希望と絶望は、不幸と幸運に似ている。   作:an-ryuka

8 / 14
8.

 

 午後二時半を過ぎても、小泉と西園寺はダイナーへ来なかった。

 

「海が唯吹を呼んでいるー! 具体的には、そこの白いところから!」

 

 澪田が窓の向こうの浜を指す。

 

「それは砂浜じゃないかな」

 

 七海が眠そうに訂正した。

 

「千秋ちゃん、海からのメッセージに具体性を求めちゃダメっすよ!」

「じゃあ、呼ばれてるかどうかも分からないと思う」

 

 海水浴の支度をした一同は、ダイナーの中で足止めされていた。

 

 終里は既に水着姿で、待ちきれずに椅子の背へ片足を掛けている。ソニアは大きな麦わら帽子を被り、左右田はいつ用意したのか、王冠の形をした浮き輪を抱えていた。

 

「ソニアさん! こちら、王女専用の特別仕様です!」

「まあ! 左右田さんがお作りになったのですか?」

「空気入れただけだけど、ソニアさんが持てば特別仕様です!」

 

 日向は入口を見た。

 

「遅いな。小泉は、全員で動くって決めた時間を忘れるようなやつじゃないだろ」

 

「日寄子ちゃんもいません」

 

 ソニアが帽子を脱いだ。

 

「ペコ山さんと九頭龍さんも、まだお見えになっていませんね」

 

「監視の交代は終わってたよ」

 

 葦原がダイナーへ入ってきた。

 

「狛枝くんは旧館。弐大くんと田中くんがいる。小泉さんは?」

 

「来てない。西園寺もだ」

 

 日向が答えると、葦原は店内を見回した。

 

「四人いない」

「嫌な数え方すんなよ」

 

 左右田が浮き輪を下ろす。

 

「小泉のコテージ、誰か見てきたのか?」

「朝は日寄子ちゃんと一緒だったよ」

 

 罪木が小さく手を上げた。

 

「お、お昼の少し前に、二人で何かお話ししていましたぁ。でも、それからは……」

 

「レストランに紙があったよ」

 

 七海が、折り畳まれた一枚を差し出した。

 

 ――二番目の島へ行ってくる。

 

 小泉の字だった。

 

「行き先が広すぎるね」と葦原が言う。

「だからって、ばらばらに探したら昨日決めたことが無駄になる」

 

 日向は全員を見た。

 

「二人以上で動こう。まず、橋から近い場所を順番に――」

 

「オレ、ビーチハウス見てくる!」

 

 左右田が先に外へ飛び出す。

 

「だから一人で行くなって言ってるだろ!」

 

 日向、七海、葦原がそのあとを追った。

 

「彼、心配性なのか考えなしなのか、どっちなんだろうね」

 

 七海が走りながら言う。

 

「両方じゃない?」

 

 葦原の答えに、日向は否定できなかった。

 

     *

 

 ビーチハウスの道路側の扉は、途中までしか開かなかった。

 

「なんか引っかかってる!」

 

 左右田が肩を押し当てる。

 

「無理に開けるな。中に誰かいるかもしれない」

 

 日向は扉の隙間から中を覗いた。

 

 床に赤いものが見えた。

 

 何なのか考える前に、砂浜の方から悲鳴がした。

 

「来ないで!」

 

 西園寺だった。

 

 砂の上を裸足で走ってくる。着物は崩れ、帯の端が引きずられていた。顔には涙が張りつき、いつものように誰かを罵る余裕もない。

 

「西園寺!」

 

 日向が近づくと、西園寺は両腕で自分の身体を抱いた。

 

「違う……わたしじゃない……真昼おねぇが……!」

 

「小泉が中にいるのか?」

「知らない! 何も知らないもん!」

 

 西園寺は日向の横をすり抜けた。

 

 七海が追い、葦原が左右田へ言う。

 

「西園寺さんを一人にしないで」

「オレが!?」

「今は誰でもいい。早く」

 

 左右田は一度ビーチハウスを見てから、西園寺のあとを追った。

 

