旧館は、全員を安心させるためのパーティー会場には見えなかった。
日向が最後の椅子を運び込んだとき、開け放した窓から細い光が差していた。
広さだけなら全員で集まれるが、ホテルのレストランに比べれば薄暗く、何年も使われていなかった場所の匂いがした。
「はい、そこで一旦止まって」
小泉が部屋の中央から指示を出す。
「その椅子はあっち。机同士の間隔、もう少し空けた方がいいんじゃない?」
「これ以上空けたら、全員座れないぞ」
「でも狭すぎると、誰かが通るたびぶつかるでしょ」
「机を縦じゃなくて、少し斜めにすれば入るよ」
葦原が壁際から口を挟んだ。
紙ナプキンへ人体の絵を描いていたときより髪は整っていたが、寝癖が完全に直ったわけではない。その髪のまま床へしゃがみ、板の継ぎ目に沿って指を動かしている。
「この柱を避けて、こっちの通路を広くする。入口から奥まで一本で見えるようにすれば、誰が動いたか分かりやすい」
「なるほどね。じゃあ日向、この机の反対側持って」
「俺、今椅子運んできたところなんだけど」
「男でしょ。それくらい頑張る!」
休む暇もなかった。
日向が机へ手を掛けると、その下から白い頭が出てきた。
「うわっ!」
「あはは、ごめん。驚かせちゃったね」
狛枝が床へ片手をついたまま、机の下から這い出す。袖には埃がつき、もう片方の手には雑巾を持っていた。
「そんなところまで掃除してたのか?」
「みんなが使う場所だからね。せっかくのパーティーで、才能あるみんなの服が汚れたら申し訳ないじゃないか」
「机の下に潜るヤツなんかいないだろ」
「落とし物をするかもしれないよ」
狛枝はそう笑って、床に置いていた延長コードを拾い上げた。
「それ、何に使うんだ?」
「掃除道具を使うのに、近くのコンセントだけじゃ届かなくてさ。あとで左右田クンに返すよ」
コードは丁寧に巻かれていた。
妙なところはない。日向は机を運ぶ作業へ戻った。
「狛枝。掃除が終わったなら、次は倉庫を確認しろ」
十神が入口から声を掛ける。
「刃物、工具、薬品。人を傷つける可能性がある物は全て俺へ報告しろ。勝手に移動させるな」
「了解。徹底してるね」
「当然だ。俺が開くパーティーで、くだらん真似はさせん」
十神は既に、旧館のほとんどを調べ終えていた。
厨房の包丁は本数まで確認し、花村以外には触れさせない。窓の開閉、倉庫の中身、トイレの位置。参加者が持ち込む荷物も入口で検査するつもりらしい。
小泉が言っていたような安心できる集まりというより、厳重に管理された収容場所に近かった。
「日向、ぼさっとするな。次は厨房を手伝え」
「俺は全体の補助って言われたけど、便利屋じゃないぞ」
「不足がある場所を補うのが補助だ。違うか?」
言い返せない。
日向は花村のいる厨房へ向かった。
*
厨房は、旧館の中で最も暑かった。
鍋から立つ湯気と、焼いた肉の匂いが充満している。花村は複数の料理を同時に進めながら、背中にも目があるような速さで指示を飛ばしていた。
「そのお皿は右! 生ものと火を通したものを同じ場所に置かない! ソニアさん、その盛りつけ最高だよ。王族の気品が野菜にまで乗り移ってる!」
「まあ。野菜にも身分が生まれるのですか?」
「僕の料理の上では、全食材が主役になれるのさ!」
ソニアは素直に感心している。
その横では、小泉が花村の言葉を半分ほど無視しながら皿を並べていた。
「褒めてないで手を動かす。開始時間に間に合わなかったら意味ないでしょ」
「真昼ちゃん、料理には愛を囁く時間も必要なんだよ」
「食材じゃなくてソニアちゃんに囁いてたじゃない」
「おい、これもう食っていいか?」
いつの間に入ってきたのか、終里が揚げ物の載った皿へ手を伸ばしていた。
「ダメだよ! まだ人数分の盛りつけも終わってないんだから!」
「一個くらい減っても分かんねーだろ」
花村が止めるより先に、大きな手が終里の手首を掴んだ。
「宴の前に盗み食いとは何事じゃあ!」
「弐大、離せ! 冷めたらもったいねーだろ!」
「ならば始まるまで腹筋でもして待たんかぁ!」
「余計腹減るだろ!」
