セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
まず、一行は退路を固めた。
「この扉、勝手に閉まったら嫌ですね」
ダリヤの言葉に、セラリスも頷いた。
正面玄関の巨大な扉。
そして、大広間北側の扉。
どちらも開けたままにし、持ってきた鉄の杭を床と扉の間へ打ち込んで固定する。
こん、こん、こん。
廃墟の中に槌の音が響いた。
「これで、少なくとも帰る時に扉が閉じてるってことはない」
ミハイルが杭を蹴って確かめる。
「逆に、中のものがこっちまで来やすくもなりますけど」
ヴァレリアが言った。
「その時は外まで逃げやすい方を取ろう」
セラリスが答える。
扉は敵を防ぐものでもあるが。
味方の退路を塞ぐものにもなる。
どちらを優先するか。
今は後者だった。
それから。
ダリヤが一本の長い棒を取り出した。
十フィート棒。
およそ三メートル。
「じゃあ、床を見ながら行きます」
「お願い」
棒の先で。
こん。
石床を突く。
一歩。
また。
こん。
床板なら沈み。
穴なら分かり。
何かの仕掛けがあれば、自分の足より先に棒が触れる。
地味。
ひたすら地味。
だが。
セラリスは、その光景に非常に満足していた。
――そうそう。
――これだよ、これ。
十フィート棒を持ってダンジョンを歩き始めたら、もう立派なD&D冒険者だ。
四人は慎重に廊下へ入る。
ダリヤが前。
ミハイルとヴァレリアがその後ろ。
セラリスは最後尾寄りで、右手にハンドアクス+1・リターニング。
左手は空けたまま。
盾の指輪に防御を任せる。
まず東側。
扉を失った出入口の手前で止まり。
ダリヤが松明を差し出す。
「寝室……みたいですね」
中には壊れかけた寝台。
古い家具。
埃。
それだけだった。
少なくとも。
目に見えるところには何もいない。
「西も見ます」
反対側。
同じように覗く。
やはり寝室。
配置も似ている。
何も動かない。
「どっちも空っぽに見えますね」
ミハイルが言った。
「見える範囲ではね」
セラリスが訂正する。
もう三人も、その言い方には慣れてきた。
そして。
残るのは。
北。
廊下の突き当たり。
唯一、扉の残っている場所だった。
セラリスはその扉を見る。
知っている。
その向こうは食堂。
そして。
――いる。
二匹。
ハーピイ。
低レベルパーティにとって。
単に「空を飛ぶ怪物が二匹いる」というだけなら、まだどうにかなる。
問題は。
歌。
魅了の歌。
聞いた者の意志を奪い。
ハーピイのもとへ歩かせる。
戦士が魅了される。
次に僧侶。
シーフ。
魔法使い。
気づけば全員。
敵を攻撃するどころか。
仲間同士で助け合うことさえできなくなる。
――ここ。
セラリスは何とも言えない気分になる。
――本当に初心者殺しなんだよね。
何度。
見ただろう。
扉を開ける。
歌が聞こえる。
判定。
失敗。
また失敗。
全員失敗。
そして。
「あっ」
となった時には、もう遅い。
魅了されたパーティが。
一人ずつ。
あるいは全員まとめて。
ハーピイの餌になる。
ゲームなら。
全滅しても。
「あそこハーピイいるのか」
と知る。
次のパーティでは。
耳を塞ぐ。
魔法で先手を取る。
遠距離攻撃を用意する。
対策をして再挑戦できる。
だが。
今は違う。
セラリスは横目で三人を見る。
ミハイル。
ヴァレリア。
ダリヤ。
この三人に。
次はない。
一回全滅して覚えればいい。
などというゲーム的な経験の積み方はできない。
死ねば終わり。
――まあ。
セラリスは少し考える。
――たぶん、死んでもアリーナなら蘇生してくれるだろうけど。
スレスホールドにいる高位の僧侶。
蘇生の奇跡を扱えるだけの力はあるだろう。
しかし。
だからといって。
「死んでも生き返れるから大丈夫」
で冒険するのは違う。
蘇生には金が掛かる。
あるいは恩義。
あるいはその両方。
冒険を始めたその日に。
自分の不注意で死んで。
必要のない借金を背負う。
そんな冒険者人生の始め方をする必要はない。
――問題は。
セラリスは北の扉を見る。
――どう自然に助けるか、なんだよね。
「この先にはハーピイが二匹いて、歌を聞くと魅了されるから耳を塞いで」
と言えば済む。
済むのだが。
それでは。
あまりにも知りすぎている。
セラリスの役目は。
攻略本を読み上げることではない。
三人に。
自分で危険を見つけ。
考え。
対策を立てる癖を身につけてもらうことだ。
――かといって。
「勉強だから一回魅了されてみよう」
などとやるほど。
彼女は狂っていない。
どうしたものか。
ダリヤが十フィート棒を置き。
北の扉へ近づこうとする。
「次、これ調べますね」
「うん」
セラリスは答える。
ダリヤが罠を確認する間。
セラリスは考える。
そして。
ふと。
ある方法を思いついた。
「ダリヤ」
「はい?」
「扉を開ける前に」
三人がこちらを見る。
セラリスは何でもないことのように言った。
「今回は、扉の向こうの音も調べようか」
ダリヤが瞬きをする。
「音?」
「うん。今まで目で見ることばっかりやってたでしょ」
セラリスは扉を指す。
「でも敵って、姿を見る前に音で分かることもあるよ」
ミハイルが頷いた。
「足音とか?」
「話し声とか」
ヴァレリアも続ける。
「いびきとか?」
「そうそう」
セラリスは笑う。
――歌とかね。
それは口には出さない。
ダリヤが扉へ耳を近づける前に。
一度止まった。
「……直接くっつけない方がいいですか?」
「いい判断」
まず周囲。
それから。
なるべく音を立てずに。
耳を澄ます。
三人も黙る。
廃墟が静かになる。
遠く。
外から聞こえる夏の虫。
松明の燃える音。
ぱち。
ぱち。
そして。
北の扉の向こうから。
かすかに。
本当にかすかに。
女の声のような。
細い旋律が。
聞こえた。
ダリヤの表情が変わる。
「……歌?」
セラリスは。
内心で。
よし。
と思った。
これなら。
自然に助けられる。