 日向は砂浜側へ回った。

 

 小さな足跡だけが、ビーチハウスの扉と砂浜の間に乱れている。扉は開いたままだった。

 

「日向くん、待って」

 

 七海の声が背後から聞こえたが、日向は中へ入った。

 

 冷房の止まった室内に、潮と鉄の匂いが溜まっている。

 

 道路側の扉の前で、小泉がうつ伏せに倒れていた。

 

 後頭部から流れた血が、床を広く濡らしている。少し離れた場所には金属製のバットと、場違いなほど明るい少女の仮面が落ちていた。

 

 日向の足が止まる。

 

『死体が発見されました!』

 

 モノクマの放送が鳴った。

 

 その声に追い立てられるように、七海と葦原が入ってくる。

 

「小泉さん……?」

 

 七海が膝をつきかけ、血に気づいて止まった。

 

 葦原は小泉の身体と、扉と、バットを順に見た。

 

「そういう空間だったね、ここ」

 

 声は平らだった。

 

「何がだよ」

 

 日向は振り返る。

 

「人を殺す方へ作られてる空間だった。しばらくは、止まってただけ」

 

 すぐにモノクマが現れ、電子生徒手帳へファイルを配った。

 

 小泉真昼。死亡時刻は午後二時半頃。後頭部への強い一撃が死因。

 

 今朝まで話していた人間が、また数行になった。

 

 日向は画面を閉じた。

 

「止まってたんじゃない。止められなかったんだ」

 

 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。

 

     *

 

 罪木は小泉のそばへ座り込み、何度も呼吸を整えてから傷を調べた。

 

「一撃ですぅ。た、多分、ほとんど即死だったと思います。傷の形も、そこのバットと合います」

 

「苦しまなかったってこと?」

 

 西園寺が扉の外から聞いた。

 

 左右田とソニアに両側を挟まれている。中へ入りたくないのに、離れることもできないようだった。

 

「は、はい。そうだと思います」

 

「思いますって何? ちゃんと言ってよ!」

「す、すみませぇん!」

 

 小泉なら西園寺を叱ったはずだ。

 

 その小泉は動かない。

 

 西園寺はそれ以上何も言えず、顔を伏せた。

 

「お前、ここで何があったか覚えてないのか?」

 

 日向が聞く。

 

「真昼おねぇから手紙が来たの。二時に、写真の話をするって」

 

 西園寺は帯の間から皺だらけの紙を出した。

 

「中に入ったら誰もいなくて……待ってたら、後ろから口を塞がれて……。起きたら暗いところにいて、開けたら、真昼おねぇが……」

 

 そこで言葉が切れた。

 

「暗いところって、あのクローゼットかな」

 

 七海が室内の奥を指した。

 

 扉を開けると、中にはサーフボード用の細長いケースが並んでいた。床に布が落ち、甘い薬品の匂いが僅かに残っている。

 

「誰かが西園寺さんを眠らせて、ここへ隠した」

 

 葦原はクローゼットの床を見た。

 

 黄色いグミが一つ落ちている。

 

「これ、西園寺さんの?」

 

 葦原は続けた。

 

「じゃあ、襲われた話は作れても、ここにいたこと自体は――」

 

「違うもん!」

 

 西園寺が小さな袋を投げつけた。

 

 左右田が慌てて受け取る。中には赤や緑のグミが入っていたが、黄色は一つもない。

 

「わたし、黄色いの嫌い! 酸っぱくてまずいから、最初に全部捨てたもん!」

 

 葦原は袋と床のグミを見比べた。

 

「そっか。 他にもグミ好きな人がいるのかもね」

 

「簡単に疑って、簡単にやめんな!」

 

 左右田が怒鳴る。

 

「だって違うって言うから」

「そういう話じゃねーよ!」

 

 西園寺は葦原を睨んだが、言い返さなかった。

 

 七海がサーフボードケースを一つずつ調べる。

 

「これだけ、置き方がずれてる。人が入れるくらいの大きさはあるね」

 

