」

 

「夜中?」と小泉が眉を上げる。

 

「こいつ、寝ろっつってんのに船作るとか言い出して――」

「その話はあとだ」

 

 十神が切った。

 

「葦原。お前は建物を調べていたな。何が分かった?」

 

 葦原は答えるまでに少し間を置いた。

 

「建物が気持ち悪い」

 

「それ報告?」

 

 西園寺が呆れた声を出した。

 

「感想ではなく、具体的に話せ」と十神も言う。

 

「表から見えるところと、裏側で設計の流れが違う。裏は私の作り方に似てる。機械は、人が組んだときに出る差がなさすぎる」

 

「つまり、お前がこの島を作ったのか?」

「分かんない」

 

「可能性を聞いている」

「似てるだけで、私が作った証拠はない。説明がつく仮説なんていくらでも作れる。だから、今分かったこととして言えるのは、気持ち悪い、まで」

 

 十神が黙る。

 

 葦原は眠そうな顔のまま、そこだけは譲らなかった。

 

「再現されたマップみたいなもの?」

 

 隣で七海が聞く。

 

「うん。それなら近い」

 

「なんでオレらの修学旅行に、お前の設計図が使われてんだよ」と左右田が言う。

「それが分かんないから気持ち悪い」

 

 話が元へ戻った。

 

 狛枝だけが、少し楽しそうに二人のやり取りを見ている。

 

「結論の出ない話は保留だ」

 

 十神が全員を見渡した。

 

「次に、今後の行動を決める。モノクマの狙いは、俺たちを疑心暗鬼にして孤立させることだ。ならば逆を行く」

 

「逆って?」と日向が聞く。

 

「今夜、全員参加のパーティーを開く」

 

 一瞬の沈黙のあと、左右田が素っ頓狂な声を上げた。

 

「パーティー!?」

「昨日あんなこと言われたばっかだぞ!」

「だからだ。全員を一か所に集め、互いに一人ではないと確認する。食事をし、話をする。殺人を企む余地も与えん」

 

「場所はどこにするの?」と小泉が尋ねる。

「ホテルから離れた旧館だ。出入口が限られ、全員を見渡せる。俺が事前に危険物を確認する」

 

「料理なら僕に任せてよ!」

 

 花村が勢いよく立ち上がる。

 

「みんなの不安も舌も、一晩でとろっとろにしてあげるからさ!」

「舌以外をとろとろにしようとしたら潰すからね」

 西園寺が笑顔で言い、花村は「料理の話だよ!」と両手を振った。

 

「音楽は唯吹にお任せあれ! 殺伐空間を爆音で木っ端みじんっす!」

「建物まで木っ端みじんにするな」と十神が返す。

 

「宴か……。我が眷属どもへ捧げる供物があるなら、出席を検討してやらんこともない」

 

 田中が腕の中のハムスターを撫でる。

 

「田中さんもご参加くださるのですね。わたくし、楽しみです!」

「フハハハ! 闇の王を招く覚悟があるならばな!」

 

「ソニアさん、オレも参加しますよ! 隣空けときますから!」

「全員参加だっつってんだろ」と日向が言った。

 

 僅かだが、笑いが起きた。

 

 昨夜の浜辺では出なかった笑いだった。

 

「俺は行かねえぞ」

 

 九頭龍だけが席を立つ。

 

「群れて安心した気になりたきゃ、勝手にやってろ」

「参加は全員だと言ったはずだ」

「知るかよ」

 

 十神と九頭龍の視線がぶつかる。

 

「無理に閉じ込めたら、それこそ揉めるだけじゃない?」と七海が言った。「来るかどうかは、本人に決めてもらうしかないと思うよ」

 

 九頭龍はそのまま店を出ていった。

 辺古山の視線が背中を追ったが、席は立たなかった。

 

「残りは準備を分担する。花村は料理。狛枝は旧館の清掃を担当しろ」

 

