かつて使われていなかった部活動の部室棟――。
そこに光輝が突貫工事で作り上げた仮想訓練室――。通称「ランク戦ブース」は、稼働からわずか数日で百合ヶ丘女学院の勢力図、いや、生徒たちの日常を根底から塗り替えていた。
放課後ともなれば、ロビーの巨大モニター前はリリィたちの人だかりができる。
画面に映し出されるのは、仮想空間内で繰り広げられるリリィ同士の熾烈なトップレベルの攻防戦。
命の危険がない安心感と、リアルを極めた【痛覚・衝撃】のフィードバック。
そして何より、月間上位5%に与えられる「学食のデザート無料券」という絶妙にモチベーションを刺激する餌に釣られ、生徒たちの熱気は最高潮に達していた。
しかし―――、その「新しい遊び場」の利用法は、リリィたちの性格や戦闘スタイルによって綺麗に二極化していた。
【― パターン1:住人となった者たち ―】
天葉「くそっ、あと一歩だったのに……! もう一戦行くわよ夢結!」
夢結「ふふ、何度挑んでも結果は同じよ、天葉」
ブースのポッドから、すっきりと爽やかな顔でロビーに戻ってくるのは天葉と夢結だ。
彼女たちのような負けず嫌いの実力派にとって、この施設はまさに麻薬だった。
今までなら怪我やCHARMの破損を恐れて手加減せざるを得なかった全力の力比べが、ここではノーリスクで、しかも24時間いつでも行える。
亜羅椰「ねえ、次のマッチング、ワタシと組みませんこと?」
壱「私は構わないけれど、その前にさっきの私の虚空からの奇襲、どうやって躱したのか説明してよ」
ロビーの隅では、負けた悔しさをその場で即座に反省会へとスライドさせ、熱く議論を交わすグループが絶えない。
もはや彼女たちの日常会話は「昨日のヒュージがどうだった」ではなく、「今日のランク戦のレートがどう変動したか」にシフトしていた。
食堂のデザート無料券なんて最初の動機に過ぎず、今や彼女たちを突き動かしているのは「純粋な強さへの渇望」と、「ランキングの頂点」という名のプライドになっていた。
【― パターン2:研究者・分析者たち ―】
一方、喧騒から少し離れたロビーの観戦席エリアでは、全く異なる空気が流れていた。
鶴沙「……待って、今の梅様の踏み込み。CHARMの重量を逆手に取った遠心力の殺し方と【縮地】の使い方、すごいな」
二水「本当だ。それに比べて私たちは、どうしても動きが直線的になってます……」
タブレットを片手に、画面を食い入るように見つめているのは二水や、数理的な戦術を好むリリィたち。
彼女たちは自分が戦うこと以上に、上位陣の立ち回りや、様々なレアスキルとCHARMの組み合わせの相性をデータとして収集・分析することに夢中になっていた。
ミリアム「ワシの最新型CHARMの設計データ、この仮想空間の挙動に合わせたらもっと最適化できるかもしれん……。ちょっと工廠科から百由様呼んでくる!」
訓練室のシステム自体を研究対象にし始める工廠科の生徒もいれば、光輝のいないところでも勝手にランク線ブースの改造プランを練り始めている者もいる。
強いリリィの動きをモニター越しにスロー再生し、「なぜあの場面でそのマギ運用ができたのか」を言語化・共有する。
実戦経験の少ない下級生や、フィジカル以外の戦術で活路を見出したいリリィたちにとって、このブースは世界一贅沢な「戦術の教科書」と化していた。
― 理事長室 ―
咬月「――で、どうなんだ? 彼が作ったシステムは」
部屋で、その盛況ぶりの報告を聞きながら、咬月代行は腕を組んで小さく息を吐いた。
傍らに控える側近が、苦笑交じりに答える。
「はっ。リリィたちの総合的な戦闘力、特に『個体としての臨機応変な読み合い』のデータは、導入前とは比較にならないほど跳ね上がっております。……ただ、あまりに熱中しすぎて、本来の門限やスケジュールを忘れる生徒が続出しているのが、現在の最大の問題かと」