「犯人は、西園寺より先に来て隠れてた」

 

 日向は順序を並べた。

 

「西園寺を眠らせてクローゼットへ入れた。そのあと小泉を待ったんだ」

 

「手紙を書いた人が、二人を別の時間に呼んだんだと思う」

 

 七海が二通の文面を比べる。

 

 小泉の服から見つかった手紙には、西園寺の名前で二時半に来るよう書かれていた。

 

 西園寺の手紙は、小泉の名前で二時を指定している。

 

「どっちも偽物だ」と日向は言った。「昨日、二人が写真のことで話してたのを知っていたやつがいる」

 

 道路側の扉は、小泉の身体で塞がれていた。

 

 血の広がりには不自然な擦れがある。殺された場所から、扉の前まで動かされたらしい。

 

「犯人はこっちから出たんじゃないのか?」

 

 終里が砂浜側の扉を指す。

 

「でも、砂に残ってるのは日寄子ちゃんの足跡だけだよ」

 

「犯人が海に直接入ったなら、戻る足跡はいらないとか?」

「海までジャンプするにはちょっと遠いね」

 

 葦原‪は、七海の言葉を耳に、窓から海辺までの距離を眺めた。

 

「……無理だね」

 

 

 辺古山が、ビーチハウスの入口に立っていた。

 

 制服も髪も濡れている。

 

「何かあったか?」

 

 辺古山は小泉の身体を見て、表情を固くした。

 

「お前、なんで濡れてんだ?」

 

 左右田が聞く。

 

「海を泳いでいた。鍛錬の一環だ」

「どこからどこまで?」

「入り江を一周した。ダイナーへ戻ったところで放送を聞いた」

 

 ソニアと澪田は、辺古山が濡れた状態でダイナーへ来たことを見ていた。

 

「九頭龍は?」

 

 日向が尋ねる。

 

「知らない」

 

 辺古山は短く答えた。

 

 少し遅れて現れた九頭龍も、小泉を見て足を止めた。

 

「……誰がやった」

 

「それを調べてるんだよ」と左右田が返す。「テメーは今までどこにいた?」

「一人で島を回ってた」

「証明できんのか?」

「できねえ」

 

 九頭龍の視線が、血のついたバットへ落ちた。

 

 その手が一度だけ握られたのを、日向は見た。

 

     *

 

 狛枝を捜査へ連れていくという案には、当然反対が出た。

 

「殺人計画立てたヤツを、次の殺人現場に連れてくとか正気かよ!」

 

 左右田が旧館の柱の前で叫ぶ。

 

「でも、ここに置いたままなら、弐大くんと田中くんが捜査できない」

 

 葦原は狛枝の足元へしゃがんだ。

 

「足だけ外そうか。一緒に捜査行く?」

 

「ボクなんかが、みんなの役に立てるなら喜んで」

 

 狛枝は柱へ縛られたまま笑った。

 

「手はそのまま。前に作った引っ掛けだけ外せば歩ける。紐の端は弐大くんが持ってて」

 

「任せい。妙な真似をすれば、即座に締め上げるぞ!」

 

 弐大が縄を取る。

 

「犬の散歩みてーになってんぞ」

 

 左右田が呆れた。

 

「犬ではありまちぇん! 狛枝くんは大切な生徒さんでちゅ!」

「そこに怒ってんじゃねーよ!」

 

 外へ出ると、狛枝は久しぶりに伸ばした脚でゆっくり歩いた。

 

「それにしても、ボクまで連れ出すなんて。ボクが誰かをを狙うかもとは、もう思わないのかな?」

 

「今はもう狛枝くんの方が狙われそう」

 

 葦原が隣で言う。

 

「狙われないようにしてね」

 

「ボク一人が死ぬだけなら、むしろ都合がいいんじゃない?」

 

 葦原は少し黙った。

 

「……話し相手いなくなるし」

 

 狛枝の歩幅が一瞬だけ狭くなった。

 

「そっちの心配なんだ」

「ほかにもあるけど、今はそれ」

 