「ボクで役に立てるなら、喜んで」

 

 狛枝は柔らかく笑った。

 

「小泉とソニアは花村を補助。弐大と終里は重い物を運べ。左右田は照明と電源設備を確認しろ。日向は全体を回って、不足があれば補助しろ」

 

「オレ、便利屋じゃねーんだけど……」

「超高校級のメカニックが電気も見られんのか?」

「見られるに決まってんだろ!」

 

 まんまと乗せられている。

 

 十神がほかの担当を決めている間、葦原は席を立った。

 

「どこへ行く」

「寝てくる」

 

 十神が眉を寄せる。

 

「話はまだ終わっていない」

「報告は聞いた。夜までには起きる」

 

「葦原さん、もしかして具合が悪いんですかぁ?」

 

 罪木が心配そうに立ち上がった。

 

「眠いだけ。みんな、寝て起きても同じだったんだね」

 

 店内が静かになった。

 

「……お前、まさか本当にずっと起きてたのか?」

 

 左右田が聞く。

 

「うん。今から寝てくる……」

 

 最後の方は、ほとんど息だけだった。

 

 葦原はそれ以上説明せず、ふらつきもしない足取りで店を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 小泉が真っ先に左右田を睨んだ。

 

「あんた、知ってたの?」

「知ってたっつーか、寝ろとは言ったぞ! あいつが言うこと聞かなかったんだよ!」

「だからって一人で放っておいたの?」

「オレはあいつの保護者じゃねえ!」

 

「一晩眠らん程度で倒れるようでは、鍛錬が足りんぞ!」

 

 弐大が豪快に言い、罪木が慌てて首を振った。

 

「個人差がありますし、強い緊張が続いたあとですからぁ! 睡眠不足で判断力が落ちたら、危険なことも……」

 

「本人も、それは分かっていたんじゃないかな」

 

 狛枝が口を挟んだ。

 

「分かっていても、確認せずには眠れなかった。葦原さんにとっては、そういう問題だったんだと思うよ」

 

「昨日ちょっと話しただけのくせに、分かったように言うなよ」

 

 左右田の声が尖る。

 

「そうだね。ボクが知っているのは、彼女が分からないままにするのを嫌うってことくらいだよ」

 

「それだけなら全員知ったよ。うるさいくらい見せられたもん」

 

 西園寺が料理をつつきながら言った。

 

「でも、寝たら別人になるかもって、ちょっとゲームっぽい考え方だね」

 

 七海が呟く。

 

「ログアウトして、次に同じセーブデータをロードしても、それを同じプレイヤーと言えるか、みたいな」

「七海まで変なこと言うなよ……」と日向は返した。

「変かな?」

「朝から考えるには重い」

 

「どのみち、今の俺たちに確かめる手段はない」

 

 十神が会話を切り上げた。

 

「今夜、あいつにも参加させる。それまで寝かせておけ。準備を始めるぞ」

 

 皆が席を立ち始める。

 

 日向は左右田と並んで、旧館へ運ぶ椅子を持ち上げた。

 

「葦原とは、昔からあんな感じなのか?」

「あんなってどれだよ」

「分からないと、眠らずに調べ続けるところ」

 

「……程度は違うけどな」

 

 左右田は椅子の脚を持ち直した。

 

「昔から、答え出るまで同じとこ延々いじってた。けど普通は機械とか建物の話だ。自分が朝も自分か、なんて言い出したのは初めて見た」

「怖かったんじゃないか?」

「あいつが?」

 

 左右田は鼻で笑おうとして、やめた。

 

「……だから面倒なんだよ。怖いなら怖いって言えばいいのに、可能性がゼロじゃないだの、確認方法がどうだのに変えやがる」

 

「言ったところで、信じなかっただろ?」

 

「当たり前だ!」

 

「じゃあ、言い方の問題じゃないんじゃないか?」

 

