セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
階段を下り切った先には、幅も高さもおよそ十フィートほどある石造りの通路が、闇の中へまっすぐ伸びていた。
人間が二人、三人と横に並んでも窮屈には感じないほどの広さがある。城の地下に造られた通路としては、ずいぶん余裕のある造りだった。
しかし、明かりはどこにもない。
階段を下りてくる途中までは、まだ背後から地上の光がかすかに差していたが、ここまで来ると、それも完全に消えていた。
四人の周囲を照らしているのは、ダリヤが持つ一本の松明だけである。
ぼう、と燃える橙色の光が、石の壁と床、それから低くない天井を揺らしながら照らしていた。
そして、地下へ降りて最初に彼らが感じたのは、暗さでも、湿った空気でもなかった。
「……きれいですね」
ヴァレリアが、思わず声を潜めて言った。
確かにそうだった。
地上の廃城は、あちこちで壁が崩れ、天井が抜け落ち、瓦礫が散乱していた。長い年月、風雨に晒されてきたことが一目でわかる有様だった。
ところが地下は違う。
多少の埃や汚れこそ積もっているものの、石組みそのものは驚くほどしっかりしている。壁に大きな亀裂はなく、天井にも崩落した跡が見当たらない。床も、ところどころ擦れたり欠けたりしている程度で、歩くことそのものに不安を覚えるような損傷はなかった。
「魔法で保護されてるのかな」
セラリスは近くの壁へ目を向けた。
少なくとも、何十年、あるいはそれ以上のあいだ放置されてきた地下施設には見えない。
もちろん、地上と違って風雨の影響を受けにくいという理由もあるだろう。しかし、それだけでここまで保存状態が違うものなのか。
セラリスの頭に、先ほどコボルドが使った言葉が浮かんだ。
御方。
地下深くにいるという、強い魔法使い。
もしその者がこの地下を本拠としているなら、地上の廃墟は朽ちるに任せながら、自分のいる地下だけは何らかの方法で維持しているとしても不自然ではない。
「警戒して」
セラリスが言った。
ダリヤは黙って頷くと、十フィート棒を前へ出した。
こん、と石床を突く。
一歩。
もう一度。
こん。
また一歩。
松明の光が、それに合わせて少しずつ通路の奥へ伸びていった。
急がない。
足元を確かめ、壁際を見て、天井にも時折目を向ける。
そして、しばらく進んだところで。
「……います」
ダリヤが立ち止まった。
声が変わった。
ミハイルとヴァレリアがすぐに姿勢を低くし、セラリスもメイス+1・ストライキングをわずかに持ち上げる。
前方。
松明の光がぎりぎり届くあたり。
最初は、壁に置かれた飾りか、古い鎧でも立てかけてあるのかと思えた。
だが違った。
二つの人影が、左右の壁際に立っている。
肉はない。
皮膚もない。
白と黄色が入り混じり、長い年月の汚れでくすんだ人骨。
スケルトンだった。
二体。
一体は錆びた剣を持ち、もう一体も同じような剣を握っている。
そして、どちらも古びた盾を手にしていた。
「歩哨……?」
ミハイルが小さく呟いた。
その声に反応したのか。
二体のスケルトンが、ほとんど同時に首を動かした。
かた、と乾いた音がする。
空洞になった眼窩が、松明の光を背にした四人へ向けられた。
次の瞬間。
がしゃ、と剣が持ち上がった。
盾が前へ出る。
「来る!」
ダリヤは松明を持ったまま、すぐに後ろへ下がった。
以前なら、ここで誰かが急に前へ出て、誰かが立ち位置を失い、全員の動きが少しずつ噛み合わなくなっていたかもしれない。
だが今は違った。
ミハイルがすぐに前へ出る。
盾を構え、その横へヴァレリアが並ぶ。
ヴァレリアもまた自分の盾を少し前へ出し、二人のあいだに余計な隙間を作らない。
セラリスは後ろから、その動きを見ていた。
無駄に固まっていない。
近すぎて互いの武器がぶつかることもない。
狭い通路だからといって、二人とも前へ出過ぎてもいない。
セラリスは内心で、ほんの少し満足した。
前よりずっといい。
二体のスケルトンが、剣を振り上げながら近づいてくる。
最初の一体がミハイルへ斬りかかった。
がん、と錆びた剣が盾へぶつかる。
ミハイルは真正面から力任せに押し返そうとはしなかった。
盾で受け、相手の剣が止まった瞬間に身体を少し開き、横から剣を振るう。
刃が骨盤から脇腹にかけて食い込んだ。
生きた相手なら肉を切り裂く一撃だっただろう。
だが骨だけの身体に、同じような効き方はしない。
それでも衝撃は伝わる。
腰骨がずれ、何本かの肋骨が乾いた音を立てて外れた。
「ヴァレリア!」
「はい!」
