【5】
かつて、男の手には絶対の不死が握られていた。
『偉大なる竜狩り』 ── かつてそう呼ばれた戦士の五感は、安酒によって、今や泥濘の底に沈んでいる。
「…フォールン。酒だ」
濁った声が、静まり返った隠れ家に虚しく響く。
彼は、『エリクスニー』をわざわざ古い差別的な呼称で呼んでいる。
そうして誰かを見下していなければ、ゴーストを失い、死の恐怖に怯える己こそが『落ちぶれた者』という惨めさに耐えきれないからだ。
そして当然、応える者は誰もいない。
ガネスは不快げに、短く舌打ちをした。
── あのお嬢様が火星時代から従えるカバルの古参兵たちが、いつここに突っ込んでくるか分からない。
その恐怖に突き動かされるがまま、フォールンたちをすべてアジトの防衛へと駆り立てたのは自分自身だ。
裏社会の有力者、オル・アムラルがアハンカーラの骨を探しているという噂を聞いた時、その脳裏に走ったのは浅はかな生存本能だった。
── 箱入りのお嬢様なら、そこらで拾ったゴミ骨を適当に見せつければ、いくらでも前金を毟り取れる。
だが、現れたオルの使者はあろうことか、一機のゴーストだった。
宙に浮くその姿を見た瞬間、ガネスの胸に醜い嫉妬が狂い咲く。
「欲しければ持っていけ。欲しくないなら、失せろ!」
ボロボロの骨をナンニの前に叩きつけ、ガネスは酒場へと逃げた。
偉大なる竜狩りなら、骨の危険性を諭し、導いてくれるはずだ。
そんなオルの幼い期待を裏切った代償は、彼女がナンニに代筆させた烈火のごとき抗議文だった。
ガネスはそれすらも、シティ中にばら撒く事でバンガードを盾にするための政治的な道具として利用した。
かつての英雄の信用を、薄汚い保身の道具にすり潰すことに吐き気を感じながら。
── 現在
ガネスは相変わらず安酒のボトルを傾けている。
拠点の外、静まり返った闇の中に佇む、多脚戦車『フォールンウォーカー』、そのセンサーが、何かを捉えた。
その巨大な砲身が、目標に向けられる。
瞬間、暗闇の奥から緑色に発光する無数の刃が、一斉に飛来する。
ウォーカーの装甲は一瞬で刻まれ、ガネスの頼みの綱は、爆音と共に鉄屑の山へと変わった。
しかし、アルコールに五感を麻痺させたガネスの耳は、そんなことにすら、気づくことができなかった。
【6】
その頃、武器庫の私室。
オルは手元のタブレットで仕事に取りかかっており、ふと思い出したように、冷ややかな声を響かせた。
「ナンニ、彼女からの報告は?戦力を遊ばせている余裕は無いの」
自身の組織は小規模であり、火消しは順調とは言え、電子戦に優れるサイオンがいるに越したことはないのだ。
背後に滞空するナンニは、シェルを微動だにさせず、無機質な電子音で応えた。
「一定の距離を確保し、ガーディアンの監視を続けています」
「あら、最低限の警戒は出来るのね」
── 愚か者の割には。
口には出さない。だって品が無い。
かわいいナンニを騙すような真似をしたクズには我慢ができず、淑女らしくない『罵倒』の手紙を送りつけてしまったが。
しかし、ガネスがそれをバラ撒いたことで、こちらの組織の動きが完全に制限されてしまったのだ。
シティには、バンガードだけでなく、女帝カイアトルの目もあるというのに。
── あぁ…もぅっ。
不愉快と言えば、あのタイタンも同類だ。
あの男がバラ撒いたメッセージを見て、分け前に預かろうと蛆虫のように集まってきた詐欺師。
『最初の呪い』 ── そのレプリカ。
テックス・メカニカの型落ちを無理やり改造した、歴史の価値もないただのハンドキャノン。
そんな偽物の玩具を腰に下げている男が、この自分を騙し通せると思っているのだろうか。
「現在、敵陣へ正面から乗り込み、目標の捜索を行っているとのことです」
「ふぅん…」
オルは気のない返事を返したが、その言葉に含まれた奇妙な違和感に、ピタリと端末を弄る手を止めた。
「待って。今何て言ったのかしら? 正…面…?」
「はい。防衛線のウォーカーを正面突破し、そのまま侵入したと報告が入っています」
「…あの男が取引を履行しているように聞こえるのだけれど」
「最初からそう言っています」
「…は?」
「品が無いですよ」
言葉の意味を脳が理解した瞬間、彼女の美しい顔に、みるみる驚愕の表情が浮かび上がった。
「っ! ナンニ、直ぐに部隊を用意なさい!」
オルは冷静さを取り戻すために深呼吸をし、部屋を出ようとするナンニを呼び止める。
「状況は?」
「無礼者はたった今確保されたそうです」
その報告を聞いた瞬間、オルの紅い瞳が、すっと細められた。
「そう…なら、ウォービーストを用意なさい」