 左右田がぎろりと睨んだ。

 

「昨日会ったばっかのくせに、妙にあいつの肩持つな」

「持ってない。ただ、左右田は嫌いって言う割に、葦原の言い方をずいぶん分かってるんだなと思って」

 

「同じ中学で何年も被害に遭ってりゃ分かるんだよ!」

 

 左右田の声が朝のホテルに響いた。

 

 少し前を歩いていた澪田が振り返る。

 

「おやおやー? また青春イベントの作動音が!」

「鳴ってねえっつってんだろ!」

 

 昨夜から初めて、左右田はいつも通りの調子で怒鳴った。

 

     *

 

 罪木蜜柑は最初、葦原が診察を受けに来たのだと思った。

 

 昼を大きく過ぎた頃、レストランの片隅で救急箱の中身を確認していると、葦原が正面の席へ座った。朝より目の焦点が合っている。片側の髪だけ妙な方向へ跳ねていたが、本人は気にしていないらしい。

 

「あ、葦原さん。おはようございますぅ。お身体は大丈夫ですか?」

「おはよう。肉体的におかしいところない?」

 

「ど、どこか痛むんですか!? 頭痛、吐き気、動悸は? 睡眠時間は何時間くらい――」

「私じゃなくて、みんな」

 

 差し出しかけた体温計を、罪木は止めた。

 

「み、皆さんですか?」

「自分の体、こうじゃなかったとか。ここは綺麗すぎるとか。傷、ほくろ、歯並び、関節。何でもいい」

 

「ええと……皆さんを一通り診察したわけではないので、分かりませんけどぉ……」

 

 罪木は自分の手を見た。

 

 少なくとも、違和感はない。爪の形も、指の関節も、自分が知るものと同じだ。転びやすく、あちこちに作っていた小さな痣まである。

 

「葦原さんは、どこか違うんですか?」

「私は分かんない。私が覚えてる体は、多分同じ」

 

「でしたら、問題ないんじゃ……」

「私が知らない傷は、私には確認できないでしょ」

 

 葦原はテーブルにあった紙ナプキンを一枚取り、借りたペンで人の形らしきものを描いた。

 

「記憶から体を作ったなら、本人が覚えてる特徴は作れる。本人も知らないものは、何を作ればいいか分からない」

 

「記憶から……身体を?」

 

「仮の話。人の内臓って、配置に個人差ある?」

 

 問われた途端、罪木の頭は知っていることを探し始めた。

 

「あ、ありますぅ。基本的な位置は同じですけど、大きさや形、血管の走り方にも個人差がありますし、病気や手術で位置関係が変わっていることも……。でも、画像検査の設備もありませんから、生きたまま詳しく比べるのは難しいです。触診や聴診で分かる範囲にも限界が……」

 

 葦原が黙って聞いている。

 

 また喋りすぎたのではないかと、罪木は急に不安になった。

 

「ご、ごめんなさぁい! 気持ち悪い話を長々と! 内臓の個人差なんて聞きたくなかったですよねぇ!」

 

「聞いたの私だよ。ありがとう」

 

 短く返され、罪木は口を閉じた。

 

「お、なんじや身体がおかしいのか?」

 

 大きな影がテーブルへ差す。

 

 パーティー用の長机を運んでいた弐大が、話を聞きつけて寄ってきた。その後ろから、終里も顔を出す。

 

「身体ならオレも見てくれ。朝から食ってんのに、もう腹減った」

「それはいつものお前じゃろうが!」

 

「弐大くんは、自分の体に違和感ない?」と葦原が聞く。

 

「ない! 筋肉、骨格、脈拍、そして便通! すべて絶好調じゃあ!」

 

「傷は?」

「鍛錬で作った古傷なら、どれもある!」

 

 弐大が腕を曲げ、肘近くの薄い傷を指す。

 

「覚えてる傷はある、か。じゃあ、自分が知らない傷を知ってる人に確認しないと意味ないか」

 

