セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
「……歌?」
ダリヤが小さく呟いた。
北の扉の向こう。
かすかに。
女の声のような旋律が聞こえてくる。
ミハイルとヴァレリアも扉を見る。
「こんな廃墟の中で?」
「人間じゃないかもしれませんね」
セラリスは三人の反応を見ながら、口を挟まない。
――さて。
ここからだ。
扉の向こうは食堂。
そこには二匹のハーピイ。
そして、低レベルパーティを壊滅させるには十分すぎる魅了の歌。
セラリスは何度、この場所で全滅するパーティを見ただろう。
扉を開ける。
歌が聞こえる。
一人が魅了される。
助けようとした仲間も魅了される。
最後には全員がハーピイへ歩いていく。
ゲームなら。
一度全滅して、
《ここにはハーピイがいる》
と覚えればいい。
次は対策して来られる。
だが。
ミハイル。
ヴァレリア。
ダリヤ。
この三人に、次はない。
おそらく死んでもアリーナなら蘇生してくれるだろう。
しかし。
冒険初日に、避けられた死のために高額な蘇生費用や恩義を背負う必要などない。
――どう自然に助けるか。
それが問題だった。
「歌う魔物っているんですか?」
ヴァレリアが尋ねる。
「いるよ」
セラリスは答えた。
「歌に魔法みたいな力があるものもいる」
三人の顔つきが変わる。
「聞くだけで?」
ミハイルが尋ねる。
「そういうのもいる」
ダリヤが腕を組んだ。
「……だったら、普通に開けるのは危ないですね」
「そう思う」
「まず、ちょっとだけ開けて中を見ません?」
「いいね」
布を耳へ詰める。
完全に音を遮断できるわけではない。
だが、少しでも歌声を弱めるためだ。
簡単な手信号も決める。
止まれ。
戻れ。
敵。
右。
左。
二匹。
準備を整えてから、ミハイルが扉へ手を掛けた。
ほんの少し。
ゆっくり開く。
その瞬間。
扉の隙間から、歌声がはっきり聞こえた。
布越しでも分かる。
美しい女の声。
二つ。
重なるように響いている。
四人は動きを止める。
セラリスは三人の様子を確認した。
ミハイル。
正常。
ヴァレリア。
正常。
ダリヤ。
正常。
――大丈夫。
今のところ。
さらに少しだけ隙間を広げる。
中は食堂だった。
長いテーブル。
椅子。
食器棚。
そして部屋の奥。
二つの影。
女の上半身。
翼。
鳥の脚。
ハーピイ。
二匹。
一匹がこちらを見た。
歌が止まる。
もう一匹も気づいた。
「ギャアッ!」
甲高い声を上げる。
ミハイルがすぐ扉を閉じた。
四人は廊下を少し戻る。
耳の布を外す。
「……何ですか、あれ」
ダリヤが尋ねる。
「ハーピイ」
セラリスは答えた。
「やっぱり」
ヴァレリアも知識としては知っていたらしい。
「歌に何かあるんですか?」
ミハイルが尋ねる。
「魅了」
三人が黙る。
「歌を聞いた相手の意志を奪う。自分から近づいていったり、言うことを聞いたりするようになる」
「全員かかったら?」
「たぶん全滅」
沈黙。
ミハイルが北の扉を見る。
「……帰ります?」
セラリスは答えない。
「どうする?」
ここで決めるのは三人だ。
ダリヤがしばらく考える。
それから。
ふと、荷物へ目を向けた。
「油……まだ残ってますよね?」
ミハイルが振り返る。
「ある」
キャリオンクローラーを焼いた時に一瓶使った。
だが、全部ではない。
ダリヤの目が少し輝いた。
「いる場所は分かったんですよね」
「うん」
セラリスが答える。
「部屋の奥に二匹」
「だったら」
ダリヤは北の扉を指さした。
「次は扉を開けて、ミハイルとヴァレリアとセラリスさんで、残りの油瓶を投げつけてください」
三人がダリヤを見る。
「私が松明を投げて火をつけます」
ミハイルが瞬きをした。
「また燃やすのか?」
「だって見たでしょ?」
ダリヤは先ほど見たハーピイの姿を思い出す。