咬月「ほう……。思わぬ猛毒を校内に撒いてくれたものだな」
咬月は、理事長室に設置されたランク戦ロビーを映したモニターを見ながら、ロビーで歓声を上げ、あるいは悔しさに地団駄を踏む生徒たちの姿に、どこか面白がるような、そして底知れない恐れを抱くような複雑な目を向ける。
光輝が置いた小さな「箱」は、百合ヶ丘の少女たちの戦闘スタイルを、そして絆の形を、確実に変えつつあった。
そして、華やかな熱気に包まれていたランク戦ブースのロビーに、突如として不気味な警報音が鳴り響いた。
『——緊急警報。大型ヒュージの接近を確認。全リリィは速やかに出撃準備を——』
その瞬間、校内に設置されたすべてのモニターが赤く点滅し、稼働中の仮想空間が強制的にシャットダウンされる。
個室から弾き出されるように、夢結や天葉、そして観戦していた生徒たちが現実世界へと引き戻された。
天葉「なっ……!? ランク戦の真っ最中だったのに!」
依奈「文句は後よ天葉! ヒュージが出たわ!」
戸惑いの声を上げる暇もなく、百合ヶ丘女学院のシステムは即座に臨戦態勢へと移行する。
各レギオンがそれぞれの持ち場へ走り、CHARMを手に学園の防衛ラインへと飛び出していった。
◇
◆
◇
◆
◇
―――迎撃地点の空域および地上境界。
襲来したのは、スモール級からラージ級にかけてのヒュージの群れ。
不気味に蠢きながら突進してくるその姿に、リリィたちは身構える。
夢結「来るわよ! 梨璃!」
梨璃「はい! お姉様!」
一柳隊をはじめとする各レギオンが、一斉にマギを纏ったCHARMを振るう。
しかし―――、激突した瞬間、前線に立つリリィたちの間に奇妙な違和感が走った。
リリィたち(――え……?)
夢結がブリューナクを振るい、ラージ級の巨躯を両断する。
手応えはあった。だが、あまりにも軽すぎる。
まるで、紙細工の壁を突き破るような感覚だった。
天葉「嘘……! 何これ、動きが……読める!?」
天葉が後方からのグラムの射撃モードでスモール級の群れを撃ち払いながら、思わず声を裏返させた。
ヒュージの群れはいつものように咆哮を上げ、牙を剥き出しにして襲いかかってきている。
だが、その一撃一撃がやけに遅く、軌道が丸わかりだった。
以前なら翻弄されていたはずの相手の変則的なフェイントや突進も、ついさっきまで仮想空間でリリィ同士の高度な読み合いを繰り広げていた彼女たちの動体視力と戦闘センスの前には、スローモーションのようにすら感じられた。
梨璃「落ち着いて、皆さん! 動きに注意してください!」
梨璃が指示を飛ばしながら、的確にヒュージのコアを撃ち抜いていく。
次々と崩れ落ち、紫色の粒子となって消えていくヒュージの群れ。
かつてはこの規模の群れともなれば苦戦し、仲間との連携が崩れれば負傷者も出たはずだった。
それが、まるで雑草を刈るかのように、圧倒的な手際よさで片付けられていく。
戦闘は、あまりにも一方的な展開で終息に向かっていた。
―――そして20分後。
神琳「これでラストです!」
神琳のCHARMの射撃が突き刺さり、最後のヒュージは粒子となって消え去った。
敵を全滅させた戦場の空気に、歓声は上がらなかった。
リリィたちはそれぞれの武器を下ろし、どこか気まずそうに、そして深い困惑を浮かべて互いを見交わしていた。
梅「……なあ、気のせいだよナ? 今日のヒュージ……」
楓「いえ、間違いありませんわ。以前何度も戦ったことのある同型の個体のはずなのに……」
楓が冷や汗を拭いながら、信じられないといった面持ちで呟く。
樟美「明らかに、弱かったよね……?」
雨嘉「前はもっと苦戦してたはず……」
以前と同じはずのヒュージ。しかし、リリィたちが感じたのは「敵の弱さ」と、それに伴もなう違和感だった。
脅威が去ったあとの静けさの中で、リリィたちは困惑していた。
― つづく ―
リリィたちが大きくレベルアップしていますね。