 葦原は紙ナプキンへ何か書き足した。

 

「自分が知らない傷って、なんだそりゃ?」

 

 通りかかった左右田が足を止める。

 

「ちょうどいい。私が知らない私の傷、知ってたりしない?」

「知るわけねーだろ!」

「同じ中学だったじゃん」

「同中ならなんで本人も知らねえ傷をオレが知ってんだよ! お前の身体なんかいちいち見てねえ!」

 

「私、そういう意味で聞いたんじゃないけど」

「分かってるわ!」

 

「顔赤ーい。何想像したの?」

 

 西園寺が楽しそうに笑う。

 

「してねえ! お前らが変な空気にすんだろうが!」

 

「身体の秘密を共有する二人……禁断の同級生編! 唯吹、曲の匂いを感じます!」

「感じなくていい!」

 

 澪田まで寄ってきて、話は急に賑やかになった。

 

「ほくろなら、自分で見えない場所にあることもあるんじゃない?」

 

 小泉が現実的な案を出す。

 

「でも、前から知ってる人がいないと比べられないよね」

「左右田わかる?」

「なんでオレが、お前の見えないとこのほくろ知ってる前提なんだよ!」

 

 左右田の声がまた響く。

 

 皆が笑った。

 

 罪木も、口元を少し緩めた。

 

 笑いながら、ふと店の入口を見る。

 

 辺古山が立っていた。

 

 旧館へ運ぶ布を抱えたまま、こちらを見ている。

 

 目が合うと、辺古山は静かに会釈した。いつから話を聞いていたのかは分からない。

 

 すぐに背を向け、ホテルの外へ出ていく。

 

 その横顔がひどく硬かったことだけが、罪木には気になった。

 

     *

 

 辺古山は、ホテルの裏手で九頭龍を見つけた。

 

 人の声が届かないことを確かめてから近づく。

 

「坊ちゃん」

 

「その呼び方すんなっつっただろ」

 

 九頭龍が周囲を睨む。誰もいない。

 

「……九頭龍」

「なんだよ」

 

 辺古山は一度言葉を選んだ。

 

「背中を確認させてほしい」

 

「はあ!?」

 

「傷があるかだけでいい」

「テメーまで、あの女の頭おかしい話を真に受けたのかよ」

 

「確認すれば済むことです」

 

 九頭龍は露骨に顔をしかめた。

 だが、それ以上は聞かなかった。

 舌打ちして辺古山へ背を向け、上着を持ち上げる。

 

 辺古山は、息を止めた。

 

 何もない。

 

 見慣れた背中にあるはずの、斜めに走る古い傷が消えている。

 

 位置を間違えたのかと一瞬疑った。だが、そんなはずはない。あの傷を負った時期も、治るまでの経過も、辺古山は知っていた。

 

「どうなんだよ」

 

 九頭龍が振り返る。

 

「……あるはずの傷が、ありません」

「あるはずって、なんだ」

 

「坊ちゃんは、傷があることをご存じなかった。ですが、私は見間違えません」

 

 九頭龍の顔から苛立ちが消えた。

 

 上着を下ろし、ホテルの角へ目を向ける。向こう側からは、パーティーの準備をする声が聞こえていた。

 

「誰かに言ったか?」

「いいえ」

「なら黙ってろ」

 

「しかし――」

「あの女にも、十神にもだ。今これを知られたら、俺とお前が前から知り合いだったって話までしなきゃなんねえ」

 

 辺古山は口を閉じた。

 

「承知しました」

 

 命じられれば従う。

 それが辺古山にとって、疑う必要のない自分の形だった。

 

 だが、滑らかな背中を見た瞬間の感触だけは消えない。

 

 その日の夜、全員を同じ部屋へ集めるパーティーが開かれることになっていた。

 誰にも見えない背中から、一つだけ、あるはずの過去が消えていた。

 

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