セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
街道をそのまま進んでいくと、やがて行く手に木造の柵が見え始め、その中央に設けられた門の向こうには、思っていたよりもずっと広々とした町並みが開けていた。
「おお……」
セラリスは思わず足を止めた。
スレスホールド。
人口、およそ五千。
数字だけを聞けば、とても巨大都市と呼べる規模ではない。だがこの町は、家々を隙間なく詰め込むのではなく、建物と建物の間をかなり広く取る独特の造りになっているため、外から眺めると実際の人口以上に大きく、どこか余裕のある町に見える。
低い建物の屋根がゆるやかに連なり、そのあいだを道が何本も走り、ところどころには樹木まで見えた。
かつては紙の上でしか知らなかった場所である。
ルールブックや地図を広げ、ここに何があり、こちらへ行けば何が起きるのかと何度も眺めた町が、いまは本物の空気と匂いと人のざわめきを伴って、自分の目の前に存在している。
「本当に来たんだなあ……」
思わず漏れた声には、少しばかり感慨が混じった。
転生した。
ゲーム世界へ来た。
そう頭では理解していたつもりだったが、知っている地名が現実の風景となって目の前へ現れると、ようやく実感が追いついてくる。
門の脇には、大きな掲示板が立てられていた。
町へ入る者なら誰でも目にする位置であり、どうやらスレスホールドにおける注意事項や規則がまとめて掲示されているらしい。
セラリスはそちらへ歩み寄った。
もっとも、文字をひとつひとつ読む必要はなかった。
左耳につけたイヤリングが、そこに書かれている言葉の意味を自然に伝えてくる。
まず最初に目へ入ったのは、町内における魔法使い呪文の使用を禁ずる、という規則だった。
「はいはい。これは知ってる」
セラリスは小さく頷き、その下へ視線を移した。
そこには、剣、短剣、スタッフ以外の武器を町の中で携帯することを禁じ、その他の武器は門衛へ預けるように、と書かれている。預けた武器については証明書を発行し、町を出る際に返却するという仕組みらしい。
「……これなんだよな」
セラリスは、自分の左腕へ目を落とした。
そこには細身の腕輪があり、いくつもの小さな飾りがぶら下がっている。
剣を象ったもの。
弓。
メイス。
斧。
事情を知らない者が見れば、それらはせいぜい趣味のいい装飾品にしか見えないだろう。
しかし、その正体はまったく違う。
知性剣ソーンウォッチも、魔法弓フロストウィスパーも、ストライキング・メイスも、リターニング・ハンドアクスも、すべて《Bracelet of Charms》の中へ収められている。
さらにいえば、黒髪をまとめている組み紐でさえ、ただの髪留めではない。必要とあらば魔法の鞭として使用できる品であり、見た目だけなら武器と判断する方が難しい。
もちろん、剣だけなら規則上は普通に持ち込める。
しかし、ソーンウォッチは単なる剣ではない。
知性を持った+2の魔法剣であり、罠を感知し、魔法の存在まで探ることができる。
そんなものをわざわざ取り出して門衛の前へ差し出し、「これは剣なので持ち込み可能ですよね」と確認させる必要など、セラリスにはまったく感じられなかった。
「預けなくていいものまで、自分から見せる必要はないよな」
長年TRPGを遊んできた結果として身についた、かなり実戦的な発想である。
もっとも、そこで別の問題に気づいた。
「ただ、規則を厳密に解釈すると、弓とメイスと斧を魔法的に収納したまま町へ入るのは……」
セラリスは腕輪を見つめた。
「グレーというより、黒かもしれないな」
少しだけ考えた。
規則の趣旨から考えれば、町中で危険な武器を持ち歩くことを防ぐためのものだろう。ならば、いつでも取り出せる状態で携帯している以上、本来は預けるべきだと解釈することもできる。
しかし、さらに数秒考えた結果、
「……使わなきゃいいか」
というところへ落ち着いた。
ルールの曖昧な部分を、自分に都合よく解釈するという、古参プレイヤーによくある裁定だった。
もっとも、これは町の中で戦うつもりがないからこそ言えることである。
本当に危険が起きたなら、そのときは規則違反を気にしている場合ではない。
さらに掲示板には、市街地での鎧の着用そのものは禁止しないが、必要に応じて衛兵の確認を受ける場合がある、とも書かれていた。
「こっちも問題なし」
セラリスは上衣の胸元を指で軽く引いた。
その下にはエルブン・チェインを着込んでいる。
