午後二時半を過ぎても、小泉と西園寺はダイナーへ来なかった。
「海が唯吹を呼んでいるー! 具体的には、そこの白いところから!」
澪田が窓の向こうの浜を指す。
「それは砂浜じゃないかな」
七海が眠そうに訂正した。
「千秋ちゃん、海からのメッセージに具体性を求めちゃダメっすよ!」
「じゃあ、呼ばれてるかどうかも分からないと思う」
海水浴の支度をした一同は、ダイナーの中で足止めされていた。
終里は既に水着姿で、待ちきれずに椅子の背へ片足を掛けている。ソニアは大きな麦わら帽子を被り、左右田はいつ用意したのか、王冠の形をした浮き輪を抱えていた。
「ソニアさん! こちら、王女専用の特別仕様です!」
「まあ! 左右田さんがお作りになったのですか?」
「空気入れただけだけど、ソニアさんが持てば特別仕様です!」
日向は入口を見た。
「遅いな。小泉は、全員で動くって決めた時間を忘れるようなやつじゃないだろ」
「日寄子ちゃんもいません」
ソニアが帽子を脱いだ。
「ペコ山さんと九頭龍さんも、まだお見えになっていませんね」
「監視の交代は終わってたよ」
葦原がダイナーへ入ってきた。
「狛枝くんは旧館。弐大くんと田中くんがいる。小泉さんは?」
「来てない。西園寺もだ」
日向が答えると、葦原は店内を見回した。
「四人いない」
「嫌な数え方すんなよ」
左右田が浮き輪を下ろす。
「小泉のコテージ、誰か見てきたのか?」
「朝は日寄子ちゃんと一緒だったよ」
罪木が小さく手を上げた。
「お、お昼の少し前に、二人で何かお話ししていましたぁ。でも、それからは……」
「レストランに紙があったよ」
七海が、折り畳まれた一枚を差し出した。
――二番目の島へ行ってくる。
小泉の字だった。
「行き先が広すぎるね」と葦原が言う。
「だからって、ばらばらに探したら昨日決めたことが無駄になる」
日向は全員を見た。
「二人以上で動こう。まず、橋から近い場所を順番に――」
「オレ、ビーチハウス見てくる!」
左右田が先に外へ飛び出す。
「だから一人で行くなって言ってるだろ!」
日向、七海、葦原がそのあとを追った。
「彼、心配性なのか考えなしなのか、どっちなんだろうね」
七海が走りながら言う。
「両方じゃない?」
葦原の答えに、日向は否定できなかった。
*
ビーチハウスの道路側の扉は、途中までしか開かなかった。
「なんか引っかかってる!」
左右田が肩を押し当てる。
「無理に開けるな。中に誰かいるかもしれない」
日向は扉の隙間から中を覗いた。
床に赤いものが見えた。
何なのか考える前に、砂浜の方から悲鳴がした。
「来ないで!」
西園寺だった。
砂の上を裸足で走ってくる。着物は崩れ、帯の端が引きずられていた。顔には涙が張りつき、いつものように誰かを罵る余裕もない。
「西園寺!」
日向が近づくと、西園寺は両腕で自分の身体を抱いた。
「違う……わたしじゃない……真昼おねぇが……!」
「小泉が中にいるのか?」
「知らない! 何も知らないもん!」
西園寺は日向の横をすり抜けた。
七海が追い、葦原が左右田へ言う。
「西園寺さんを一人にしないで」
「オレが!?」
「今は誰でもいい。早く」
左右田は一度ビーチハウスを見てから、西園寺のあとを追った。
日向は砂浜側へ回った。
小さな足跡だけが、ビーチハウスの扉と砂浜の間に乱れている。扉は開いたままだった。
「日向くん、待って」
七海の声が背後から聞こえたが、日向は中へ入った。
冷房の止まった室内に、潮と鉄の匂いが溜まっている。
道路側の扉の前で、小泉がうつ伏せに倒れていた。
後頭部から流れた血が、床を広く濡らしている。少し離れた場所には金属製のバットと、場違いなほど明るい少女の仮面が落ちていた。
日向の足が止まる。
