セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ダリヤが荷物を探りながら言った。
「ミハイルとヴァレリアは、武器と盾で両手が塞がるから、松明は私が持つね」
「頼む」
ミハイルは剣を抜き、もう片方の手には盾。
ヴァレリアも同じように武器と盾を構えている。
セラリスは手首のチャームの腕輪に指を触れた。
小さな飾りの一つが淡く光る。
次の瞬間。
その右手には、使い込まれた小型の戦斧が握られていた。
ハンドアクス+1・リターニング。
投擲しても持ち主の手へ戻ってくる魔法の斧だ。
そして左手。
こちらには盾そのものを持たない。
指にはめた盾の指輪が、必要な時には不可視の防御として働く。
つまりセラリスは、右手にハンドアクス。
左手は空いたまま。
魔法を使うにも、何かを掴むにも邪魔にならない。
「セラリスさんは松明持てそうですけど」
ダリヤが言う。
「持てるけど、戦闘になった時に邪魔だからね」
セラリスは斧を軽く振ってみせた。
「投げることもあるし」
「それ、戻ってくるんですよね?」
「うん」
「便利ですねえ」
「便利だから使ってる」
ダリヤが火をつけた松明を掲げる。
ぱちぱちと油を染み込ませた布が燃え、橙色の光が四人を照らした。
一行は内扉へ向かった。
廃墟は上階の大部分が崩れ落ちている。
遠くから見た時には半ば瓦礫の山のようにも見えたが、一階部分は思ったよりしっかり残っていた。
分厚い石壁。
ところどころ亀裂はあるものの、今すぐ崩れそうな様子はない。
そして正面には。
「大きいな……」
ミハイルが見上げる。
幅二十フィートほどもある巨大な扉。
城の正門から続く場所だけあって、相当な人数が一度に通れるように作られたのだろう。
ダリヤが前へ出た。
扉に触れる前に周囲を見る。
蝶番。
床。
扉の上。
脇の壁。
そして鍵穴。
「鍵は掛かってないみたい」
「罠は?」
「ちょっと待って」
松明を地面へ立てかけ、両手を空ける。
慎重に調べてから。
「……分かる範囲では、ないです」
「じゃあ開けよう」
ミハイルとヴァレリアが左右につく。
セラリスも一歩後ろでハンドアクスを構えた。
左手は空いている。
盾の指輪があるため、見た目だけなら無防備にも見えるが、本人にはその方が都合がいい。
何か飛び出してくれば、斧を投げる。
近づいてくればそのまま斬る。
必要なら左手を使って魔法へ移る。
ぎいいい……。
重い音を立てて扉が開く。
四人はすぐには入らなかった。
まず外から中を見る。
何も動かない。
「空っぽ?」
ヴァレリアが呟く。
広い。
かなり広い大広間だった。
かつては兵士や使用人、あるいは訪問者たちが行き交った場所なのかもしれない。
だが今は。
家具もない。
絨毯もない。
装飾もない。
目につくのは埃。
崩れ落ちた小さな石片。
そして長い年月に晒された石床だけだった。
東西の壁には、本来なら扉があったらしい開口部が見える。
だが。
「扉がないですね」
ヴァレリアが東を見る。
「こっちも」
ミハイルが西を見る。
扉板そのものが失われている。
向こう側は暗い。
一方。
北側の壁。
真正面にだけ、一枚の扉が残っていた。
セラリスは大広間全体を見る。
右手のハンドアクスを少し持ち上げる。
東。
西。
北。
三方向。
――はい。
いかにも最初の分岐。
「入るよ。でも固まらないで」
四人は慎重に大広間へ入った。
入口から夏の日差しが長く差し込んでいる。
石床の中央付近までは十分に明るい。
だが。
広間そのものが大きすぎる。
壁際。
特に四隅には日光が届かない。
薄暗い。
いや。
奥の方は、ほとんど闇だった。
ダリヤが松明を少し高く掲げる。
炎の光が揺れ。
それに合わせて壁の影も動く。
「……外から見るより暗いですね」
「建物の中ってそういうものだよ」
セラリスが答える。
「入口が開いてるから明るいと思って入ると、隅が見えない」
ミハイルが剣を構えたまま、東側の暗がりを見る。
「何か隠れてそうだな」
「その感覚は大事にして」
セラリスは答えた。
ハンドアクスは右手。
左手は空けたまま。
敵がどこから出ても反応できるよう、身体の向きを少しずつ変えながら周囲を見渡す。
さっきまでなら。
空っぽの部屋を見て、
《何もいない》
と判断していたかもしれない。
今は違う。
見えない場所があるなら。
そこには何かいるかもしれない。
ダリヤが一歩前へ出ようとして。
止まった。
「……先に部屋の隅を照らします?」
セラリスが微笑む。
「うん」
いい。
もう「空っぽに見える」と「安全である」を同じ意味だと思っていない。
ダリヤは松明を掲げたまま、いきなり中央へ進まず。
入口近くから。
まず東側の壁。
次に西側。
そして。
光の届かない隅へ。
ゆっくりと炎を向けていった。
セラリスもハンドアクスを構えながら、その光の先を見る。
――ダンジョンに入って最初に覚えるべきこと、その二。
明るい場所から暗い場所を見る時、人間は思っている以上に何も見えていない。
そして。
赤箱D&Dというものは。
そういう「見えていない場所」に何かを置くのが、実に好きなのだった。