第3話 観測者
受験者達の猛攻は続いていた。
拳。
蹴り。
個性。
絶え間なく七瀬へ襲いかかる。
だが。
当たらない。
避けている訳ではない。
防御している訳でもない。
ただ。
そこに居ない。
一歩。
半歩。
わずかな移動だけで。
攻撃の軌道から外れている。
「チッ!」
「囲め!」
包囲が狭まる。
逃げ場はない。
そのはずだった。
だが。
七瀬は追い詰められない。
反撃もしない。
攻撃もしない。
ただ守る。
徹底して守る。
《賢者》。
その仮面が導き出した最適解だった。
戦う必要がない。
だから戦わない。
攻撃する必要がない。
だから攻撃しない。
ただ生存する。
ただ時間を稼ぐ。
それだけ。
「何なんだコイツ!」
「さっきから逃げてるだけじゃねぇか!」
苛立ちが広がる。
しかし。
七瀬は無言だった。
そして。
数秒後。
カチリ。
小さな音が鳴る。
仮面が変わる。
七瀬自身も気付いていない。
だが。
周囲は気付いた。
空気が変わったことに。
真っ白な猫面。
誰も見たことのない仮面。
知らない形。
知らない能力。
知らない存在。
それだけだった。
それだけなのに。
囲んでいた受験者達の動きが少し鈍る。
理由は単純だった。
分からないからだ。
知らない個性。
知らない武装。
知らない仮面。
それは怖い。
「何だそれ……」
誰かが呟く。
七瀬は答えない。
代わりに。
周囲を見渡した。
一人。
二人。
三人。
二十人以上。
自分を囲む受験者達。
そして。
不意に口を開いた。
「シュレーディンガーの猫は知っているか?」
沈黙。
全員固まる。
「は?」
「何?」
「何の話?」
全員が同じ顔になる。
本当に意味が分からない。
七瀬は続ける。
「箱の中に猫を入れる」
「放射性物質を置く」
「毒ガスも置く」
受験者達が顔を見合わせる。
「何言ってるんだコイツ?」
「怖っ」
「急に毒ガスとか言い出したぞ」
若干距離が空く。
何故か。
七瀬は気にしない。
「猫は生きているかもしれない」
「死んでいるかもしれない」
「だが観測されるまで」
「状態は確定しない」
完全に沈黙。
誰一人理解していなかった。
「知るかよ!」
ようやく一人が叫ぶ。
「いや待て!」
別の受験者が言う。
「多分問題はそこじゃない!」
「じゃあ何なんだよ!」
「俺にも分からん!」
全員混乱していた。
試験中である。
戦闘中である。
なのに。
何故か哲学だか理科だか分からない授業が始まっている。
「攻撃しろ!」
「いや何か嫌だ!」
「分かる!」
「何か嫌だよな!?」
妙な空気になっていた。
その時だった。
「ふざけんな!」
一人の受験者が痺れを切らした。
突撃。
拳が振り抜かれる。
直撃。
確かに当たった。
誰の目にもそう見えた。
だが。
七瀬は微動だにしない。
「……は?」
殴った本人が固まる。
もう一発。
当たる。
効かない。
さらにもう一発。
やはり効かない。
沈黙。
「待て」
誰かが言った。
「今当たったよな?」
「当たった」
「普通に当たった」
「じゃあ何で効いてないんだ?」
誰も答えられない。
防御したようには見えない。
回避もしていない。
受け流した訳でもない。
なのに。
ダメージだけが存在しなかった。
「気持ち悪っ……」
誰かが呟く。
全員が内心で同意した。
強いとかではない。
怖いとも少し違う。
ただ。
理解できない。
その中心で。
七瀬だけが真面目だった。
「つまり」
全員が身構える。
「お前達も同じだ」
「何が?」
「合格しているかもしれない」
「落ちているかもしれない」
沈黙。
「何言ってるんだ?」
「分からん」
「いやマジで分からん」
「誰か通訳呼べ」
少し離れた場所で。
別の受験者が小声で言う。
「雄英って授業どうなってんだ……」
「知らん……」
「怖ぇよ……」
七瀬は続ける。
「観測されるまでは」
「どちらも存在する」
「だから」
そこまで言って。
七瀬も少し考える。
数秒。
妙な沈黙。
受験者達も待ってしまう。
何を言うんだ?
何かあるのか?
すると。
七瀬は頷いた。
「まあいいか」
「良くねぇよ!!」
全員が同時に叫んだ。
初めて敵同士の意見が一致した。
そして。
七瀬はそのまま歩き出す。
「え?」
「終わり?」
「説明しろよ!」
「何だったんだ今の!?」
誰も理解できない。
ただ。
全員が何となく思った。
この仮面。
絶対ロクでもない。
そして。
誰も気付いていなかった。
いつの間にか。
七瀬を囲んでいた輪が崩れていることに。
一人。
また一人。
受験者達が戦意を失っていた。
戦う気になれない。
理由は分からない。
ただ。
近付きたくない。
理解したくない。
関わりたくない。
そんな感情だけが広がっていた。
その数秒後。
ピピピピピッ!!
警報。
巨大モニターが光る。
『七瀬刃人』
『第一次選考突破』
静寂。
「……は?」
「え?」
「いつ?」
「何で?」
「俺達さっきまで猫の話聞いてたよな?」
「聞いてた」
「何か説明されたよな?」
「された」
「理解したか?」
「全く」
完全に困惑したまま。
七瀬だけが試験会場を去っていった。
そして最後に。
猫面の奥から一言だけ漏れる。
「観測されたな」
当然。
誰一人意味は分からなかった。
第3話へ続く。
次の前半でこの観測の仮面について話します。