二人が厨房の入口を塞ぎ、小泉が揃って出ていけと怒鳴る。
ソニアが口元を押さえて笑った。
昨日、殺し合いを命じられた者たちとは思えない光景だった。
日向もつられて笑いかけたところで、厨房の外から甲高い音が響いた。
耳を刺すような音に、全員が顔をしかめる。
「ごめーん! マイクテスト中の事故っす!」
澪田の声が続いた。
「事故で済む音量じゃねーぞ!」
左右田の怒鳴り声が返る。古い建物の配線より、澪田の方がよほど危険だった。
「いきなり最大まで上げんな! スピーカー飛ばす気か!」
「最大を知らずして、ちょうどいい音量は決められないのであります!」
「一から順に上げろっつってんだよ!」
澪田が接続した機材を一度外し、左右田はケーブルを繋ぎ直した。
旧館の電気設備は新しくはない。だが、明かりと音響機器、厨房の調理器具を普通に使う程度なら容量に余裕はある。先ほど制御盤も確認した。異常は見つからなかった。
「容量どう?」
横から葦原が盤面を覗き込む。
「普通にパーティーやってる分には落ちねえよ」
「ブレーカーはここだけ?」
「主幹は事務室。ここで落ちたら、そっち上げねえと戻らねえ」
十神がやってきた。
「電源に問題はあるのか?」
「ねえよ。よくある古い設備の範囲だっての」
「なら問題ない。開始後、事務室と倉庫への出入りは禁止する」
十神はそう決めると、返事も待たずに次の確認へ向かった。
「左右田さん!」
広間の反対側からソニアに呼ばれた。
「はいっ! 今行きます!」
左右田は即座に制御盤を離れた。
ソニアは、田中と二人で壁へ飾りを取りつけていた。正確には、田中の肩に乗ったハムスターが紐へ興味を示し、ソニアがそれを眺めていた。
「この飾りを高いところへつけたいのですが、椅子をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「そんな危ないこと、ソニアさんがしなくていいです! オレが全部やりますから!」
「ほう。この程度の高みすら恐れるとは、貴様の翼は随分と短いようだな」
田中が鼻で笑う。
「誰の翼が短いんだよ! つーか、テメーはソニアさんに作業させて眷属と遊んでんじゃねえ!」
「破壊神暗黒四天王が、この脆弱な装飾の強度を見定めているのだ」
「左右田さん、田中さん。喧嘩はいけません」
ソニアに言われ、左右田はすぐに口を閉じた。田中は最初から喧嘩などしていない顔でハムスターを撫でている。
「左右田さんには電気設備という大切なお役目がありますものね。こちらは田中さんと進めますので、どうぞご心配なく!」
「えっ。いや、もう点検は終わったんで、オレもこっちを――」
「和一ちゃん! 終わったならテーブルクロス運んで!」
小泉の声が飛んできた。
「なんでオレばっか雑用なんだよ!」
「終わったって自分で言ったでしょ!」
ソニアに笑顔で見送られ、左右田は布の山へ戻るしかなかった。
「雑用がんばれ」
葦原が言う。
「うるせえ!」
「整備士のおにぃ、王女様の役にも立てないし、近くにすら置いてもらえないんだー」
西園寺まで笑い、左右田の機嫌は地面まで落ちた。
それでも準備は進んだ。
机には白い布が掛けられ、料理が運び込まれる。澪田の音響も、今度は建物が揺れない音量に調整された。罪木は何かあったときのために救急箱を入口近くへ置き、七海は人数分のグラスを並べた。
*
開始時刻になると、十神は旧館の入口に立ち、一人ずつ確認を始めた。
「荷物を見せろ。上着の中もだ」
「そこまでやるの?」
七海が目を瞬く。
「誰か一人でも例外を作れば、検査の意味がなくなる。嫌なら帰れ。もっとも、帰った時点で警戒対象にするがな」
「実質、選択肢が一個だね」
七海は両手を上げ、素直に検査を受けた。
辺古山は竹刀袋ごと十神へ預けた。田中は上着の内側から四匹のハムスターを見せ、「我が眷属を武器と呼ぶなら、その身で真価を味わうか」と凄んだ。
「動物は武器ではない。通れ」
十神は相手が誰でも同じ調子だった。
花村の厨房だけは刃物が必要になる。十神は全ての本数と置き場所を確認し、厨房から持ち出すなと念を押した。