とはいえ、人間用の重い鎖帷子とはまるで違う。細く軽い金属環で編まれたそれは身体によく馴染み、上から萌黄色の服を着てしまえば、注意深く見なければ鎧を身につけているとはわからない。
手にしているのはリュート。
背にはバックパック。
腰には旅用品を収めたいくつかの小袋。
外見だけなら、武装した冒険者というよりは、長旅をしている吟遊詩人か旅芸人に見えるはずだった。
「よし」
これなら不自然ではない。
そう判断して門へ向かうと、入口に立っていた二人の門衛がこちらへ顔を向けた。
一人はまだ若い。
もう一人は少し年上で、革鎧の着こなしにも立ち姿にも、いくらか場数を踏んだ者らしい慣れがある。
それを見た瞬間、セラリスの頭の中に昔の知識が自然と浮かんだ。
一般的な兵士なら一レベル程度。
少し経験を積んだ兵長なら三レベル前後。
たしか、そのくらいだったはずである。
そして、そこまで考えたところで別の情報が続けて浮かび上がった。
この町の領主は十四レベルの僧侶。
その姪は十二レベルの僧侶。
セラリスは歩きながら、思わず無言になった。
普通の兵士が一レベル前後の町で、領主が十四レベル。
その身内にも十二レベルの高位僧侶がいる。
「……よく考えると、この町、レベル分布がおかしいな」
初心者冒険者向けの拠点という顔をしておきながら、その実態は高レベルのNPCがしっかり監視している安全区域なのではないか。
ゲームだった頃にはありがたい配置としか思っていなかったが、現実の世界として考えてみると妙な迫力がある。
そんなことを考えているうちに、若い方の門衛が声をかけてきた。
「こんにちは。旅の方ですか?」
「はい」
セラリスは、なるべく普通に答えた。
「お一人で?」
「はい。一人です」
若い兵士はそこで少し困ったような顔をした。
視線が、セラリスの耳へ向かう。
見れば一目でエルフとわかる。
しかも外見は若い娘で、武器らしいものを持たず、リュートを抱え、バックパックを背負って一人で旅をしている。
心配されても不思議ではなかった。
「どちらから来たんです?」
「南の方からです。しばらくあちこち旅をしてまして」
嘘ではない。
ただし、非常に大雑把ではある。
転生してどこから現れたかを細かく説明しろと言われても困るので、その程度の答えで済むならありがたかった。
「武器は持っていますか?」
「今は持っていません」
これもまた、見た目のうえでは嘘ではない。
門衛はセラリスの手元にあるリュートへ目をやった。
「吟遊詩人ですか?」
「まあ、そんなところです。歌と演奏ならできますよ」
「そうですか」
若い兵士は納得したらしいが、続けて少し真面目な顔になった。
「この辺り、街道から外れると危ない場所もありますから、一人旅なら気をつけた方がいいですよ」
本気で心配してくれているらしい。
セラリスは一瞬だけ、返答に困った。
こちらはエルフ十レベル、アタックランクGである。
この若い兵士が遭遇したなら、まず逃げるべき種類の怪物のかなりの部分を、セラリスなら一人で倒せる。
しかし、それを説明したところで何の意味もない。
「大丈夫です。気をつけます」
結局、それだけ答えた。
「それと、夜になってから街道を歩くのはやめた方がいいです。町には宿がいくつもありますから、今日はきちんと泊まってください」
「ありがとうございます」
素直に礼を言う。
どうやら本当に善良な兵士らしい。
だからこそ余計に、腕輪から武器を取り出して見せる気にはならなかった。
変に驚かせる必要もないし、仕事を増やしてやる必要もない。
「何か困ったことがあったら、衛兵詰所へ来てください。それから――」
兵士は門の脇にある掲示板を指差した。
「魔法だけは、町の中では使わないでくださいね」
「ああ、それは読みました」
「エルフの旅人は、魔法を使える方が多いですから。知らずに使ってしまう人もたまにいるんです」
「違反すると、呪いを受けるんでしたっけ?」
セラリスがそう尋ねると、兵士は少し苦笑した。
「初めてなら、そんなに重いやつではないですよ」
「重くないというと?」
「まあ……恥ずかしいやつです」
セラリスの目が、ほんの少し細くなった。
「具体的には、どんな?」
「そこは裁判所のクレリック次第じゃないですかね」
その返答を聞いた瞬間、セラリスの警戒心が急激に高まった。
死刑にされるという話ではない。
大怪我をさせられるという意味でもない。
むしろ、その内容が事前に決まっていないことの方が恐ろしい。
TRPGを長くやってきた人間にとって、「その場でGMが適切な処罰を決めます」という種類の規則ほど、妙な不安を感じるものはなかった。
「絶対に使いません」
思わず即答した。
