セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚―   作:ぶーく・ぶくぶく

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ミスタメア城
訓練所が欲しい


 

訓練が一段落した日の夕方。

 

セラリスは、アリーナの執務室を訪れていた。

 

窓の外では、スレスホールドの家々が夕暮れの色に染まり始めている。

 

アリーナは書類から顔を上げた。

 

「珍しいわね。何かあったの?」

 

「お願いがあるんだ」

 

「あなたのお願いって、だいたい普通じゃないのよね」

 

「今回はかなり普通だよ」

 

アリーナが腕を組む。

 

「聞くだけ聞くわ」

 

セラリスは少し考えてから言った。

 

「町の外で訓練場に使ってる土地、あるでしょ」

 

「ええ」

 

「そこに石造りの小屋が欲しい」

 

アリーナが瞬きをした。

 

「……小屋?」

 

「うん。できれば丈夫なやつ」

 

「もっと妙なものを言い出すかと思ったら、本当に普通だったわね」

 

「でしょ?」

 

「用途は?」

 

「瞑想の場」

 

そこで一度言葉を切る。

 

それから、少しだけ声を落とした。

 

「それと、転移で帰ってくる場所にしたい」

 

アリーナの表情がわずかに変わった。

 

冗談として流してよい話ではないと分かったのだろう。

 

「なるほど」

 

セラリスは続けた。

 

「本当は、自宅みたいに落ち着いていて、細部まで頭に入ってる場所があるのが一番いいんだけど」

 

「ないのね」

 

「ない」

 

即答だった。

 

この世界に来てからのセラリスには、完全に『自分の家』と呼べる場所がまだなかった。

 

宿では駄目だ。

 

人が入れ替わる。

 

家具も動く。

 

隣室に誰が泊まるか分からない。

 

借家でも、貸主の都合で変わることがある。

 

テレポートで安定して帰る場所にするには、景色が変わらず、物の配置も大きく変わらず、着地点に余計な物が置かれない場所が欲しい。

 

そしてできれば、誰にも勝手に触られない方がいい。

 

「自宅の代わり、ってこと?」

 

「そうだね。少なくとも、帰還地点として信頼できる場所」

 

アリーナは椅子の背にもたれた。

 

「そんなに必要?」

 

「かなり」

 

セラリスは即答した。

 

「今はまだ、新人三人の訓練が中心だからそこまでじゃない。でも、この先もっと危ない場所へ行くようになると、『ここはまずい』と思った時に、確実に帰ってこられる場所があるかどうかで生存率がかなり変わる」

 

「……その小屋に、転移で直接帰ってくるのね」

 

「そう」

 

「怪我人を抱えていても?」

 

「そのつもり」

 

「半死半生でも?」

 

「そういう時ほど使いたい」

 

アリーナはしばらく黙っていた。

 

窓の外から子供たちの声が聞こえる。

 

夕方の町の音だ。

 

平和な音だった。

 

その中で、セラリスの言葉だけが少し物騒だった。

 

「つまり」

 

アリーナが整理するように言った。

 

「訓練場に石造りの小屋を一つ建てる。普段は瞑想や休憩に使う。でも本当の目的は、あなたが危険な場所から人を連れて帰ってくるための固定帰還地点」

 

「うん」

 

「中は?」

 

「なるべく単純がいい」

 

セラリスは指で簡単に形を描く。

 

「石の床。頑丈な壁。できれば窓は小さめ。中央は広く空ける。家具は最小限。机と棚が壁際に少しあるくらいでいい」

 

「中央を空けるのは?」

 

「到着地点にしたいから」

 

「なるほど」

 

「誰かが勝手に荷物を置いたり、寝転がったりしないようにしたい」

 

アリーナが少し笑った。

 

「『その部屋の真ん中に物を置くな』って、ずいぶん変な規則になりそうね」

 

「変でも必要なんだよ」

 

セラリスは真顔だった。

 

「本当に危ない時、着いた先に樽が置いてあったとか、家畜が寝てたとか、子供が遊んでたとか、そういうのは困る」

 

「困るどころじゃないわね」

 

「でしょ?」

 

アリーナは机の上へ指を軽く打ちつけた。

 

