セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
つまりいま○○歳以上……げふんげふん。
赤いちゃんちゃんこ着せましょうか…私はそれよりはずっと若いです。ほんとです。
スレスホールドへ入ってから、およそ三十分ほどが経っていた。
町の中心へ向かう通りを歩いていたセラリス・オブ・カラーリーは、人の流れが少し途切れたところで足を止め、肩へ食い込んでいたバックパックの紐を軽く引き上げた。
「さて、と」
萌黄色の旅装に、同じ系統の色合いをしたクローク。
腰には旅道具を収めたいくつかの小袋が下がり、手にしているのは武器ではなくリュートである。
少し旅慣れているようには見えるだろうが、それ以上のものではない。
傍から見れば、武器さえ持たずに一人旅をしている若いエルフの娘である。
実際には、その薄い旅装の下にエルブン・チェインを着込み、腕輪の中には四種類の魔法武器を収め、さらに指輪や装身具、背負ったバッグの中身まで含めれば、並の冒険者パーティーが何年もかけて集めるような装備をひとりで持ち歩いている。
だが、それをわざわざ見せびらかす理由はなかった。
強い装備を持っていると知られれば、それだけで余計な関心を招く。
冒険者にとって装備は力であると同時に財産でもあるのだから、見せないで済むなら見せない方がいい。
「宿は……」
セラリスは記憶を探った。
前世で、この町の地図や設定を何度も眺めていた。
スレスホールドには何軒か名の知られた宿があったはずである。
商人や役人が使う、静かで格式のある宿。
街道を往来する商人向けの宿。
冒険者が多く、少々荒っぽい連中の集まる安宿。
そして、その中間あたりに位置する、冒険者にも旅人にも使いやすい宿。
「ゴールド・ドラゴン亭」
名前を思い出すと、セラリスは小さく頷いた。
「そこだな」
最初から高級宿へ泊まるつもりはなかった。
金が払えないからではない。
むしろ問題は逆で、高級な宿へ泊まれば、それだけで金を持っている旅人だと思われる可能性が高くなる。
宿によっては身元を聞かれるかもしれないし、何日も滞在すれば宿の者にも顔を覚えられる。
領主や町の上層部と関係のある人物が利用している可能性も、安宿よりはずっと高いだろう。
「十四レベルのクレリックがいる町で、わざわざ自分から存在感を出す必要もないしな」
思い浮かぶ名前がある。
領主シェルレイン・ハララン。
十四レベルのクレリック。
そして、その姪であるアリーナ・ハララン。
十二レベルのクレリック。
一方、町の中を巡回しているごく普通の兵士なら、おそらく一レベル程度であり、兵長でも三レベル前後だったはずだ。
「本当に、レベル分布がおかしいんだよな。この町」
セラリスは歩きながら、半ば感心し、半ば呆れたように呟いた。
もちろん、自分もエルフ十レベルで、さらにアタックランクGまで達しているのだから、他人のことを言えた立場ではない。
だからこそ、目立たない。
それが重要だった。
目立てば、それだけ余計な人間に存在を知られる。
そして、余計な人間に知られれば、それだけ余計な出来事へ巻き込まれる。
冒険そのものは好きでも、避けられる面倒まで喜んで拾う趣味はなかった。
やがて辿り着いたゴールド・ドラゴン亭は、セラリスが想像していたものとかなり近かった。
広い食堂があり、何本もの長机が並んでいる。
まだ昼間だというのに酒を飲んでいる冒険者が何人もいて、商人らしい身なりの男たちが帳簿を広げながら食事をし、街道を旅してきたらしい者たちが荷物を足元へ置いて休んでいる。
壁際には仕事の依頼を書いた紙まで貼られていた。
その雑多な様子をひと通り見渡してから、セラリスは満足そうに頷いた。
「うん。こういうのでいいんだよ」