「オメーら、殺人捜査の途中で何の会話してんだよ!」

 

 左右田が割り込む。

 

「左右田も、あんまり一人にならないこと」

「急にオレかよ」

「相手が誰でもいい犯人に狙われそう」

「心配の理由が雑すぎんだろ!」

 

 狛枝が小さく笑った。

 

 日向は笑えなかったが、張りつめていた息が少しだけ抜けた。

 

 ビーチハウスへ戻ると、狛枝は手を縛られたまま部屋を見回した。

 

「小泉さんは、道路側の扉を塞ぐように動かされた。だから、目覚めた西園寺さんは砂浜側から逃げるしかなかったんだね」

 

「足跡を残させるため?」

 

 七海が聞く。

 

「そう見せるためでもあるし、犯人自身の出口を分からなくするためでもあるんじゃないかな」

 

「犯人は小泉さんを動かしたあと、血を洗った」

 

 日向は空の冷蔵庫を見た。

 

「それからサーフボードケースへ隠れた。西園寺が起きて逃げるのを待って、シャワー室の窓から出た」

 

「西園寺さんがまだ眠ってる間に出てもいいよね」

 

 葦原が言う。

 

「目覚める時間は正確に分からない。窓へ上がってる途中で見つかったら証人が増える」

 

 七海が答えた。

 

「それに、日寄子ちゃんが逃げたあとなら、砂浜に誰もいないことを確認できるよ」

 

「そっか。待つ理由はある」

 

 葦原は頷いた。

 

 小泉のコテージからは、昨日届いた写真の封筒が見つかった。

 

 ゲームの音楽室と同じ死体。水着へ詰められた砂利。そして、若い頃の小泉たちを写した写真。

 

 全員でゲームを見たときには、誰がどの役だったかまでは確定していなかった。

 

 九頭龍にとっては、殺された妹の記録だった。

 

「はぁ」

 

 葦原が写真を戻す。

 

「これからも人、死んでくんだろうな」

 

「決めつけるなよ」

 

 日向は強く言った。

 

「止める方法を探してるんだろ」

「全員をずっと同じ場所に置くのは無理。モノクマは、隠したい人にだけ材料を渡せる。止めるの、無理でしょこれ」

 

「だからって諦めるのか?」

「殺さなくて済むなら止めたいよ。でも、できると思うのと、やるのは別」

 

 葦原は写真の封筒を日向へ渡した。

 

「そもそも、ここで死んだら終わりかもまだ分からない。更生できなかったら最初からやり直す施設なら、死んだ人は次の組み直しで戻るかもしれない」

 

「今の小泉さんは戻らないよ」

 

 七海が静かに言った。

 

「同じ記憶を持った小泉さんが作られても、ここでわたしたちと過ごした時間は引き継がれないかもしれない」

 

「うん。 記憶の連続性がないなら、それはもう別人かも」

 

 葦原は反論せず、コテージを出た。

 

 捜査終了を告げる放送が島へ響いた。

 

     *

 

 二度目の裁判場には、空席が三つあった。

 

 十神と花村。

 

 そして、小泉。

 

 西園寺は小泉の席から目を逸らし、自分の台へしがみついている。九頭龍は向かい側で俯き、辺古山はいつも通り背筋を伸ばしていた。

 

 狛枝の手には縄が残っていた。弐大が端を自分の台へ結びつけている。

 

「それでは始めましょう!」

 

 モノクマが両手を広げた。

 

「愛と復讐と海水浴! 南の島にぴったりの、爽やかな学級裁判です!」

 

「どこが爽やかなんだよ!」

 

 左右田が怒鳴る。

 

「まず、ゲームの中身を整理しよう」

 

「ゲームで最初に殺された少女は、九頭龍の妹だった。E子が、水着に詰めた砂利で彼女を殺した」

 

 日向が続ける。

 

「その証拠を隠したのが小泉たちで、E子を復讐で殺したF男が九頭龍だった。あの写真は、その過去が現実だったと九頭龍へ知らせるためのものだ」

 