『死体が発見されました!』
モノクマの放送が鳴った。
その声に追い立てられるように、七海と葦原が入ってくる。
「小泉さん……?」
七海が膝をつきかけ、血に気づいて止まった。
葦原は小泉の身体と、扉と、バットを順に見た。
「そういう空間だったね、ここ」
声は平らだった。
「何がだよ」
日向は振り返る。
「人を殺す方へ作られてる空間だった。しばらくは、止まってただけ」
すぐにモノクマが現れ、電子生徒手帳へファイルを配った。
小泉真昼。死亡時刻は午後二時半頃。後頭部への強い一撃が死因。
今朝まで話していた人間が、また数行になった。
日向は画面を閉じた。
「止まってたんじゃない。止められなかったんだ」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
*
罪木は小泉のそばへ座り込み、何度も呼吸を整えてから傷を調べた。
「一撃ですぅ。た、多分、ほとんど即死だったと思います。傷の形も、そこのバットと合います」
「苦しまなかったってこと?」
西園寺が扉の外から聞いた。
左右田とソニアに両側を挟まれている。中へ入りたくないのに、離れることもできないようだった。
「は、はい。そうだと思います」
「思いますって何? ちゃんと言ってよ!」
「す、すみませぇん!」
小泉なら西園寺を叱ったはずだ。
その小泉は動かない。
西園寺はそれ以上何も言えず、顔を伏せた。
「お前、ここで何があったか覚えてないのか?」
日向が聞く。
「真昼おねぇから手紙が来たの。二時に、写真の話をするって」
西園寺は帯の間から皺だらけの紙を出した。
「中に入ったら誰もいなくて……待ってたら、後ろから口を塞がれて……。起きたら暗いところにいて、開けたら、真昼おねぇが……」
そこで言葉が切れた。
「暗いところって、あのクローゼットかな」
七海が室内の奥を指した。
扉を開けると、中にはサーフボード用の細長いケースが並んでいた。床に布が落ち、甘い薬品の匂いが僅かに残っている。
「誰かが西園寺さんを眠らせて、ここへ隠した」
葦原はクローゼットの床を見た。
黄色いグミが一つ落ちている。
「これ、西園寺さんの?」
葦原は続けた。
「じゃあ、襲われた話は作れても、ここにいたこと自体は――」
「違うもん!」
西園寺が小さな袋を投げつけた。
左右田が慌てて受け取る。中には赤や緑のグミが入っていたが、黄色は一つもない。
「わたし、黄色いの嫌い! 酸っぱくてまずいから、最初に全部捨てたもん!」
葦原は袋と床のグミを見比べた。
「そっか。 他にもグミ好きな人がいるのかもね」
「簡単に疑って、簡単にやめんな!」
左右田が怒鳴る。
「だって違うって言うから」
「そういう話じゃねーよ!」
西園寺は葦原を睨んだが、言い返さなかった。
七海がサーフボードケースを一つずつ調べる。
「これだけ、置き方がずれてる。人が入れるくらいの大きさはあるね」
「犯人は、西園寺より先に来て隠れてた」
日向は順序を並べた。
「西園寺を眠らせてクローゼットへ入れた。そのあと小泉を待ったんだ」
「手紙を書いた人が、二人を別の時間に呼んだんだと思う」
七海が二通の文面を比べる。
小泉の服から見つかった手紙には、西園寺の名前で二時半に来るよう書かれていた。
西園寺の手紙は、小泉の名前で二時を指定している。
「どっちも偽物だ」と日向は言った。「昨日、二人が写真のことで話してたのを知っていたやつがいる」
道路側の扉は、小泉の身体で塞がれていた。
血の広がりには不自然な擦れがある。殺された場所から、扉の前まで動かされたらしい。
「犯人はこっちから出たんじゃないのか?」
終里が砂浜側の扉を指す。
「でも、砂に残ってるのは日寄子ちゃんの足跡だけだよ」