兵士の方が少し驚いた顔をする。
「いや、そこまで怖がらなくても大丈夫ですよ」
「いえ、法律は守ります」
セラリスは真顔だった。
魔法を一回使うかどうかで、正体不明の「恥ずかしい呪い」を受けるくらいなら、町の中では大人しくしていた方がいい。
そもそも、ここには十四レベル僧侶がいるのである。
ルール違反をしてまで試す理由など、どこにもなかった。
若い兵士は、そんな彼女の態度に安心したらしく、最後には笑顔を見せた。
「それなら、ようこそ。スレスホールドへ」
「どうも」
軽く頭を下げ、セラリスは門をくぐった。
柵を越えた向こうには、人の行き交う道と家々が広がっていた。話し声、荷車の車輪が地面を擦る音、どこかから漂ってくる料理の匂いが一度に押し寄せ、それまで街道に一人きりだったことが急に遠い出来事のように感じられる。
町へ入ったところで、セラリスは小さく息を吐いた。
「まずは無事に入れたな」
誰にも聞こえない程度の声でそう呟き、リュートを抱え直す。
やるべきことは、すでに決めてあった。
まず宿を探す。
次に食事を取る。
そのあとで、冒険者が集まる酒場か、それに近い場所を探せばいい。
急いで冒険へ出る必要などない。
自分には演奏も歌もあるのだから、多少長く滞在しても宿代くらいは稼げるだろうし、酒場で歌っていれば自然と町の噂も耳へ入る。
若い冒険者を探すにも、その方が都合がいい。
そして何より、しばらくのあいだは目立たない方がいい。
「少なくとも最初から妙に目立つのはやめよう」
この町には十四レベルの僧侶がいる。
十二レベルの僧侶もいる。
そんな人々に、町へ入った初日から「最近、妙に強そうな黒髪金眼のカラーリー・エルフが来たらしい」などと認識されるのは、セラリスとしてはあまり望ましいことではなかった。
別に敵対するつもりはない。
むしろ、いずれは顔を合わせることになるかもしれない。
しかし、それと自分から注目を集めることは別の話である。
「しばらくは、ごく普通の旅芸人として暮らそう」
そう決めると、ずいぶん気が楽になった。
町で歌い、宿に泊まり、情報を集めながら、そのうち信用できそうな仲間を見つければいい。
それこそ、いまの自分にはちょうどいい生活に思えた。
ところが、そう考えた直後、セラリスは何となく自分の身体を見下ろした。
腕輪の中には、+2の知性剣が入っている。
同じく+2の魔法弓もあり、+1のストライキング・メイスと、+1のリターニング・ハンドアクスまで収まっている。
胸元には六十種類もの呪文を収めたBook Leafがあり、髪をまとめる紐は必要に応じて+3の魔法の鞭となる。
指には魔法の指輪がはまり、服の下にはエルブン・チェインを着込み、バッグの中には普通の旅人なら一生かかっても手に入らないような魔法用品がいくつも詰まっている。
そして本人はエルフ十レベル、アタックランクG。
最終的な目標にいたっては、冒険者として名を上げることでも、一財産築くことでもなく、イモータルになることだった。
そこまで頭の中で並べてみたところで、セラリスはしばらく黙った。
「……普通の旅芸人というのは、ちょっと無理があるか」
自分で言ってから、思わず小さく笑う。
見た目だけなら、たしかに若いエルフの旅芸人で通る。
しかし中身まで含めれば、どう考えても普通という言葉からはかなり遠い。
それでも、外から見てそう見えるのであれば、今のところはそれで十分だった。
必要もないのに自分の力を見せつけず、聞かれてもいない経歴を語らず、危険がないかぎり魔法にも武器にも頼らずに暮らす。
そのくらいなら、できる。
「普通というより、普通に見えるようにしておく、だな」
セラリスはそう結論づけると、町の中を見回した。
宿の看板らしいものがいくつか見える。
人の流れもある。
食事の匂いも漂っている。
冒険は逃げない。
ダンジョンも、怪物も、イモータルへの道も、おそらく明日になったからといって消えてなくなるわけではない。
ならば今日は、まず寝る場所を決め、温かいものを食べ、この町がどういう場所なのか自分の目で確かめればよい。
そう考えながら、セラリス・オブ・カラーリーは人々の流れへ歩み入り、そのまま何食わぬ顔でスレスホールドの雑踏へ紛れ込んでいった。
見た目だけなら、リュートを抱えた若いエルフの旅芸人にすぎない。
その腕輪の中に英雄級の魔法武器が何本も収まり、衣服の下に魔法の鎧を隠し持ち、本人がはるか先の目標として不死なる存在への道を見据えていることなど、道行く人々には知る由もなかった。
そして少なくともセラリス自身は、当分のあいだ、それでいいと思っていた。