セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ミハイルは、縛り上げられた四匹のコボルドのそばへしゃがみ込むと、そのうちの一匹の肩を掴んで揺すった。
「起きろ」
「……グゥ……」
眠り込んだコボルドは鼻を鳴らしただけで、まだ目を覚まさない。
ミハイルはもう一度、今度は少し強く肩を揺すった。
「起きろ」
ようやく瞼が開いた。
最初のうちは何が起きたのかわからないらしく、コボルドはぼんやりと瞬きを繰り返していたが、目の前に立つミハイルと、その手に握られた剣、それから自分の手足へ回された縄に気づいた途端、その表情が一変した。
「グルルッ!」
低い唸り声とともに、全身を激しく捩る。
だが今回は、前回のように一匹ずつ別々に縛られているわけではない。ダリヤが覚えてきたロープワークを使い、一本の長い縄で四匹を互いに繋ぐように拘束していた。一匹だけが身体を振り回したところで、隣の仲間まで引っ張るだけで、どうにもならない。
しばらく必死にもがいていたコボルドも、やがて逃げられないことを理解したらしい。
荒い息を吐きながら、ようやく動きを止めた。
ミハイルは、その顔を正面から見た。
「聞きたいことがある。誰に命令されて、あの杭を抜こうとしてた?」
コボルドの耳がぺたりと伏せられた。
しばらく黙っていたが、剣先を見て観念したのか、やがて低い声で答えた。
「……御方だ」
「御方?」
「御方に、冒険者が残した侵入路を片付けろと言われた」
ミハイルたちは顔を見合わせた。
やはり、この四匹が偶然ここへ戻ってきたわけではない。
明確に、誰かの命令を受けて動いている。
「その御方っていうのは誰だ?」
「強い魔法使いだ」
「名前は?」
「知らない。我々は御方と呼ぶ」
「お前たちは、その魔法使いに仕えてるのか?」
コボルドは頷いた。
「そうだ。我々は御方に仕えて、この廃墟を管理している」
その言葉を聞いたダリヤが、小さな声で言った。
「管理ってことは、やっぱり、ただ住み着いてるだけじゃないんだ」
ヴァレリアも、無意識に廃城の奥へ目を向けていた。
ミハイルはさらに問いを重ねる。
「御方はどこにいる?」
「地下深くだ」
「地下?」
「この城の下にいる」
「どうやって行く?」
「知らない!」
コボルドは急に慌てた。
それが誤魔化しなのか、本当に怯えているのかを見極めようと、ミハイルがじっと顔を見つめる。
「本当に?」
「本当だ! 我々は地下へ入るなと言われている!」
「誰に?」
「御方にだ!」
「どうして地下へ入るなって言われてる?」
その問いを向けられた瞬間、コボルドの顔に、それまでとは明らかに違う種類の恐怖が浮かんだ。
ミハイルへの恐怖ではない。
もっと別のものを思い出している顔だった。
「危ない」
「何がいる?」
コボルドは声を落とした。
「死者だ」
ヴァレリアの表情が変わった。
「死者?」
「この城へ来た冒険者たちだ。死んだ奴は、御方が起こす」
「起こす?」
「ゾンビにする」
それから、少し間を置いて続けた。
「骨になった奴は、スケルトンだ」
四人は黙った。
廃墟の中に怪物がいること自体は、今さら驚くことではない。
だが、ここへ探索に来て命を落とした冒険者たちが、その死体まで利用されているとなれば、話は少し違ってくる。
「地下を歩いている。だから俺たちは行かない。御方も行くなと言う」
コボルドがそう言ったところで、ミハイルが何かを思い出したように「ああ」と声を洩らした。
ダリヤが彼を見る。
「何?」
「それで人間の死体が少なかったのか」
「死体?」
「キャリオンクローラーがいたところだよ。あれだけ冒険者が来てるなら、もっと人間の死体が転がっててもおかしくなかっただろ」
ヴァレリアも思い出したらしく、ゆっくり頷いた。
「腐肉喰らい虫に食べられたものもあるでしょうけど……」
「残った死体を誰かが回収してたなら、骨も死体もあまり残らない」
ミハイルはそう言って、まるでその下に何かがいるのを意識するように、石床へ視線を落とした。
ダリヤは露骨に嫌そうな顔をした。
「死んだあとまで、廃墟の警備をやらされるのか……」
セラリスは黙ってそのやり取りを聞いていた。
ゾンビとスケルトン。
その二つの言葉を頭の中で確かめながら、左手でチャームの腕輪へそっと触れる。
次に取り出す武器は、もう決まった。
ハンドアクス+1・リターニングではない。
生身の相手であれば、投げれば戻ってくるあの斧は非常に便利だ。距離を保ったまま攻撃できるし、無理に前へ出る必要もない。
だが、これから相手にする可能性があるのは、腐った肉を引きずって歩くゾンビと、骨だけになってなお動くスケルトンである。
そういうものなら、刃で切るより叩き潰す方がいい。
まして彼女の腕輪には、魔法のメイスが収められている。