「犯人が海に直接入ったなら、戻る足跡はいらないとか?」
「海までジャンプするにはちょっと遠いね」
葦原は、七海の言葉を耳に、窓から海辺までの距離を眺めた。
「……無理だね」
辺古山が、ビーチハウスの入口に立っていた。
制服も髪も濡れている。
「何かあったか?」
辺古山は小泉の身体を見て、表情を固くした。
「お前、なんで濡れてんだ?」
左右田が聞く。
「海を泳いでいた。鍛錬の一環だ」
「どこからどこまで?」
「入り江を一周した。ダイナーへ戻ったところで放送を聞いた」
ソニアと澪田は、辺古山が濡れた状態でダイナーへ来たことを見ていた。
「九頭龍は?」
日向が尋ねる。
「知らない」
辺古山は短く答えた。
少し遅れて現れた九頭龍も、小泉を見て足を止めた。
「……誰がやった」
「それを調べてるんだよ」と左右田が返す。「テメーは今までどこにいた?」
「一人で島を回ってた」
「証明できんのか?」
「できねえ」
九頭龍の視線が、血のついたバットへ落ちた。
その手が一度だけ握られたのを、日向は見た。
*
狛枝を捜査へ連れていくという案には、当然反対が出た。
「殺人計画立てたヤツを、次の殺人現場に連れてくとか正気かよ!」
左右田が旧館の柱の前で叫ぶ。
「でも、ここに置いたままなら、弐大くんと田中くんが捜査できない」
葦原は狛枝の足元へしゃがんだ。
「足だけ外そうか。一緒に捜査行く?」
「ボクなんかが、みんなの役に立てるなら喜んで」
狛枝は柱へ縛られたまま笑った。
「手はそのまま。前に作った引っ掛けだけ外せば歩ける。紐の端は弐大くんが持ってて」
「任せい。妙な真似をすれば、即座に締め上げるぞ!」
弐大が縄を取る。
「犬の散歩みてーになってんぞ」
左右田が呆れた。
「犬ではありまちぇん! 狛枝くんは大切な生徒さんでちゅ!」
「そこに怒ってんじゃねーよ!」
外へ出ると、狛枝は久しぶりに伸ばした脚でゆっくり歩いた。
「それにしても、ボクまで連れ出すなんて。ボクが誰かをを狙うかもとは、もう思わないのかな?」
「今はもう狛枝くんの方が狙われそう」
葦原が隣で言う。
「狙われないようにしてね」
「ボク一人が死ぬだけなら、むしろ都合がいいんじゃない?」
葦原は少し黙った。
「……話し相手いなくなるし」
狛枝の歩幅が一瞬だけ狭くなった。
「そっちの心配なんだ」
「ほかにもあるけど、今はそれ」
「オメーら、殺人捜査の途中で何の会話してんだよ!」
左右田が割り込む。
「左右田も、あんまり一人にならないこと」
「急にオレかよ」
「相手が誰でもいい犯人に狙われそう」
「心配の理由が雑すぎんだろ!」
狛枝が小さく笑った。
日向は笑えなかったが、張りつめていた息が少しだけ抜けた。
ビーチハウスへ戻ると、狛枝は手を縛られたまま部屋を見回した。
「小泉さんは、道路側の扉を塞ぐように動かされた。だから、目覚めた西園寺さんは砂浜側から逃げるしかなかったんだね」
「足跡を残させるため?」
七海が聞く。
「そう見せるためでもあるし、犯人自身の出口を分からなくするためでもあるんじゃないかな」
「犯人は小泉さんを動かしたあと、血を洗った」
日向は空の冷蔵庫を見た。
「それからサーフボードケースへ隠れた。西園寺が起きて逃げるのを待って、シャワー室の窓から出た」
「西園寺さんがまだ眠ってる間に出てもいいよね」
葦原が言う。
「目覚める時間は正確に分からない。窓へ上がってる途中で見つかったら証人が増える」
七海が答えた。
「それに、日寄子ちゃんが逃げたあとなら、砂浜に誰もいないことを確認できるよ」
「そっか。待つ理由はある」
葦原は頷いた。
小泉のコテージからは、昨日届いた写真の封筒が見つかった。
ゲームの音楽室と同じ死体。水着へ詰められた砂利。そして、若い頃の小泉たちを写した写真。