高級すぎず、かといって寝ているあいだに荷物を全部盗まれそうなほど荒れてもいない。
冒険者もいる。
旅人もいる。
情報も入りそうである。
宿の主人へ部屋代を尋ねてみると、予想していたよりは少し高かった。
もちろん払えない金額ではなかったが、セラリスは手元のリュートへ視線を落とした。
せっかく持っている技能を、使わない理由もない。
「演奏する代わりに、少し宿代をまけてもらったりできます?」
主人はリュートを見て、それからセラリスの顔を見た。
「弾けるのかい?」
「技能としては――」
そこまで言って、セラリスは止まった。
「……いえ、そこそこ弾けます」
「なら、夕飯時に何曲か頼むよ。客の受けがよければ飯もつけよう」
「お願いします」
交渉成立である。
部屋代が下がる。
食費まで浮く。
しかも客の前で演奏するなら、そのまま町の噂も拾える。
自分から話しかけなくても、酔った冒険者の方から勝手に色々喋ってくれるかもしれない。
セラリスは顔には出さなかったものの、心の中ではかなり満足していた。
これ以上ないくらい順調な出だしである。
少なくとも、その時点では。
その日の夕方、食堂の隅へ椅子をひとつ出してもらい、セラリスはそこへ腰を下ろした。
膝の上へリュートを置き、軽く音を確かめてから、まずは無難な歌を選んだ。
旅の歌。
森の歌。
遠く離れた土地を想う歌。
カラーリーの里で昔から歌われていたと言われても、誰も疑わないような素朴な旋律である。
客の反応は悪くなかった。
酒を飲んでいた男たちが気まぐれに手拍子を始め、宿の主人も仕事をしながら満足そうにこちらを見ている。
何曲か終えたところで、冒険者らしい男が酒杯を片手に声を張り上げた。
「もうちょっと景気のいい奴をやってくれ!」
「景気のいい?」
「怪物退治とかさ!」
セラリスは少し考えた。
怪物退治。
英雄譚。
何か使えそうな話はなかっただろうか。
そこで、不意に前世の記憶からひとつの物語が浮かんだ。
「あ」
これは使えるかもしれない。
「では、昔聞いた英雄譚をひとつ」
リュートの調子を変えた。
それまでより速く、勇ましい旋律を選ぶ。
食堂にいた冒険者たちが、自然とこちらへ顔を向けた。
物語の主人公は四人の冒険者だった。
戦士。
僧侶。
エルフ。
ドワーフ。
四人は危険な土地を旅し、次々と怪物の群れを突破しながら、巨大な塔を目指して進んでいく。
マンティコアが現れる。
トロールと戦う。
ドラゴンが空を覆う。
邪悪な魔術師が彼らの行く手を阻む。
セラリスは歌いながら、固有名詞だけは巧妙に変えたり曖昧にしたりしていった。
元になっているものは、もちろん『タワー・オブ・ドゥーム』である。
これが予想以上に受けた。
「おお!」
「いいぞ!」
「そのドラゴンのところ、もう一回やってくれ!」
食堂の空気が一気に熱を帯びた。
演奏しているセラリス自身も、だんだん気分が乗ってくる。
昔遊んだゲームの物語を、自分なりに歌へ作り替えて聞かせているだけなのだが、この世界の住人にとっては完全に未知の冒険譚である。
「これは、いけるな」
演奏を終えながら、セラリスは思った。
前世のゲームや物語の記憶は、この世界では誰も知らない。
ならば、歌の題材として使えるものはいくらでもある。
冒険譚に困ることは、しばらくなさそうだった。
ところが翌日になると、客たちの方から、
「昨日の続き!」
と求められた。
そこでセラリスも、つい調子に乗った。
これが最初の失敗だった。
「では、その後のお話を」
再びリュートを鳴らす。
昨日の英雄たちは、さらに危険な旅へ向かう。
以前より強大な怪物が現れ、強力な魔法が飛び交い、古代遺跡の奥には見る者の正気を疑わせるような異形が待っている。
ビホルダー。
ドラゴン。
