セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
グリーンドラゴンとの話がひとまずまとまり、この洞窟の中でこれ以上剣を振るう理由がなくなったところで、真っ先に山の外へ目を向けた者は誰もいなかった。
いや、少なくともダリヤだけは違った。
彼女は、つい今しがた自分たちが抜けてきた手掘りの地下通路を振り返り、それから何とも晴れやかな顔で言った。
「じゃあ戻って、集積場を襲おうよ!」
「言い方」
ヴァレリアが即座にたしなめた。
「だって、もうバーグルはいないんでしょ?」
ダリヤには悪びれた様子など欠片もない。
ほんの少し前まで、自分たちは若いグリーンドラゴンの吐息と魔術師の呪文を同時に受けかねない場所へ踏み込もうとしていたのである。その危険を幻影によってかわし、バーグルを追い払い、竜とは剣を交え、ようやくこうして話がついたばかりだった。
それなのに。
ダリヤの頭の中では、すでに地下二階の広間へ積まれていた小箱や袋や、コボルドたちが選り分けていた硬貨や装飾品の方が大きな場所を占めているらしい。
「コボルドが仕分けてたよね。古い硬貨とか、飾り物とか、使えそうな金具とか。あれ、絶対まだいっぱいあるよ」
「だからといって『襲う』は違うでしょう」
「じゃあ、回収」
「それなら、まだ」
ヴァレリアは完全に納得したわけではなさそうだったが、少なくとも言葉だけは穏当になったので、それ以上は追及しなかった。
すると今度は、ミハイルが少し考えるように腕を組んだ。
「でもさ」
「何?」
ダリヤが振り向く。
「全部、今持って帰る必要はないんじゃないか?」
その言葉には、ダリヤもさすがに怪訝そうな顔をした。
「なんで?」
「いや、考えてみろよ」
ミハイルは、自分たちが通ってきた地下への道を指した。
「コボルドたちは御方――バーグルっていう魔法使いに命令されて、あそこで働いてたんだろ?」
「たぶんね」
セラリスが答えた。
「だったら、バーグルがいなくなったことを教えて、もう好きなところへ行っていいって言えばいいんじゃないか?」
ヴァレリアが頷いた。
「それはいいと思います。あの魔法使いのために働き続ける理由も、もうありませんし」
「それで」
ミハイルは少し間を置いた。
何か、自分でもまだ考えをまとめきれていないようだった。
「ゾンビは、そのまま働かせておけばいいんじゃないか?」
三人が彼を見た。
ミハイルは一瞬、言い方を間違えたかと思ったらしく目を泳がせたが、すぐに続けた。
「だって、あいつら、上の部屋から瓦礫を集めて地下二階まで運んでるんだろ?」
「そうみたいだね」
「だったら俺たちが掘らなくても、まだ埋まってる部屋を勝手に掘り返してくれるんじゃないか?」
そこで。
ダリヤの目が、見る見るうちに輝き始めた。
「……あ」
「瓦礫を運んで、部屋の中にあった物も一緒に下へ持ってくる。そういう命令なんだろ?」
「たぶん」
「なら俺たちは、ときどき見に来るだけでいい」
ダリヤがミハイルを見た。
今まで一度も見せたことのないほど感心した顔だった。
「天才」
「そこまでか?」
「そこまでだよ!」
ダリヤは本気だった。
「だって、瓦礫を掘って、石を運んで、土をどかして、壊れた家具を引っ張り出して、その中に何かないか探すのって、一番大変なところじゃない!」
「まあ、そうだな」
「それを全部ゾンビがやってくれる!」
確かに。
言われてみれば、そこが最も重労働だった。
崩れた部屋を掘り返す。
土砂を運ぶ。
大きな石を退ける。
腐った木材を引きずり出す。
そうした仕事を、生きた人間がやれば疲れる。食事もいる。休憩もいる。怪我もする。
だがゾンビは違う。
疲れない。
腹も減らない。
愚痴も言わない。
命令された作業を、ただひたすら繰り返す。