全員でゲームを見たときには、誰がどの役だったかまでは確定していなかった。
九頭龍にとっては、殺された妹の記録だった。
「はぁ」
葦原が写真を戻す。
「これからも人、死んでくんだろうな」
「決めつけるなよ」
日向は強く言った。
「止める方法を探してるんだろ」
「全員をずっと同じ場所に置くのは無理。モノクマは、隠したい人にだけ材料を渡せる。止めるの、無理でしょこれ」
「だからって諦めるのか?」
「殺さなくて済むなら止めたいよ。でも、できると思うのと、やるのは別」
葦原は写真の封筒を日向へ渡した。
「そもそも、ここで死んだら終わりかもまだ分からない。更生できなかったら最初からやり直す施設なら、死んだ人は次の組み直しで戻るかもしれない」
「今の小泉さんは戻らないよ」
七海が静かに言った。
「同じ記憶を持った小泉さんが作られても、ここでわたしたちと過ごした時間は引き継がれないかもしれない」
「うん。 記憶の連続性がないなら、それはもう別人かも」
葦原は反論せず、コテージを出た。
捜査終了を告げる放送が島へ響いた。
*
二度目の裁判場には、空席が三つあった。
十神と花村。
そして、小泉。
西園寺は小泉の席から目を逸らし、自分の台へしがみついている。九頭龍は向かい側で俯き、辺古山はいつも通り背筋を伸ばしていた。
狛枝の手には縄が残っていた。弐大が端を自分の台へ結びつけている。
「それでは始めましょう!」
モノクマが両手を広げた。
「愛と復讐と海水浴! 南の島にぴったりの、爽やかな学級裁判です!」
「どこが爽やかなんだよ!」
左右田が怒鳴る。
「まず、ゲームの中身を整理しよう」
「ゲームで最初に殺された少女は、九頭龍の妹だった。E子が、水着に詰めた砂利で彼女を殺した」
日向が続ける。
「その証拠を隠したのが小泉たちで、E子を復讐で殺したF男が九頭龍だった。あの写真は、その過去が現実だったと九頭龍へ知らせるためのものだ」
「じゃあ、チビヤクザが真昼おねぇを殺したんじゃん!」
西園寺が九頭龍を指した。
「動機はある。だが、砂浜に残っていた足跡は西園寺のものだけだ」
辺古山が言う。
「それなら、西園寺が犯人じゃな」
弐大が声を上げた。
「現場から逃げるところも、左右田が見ておる!」
「わたしじゃない!」
西園寺が叫ぶ。
「手紙で呼ばれて、眠らされてたんだもん!」
「その手紙を自分で書いた可能性は?」
九頭龍が冷たく言う。
「小泉を呼び出した手紙も、お前の名前だったんだろ。両方用意すりゃ、自分も嵌められたように見せられる」
「そんなことしない!」
西園寺の声が裏返る。
「西園寺は犯人じゃない」
日向は二通の手紙を示した。
「犯人なら、小泉が来る前からクローゼットに隠れる必要がない。それに、黄色いグミは西園寺の物じゃなかった」
「グミだけで決められるのか?」
田中が目を細める。
「西園寺さんの袋には黄色が一つもなくて、本人も嫌いだって言ってた」
七海が答える。
「あれは、サーフボードケースの中で待っていた人が落としたんだと思う」
「西園寺さんを眠らせたあと、その人はどこにいたのですか?」
ソニアが尋ねる。
「同じクローゼットだよ」と日向は言った。「西園寺を床へ寝かせ、自分はケースの中へ戻った。小泉が来るのを待っていたんだ」
「目覚めた日寄子ちゃんが見たのは、小泉さんの死体だけ」
七海が西園寺を見る。
「だから、犯人の顔を知らない」
「だったら足跡はどうなるんだよ!」
終里が台を叩く。
「犯人の足跡がねーなら、飛んで出たってのか?」
「飛んではいない。上から出たんだ」
日向はシャワー室の窓の写真を出した。
「道路側の扉は小泉の身体で塞がれ、砂浜側から出れば足跡が残る。でも、シャワー室には高い位置に窓があった」