そして、やがて世界そのものを覆おうとする大いなる闇。
客たちも熱心に聞いている。
セラリスもすっかり気分が良くなっていた。
そして物語の終盤、ほとんど勢いのまま歌い上げた。
「――かくして、ミスタラを覆う影に――」
そこまで口にしたところで、リュートを弾いていた指がわずかに遅れた。
頭の中で、今の言葉をもう一度反芻する。
ミスタラ。
ミスタラを覆う影。
いや、待て。
ここが、そのミスタラである。
セラリスは、表情こそ崩さなかったが、内心では思いきり頭を抱えていた。
客の何人かが顔を上げる。
「ミスタラを覆う影?」
「何だそりゃ?」
「いや、それより続きをやってくれよ!」
幸いなことに、誰もそこへ深く食いつかなかった。
客たちにしてみれば、大仰な歌の題名か、吟遊詩人がよく使う比喩くらいにしか思わなかったらしい。
セラリスは内心で冷や汗をかきながら、それでも最後まで歌いきった。
演奏を終えてから、誰にも聞こえないように小さく呟く。
「題名、変えておけばよかった……」
もちろん、もう遅かった。
しかも問題は、それだけでは終わらなかった。
歌が面白かったせいで、客たちが内容について質問を始めたのである。
「なあ、さっきのトロールなんだけど」
「はい?」
「火で焼いてたよな。あれ、本当に効くのか?」
「効きます」
反射的に答えてしまった。
「再生能力を止めるなら、炎か酸です」
「へえ!」
「あ」
答えてから、自分で失敗に気づいた。
話の中の架空の怪物について尋ねられたのなら、「そういう設定です」で済ませればよかったのである。
ところが、長年身についたゲーム知識のせいで、つい正しい対処法を教えてしまった。
「じゃあ、あの目玉の怪物は?」
「ビホ――」
名前を言いかけて、セラリスは慌てて止めた。
「……そういう怪物がいる、という伝承ですね」
「目から魔法みたいなのを撃ってただろ?」
「そういう種類もいるそうです」
「嬢ちゃん、妙に詳しいな」
「……歌を作るのに必要なので」
何とか誤魔化したつもりだった。
しかし、翌日にはもう話が少し変わって広まっていた。
黒髪のカラーリーの娘が、ゴールド・ドラゴン亭に泊まっている。
怪物について妙に詳しい。
冒険譚の歌が面白い。
しかも、内容が意外と実用的らしい。
セラリスとしては、最後の評判だけはまったく望んでいなかった。
三日目になると、演奏の途中で若い冒険者から声をかけられた。
「なあ、宝箱って、やっぱり正面から開けちゃ駄目なのか?」
セラリスはほとんど考えずに答えた。
「駄目です」
「なんで?」
「毒針が飛び出してくる可能性があります。まず箱そのものだけじゃなく周囲も調べて、罠がないことを確認して、それでも開けるなら真正面には立たず、できれば横から――」
そこまで説明したところで、ようやくセラリスは周囲の静けさに気づいた。
先ほどまで酒を飲みながら話していた客たちが、こちらを見ている。
質問した若者も、妙に真剣な顔になっていた。
セラリスはリュートを抱えたまま瞬きをした。
「……歌の話ですよ?」
「いや、今のはどう考えても実践講座だっただろ」
「気のせいです」
もちろん、誰も気のせいだとは思わなかった。
その日の演奏は、途中から完全に新人冒険者向けの講座になってしまった。
一人で勝手に先行するな。
十フィート先さえ見えない場所で走るな。
正体のわからない液体を拾ったからといって、その場で飲むな。
いかにも魔法の品らしい物を見つけても、鑑定する前に身につけてはいけない。
撤退するときの道を、入る前から考えておけ。
ロープは余分に持て。
水も少し多めに。
そして、回復役であるクレリックが倒れた場合に備えて、別系統の回復手段を用意しておく。
「そこまで準備するのか?」