途中で拾った物を通路へ落としても、そのまま放置してしまうような融通の利かなさはあるが、それさえ分かっていれば定期的に通路を歩いて確認すれば済む。
セラリスも少し考えた。
そして、素直に頷いた。
「それ、いいね」
ヴァレリアが意外そうに彼女を見る。
「ゾンビを、そのまま残すんですか?」
「今のところ、人を襲ってないからね」
セラリスは答えた。
「命令された通り瓦礫を運んでるだけなら、今すぐ全部壊す理由はないと思う」
もちろん。
永遠に安全だと決めつけるつもりはない。
バーグルがどのような命令を与えたのか、まだ正確には分からない。単に《この部屋から物を運べ》なのか、《地下を掘り続けろ》なのか。それとも何か別の条件まで組み込まれているのか。
術者が逃げたことで命令が変質する可能性も、完全には否定出来ない。
だが。
だからといって、今すぐ壊す必要もない。
危険があるなら、様子を見ればよい。
「まず集積場をもう一度確認しよう」
セラリスは頭の中で、これまで歩いた地下の地図を思い浮かべながら言った。
「危ない魔法の品とか、触ったらまずい物が混ざってないか見ておきたい。それからコボルドたちには、バーグルが逃げたことを教える」
「もう命令に従わなくていいって?」
ミハイルが聞いた。
「うん。行きたいなら行けばいいし」
「残りたいなら?」
今度はダリヤだった。
「それも止めないよ」
ダリヤが首を傾げた。
「残るかな?」
「分からない。でも、何匹かは残るかもしれないね」
コボルドにとって、地上へ出れば自由だから幸せだとは限らない。
外には獣がいる。
もっと大きな怪物もいる。
人間に見つかれば、敵として追われるかもしれない。
その点、この廃城の地下にはすでに寝床があり、通路があり、おそらく食料の備蓄も多少はある。支配していたバーグルさえいなくなれば、以前よりよほど暮らしやすいと思う者がいても不思議ではなかった。
ミハイルが、そこでさらに言った。
「残る奴がいるならさ」
「うん」
「仕分けも続けてもらえないかな」
ダリヤが即座に振り返った。
「報酬を払って?」
「そう。見つかった金貨とか、その何割かを渡すとか」
「それ、すごくいい」
「お前、金の話になると反応早いな」
「大事でしょう!」
ダリヤは胸を張った。
セラリスは、思わず笑った。
「君たち、急に商売人みたいなこと考え始めたね」
「だって、自分たちで全部掘るより絶対いいですよ」
ダリヤは真顔で言った。
「それはそう」
またしても、セラリスは否定出来なかった。
そもそも、この地下遺跡はかなりの部分が一度土砂に埋もれていたらしい。
バーグルはそこへゾンビを労働力として投入し、時間をかけて少しずつ掘り返していた。
本人は逃げた。
だが。
だからといって、彼が作った仕組みまで一緒に壊す理由はない。
ゾンビは掘る。
瓦礫を運ぶ。
残ったコボルドが、望むなら報酬を受け取って中身を選別する。
そしてセラリスたちは、時折様子を見に来る。
価値のあるものが集まっていれば回収する。
危険なものがあれば処理する。
ゾンビがおかしな動きをしていないか確認する。
考えてみれば。
ずいぶん効率のいい話だった。
「……なんだか」
ヴァレリアが半ば呆れたように言った。
「遺跡を探索しに来たはずなのに、いつの間にか管理する話になってません?」
セラリスは少し考えた。
「探索した後って、そうなるんじゃない?」
「そういうものなんですか?」
「少なくとも、全部終わったからって放っておくよりはいいよ」
これは冗談ではない。
一度安全になった場所をそのまま放置すれば、いずれ何かが入り込む。
ゴブリン。
コボルド。
盗賊。
野獣。
あるいはもっと危険な怪物。
人の目がなくなった廃墟というものは、何かが住み着くには都合がよすぎる。
ならば。
誰かが時折訪れ、内部の様子を確認し、使える場所は使う方がいい。
しかもミスタメア城は、スレスホールドからそれほど遠くない。