「そこまで登る足場は残っていなかったぞ」と田中が言う。
「残さずに持ち出せる物を使った」
葦原が辺古山を見た。
「竹刀。立てて足を掛ければ窓へ届く。外へ出たあと、袋の紐で引き上げれば、竹刀も一緒に持っていける」
「待てや!」
九頭龍が割り込む。
「竹刀を持ってるってだけで、ペコ山を犯人にすんのかよ!」
「それだけじゃない」と日向は答えた。「犯人は小泉の身体を動かして血を浴びた。壊れたシャワーの代わりに、冷蔵庫の水を使って洗ったんだ。だから全部のペットボトルが消えて、床に血を流した跡が残った」
「濡れて現れたのは、辺古山さんだけだった」
「ペコ山は鍛錬してただけだ!」
九頭龍は辺古山より先に答え続ける。
「ほかのヤツだって、水を被ってから着替えりゃ同じだろうが!」
「それ、西園寺さんにはできないんですぅ」
罪木が震えながら言った。
「西園寺さんは、一人で着物を着られません。いつも小泉さんに手伝ってもらっていました。血を洗って、もう一度同じ格好へ戻るのは無理ですぅ」
「ゲロブタのくせに、今だけはちゃんと見てたんだ」
西園寺は顔を伏せたまま言った。
「ひ、酷いですけど、ありがとうございますぅ……」
澪田が小さく首を傾げる。
「褒められてはいない気がするっす」
一瞬だけ、いつもの会話が戻った。
すぐに九頭龍の声が切り裂く。
「着替えられるヤツならほかにもいるだろ!」
「窓から道具ごと出られて、濡れた姿を見られても不自然じゃない人は限られる」
日向は辺古山を見た。
「辺古山。お前しかいない」
辺古山は黙っていた。
狛枝が穏やかな声で続ける。
「もう一つあるよ。死体発見放送だ」
全員の視線が移る。
「放送が流れたのは、日向クンが一人でビーチハウスへ入った直後だった。七海さんたちは、まだ西園寺さんの方にいた」
「だから、俺より先に小泉の死体を見た人が二人いる」
日向は思い出した。
「一人は、目覚めた西園寺。犯人は数に入らない。もう一人、犯人ではない誰かが、殺されたあとの小泉を見ていた」
「それが九頭龍くんなんだね」
七海が言った。
九頭龍の顔から血の気が引いた。
「あの写真を持っていて、小泉を呼び出す理由があった。現場にいたのに、砂浜へ足跡を残さず出られた。小泉の身体で塞がれた道路側の扉を、塞がれる前に通ったんだ」
「なら、お前が殺したのか?」
日向が聞く。
九頭龍が黙ると、辺古山は眼鏡を外した。
「私は――キラキラちゃんだ」
沈黙が落ちる。
「……はい?」
ソニアが聞き返した。
「悪人のみを裁く正義の連続殺人鬼。あの仮面は、私の印だ。小泉真昼を殺したのも、正義を執行するため」
「急に設定が増えたよ」
七海が小声で言った。
「しかも、かなり苦しい追加設定っす」
澪田も同意する。
「キラキラちゃんは海外の殺人鬼です。犯行声明も、決まった言語で残すと資料にありました」
ソニアの目が真剣になる。
「では、その言語で決め台詞をお願いいたします」
辺古山は決めゼリフを長々といい、周りはどこか呆れた空気を醸し出す中、
「何言ってやがる!」
九頭龍が叫ぶ。
「ペコ、もうやめろ!」
辺古山は眼鏡を掛け直した。
「……そうか」
投票が行われた。
選ばれたのは、辺古山ペコだった。
モノクマが正解を告げようとしたとき、辺古山がそれを遮った。
「待て。私はクロではない」
「今さら往生際が悪いな」と田中が言う。
「小泉を殺したのは私だ。だが、辺古山ペコという人間が殺したのではない」
辺古山は九頭龍の前へ身体を向けた。
「私は、九頭龍家の道具として育てられた。坊ちゃんを守り、坊ちゃんの敵を排除するためだけに存在する」
九頭龍が息を呑む。
「道具が人を殺したなら、使った者が殺人者となる。刃を罪には問えない。ゆえに、この事件の真のクロは坊ちゃんだ」