若い冒険者の一人が、半ば呆れたように尋ねた。
「します」
セラリスは真顔で答えた。
「準備不足で死ぬのが、一番馬鹿馬鹿しいですから」
そこだけは譲れなかった。
何十年もTRPGを遊んできて、無謀な突撃よりも、ほんの少しの準備不足で全滅へ近づいていく場面を何度も見てきた。
予備の松明がなかった。
ロープが一本しかなかった。
撤退路を確認していなかった。
回復役にすべてを任せきっていた。
そういう小さな手抜きが、最後には大きな事故につながる。
セラリスにとっては、ほとんど身体へ染みついた常識だった。
当然のことながら、その評判は広がった。
そして、本人がもっとも広がってほしくなかった方向へも、きちんと広がっていった。
四日目の午後。
昼食を終えた客たちがそれぞれの用事へ戻り、食堂が少し静かになった頃、セラリスはいつもの隅の席でリュートの弦を調整していた。
そのとき、宿の入口の扉が開いた。
特に気にも留めず顔を上げたセラリスは、入ってきた人物を見た瞬間、そのまま動きを止めた。
金色の髪。
青い瞳。
まだ若い女性だが、身につけている装備は質がよく、歩き方にも立ち姿にも普通の旅人とは違う落ち着きがある。
何より、宿の主人がその姿を見るなり、わずかに姿勢を正した。
セラリスは知っていた。
それも、かなりよく知っていた。
前世の記憶が、ほとんど文字になって頭の中へ浮かぶ。
アリーナ・ハララン。
クレリック十二レベル。
「うわ……」
思わず、ほんの小さな声が漏れた。
しかし、それは完全に無音というわけではなかったらしい。
アリーナがこちらを見た。
「?」
セラリスはすぐに視線を落とした。
何も見なかったことにしよう。
そう思ったところで、すでに遅かった。
足音が近づいてくる。
そして、セラリスの真正面にある椅子が引かれた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「セラリスさん、ですね?」
「はい」
逃げ道はなくなった。
アリーナは親しみのある笑顔を見せた。
「アリーナ・ハラランです」
「存じています」
反射的に答えてから、セラリスはすぐに付け足した。
「……お名前だけは」
危ないところだった。
初対面なのに、相手のクレリックレベルや家族関係まで知っているとは言えない。
しかし、アリーナは特に不審には思わなかったらしく、そのまま話を続けた。
「あなたの歌が、とても評判になっているので聞きに来たんです」
「歌ですか」
「はい。《ミスタラを覆う影》」
セラリスはゆっくりと目を閉じた。
「題名、本当に変えておけばよかった……」
「何か言いました?」
「いえ、何でもありません」
アリーナは楽しそうに笑っていた。
「とても詳しい冒険譚だそうですね」
「ただの物語です」
「トロールには炎か酸が有効だとか」
「一般的な伝承です」
「ビホルダーらしき怪物の能力についても、ずいぶん詳しいそうですね」
「……歌の演出です」
「宝箱の罠を調べる手順まで教えてくれたとか」
セラリスは黙った。
「それから、冒険へ出る前に必ず撤退路を確認しておくべきだとも」
さらに黙った。
ここまで並べられると、さすがに「全部歌の演出です」で押し通すのは無理がある。
セラリスは観念した。
「多少、冒険の経験はあります」
「やっぱり」
アリーナの顔がぱっと明るくなった。
疑っていた者が正体を暴いたという表情ではない。
単純に、自分の予想が当たったことを喜んでいる。
それが、かえってセラリスには困った。
「どのくらい経験がおありなんです?」
「私は長く生きるエルフですので」
セラリスは、少し曖昧に答えた。
実に便利な言い方だった。
エルフは外見から実年齢がわかりにくい。
見た目が若いからといって、冒険経験まで浅いとは限らない。