左右田は自分の番が終わるとソニアを追おうとしたが、十神に肩を掴まれた。
「お前は会場内を一周し、照明に異常がないか見てこい」
「さっき全部見ただろ!」
「直前にも必要だ。確認しろ」
正論なのが腹立たしい。
仕方なく壁沿いに歩くと、端の窓際で葦原と狛枝が話していた。
二人とも皿は持っているが、料理はほとんど減っていない。
「今の状況は、狛枝くんの不運に入る?」
またその話か、と左右田は顔をしかめた。
「殺し合いに巻き込まれたこと? そうだね。普通なら、十分すぎるほど不運なんじゃないかな」
「でも、今はみんなで料理食べてる」
「絶望へ屈しないために、こうして集まった。素晴らしいことだよ。昨日の絶望があったからこそ、みんなの希望が一つになったんだ」
「それは幸運の話じゃなくて、希望の話だよね」
狛枝が少し笑う。
「葦原さんの中では、そこを分けないといけないんだね」
「別の言葉だからね」
「ボクにとっては近いんだ。深い絶望があるからこそ、それを乗り越える希望はより強く輝く。最悪の不運のあとに訪れる幸運と、よく似ていると思わない?」
「作りは似てるかも。でも、同じとは限らない」
葦原は窓の外へ目をやった。
「希望が欲しいからって、不運を自分から作り出したりしないよね?」
狛枝の笑みが止まった。
ほんの一瞬だった。
すぐに、先ほどまでと同じ柔らかな顔へ戻る。
「どうして、そう思ったの?」
「絶望があった方が希望は強くなるって思ってるなら、絶望を作ればいいって話にならない?」
「より大きな希望が生まれると信じられるなら、必要な試練を用意することも間違いではないかもしれないね」
「それは不運じゃない」
葦原は迷わず返した。
「自分で原因を作って、そのあと望んだ結果が来ても、狛枝くんの幸運が起こした証拠にならない。能力を確かめたいなら、条件に混ぜたらダメだよね」
「……能力を確かめる話なんだ?」
「測り方がおかしいって話」
狛枝は数秒、葦原を見た。
「本当に、キミは分けるんだね」
「一緒にする理由がないから」
「お前ら、パーティーで縁起でもねえ話すんな!」
聞いていられず、左右田は割り込んだ。
「人が死ぬとか、不運を作るとか! 今まさに殺し合いさせられそうになってんだぞ!」
「だから聞いたんだけど」
「聞くな!」
「あはは。ごめんね、左右田クン。あくまで仮定の話だよ」
狛枝が宥めるように笑う。
日向は少し離れた場所から、その三人を見ていた。
左右田は怒っているようで、二人を完全に放ってはおけない。葦原は狛枝を疑っているようで、話すこと自体を楽しんでいるようにも見えた。狛枝は楽しそうなのに、何をどこまで本気で言っているのか分からない。
その三人を眺めていると、七海が隣に来た。
「気になる?」
「まあ……少し」
「葦原さんと狛枝くん、会話のジャンルが似てるね」
「似てるか?」
「似てるというか、普通の人が止めるところで止めない感じ」
日向は否定できなかった。
七海は少し眠そうに瞬きをした。
「でも、左右田くんがいるとセーブポイントっぽい」
「セーブポイント?」
「戻ってこられる場所」
そう言って、七海は料理の方へ歩いていった。
*
花村が料理の説明を始めると、会場の空気は一気に騒がしくなった。
終里は説明が終わる前に肉へ手を伸ばし、弐大も今度は止めなかった。澪田は曲を流しながら料理へ勝手に妙な名前をつけ、花村がそのたび訂正する。
「こちらは南国フルーツと魚介の――」
「名づけて、海と大地の禁断セッション!」
「今僕がちゃんとした名前を言ってるよね!?」
田中は皿の端から味の薄い野菜だけを取り分け、ハムスターへ与えている。
「人間用の味ついたもん食わせていいのかよ」と左右田が言う。
「言われるまでもない。我が眷属の命を、貴様程度の知識で案ずるな」
「結局どっちなんだよ!」
西園寺は罪木の皿から一番形のいい料理を勝手に取った。
「あ、それ、私も食べようと……」
「何? ゲロブタの手垢がついたってこと?」
「ま、まだ触ってませぇん!」
「じゃあいいじゃん」
小泉が西園寺の皿へ別の一つを足し、罪木の皿にも同じものを戻す。
