セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
「私はまだ魔法が残ってるけど」
セラリスは、城門の向こうにある内扉を見ながら言った。
「ここで一旦スレスホールドに戻るのも手だよ」
三人が振り返る。
ミハイルが少し意外そうな顔をした。
「もうですか?」
「もう、じゃないよ」
セラリスは首を振る。
「みんなと同程度の技量の魔法使いだったら、さっきの【睡眠】で力尽きてる」
「あ」
ヴァレリアが気づく。
低位の魔法使いが使える魔法の数は多くない。
たった一度。
たった一発の【睡眠】。
それだけで、その日の切り札を使い果たしていても何もおかしくない。
「私はまだ余裕あるけど、それを基準にしちゃ駄目」
セラリスは続ける。
「本来なら今の私たちは、魔法使いが一番強い札を切った後。コボルド六匹を無傷で無力化して、財宝も手に入れて、入口の怪物も倒した」
地面に置かれた鉄箱を見る。
金貨千枚。
黒い宝石。
それとは別に、キャリオンクローラーの巣から回収した硬貨とガーネット、それに用途不明の鍵。
「ここで帰っても、十分すぎるくらい成果は出てる」
ダリヤが頷きかけた。
だが。
ヴァレリアが内扉を見る。
「でも、今引いたら……」
「うん?」
「廃墟の中にいるものに、番人がやられたのが知られますよね?」
セラリスが笑った。
「そうだよ」
コボルドたちは去った。
入口に潜んでいたキャリオンクローラーも死んだ。
城門周辺の状況は、来た時とは完全に変わっている。
中に知性のある何かがいるなら。
遅かれ早かれ気づくだろう。
「次回来た時には、見張りが増えてるかもしれない」
ミハイルが言う。
「罠を仕掛けられてるかも」
ダリヤも続ける。
「入口を塞がれる可能性もありますね」
「全部ある」
セラリスは頷いた。
「だから、どうするか」
三人を見る。
「どこで引くかも、冒険の大事な判断だ」
進めば危険が増える。
引けば、今ある優位を失うかもしれない。
どちらにも危険がある。
だからこそ。
絶対に正しい答えなどない。
ミハイルは腕を組んだ。
しばらく黙って考える。
「……もう少し、が危ないんですね」
セラリスの表情が少し変わった。
「うん」
短い返事だった。
だが、それだけで十分だった。
――もう少し。
もう一部屋。
もう一匹。
もう一つ宝箱を。
まだいける。
傷も浅い。
魔法も少し残ってる。
そこで死ぬ。
冒険者を殺すのは、必ずしも強大なドラゴンではない。
「あと少しなら大丈夫」という判断だったりする。
ゲームなら全滅して学べる。
この世界では、一度しか学べない。
ダリヤが考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「じゃあ」
「なに?」
「コボルドを不意打ちできなかったとして」
少し言葉を選ぶ。
「誰か一人でも、かすり傷を受けたら撤退する、っていうのはどうです?」
ミハイルが見る。
「かすり傷で?」
「うん」
ダリヤは頷く。
「今回はまだ誰も怪我してないでしょ?」
「そうだな」
「だったら、その状態を基準にするの」
ヴァレリアも話を聞く。
「次に戦闘になって、誰かがちょっとでも怪我したら、その時点で帰る」
「まだ戦えるかどうかじゃなくて?」
「まだ戦える、って思ってる時に帰る」
ダリヤはセラリスを見る。
「それなら、『もう少し』を始める前に止められるんじゃないですか?」
セラリスは答えなかった。
数秒。
じっとダリヤを見る。
ダリヤが不安になった。
「……駄目です?」
「いや」
セラリスは笑った。
「ものすごくいい」
「ほんとですか?」
「うん」
撤退条件を。
危険になってから決めない。
安全なうちに決めておく。
疲れた。
傷を負った。
魔法を使った。
仲間が倒れた。
そうなってから、
《まだいけるか?》
と相談すれば、どうしても欲が入る。
ここまで来たのだから。
せっかくだから。
あと一部屋くらい。
だから。
撤退線は、冷静なうちに引いておく。
「じゃあ、それでいこう」
セラリスが言った。
「誰か一人でも負傷したら、軽傷でも撤退」
「はい」
「それから」
指を一本立てる。
「私がもう一回、大きい魔法を使った場合も撤退を考える」
二本目。
「想定外の敵が出たら、戦う前に逃げられるか考える」
三本目。
「誰かが『まだいける』って言い始めたら――」
ミハイルが苦笑する。
「それが一番危ない?」
「そう」
セラリスは即答した。
ダリヤが笑った。
ヴァレリアも少し笑う。
だが。
四人とも。
さっきまでより内扉を見る目が慎重になっていた。
セラリスはそれを確認して頷いた。
「じゃあ、もう少しだけ進もう」
ミハイルが剣を抜く。
ヴァレリアが盾を構える。
ダリヤは先頭へ出る前に、回収した鍵を確かめた。
セラリスは杖を持ち直す。
そして内心で思う。
――そう。
ダンジョンで一番大切なのは。
奥まで行くことじゃない。
敵を全部倒すことでもない。
宝を全部持ち帰ることでもない。
生きて帰って、次も冒険できることだ。
四人は。
今度こそ慎重に。
廃墟の内扉へと近づいていった。