もう一体が迫る。
ヴァレリアは一歩も退かなかった。
メイスを横から大きく振り抜く。
ごきん、と鈍い音がした。
鉄の頭部が、スケルトンの側頭部へまともに叩き込まれた。
頭蓋骨が大きく横へ弾かれる。
そのままヴァレリアは一歩踏み込んだ。
二撃目。
今度は肩口。
鎖骨と肋骨をまとめて叩く。
がらがらっ、と骨の身体が床へ崩れ落ちた。
「一体!」
ミハイルの前では、残ったスケルトンが体勢を立て直し、錆びた剣をもう一度振り下ろしてくる。
ミハイルは盾で受け止めず、今度は斜めへ流した。
大きく弾こうとはしない。
剣の軌道を、自分の身体から外へ逸らすだけだった。
そして空いた胴へ踏み込む。
一撃。
腰骨。
二撃目。
背骨。
ばきっ、と嫌な音がした。
身体を支えていた部分が砕け、スケルトンはその場へ崩れ落ちる。
それでも完全には止まらなかった。
床へ落ちた腕が、剣を握ったまままだ動こうとする。
ヴァレリアがすぐに反応した。
メイスを振り下ろす。
ごん。
頭蓋骨が砕けた。
それでようやく、動きが止まった。
静寂が戻る。
床の上で、砕けた骨が転がる。
から、ころ、と、乾いた小さな音だけが通路へ響いた。
「……終わり?」
ダリヤが松明を高く掲げた。
だがミハイルはすぐには剣を下ろさなかった。
「まだ」
ヴァレリアも同じだった。
盾を構えたまま、床に散った骨をじっと見ている。
セラリスは、それを見てまた少し感心した。
勝ったと思った瞬間に武器を下ろさない。
最初の頃なら、もう二人とも息を吐き、互いの顔を見ていたかもしれない。
「確認」
セラリスが言った。
ミハイルは剣の先で、砕けた骨を軽く動かした。
腕。
脚。
胴。
反応はない。
ヴァレリアも盾を前へ出したまま、もう一体の頭蓋骨と腕を確かめる。
やはり動かなかった。
「今度こそ終わりです」
ヴァレリアがようやく息を吐いた。
ダリヤは、二体分の骨が散らばった床を見下ろした。
「……あっという間でしたね」
ミハイルも少し驚いた顔をしている。
「前なら、もっと苦戦した気がする」
「前より動けるようになってるからね」
セラリスはそう答えた。
それ以上の説明はしなかった。
何かの数字を見せて、あなたたちはこれだけ強くなりました、と教える必要などない。
そもそもこの世界には、そんな便利な表示はない。
けれども見ればわかる。
盾を出す位置。
相手との距離。
武器を振るう間合い。
攻撃を受けたあとに、どの瞬間なら反撃できるか。
そして何より、隣にいる仲間を邪魔しない動き。
最初にこの廃城へ来たときの二人とは、もうはっきり違っていた。
ダリヤが少し嬉しそうに言った。
「じゃあ、強くなってるんですね」
「うん」
セラリスは素直に頷いた。
「かなりね」
ミハイルが、ほんの少しだけ胸を張った。
「剣の訓練、効いてます?」
「効いてるよ」
「よし」
ヴァレリアも自分のメイスへ目を落とした。
「アンデッドには、やっぱりこれが使いやすいですね」
「そうだね」
セラリスも手にしたメイス+1・ストライキングを軽く持ち上げた。
「少なくとも、骨を相手にするなら刃物より頼りになる」
そして、視線を通路の奥へ戻す。
二体のスケルトン。
どちらも、ただ通路を彷徨っていたようには見えなかった。
左右へ分かれて立ち、武器と盾を持ち、侵入者へ反応した。
「さて」
セラリスが静かに言う。
「歩哨を置いてるってことは」
ミハイルが続けた。
「この先に、何かある」
「しかも」
ヴァレリアが言う。
「こっちから来る人を、ここで止めたい」
ダリヤは十フィート棒を持ち直した。
そして松明を少し前へ突き出す。
「じゃあ、また床から調べます」
セラリスは笑った。
「うん」
勝った。
だから次も大丈夫。
そうは考えない。
一度の戦闘が簡単に終わったからといって、この先の敵も同じとは限らない。
むしろ歩哨がいたということは、ここから先が誰かにとって守る価値のある場所だということでもある。
四人は砕けたスケルトンの骨を通路の端へ寄せ、歩く邪魔にならないようにした。
ダリヤが先頭へ戻る。
十フィート棒で床を突く。
こん。
一歩。
また、こん。
その後ろでミハイルが盾を構え、ヴァレリアが続く。
セラリスは最後尾から背後も確かめた。
さっきまで戦っていたからといって、後ろから別の何かが来ない保証はない。
松明の光が、再び地下通路の奥へ伸びていく。
戦闘に勝ったあとだからこそ、最初からやり直すように警戒する。
それができるようになってきたことを、セラリスは悪くないと思った。
四人は再び足音を抑えながら、地下のさらに奥へ慎重に進み始めた。