「じゃあ、チビヤクザが真昼おねぇを殺したんじゃん!」

 

 西園寺が九頭龍を指した。

 

「動機はある。だが、砂浜に残っていた足跡は西園寺のものだけだ」

 

 辺古山が言う。

 

「それなら、西園寺が犯人じゃな」

 

 弐大が声を上げた。

 

「現場から逃げるところも、左右田が見ておる!」

 

「わたしじゃない!」

 

 西園寺が叫ぶ。

 

「手紙で呼ばれて、眠らされてたんだもん!」

 

「その手紙を自分で書いた可能性は?」

 

 九頭龍が冷たく言う。

 

「小泉を呼び出した手紙も、お前の名前だったんだろ。両方用意すりゃ、自分も嵌められたように見せられる」

 

「そんなことしない!」

 

 西園寺の声が裏返る。

 

「西園寺は犯人じゃない」

 

 日向は二通の手紙を示した。

 

「犯人なら、小泉が来る前からクローゼットに隠れる必要がない。それに、黄色いグミは西園寺の物じゃなかった」

 

「グミだけで決められるのか?」

 

 田中が目を細める。

 

「西園寺さんの袋には黄色が一つもなくて、本人も嫌いだって言ってた」

 

 七海が答える。

 

「あれは、サーフボードケースの中で待っていた人が落としたんだと思う」

 

「西園寺さんを眠らせたあと、その人はどこにいたのですか?」

 

 ソニアが尋ねる。

 

「同じクローゼットだよ」と日向は言った。「西園寺を床へ寝かせ、自分はケースの中へ戻った。小泉が来るのを待っていたんだ」

 

「目覚めた日寄子ちゃんが見たのは、小泉さんの死体だけ」

 

 七海が西園寺を見る。

 

「だから、犯人の顔を知らない」

 

「だったら足跡はどうなるんだよ!」

 

 終里が台を叩く。

 

「犯人の足跡がねーなら、飛んで出たってのか?」

 

「飛んではいない。上から出たんだ」

 

 日向はシャワー室の窓の写真を出した。

 

「道路側の扉は小泉の身体で塞がれ、砂浜側から出れば足跡が残る。でも、シャワー室には高い位置に窓があった」

 

「そこまで登る足場は残っていなかったぞ」と田中が言う。

 

「残さずに持ち出せる物を使った」

 

 葦原が辺古山を見た。

 

「竹刀。立てて足を掛ければ窓へ届く。外へ出たあと、袋の紐で引き上げれば、竹刀も一緒に持っていける」

 

「待てや!」

 

 九頭龍が割り込む。

 

「竹刀を持ってるってだけで、ペコ山を犯人にすんのかよ!」

 

「それだけじゃない」と日向は答えた。「犯人は小泉の身体を動かして血を浴びた。壊れたシャワーの代わりに、冷蔵庫の水を使って洗ったんだ。だから全部のペットボトルが消えて、床に血を流した跡が残った」

 

「濡れて現れたのは、辺古山さんだけだった」

 

「ペコ山は鍛錬してただけだ!」

 

 九頭龍は辺古山より先に答え続ける。

 

「ほかのヤツだって、水を被ってから着替えりゃ同じだろうが!」

 

「それ、西園寺さんにはできないんですぅ」

 

 罪木が震えながら言った。

 

「西園寺さんは、一人で着物を着られません。いつも小泉さんに手伝ってもらっていました。血を洗って、もう一度同じ格好へ戻るのは無理ですぅ」

 

「ゲロブタのくせに、今だけはちゃんと見てたんだ」

 

 西園寺は顔を伏せたまま言った。

 

「ひ、酷いですけど、ありがとうございますぅ……」

 

 澪田が小さく首を傾げる。

 

「褒められてはいない気がするっす」

 

 一瞬だけ、いつもの会話が戻った。

 

 すぐに九頭龍の声が切り裂く。

 

「着替えられるヤツならほかにもいるだろ!」

 

「窓から道具ごと出られて、濡れた姿を見られても不自然じゃない人は限られる」

 