「面白いこと言い出したね!」
モノクマが身を乗り出す。
「校則が想定していない抜け穴ですなあ。辺古山さんが本当に道具なら、持ち主の九頭龍クンだけを卒業させるべきかもしれません!」
「ふざけんな!」
左右田が叫ぶ。
「人間だろうが! 自分で手紙書いて、人を眠らせて、逃げ道まで作ったんだぞ!」
「命令を実現するために必要な動作を選んだだけだ」
辺古山の声は揺れなかった。
「道具は、目的に応じて使われる。私に意思はない」
「成立はするね」
葦原が言った。
裁判場の視線が一斉に集まる。
「何がだよ」
日向は聞き返した。
「辺古山さんを、九頭龍くんの動作を延長する道具として扱う考え方」
葦原は、二人の間を指で結ぶように動かした。
「建物を設計するとき、人は入口に近い方へ流れるとか、幅が狭ければ一列になるとか、動く要素として置く。個人の気持ちを使わなくても、入力に対する動きは予測できる。辺古山さんが九頭龍くんの目的だけを入力にして動くなら、仕組みとしては道具に近い」
「人を図面の記号みたいに言うなよ!」
日向が言った。
「辺古山は自分で考えて動いた。九頭龍が命令してないなら、その時点で道具じゃない!」
「命令が細かくなくても、目的が固定されてれば動作は変えられるよ。温度計も、入力に合わせて勝手に針が動く」
「ペコを温度計と一緒にすんな!」
九頭龍が台を殴った。
「俺は命令してねえ! むしろ手を出すなって言ったんだ!」
辺古山の目が僅かに動く。
「俺は、あいつを問い詰めたかった。殺してやりたいとも思った。でも、最後にはバットを振れなかった。ペコに殺せなんて一度も言ってねえ!」
「では、私の判断が誤っていただけです」
辺古山は答えた。
「道具にも誤作動はある」
「誤作動じゃないよ」
七海が静かに否定する。
「辺古山さんは、九頭龍くんがクロにならないように、自分が先に小泉さんを殺した。九頭龍くんの命令より、自分がそうしたいって選択を優先したんだよ」
「違う。坊ちゃんを生かすことが、私の存在理由だ」
「それを存在理由にしたのは、今ここで話してる辺古山さんだろ」
日向は言った。
「手紙を偽造したのも、西園寺を傷つけず隠したのも、小泉を殺したのも、お前が選んだ。九頭龍を卒業させるために、俺たち全員を処刑させようとしたのもだ。都合の悪いところだけ道具になって、選んだことを消すなよ!」
「そこは人間的に選んでる。でも、九頭龍くんを守る目的から外れる選択肢は、最初から持ってないなら――」
「そういうことじゃない!」
日向の声が重なった。
葦原は口を閉じた。
「そ、そう……?」
納得した顔ではなかった。
それでも、それ以上は言わなかった。
狛枝は少し離れた台から、黙った葦原を見ていた。笑ってはいなかった。
「ペコ」
九頭龍の声が掠れた。
「俺は、お前を道具だと思ったことなんかねえ」
辺古山は答えない。
「ガキの頃からずっと一緒だっただろ。お前が勝手に先回りして、俺が怒って、お前が何でもない顔して……。それ全部、道具だったって言うのかよ」
「坊ちゃん」
初めて、辺古山の声が揺れた。
「俺を生かしたいなら、俺の言うこと聞けよ。道具なら命令だ。勝手にいなくなるな」
辺古山は目を伏せた。
「その命令だけは、もう実行できません」
モノクマが大きく判定槌を振り下ろした。
「辺古山さんは、自分の判断で小泉さんを殺しました! よってクロは、投票通り辺古山ペコさんでーす!」
九頭龍の顔が歪んだ。
辺古山は、ほんの少しだけ安堵したように見えた。
*
処刑の準備が始まるまでの短い時間、誰も辺古山へ近づけなかった。
九頭龍だけが、何度も名前を呼んでいる。
辺古山は最後に葦原を見た。
「葦原。一つ、伝えておく」
葦原が顔を上げる。