「ほら、二人ともあるでしょ。こんなときまで喧嘩しないの」
モノミは部屋の端で、ハンカチを目に当てていた。
「ミナサンが仲良くお食事して……あちし、感動で前が見えまちぇん」
「元から片目潰れてるじゃん」
西園寺の一言で、モノミはさらに泣いた。
七海は少しずつ全ての料理を試しながら、日向に言った。
「こういう場面、ゲームだとイベントが起きる前の自由時間っぽいよね」
「不吉な言い方するなよ」
「楽しいイベントかもしれないよ?」
日向は返事の代わりに、七海のグラスへ飲み物を足した。
十神は確認だと言いつつ、料理を順番に平らげている。
食べながらも入口と窓、参加者の位置を絶えず確認している。誰かが席を立てば、行き先を聞いた。
「少し席を外す」
辺古山が立ち上がる。
「どこへ行く」
「便所だ」
十神は時計を見た。
「長く離れるな」
辺古山は短く頷き、広間を出た。
それ以外は全員いる。
武器は持ち込まれていない。出口は十神が見ている。照明にも異常はない。
左右田は料理を口へ運びながら、ようやく肩の力を抜いた。
十神のやり方は気に食わない。
それでも、全員を同じ場所へ集めた判断は正しかったのかもしれない。
一人でコテージに籠もり、隣の誰かを疑い続けるよりはましだ。
「次は全員参加型ゲームのお時間っす!」
澪田がマイクを持った。
「ルールは簡単! 唯吹が音を鳴らしたら――」
音が消えた。
最初、澪田が機材を止めたのだと思った。
次の瞬間、照明も全て落ちた。
旧館が完全な闇に沈む。
「な、なんだ!?」
誰かの椅子が大きな音を立てて倒れた。
「全員動くな!」
十神の声が響く。
「動くなと言ってるだろう!」
「停電かよ!」
左右田は反射的に立ち上がった。手をついた机の位置から、事務室の方向を探る。
「左右田、ブレーカー!」
暗闇の中から葦原の声がした。
「分かってる!」
「ひとりで行動しないで! 今そっち行く!」
「ここだ! 机の端!」
左右田は片手で壁を探りながら進んだ。
背後で食器が割れる。誰かが床へ倒れ込み、罪木の悲鳴が上がった。弐大が全員落ち着けと怒鳴り、終里が「誰だ、足踏んだヤツ!」と別の方向へ叫んでいる。
音だけで、人の位置がばらばらに動いていく。
「左右田、右。椅子倒れてる」
近くまで来た葦原が言う。
「見えんのか?」
「触った。壁沿いだったよね事務室」
「お前、離れんなよ!」
「左右田もね」
二人は声を掛け合いながら、広間の出口を探した。
暗闇では、昼間に覚えた距離がやけに長い。壁の角へ手をぶつけ、左右田は小さく悪態をついた。
背後で、床を擦るような音がした。
続いて、低い呻き声。
「今の誰だ!?」
返事はない。
戻るべきか、ブレーカーへ急ぐべきか。
左右田が足を止めた瞬間だった。
照明が戻った。
眩しさに目が焼かれ、左右田は顔をしかめる。
まだ事務室には着いていない。広間を出る手前の廊下だった。葦原は一歩後ろに立ち、同じように目を細めている。
「勝手に戻った……?」
左右田は天井の明かりを見上げた。
ブレーカーが落ちたなら、誰かが上げなければ復旧しない。
だが、自分も葦原も触っていない。
広間から、息を呑む音が重なった。
「十神……?」
日向の声だった。
左右田と葦原は、同時に振り返った。
部屋の中央で、机の一つが大きくずれている。白いテーブルクロスが半分床へ落ち、その下に、人の身体が見えた。
十神白夜だった。
うつ伏せに倒れ、身体の下から広がった血が床板を黒く濡らしている。顔のそばには見慣れない機械が転がり、開いた目はどこも見ていなかった。
「そ、そんな……」
罪木の声が震える。
誰も近づけないまま、時間だけが数秒進んだ。
昨夜、誰も殺さなければいいと言った。
今夜、皆を一つの部屋へ集めようとした。
それでも、一人が死んでいた。
左右田は隣を見た。
葦原は十神の身体を見ていた。
建物を調べているときのように口は動かず、仮説も出てこなかった。
モノクマの陽気な放送が、旧館いっぱいに鳴り響いた。
『死体が発見されました!』
旧館の照明は、もう全て点いていた。