メイス+1・ストライキング。
地下へ入ることになるなら、こちらを使うべきだろう。
そう判断したが、セラリスはまだ武器を取り出さなかった。
今は戦うときではない。
目の前のコボルドから、取れる情報をすべて取っておく方が先だった。
ミハイルも同じことを考えていたらしい。
「他に危険な場所は?」
コボルドは少し迷った。
それから、ためらいがちに答えた。
「食堂」
「食堂?」
四人が互いの顔を見た。
前回、ハーピイたちを倒した場所である。
「食堂の押し入れ」
コボルドが言った。
「そこにゾンビが押し込めてある」
一瞬、誰も何も言わなかった。
最初に聞き返したのはダリヤだった。
「……押し入れに?」
「そうだ」
「どうして?」
「御方が入れた」
「罠?」
「たぶん」
ミハイルが眉をひそめた。
「前回、俺たち、あの部屋は調べたよな」
「テーブルと長箱ばっかり見てた」
ダリヤが答えた。
「押し入れは……ちゃんと開けてない」
ヴァレリアが小さく息を吐いた。
「開けなくて良かったですね」
「本当にね」
セラリスも心からそう思った。
ハーピイを倒し、完全に勝った気になっていたあの直後、勢いに任せて部屋中の戸棚や押し入れを片端から開けていたら、そのままゾンビとの戦闘になっていたわけである。
初心者向けの廃城だと思っていたが、どうにも殺意だけは途切れる気配がない。
コボルドはさらに続けた。
「東の倉庫にもある」
ダリヤが嫌そうな顔で尋ねる。
「何が?」
「ゾンビ」
「また?」
「箱の中だ」
今度は全員が黙った。
ミハイルが、聞き間違いでないことを確かめるように問い返す。
「箱の中?」
「大きな箱だ。御方がゾンビを押し込めてある」
「……なんでそんなことを」
ヴァレリアが呟くと、ダリヤがすぐ答えた。
「開けた冒険者を襲わせるためでしょう」
コボルドが頷く。
「罠だ。開けるな」
セラリスは頭の中で、その光景を想像した。
宝箱かと思って蓋を開ける。
中からゾンビ。
あまりにもそれらしい。
いかにも赤箱のD&Dである。
ダリヤも同じようなことを考えたのか、少し引きつった顔で言った。
「これから箱を見つけたら、まず振ったり、音を聞いたりした方がいいね……」
「それも、場合によっては危ないよ」
セラリスが口を挟む。
「中に何が入っているかわからない箱は、とにかく、いきなり開けない。まず周りを見る。それから考える」
「はい」
ダリヤは素直に頷いた。
そのとき、捕らえられているコボルドが、不安そうに四人の顔を見回した。
「……あと」
「ん?」
ミハイルがそちらを見る。
コボルドは、もう最初のような敵意を見せてはいなかった。
必死だった。
「あと何を言えば、助けてくれる?」
その一言で、場の空気が少し変わった。
こいつは情報を売っている。
自分が知っていることを一つでも多く差し出し、その代わりに命を買おうとしているのだ。
ダリヤが少し考えてから、尋ねた。
「金貨は持ってる?」
ミハイルが振り返った。
「がめついな」
「大事でしょ!」
「命乞いしてる相手に、最初に聞くのが金貨か?」
「だって前回、金貨千枚出てきたんですよ!」
「だからって」
「情報は情報、財宝は財宝です!」
セラリスは頷いた。
「それはそうだね」
ミハイルが今度は彼女を見る。
「先生まで!?」
「ダンジョン探索だからね」
「そういうものなんですか……」
コボルドは、何とも言えない顔で三人を見回した。
「金貨は持っていない」
ダリヤが見るからに落胆する。
ところがコボルドは、その反応を見て慌てたのか、すぐに続けた。
「でも、隠してある」
ダリヤの顔がすぐ戻った。
「でも?」
「西の奥だ」
コボルドは廃墟の西側を顎で示した。
「通路の先に、崩れた瓦礫の山がある。その中に、小さな鉄の箱を隠してある」
ダリヤがさらに身を乗り出した。
「中身は?」
「金だ」
「どのくらい?」
「知らない。我々が少しずつ集めたものだ」
「じゃあ、なんで自分たちで取りに行かないの?」
その問いを向けられた途端、コボルドの顔が強張った。
「戻りたくない」
「廃墟に?」
「そうだ」
「でも、自分たちの金なんでしょう?」
「いらない!」
今までとは違う強い声だった。
「取りに戻って、御方に見つかるのは嫌だ」
言いながら、コボルドは身体を小さく縮めた。
杭を抜けなかった。
侵入者を止めることもできなかった。
そのうえ捕虜にまでなった。
「御方は失敗を許さない」
ミハイルが尋ねる。
「殺されるのか?」
「分からない」
どうなるかわからない。
おそらく、それこそが一番恐ろしいのだろう。
「だから、お前たちが探してくれ」
「俺たちが?」
「そうだ」
「自分たちの財宝なのに?」
「もういらない」
コボルドは即答した。
「もう廃墟の中には戻りたくない」
少しのあいだ、誰も何も言わなかった。