 日向は辺古山を見た。

 

「辺古山。お前しかいない」

 

 辺古山は黙っていた。

 

 狛枝が穏やかな声で続ける。

 

「もう一つあるよ。死体発見放送だ」

 

 全員の視線が移る。

 

「放送が流れたのは、日向クンが一人でビーチハウスへ入った直後だった。七海さんたちは、まだ西園寺さんの方にいた」

 

「だから、俺より先に小泉の死体を見た人が二人いる」

 

 日向は思い出した。

 

「一人は、目覚めた西園寺。犯人は数に入らない。もう一人、犯人ではない誰かが、殺されたあとの小泉を見ていた」

 

「それが九頭龍くんなんだね」

 

 七海が言った。

 

 九頭龍の顔から血の気が引いた。

 

「あの写真を持っていて、小泉を呼び出す理由があった。現場にいたのに、砂浜へ足跡を残さず出られた。小泉の身体で塞がれた道路側の扉を、塞がれる前に通ったんだ」

 

「なら、お前が殺したのか?」

 

 日向が聞く。

 

 九頭龍が黙ると、辺古山は眼鏡を外した。

 

「私は――キラキラちゃんだ」

 

 沈黙が落ちる。

 

「……はい?」

 

 ソニアが聞き返した。

 

「悪人のみを裁く正義の連続殺人鬼。あの仮面は、私の印だ。小泉真昼を殺したのも、正義を執行するため」

 

「急に設定が増えたよ」

 

 七海が小声で言った。

 

「しかも、かなり苦しい追加設定っす」

 

 澪田も同意する。

 

「キラキラちゃんは海外の殺人鬼です。犯行声明も、決まった言語で残すと資料にありました」

 

 ソニアの目が真剣になる。

 

「では、その言語で決め台詞をお願いいたします」

 

 辺古山は決めゼリフを長々といい、周りはどこか呆れた空気を醸し出す中、

 

「何言ってやがる!」

 

 九頭龍が叫ぶ。

 

「ペコ、もうやめろ!」

 

 辺古山は眼鏡を掛け直した。

 

「……そうか」

 

 投票が行われた。

 

 選ばれたのは、辺古山ペコだった。

 

 モノクマが正解を告げようとしたとき、辺古山がそれを遮った。

 

「待て。私はクロではない」

 

「今さら往生際が悪いな」と田中が言う。

 

「小泉を殺したのは私だ。だが、辺古山ペコという人間が殺したのではない」

 

 辺古山は九頭龍の前へ身体を向けた。

 

「私は、九頭龍家の道具として育てられた。坊ちゃんを守り、坊ちゃんの敵を排除するためだけに存在する」

 

 九頭龍が息を呑む。

 

「道具が人を殺したなら、使った者が殺人者となる。刃を罪には問えない。ゆえに、この事件の真のクロは坊ちゃんだ」

 

「面白いこと言い出したね!」

 

 モノクマが身を乗り出す。

 

「校則が想定していない抜け穴ですなあ。辺古山さんが本当に道具なら、持ち主の九頭龍クンだけを卒業させるべきかもしれません!」

 

「ふざけんな!」

 

 左右田が叫ぶ。

 

「人間だろうが! 自分で手紙書いて、人を眠らせて、逃げ道まで作ったんだぞ!」

 

「命令を実現するために必要な動作を選んだだけだ」

 

 辺古山の声は揺れなかった。

 

「道具は、目的に応じて使われる。私に意思はない」

 

「成立はするね」

 

 葦原が言った。

 

 裁判場の視線が一斉に集まる。

 

「何がだよ」

 

 日向は聞き返した。

 

「辺古山さんを、九頭龍くんの動作を延長する道具として扱う考え方」

 

 葦原は、二人の間を指で結ぶように動かした。

 

「建物を設計するとき、人は入口に近い方へ流れるとか、幅が狭ければ一列になるとか、動く要素として置く。個人の気持ちを使わなくても、入力に対する動きは予測できる。辺古山さんが九頭龍くんの目的だけを入力にして動くなら、仕組みとしては道具に近い」