「建てるのは構わないと思う。町の外の訓練場なら、町の中ほど周囲にも迷惑をかけないでしょうし」

 

「ありがとう」

 

「でも条件はあるわ」

 

セラリスが顔を上げる。

 

「小屋を『転移で何か危険なものを持ち込む場所』にしないこと」

 

「……危険なもの?」

 

「例えば、制御できない怪物とか、呪われた物とか、燃えてる荷車とか」

 

「燃えてる荷車を転移させる予定はないよ」

 

「予定がなくてもやりそうなのよ」

 

少しだけ不本意そうな顔をしたが、セラリスも否定しきれなかった。

 

アリーナは続けた。

 

「あと、町に持ち込む前に隔離が必要なものを扱うなら、私か守備隊に一言通すこと」

 

「それは分かる」

 

「それと」

 

アリーナがわずかに目を細める。

 

「どうせ小屋一つで終わらないんでしょう?」

 

セラリスが視線を逸らした。

 

「まだ分からないよ」

 

「訓練場に若い子たちが集まり始めてる時点で、私はもう少し大きくなると思ってるわ」

 

「まあ……その可能性はある」

 

「だったら、最初から少し余裕を持たせた方がいいかもしれないわね」

 

セラリスは少し考えた。

 

たしかにそうだった。

 

今は小屋一つでいい。

 

だが、この先。

 

荷物置き場が欲しくなるかもしれない。

 

簡単な治療用の寝台も必要になるかもしれない。

 

雨風をしのげる場所。

 

予備のロープや杭を置く場所。

 

弓の的や木剣をしまう場所。

 

それらを考えれば、小屋は小屋でも、単なる物置では足りない。

 

「じゃあ」

 

セラリスは言った。

 

「本当に最初は小さくていい。でも、後から増築しやすいように建てたい」

 

「分かったわ」

 

アリーナは頷いた。

 

「石工には私から話しておく。町の外の訓練場用施設として申請しておくから、あなたも後で場所の指定をしなさい」

 

「助かる」

 

「費用は?」

 

そこでセラリスは少しだけ笑った。

 

「ちゃんと自分の分け前をもらっておいてよかったよ」

 

アリーナも笑う。

 

「そうね。あそこで『私はいらない』なんて言わなくて正解だったわ」

 

セラリスは頷いた。

 

本当にその通りだった。

 

もし遠慮していたら、こういう時に動きが取りづらい。

 

訓練場も。

 

小屋も。

 

弟子たちに必要な物も。

 

全部、誰かの善意だけに頼るわけにはいかないのだ。

 

「ありがとう、アリーナ」

 

「いいのよ」

 

アリーナは書類をまとめながら言った。

 

「町の若い子たちが、少しでも生きて帰りやすくなるなら悪い話じゃないわ。……それに、あなたが本気で帰還地点を欲しがるってことは、今後も無茶をする気なんでしょうし」

 

「無茶はしないよ」

 

「危ない場所へ行く気はあるのね」

 

「それはある」

 

「十分よ」

 

そう言ってアリーナはため息をついた。

 

セラリスが席を立つ。

 

執務室の扉へ向かいかけたところで、アリーナが背中に声をかけた。

 

「セラリス」

 

「なに?」

 

「その小屋、名前は決めてるの?」

 

セラリスは少し考えた。

 

そして首を横に振る。

 

「まだ」

 

「そう」

 

「でも、たぶん」

 

セラリスは窓の外、町の向こうに広がる訓練場の方角を思い浮かべた。

 

石の床。

 

動かさない壁。

 

誰も中央に物を置かない部屋。

 

帰ってくるための場所。

 

瞑想のための場所。

 

今はただの小屋でも、いずれは訓練場の中心になっていくかもしれない場所。

 

「たぶん、これから長く使うことになる」

 

アリーナが静かに頷いた。

 

「そうでしょうね」

 

その返事を背に、セラリスは部屋を出た。

 

町の外れに、まだないはずの石造りの小屋が、もう頭の中ではかなりはっきり形になっていた。

 

自宅ではない。

 

けれど。

 

少なくとも、自分の意志で戻る場所にはできる。

 

それは今のセラリスにとって、思っていた以上に大事なことだった。

 

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