ダリヤがぽつりと呟く。
「本気みたいですね」
「そう見えます」
ヴァレリアも頷いた。
ミハイルは最後にセラリスを見る。
「どうします、先生?」
セラリスは少し考えた。
この四匹を殺す理由はない。
こちらへ危害を加えようとしたわけでもないし、情報もかなり引き出せた。何より、こいつら自身がもう城へ戻りたくないと言っている。
「逃がしていいと思う」
「俺もそう思います」
ミハイルが頷いた。
「かなり話してくれたし」
「それに、ここへ戻らないなら」
ヴァレリアが続ける。
「少なくとも、この廃墟を守る側の人数は四匹減ります」
「鉄箱の場所も教えてくれたし」
ダリヤが付け加える。
ミハイルが横目で見る。
「そこ重要?」
「重要です」
「重要だね」
セラリスも頷いた。
ミハイルは何かを諦めたように息を吐いた。
「……はいはい」
そして剣を引いた。
「分かった。解放する」
コボルドがぱっと顔を上げた。
「本当か!」
「ただし」
ミハイルの声が低くなる。
「もうここへ戻るな」
「戻らない!」
「御方にも、他のコボルドにも、俺たちが来たことを知らせない」
「分かった!」
「仲間三匹も連れていけ」
「当然だ!」
そこでダリヤがロープへ手を伸ばした。
「じゃあ、一匹ずつね」
コボルドが露骨に嫌そうな顔をする。
「なぜ?」
「一度に四匹全部自由にすると思います?」
「……思わない」
「よろしい」
一匹ずつ起こし、事情を説明し、縄を解いていく。
もちろん、武器までは返さない。
四匹目の拘束を解き終えたとき、コボルドたちは互いの顔を見合わせる暇さえ惜しむように立ち上がった。
そして本当に、城の奥を一度も振り返らなかった。
正面の門へ向かって一目散に走り出す。
先頭の一匹が、朽ちた城門のあたりまで行ったところで、一度だけ立ち止まった。
振り返る。
「食堂の押し入れ!」
大声で叫んだ。
「東の倉庫の箱!」
さらに西を指差す。
「瓦礫の中の鉄箱!」
そして最後に、それまでよりも大きな声で、
「地下へ行くな!」
そう叫ぶと、もう二度と立ち止まらなかった。
四匹は草地を駆け抜け、藪へ飛び込み、そのまま山の方角へ姿を消した。
戻ってくる気配はない。
四人はしばらく、その背中が消えた方角を見ていた。
やがてミハイルが口を開いた。
「……一気に情報が増えましたね」
ヴァレリアが指を折る。
「食堂の押し入れにゾンビ」
一つ。
「東の倉庫の箱にもゾンビ」
二つ。
「西の奥には隠してある鉄箱」
三つ。
「地下にはゾンビとスケルトン」
四つ。
ダリヤが続けた。
「それから、地下深くに強い魔法使い」
セラリスはそこで、チャームの腕輪へ触れた。
淡い光が生まれ、その光が右手の中へ集まって形を取る。
今度はハンドアクスではない。
現れたのは、ずしりと重い魔法の打撃武器だった。
メイス+1・ストライキング。
ミハイルがそれを見た。
「今日は斧じゃないんですか?」
「うん」
セラリスはメイスを軽く振り、手の中で重さを確かめた。
「ゾンビとスケルトンがいるって分かったから」
「こっちの方がいいんです?」
「骨と腐った肉が相手ならね」
ヴァレリアも、自分が持っているメイスへ目を落とした。
「じゃあ、私の武器も向いてますね」
「そういうこと」
刃で肉を裂くよりも、骨を砕き、関節を潰し、身体そのものを叩き壊す。
アンデッド相手なら、その方が確実だった。
セラリスは、開け放たれた正面扉へ目を向けた。
一回目とは違う。
今度は、何がいるのか、少しだけわかっている。
食堂の押し入れ。
東の倉庫。
地下。
そして、そのさらに奥にいる魔法使い。
けれども、こちらが情報を得たということは、向こうもまた、自分たちが侵入したことを知っている可能性が高いということでもある。
前回の探索で状況を変えたのは、自分たちだけではない。
こちらが一度動けば、向こうも動く。
それがこの世界なのだ。
セラリスはメイスの柄を握り直した。
二度目の探索。
一度目より攻略の手掛かりは増えている。
その代わり、敵もまた、一度目と同じままではいてくれない。
「じゃあ、行こうか」
その言葉に、ミハイルが剣と盾を構えた。
ヴァレリアもメイスと盾を持ち直す。
ダリヤは松明と十フィート棒を確認した。
そして、ほんの少し考えてから言った。
「まずは、西の鉄箱?」
ミハイルが呆れたように彼女を見る。
「最初にそれかよ」
「だって場所が分かってるんですよ!」
セラリスは思わず笑った。
「まあ、通り道なら確認してもいいね」
「ほら!」
「でも」
喜びかけたダリヤへ、セラリスが続ける。
「財宝より先に安全確認」
するとダリヤは、今度はふざけることなく即座に頷いた。
「はい」
それだけは、もう言われてから覚えることではなかった。
前回の探索で、彼女自身が嫌というほど学んでいた。