 

「人を図面の記号みたいに言うなよ!」

 

 日向が言った。

 

「辺古山は自分で考えて動いた。九頭龍が命令してないなら、その時点で道具じゃない!」

 

「命令が細かくなくても、目的が固定されてれば動作は変えられるよ。温度計も、入力に合わせて勝手に針が動く」

 

「ペコを温度計と一緒にすんな!」

 

 九頭龍が台を殴った。

 

「俺は命令してねえ! むしろ手を出すなって言ったんだ!」

 

 辺古山の目が僅かに動く。

 

「俺は、あいつを問い詰めたかった。殺してやりたいとも思った。でも、最後にはバットを振れなかった。ペコに殺せなんて一度も言ってねえ!」

 

「では、私の判断が誤っていただけです」

 

 辺古山は答えた。

 

「道具にも誤作動はある」

 

「誤作動じゃないよ」

 

 七海が静かに否定する。

 

「辺古山さんは、九頭龍くんがクロにならないように、自分が先に小泉さんを殺した。九頭龍くんの命令より、自分がそうしたいって選択を優先したんだよ」

 

「違う。坊ちゃんを生かすことが、私の存在理由だ」

 

「それを存在理由にしたのは、今ここで話してる辺古山さんだろ」

 

 日向は言った。

 

「手紙を偽造したのも、西園寺を傷つけず隠したのも、小泉を殺したのも、お前が選んだ。九頭龍を卒業させるために、俺たち全員を処刑させようとしたのもだ。都合の悪いところだけ道具になって、選んだことを消すなよ!」

 

「そこは人間的に選んでる。でも、九頭龍くんを守る目的から外れる選択肢は、最初から持ってないなら――」

 

「そういうことじゃない!」

 

 日向の声が重なった。

 

 葦原は口を閉じた。

 

「そ、そう……?」

 

 納得した顔ではなかった。

 

 それでも、それ以上は言わなかった。

 

 狛枝は少し離れた台から、黙った葦原を見ていた。笑ってはいなかった。

 

「ペコ」

 

 九頭龍の声が掠れた。

 

「俺は、お前を道具だと思ったことなんかねえ」

 

 辺古山は答えない。

 

「ガキの頃からずっと一緒だっただろ。お前が勝手に先回りして、俺が怒って、お前が何でもない顔して……。それ全部、道具だったって言うのかよ」

 

「坊ちゃん」

 

 初めて、辺古山の声が揺れた。

 

「俺を生かしたいなら、俺の言うこと聞けよ。道具なら命令だ。勝手にいなくなるな」

 

 辺古山は目を伏せた。

 

「その命令だけは、もう実行できません」

 

 モノクマが大きく判定槌を振り下ろした。

 

「辺古山さんは、自分の判断で小泉さんを殺しました! よってクロは、投票通り辺古山ペコさんでーす!」

 

 九頭龍の顔が歪んだ。

 

 辺古山は、ほんの少しだけ安堵したように見えた。

 

     *

 

 処刑の準備が始まるまでの短い時間、誰も辺古山へ近づけなかった。

 

 九頭龍だけが、何度も名前を呼んでいる。

 

 辺古山は最後に葦原を見た。

 

「葦原。一つ、伝えておく」

 

 葦原が顔を上げる。

 

「坊ちゃんの背中には、私が知る傷がなかった」

 

 日向は意味が分からず、二人を見比べた。

 

「傷?」

 

 葦原が聞く。

 

「こちらへ来たばかりの頃、身体に違和感がないか、皆へ尋ねていただろう。坊ちゃん自身は、その傷があることを知らなかった。背にあり、鏡でも見えにくい場所だったからな」

 

 辺古山は九頭龍を見た。

 

「だが、私は見間違えない。幼い頃、坊ちゃんが意識のない間に私が手当てをした傷だ。この島の坊ちゃんには、それがなかった」

 

「本人が知らない傷だけ、消えてる」

 