「坊ちゃんの背中には、私が知る傷がなかった」
日向は意味が分からず、二人を見比べた。
「傷?」
葦原が聞く。
「こちらへ来たばかりの頃、身体に違和感がないか、皆へ尋ねていただろう。坊ちゃん自身は、その傷があることを知らなかった。背にあり、鏡でも見えにくい場所だったからな」
辺古山は九頭龍を見た。
「だが、私は見間違えない。幼い頃、坊ちゃんが意識のない間に私が手当てをした傷だ。この島の坊ちゃんには、それがなかった」
「本人が知らない傷だけ、消えてる」
葦原が言う。
「記録された身体の複製じゃなくて、自分の記憶から作られた身体なら、知らないものは再現されない」
「私には確かめる術がない。だが、お前の役には立つかもしれないと思った」
「ありがとう。教えてくれて」
葦原はそれだけ答えた。
処刑される人間へ向ける言葉としては、あまりにも普段通りだった。
辺古山も、それを責めなかった。
「ああ」
短く頷く。
次の瞬間、鎖が辺古山の身体を処刑場へ引き込んだ。
*
赤い幕が上がった。
辺古山の手足へ糸が結ばれ、巨大な人形のように吊り上げられる。
舞台を埋めた武者人形が、一斉に刀を抜いた。
辺古山の腕は糸に引かれ、本人の意志を置き去りにする速さで剣を振る。刃と刃がぶつかる音が続き、人形が倒れるたび、別の列が現れた。
自分は道具だと言った人間が、本当に誰かの糸で動かされている。
九頭龍が柵へ体当たりした。
「ペコ!」
弐大が止めるより早く、九頭龍は舞台へ飛び込んだ。
辺古山の顔が変わる。
糸に引かれた刃が、九頭龍の身体を斬った。
血が舞台へ散る。
辺古山は初めて、糸の動きに逆らった。
九頭龍へ覆い被さる。
無数の刃が、その背へ振り下ろされた。
音が止まった。
切れた糸がゆっくり垂れ、辺古山の身体から力が抜ける。
その下で、九頭龍も動かなかった。
誰も声を出せない。
二人は、ようやく同じ場所で止まったように見えた。
「いやあ、予定外の飛び入り参加には困っちゃうよね!」
モノクマの声だけが明るかった。
舞台の脇から、小さな救急車が走り込む。機械の腕が辺古山の下から九頭龍を引き出し、担架へ載せた。
「九頭龍くんは、まだ辛うじて生きております! 特別サービスで治療してあげましょう!」
「生きてるの!?」
罪木が駆け寄ろうとする。
「ま、待ってください! 私にも状態を確認させて――」
その前に、葦原が救急車の進路へ立った。
「死なせてあげなよ」
左右田が葦原を見る。
「……は?」
「辺古山さんも九頭龍くんも、あそこで一緒に死ぬつもりだったでしょ。九頭龍くんは助かるために入ったんじゃない」
救急車が警笛を鳴らす。
「どけ、葦原!」
日向は叫んだ。
「今なら助かるかもしれないんだぞ!」
「生きていて欲しいって言うのは、外部の私たちの認識」
葦原は退かなかった。
「本人の意見を尊重するべき」
「今の九頭龍には意見を聞けねえだろ!」
左右田が葦原の腕を掴み、車の前から引いた。
「理屈とか言ってんじゃねぇよ! このままだと死ぬんだぞ!?」
「だからそれでいいじゃん! なんで死ぬときだけ、本人より周りの希望が優先されるの?」
「希望とかじゃねえ!」
左右田の声が震える。
罪木は担架の横へ走り、九頭龍の首へ指を当てた。
「脈があります! 弱いですけど、生きてますぅ! お願いですから、早く治療を!」
「はいはい。患者さんのご意見は、元気になってから聞きましょうね」
モノクマが運転席へ飛び乗った。
「もっとも、ボクの島で誰をいつ死なせるか決めるのは、ボクなんだけど!」
救急車が走り出す。
葦原は左右田に腕を掴まれたまま、その赤い灯りを見送った。
小泉は死んだ。
辺古山も死んだ。
九頭龍だけが、本人の望みとも仲間の願いとも関係なく、生かされた。