徒歩でも行ける距離にある。
地下には、危険ではあるが分かりやすい構造の場所も多い。
セラリスは、そこでふと思った。
――浅いところだけなら、新人の訓練にも使えるかもしれない。
扉の開け方。
角の確認。
十フィート棒の使い方。
暗所での隊列。
退路の確保。
危険を感じた時に進まない判断。
実際の遺跡ほど、そうしたものを学ぶのに向いた場所はない。
もっとも。
その考えを今ここで口に出したなら。
ミハイルたちはきっと何ともいえない顔をするだろう。
だから。
セラリスは黙っておいた。
「じゃあ」
ダリヤはもう待ちきれなくなったらしく、地下通路へ向かって一歩踏み出した。
「集積場!」
「走らない」
セラリスの声に、ダリヤの足がぴたりと止まった。
「……はい」
「バーグルが逃げる時に何か置いていったかもしれないし、まだ見つけてない罠もあるかもしれない」
それだけで、先ほどまで浮き立っていた三人の表情が少し引き締まった。
「それに」
セラリスは弟子たちを見回した。
「回復薬は一つも使ってない。ヴァレリアの癒しも使ってない。だから、決めてた撤退条件にはまだ引っかかってない」
「はい」
「でも、それは安全だって意味じゃないよ」
ミハイルが頷いた。
「帰るまでが探索」
「そういうこと」
ここまで無傷だったからこそ。
最後に気を抜いて怪我をするのが一番馬鹿らしい。
宝があると分かった時ほど、ダリヤは前へ行きたがる。
勝ったと思った時ほど、ミハイルは肩から力が抜ける。
ヴァレリアは比較的慎重だが、それでも仲間が無事なら安堵する。
その全部を。
少しずつ覚えていけばいい。
グリーンドラゴンは、そんな四人のやり取りをしばらく眺めていたが、やがて低く鼻を鳴らした。
「人間というものは、戦いが終わった途端に次の金の話をするのだな」
ダリヤが勢いよく振り返った。
「ドラゴンに言われたくないよ!」
竜は、自分の腹の下にある財宝を守るように、前脚をほんの少し引き寄せた。
「俺は最初から金の話をしている」
一瞬。
誰も言葉を返せなかった。
「……潔いなあ」
ソーンウォッチが、感心したように呟いた。
「気が合う」
セラリスは剣を見下ろした。
「さっき本人たちは否定してたよね」
「俺は事実を述べただけだ」
「俺もだ」
グリーンドラゴンが当然のように応じる。
今度こそダリヤが吹き出した。
ミハイルまで笑う。
ヴァレリアも口元を押さえている。
セラリスだけは、小さく溜息をついた。
バーグルを追って廃城の地下へ潜っただけだったはずなのに。
気がつけば。
話の通じるグリーンドラゴンが一頭増え。
知性ある剣とその竜が妙に意気投合し。
地下には、勝手に瓦礫を掘り続けるゾンビたちが残り。
そこへ住み続けるかもしれないコボルドたちに報酬を払って、掘り出された品を仕分けてもらおうという話まで出ている。
しかも。
誰一人として、それを特別に奇妙なことだと思い始めていない。
セラリスは、暗い地下通路の奥を見た。
「……まあ」
小さく呟く。
「使えるものは使えばいいか」
ソーンウォッチが即座に答えた。
「合理的だ」
グリーンドラゴンも鼻を鳴らす。
「その剣はやはり話が分かる」
「だから、仲良くならないでよ」
セラリスはそう言いながら、先頭へ出ようとするダリヤをもう一度止め、隊列を組み直した。
帰り道だからといって。
同じ場所を通ったことがあるからといって。
安全になったわけではない。
十フィート棒。
盾。
灯り。
退路。
そして。
何より、急がないこと。
財宝が待っている時ほど。
そういう基本を忘れてはいけない。
四人は再び、地下へ向かって歩き始めた。
その背後では。
若いグリーンドラゴンが、自分の財宝の上へもう一度ゆっくりと身を伏せていた。
彼にとっても。
バーグルが逃げたことで。
どうやら少しばかり妙な隣人が増えたらしかった。