 葦原が言う。

 

「記録された身体の複製じゃなくて、自分の記憶から作られた身体なら、知らないものは再現されない」

 

「私には確かめる術がない。だが、お前の役には立つかもしれないと思った」

 

「ありがとう。教えてくれて」

 

 葦原はそれだけ答えた。

 

 処刑される人間へ向ける言葉としては、あまりにも普段通りだった。

 

 辺古山も、それを責めなかった。

 

「ああ」

 

 短く頷く。

 

 次の瞬間、鎖が辺古山の身体を処刑場へ引き込んだ。

 

     *

 

 赤い幕が上がった。

 

 辺古山の手足へ糸が結ばれ、巨大な人形のように吊り上げられる。

 

 舞台を埋めた武者人形が、一斉に刀を抜いた。

 

 辺古山の腕は糸に引かれ、本人の意志を置き去りにする速さで剣を振る。刃と刃がぶつかる音が続き、人形が倒れるたび、別の列が現れた。

 

 自分は道具だと言った人間が、本当に誰かの糸で動かされている。

 

 九頭龍が柵へ体当たりした。

 

「ペコ!」

 

 弐大が止めるより早く、九頭龍は舞台へ飛び込んだ。

 

 辺古山の顔が変わる。

 

 糸に引かれた刃が、九頭龍の身体を斬った。

 

 血が舞台へ散る。

 

 辺古山は初めて、糸の動きに逆らった。

 

 九頭龍へ覆い被さる。

 

 無数の刃が、その背へ振り下ろされた。

 

 音が止まった。

 

 切れた糸がゆっくり垂れ、辺古山の身体から力が抜ける。

 

 その下で、九頭龍も動かなかった。

 

 誰も声を出せない。

 

 二人は、ようやく同じ場所で止まったように見えた。

 

「いやあ、予定外の飛び入り参加には困っちゃうよね!」

 

 モノクマの声だけが明るかった。

 

 舞台の脇から、小さな救急車が走り込む。機械の腕が辺古山の下から九頭龍を引き出し、担架へ載せた。

 

「九頭龍くんは、まだ辛うじて生きております! 特別サービスで治療してあげましょう!」

 

「生きてるの!?」

 

 罪木が駆け寄ろうとする。

 

「ま、待ってください! 私にも状態を確認させて――」

 

 その前に、葦原が救急車の進路へ立った。

 

「死なせてあげなよ」

 

 左右田が葦原を見る。

 

「……は?」

 

「辺古山さんも九頭龍くんも、あそこで一緒に死ぬつもりだったでしょ。九頭龍くんは助かるために入ったんじゃない」

 

 救急車が警笛を鳴らす。

 

「どけ、葦原!」

 

 日向は叫んだ。

 

「今なら助かるかもしれないんだぞ!」

 

「生きていて欲しいって言うのは、外部の私たちの認識」

 

 葦原は退かなかった。

 

「本人の意見を尊重するべき」

 

「今の九頭龍には意見を聞けねえだろ!」

 

 左右田が葦原の腕を掴み、車の前から引いた。

 

「理屈とか言ってんじゃねぇよ! このままだと死ぬんだぞ!?」

 

「だからそれでいいじゃん! なんで死ぬときだけ、本人より周りの希望が優先されるの?」

 

「希望とかじゃねえ!」

 

 左右田の声が震える。

 

 罪木は担架の横へ走り、九頭龍の首へ指を当てた。

 

「脈があります! 弱いですけど、生きてますぅ! お願いですから、早く治療を!」

 

「はいはい。患者さんのご意見は、元気になってから聞きましょうね」

 

 モノクマが運転席へ飛び乗った。

 

「もっとも、ボクの島で誰をいつ死なせるか決めるのは、ボクなんだけど!」

 

 救急車が走り出す。

 

 葦原は左右田に腕を掴まれたまま、その赤い灯りを見送った。

 

 小泉は死んだ。

 辺古山も死んだ。

 九頭龍だけが、本人の望みとも仲間の願いとも関係なく、生かされた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。