「全身、羽毛に覆われてました」
ヴァレリアが理解した。
「あ」
「油まみれにして火をつけたら、火だるまになります」
ダリヤは続ける。
「そうなったら歌なんか歌ってる場合じゃないと思います」
一瞬。
誰も喋らなかった。
セラリスは。
内心で。
――この子、適性あるなあ。
と思った。
ハーピイの最大の脅威は歌。
ならば。
歌えない状況を作る。
沈黙の魔法も。
魅了を防ぐ高価な装備もない。
だから。
燃やす。
極めて原始的。
極めて乱暴。
そして。
低レベル冒険者としては、非常に理にかなっている。
ミハイルも考え始める。
「扉を開ける役は?」
「僕がやる」
「盾は?」
「開けたらすぐ構える」
ヴァレリアが言う。
「私は油を投げればいいんですね」
「うん」
ダリヤが頷く。
「セラリスさんも」
「分かった」
セラリスは平然と答える。
――しかし。
また油。
――D&Dの油、本当に強いな。
普通のランタン用油ではここまで便利な武器にならない気がする。
だが。
この世界の油は。
投げれば割れる。
火がつく。
よく燃える。
なら。
使わない理由がない。
セラリスは確認する。
「ただし、一つ」
三人を見る。
「油を投げて外したら?」
ダリヤが答える。
「すぐ扉を閉める」
「火をつける前に飛び出してきたら?」
ミハイル。
「盾で止める」
「片方しか燃えなかったら?」
ヴァレリア。
「燃えた方に近づかず、もう片方を優先して攻撃」
「歌が始まったら?」
三人が少し考える。
ダリヤが答えた。
「耳を塞いだまま、無理なら撤退」
「よし」
セラリスが頷く。
その場の勢いで突っ込むのではない。
失敗した時の動きまで決める。
それが大事だ。
四人はもう一度、耳へ布を詰めた。
油瓶を準備する。
ミハイル。
ヴァレリア。
セラリス。
それぞれ一本。
ダリヤは松明。
セラリスはハンドアクス+1・リターニングを一度チャームの腕輪へ戻し、油瓶を右手に持つ。
左手は盾の指輪に任せたまま空けておく。
配置につく。
ミハイルが扉の前。
左右にヴァレリアとセラリス。
少し後ろにダリヤ。
セラリスが指を三本立てた。
三。
二。
一。
ミハイルが扉を一気に開く。
食堂。
二匹のハーピイ。
先ほどと同じ場所。
こちらに気づいた。
口を開く。
歌い始める、その前に。
「今!」
三本の油瓶が飛んだ。
ぱりん!
ぱりん!
ぱりん!
一つが床。
一つが手前のハーピイ。
もう一つが二匹の間で割れる。
油が羽毛と床へ大量に飛び散った。
ハーピイたちが悲鳴を上げる。
「ギャアッ!」
「ダリヤ!」
「はい!」
松明が飛んだ。
火のついた先端が、油に濡れた床へ落ちる。
ぼっ。
炎が走った。
床から。
羽へ。
翼へ。
一瞬で燃え広がる。
「ギャアアアアアアッ!」
ハーピイが絶叫する。
歌ではない。
魅了の旋律でもない。
ただの悲鳴。
一匹が翼をばたつかせる。
だが。
それが逆効果だった。
空気を送り込み。
油を含んだ羽毛へ炎が広がる。
もう一匹も。
床の炎を踏み。
脚から腹へ火が移る。
「ギャッ! ギャアアッ!」
ダリヤが叫ぶ。
「やっぱり歌えない!」
ミハイルが剣と盾を構えた。
「来るぞ!」
炎に包まれた一匹が、半ば狂乱したようにこちらへ突進する。
だが。
もう。
魅了の歌を歌う怪物ではない。
火に怯え。
苦痛で暴れる獣だ。
セラリスはチャームの腕輪に触れる。
右手へ。
ハンドアクス+1・リターニング。
「ここからは普通に倒すよ!」
三人が応じる。
「はい!」
セラリスは燃え盛る二匹を見ながら。
内心で思った。
――うん。
――低レベルD&Dは、こうでなくちゃ。
強敵に正面から付き合わない。
敵の強みを潰す。
手持ちの道具を使う。
そして。
戦闘が始まる前に、できるだけ勝負を終わらせておく。
少なくとも。
魅了の歌で全滅する未来は。
これで消えた。