セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ダリヤが朽ちた扉の隙間を狙い、油の入った瓶を投げ込んだ。
ぱりん、と乾いた音がする。
次の瞬間。
扉の下で何かが激しく蠢いた。
「出ます!」
ダリヤが飛び退く。
ずるり。
腐った扉を押し上げるようにして、巨大な虫が這い出してきた。
長さは九フィートほど。
人間の背丈を優に超える、巨大な芋虫めいた胴体。
頭部の周囲から八本の細長い触手が伸び、それぞれが獲物を探すように宙をのたうっている。
そして今は、全身が油まみれだった。
「うわ……」
ミハイルが思わず声を漏らす。
「これに近づくつもりだったのか、俺たち……」
「だから止めたの」
セラリスが言う。
「ダリヤ」
「はい!」
すでに火をつけて用意してあった松明を構える。
狙いをつけて。
投げた。
松明がキャリオンクローラーの胴体へぶつかる。
ぼっ。
一瞬だった。
油に炎が走り。
次の瞬間には、巨大な虫の全身が炎に包まれた。
「ギィィィィィィッ!」
耳障りな鳴き声。
キャリオンクローラーが激しく身を捩る。
八本の触手が滅茶苦茶に振り回され、地面を叩き、石を弾き飛ばす。
「近づかないで!」
セラリスが言うまでもなく、誰も近づこうとはしなかった。
炎を消そうとしているのか。
それともただ苦しんで暴れているだけなのか。
巨大な虫は地面を転げ回る。
だが、そのたびに全身へ付着した油が燃え広がった。
セラリスはその光景を眺めながら、ふと思う。
――D&Dの油って、可燃性が強いんだよね。
ゲームでは昔から頼れる武器だった。
瓶を投げる。
割れる。
火をつける。
燃える。
実に単純。
だが。
――普通のランタン用油じゃ、ここまで景気よく燃えないはずなんだけど。
少なくとも、ぶっかけて松明一本投げれば生物一匹が即座に火だるまになるような代物ではない。
もはやランタン油というより、何か別の可燃物ではなかろうか。
――まあ。
セラリスは考えるのをやめた。
――D&D世界の油は燃える。
そういうものだ。
世界法則に逆らっても仕方がない。
やがてキャリオンクローラーの動きが鈍くなった。
甲殻なのか皮膚なのか分からない表面は黒く焼け焦げ、激しく振り回されていた触手も一本、また一本と地面へ落ちていく。
最後には。
ぴくり。
と一度だけ大きく痙攣し。
動かなくなった。
炎だけがしばらく燃え続けた。
火傷。
そして、燃焼による煙と熱で呼吸器もやられたのだろう。
完全に死んだことを確認してから。
「……終わった?」
ヴァレリアが尋ねる。
「たぶんね」
「たぶん?」
「死んだふりする怪物もいるから」
その言葉で、近づこうとしていたミハイルの足が止まった。
セラリスは長い棒を拾い、少し離れたところから焼け焦げた胴体を何度か突いた。
反応なし。
触手も動かない。
「今度こそ死んでる」
「最初からそれやってくださいよ……」
「用心深くなったね。偉い偉い」
「誰のせいですか」
それからダリヤが前へ出た。
問題はキャリオンクローラーそのものではない。
あれが隠れていた場所だ。
九フィートもある巨大な虫が潜り込んでいたのだから、朽ちた扉の下にはそれなりの空間がある。
ダリヤは腹ばいにはならず、少し離れたところから慎重に覗き込んだ。
「……何かあります」
「死体?」
ミハイルが聞く。
「それも……たぶん」
暗がりの奥には、白っぽい骨らしきものがいくつか見えた。
キャリオンクローラーがここで何を食べていたかなど、考えない方がいいだろう。
だが。
その周囲に。
小さな金属の反射。
「コインがあります」
ダリヤが棒を使って手前へ掻き出す。
ちゃり。
ちゃりちゃり。
何枚もの硬貨が出てきた。
「銅貨と……銀貨ですね」
「食べられた人の?」
ヴァレリアが聞く。
「たぶん」
服や肉はなくなっても。
貨幣は消化できない。
妙に納得できてしまうのが嫌なところだった。
「まだあります」
ダリヤがもう少し奥を探る。
棒の先に何かが引っかかった。
「ん?」
ゆっくり引き寄せる。
ぼろぼろになった革。
「腐りかけの鞄?」
「直接触らない方がいいよ」
セラリスが言う。
「虫とか毒とかあるかもしれないから」
「はい」
棒で完全に手前へ引っ張り出してから、ダリヤは短剣の先を使って口を開いた。
革はかなり傷んでいた。
中身を布の上へ慎重に転がす。
ころん。
赤い石が一つ。
もう一つ。
ダリヤが拾い上げ、日の光へ透かした。
「宝石ですね」
セラリスも見る。
赤色。
透明感がある。
「ガーネットかな」
「二つあります」
ダリヤが並べる。
そして。
からん。
最後に、小さな金属片が落ちた。
「……鍵?」
ダリヤが拾う。
古びてはいるが、まだ形はしっかりしていた。
小さな鍵だった。
ミハイルが覗き込む。
「何の鍵だろう」
「分からない」
「この廃墟の中の何かですよね?」
ヴァレリアが言う。
「たぶん」
セラリスは鍵を見ながら、少し笑った。
金貨千枚。
黒い宝石。
銅貨と銀貨。
ガーネット二つ。
そして用途不明の鍵。
まだ城の中へまともに一歩も踏み込んでいない。
それなのに、もう十分すぎるほど冒険らしくなっている。
――そうそう。
セラリスは内心で頷いた。
こういう「何に使うか分からない鍵」を拾って、とりあえず持っていくところまで含めてD&Dなんだよね。
ダリヤが鍵を袋へ入れながら尋ねる。
「持っていきます?」
「もちろん」
セラリスは即答した。
「何の鍵か分からない物ほど、捨てたあと必要になるから」
三人とも妙に納得した顔で頷いた。
こうして。
ようやく正面入口の安全が確保された。
内扉の向こうには、まだ何がいるか分からない。
だが少なくとも。
最初に待ち構えていた二つの脅威は。
コボルド六匹は【睡眠】と交渉で。
キャリオンクローラーは油と松明で。
剣を一度も振ることなく片付いた。
セラリスとしては、実に理想的な滑り出しだった。