「では、かなり経験豊富なのですね」
「それほどでもありません」
嘘ではない。
エルフ十レベル。
アタックランクG。
魔法の指輪。
複数の魔法武器。
六十種類の呪文を収めたBook Leaf。
大量のエルフ装備。
普通の冒険者と比べれば十分すぎるほど強いが、上を見ればいくらでも強い存在はいる。
そして何より、本人の目標はさらに遥か上にある。
だから「それほどでもない」という言葉も、セラリス本人にとっては必ずしも謙遜ではなかった。
アリーナは少し間を置いてから言った。
「実は、ひとつお願いがあるんです」
その瞬間、セラリスの胸に嫌な予感が生まれた。
「お願い、ですか?」
「はい。この町には、冒険者になったばかりの若い人たちも多いでしょう?」
「ええ」
「あなたのように慎重な方が、少し教えてくだされば、きっと事故も減ると思うんです」
予感は、見事に的中した。
「……私が?」
「はい」
アリーナは屈託なく微笑んだ。
「特に昨日、あなたが話していた『生きて帰ることを最優先にする』という考え方。私はとても大切だと思います」
断りにくかった。
実に、断りにくい。
セラリスはしばらく返事をせず、昔のことを思い出していた。
初めてTRPGを遊ぶと言って卓へやってきた若者たち。
ルールも知らない。
どのダイスを使うのかさえわからない。
それでも、自分で作ったキャラクターを嬉しそうに眺め、初めての冒険へ胸を躍らせていた。
そういう初心者を見ると、昔から放っておけなかった。
それは転生しても、どうやら変わらないらしい。
「……条件があります」
セラリスが言うと、アリーナはすぐに頷いた。
「何でしょう?」
「勝手に一人で先行しないこと」
「はい」
「正体のわからない宝箱を見つけても、勝手に開けないこと」
「はい」
「怪しい液体を拾っても、とりあえず飲んでみようとは考えないこと」
「ええ」
「それから、『俺ならいける』と言って一人で突っ込まないこと」
最後まで聞いたアリーナが、思わず笑った。
「ずいぶん具体的ですね」
「長生きするための秘訣です」
セラリスは真顔で答えた。
冗談ではなかった。
実際、長く冒険を続ける者ほど、派手な武勇よりも、そういう小さな約束を守るものだと彼女は考えている。
アリーナは、ますます満足そうに頷いた。
「では、お願いできますか?」
セラリスは一度だけ息を吐いた。
「……わかりました」
答えてから、何となく天井を見上げた。
スレスホールドへ来たとき、何を考えていたか。
目立たない。
宿代を稼ぐ。
情報を集める。
慎重な若い冒険者を何人か見つける。
それが当初の予定だった。
ところが実際には、町へ来てわずか四日目で、領主の姪にして十二レベルクレリックであるアリーナ・ハラランに名前を覚えられ、その本人から新人冒険者の面倒を見てほしいと頼まれている。
情報収集はできた。
若い冒険者も集まってきた。
ただし、望んでいた形とは少し違う。
「なんでこうなったんだ……」
「?」
アリーナが不思議そうに首を傾げた。
「何でもありません」
セラリスは、そう答えるしかなかった。
やがてアリーナが宿を出て行ったあと、セラリスはしばらく椅子に座ったまま考え込んでいた。
それから何となく、左腕にはめた腕輪を指先で軽く弾く。
その中には、知性ある魔法剣ソーンウォッチが収められている。
町の中では取り出すつもりがないので、当然いまは会話をすることもできない。
しかし、もしここに出していたならば、あの剣はきっと何か言っただろう。
おそらく、かなり楽しそうに。
――目立たないんじゃなかったのか?
そんな声が頭の中に聞こえた気がして、セラリスは眉をひそめた。
「うるさい」
まだ誰も何も言っていないのに、先回りして答える。
すると、近くにいた客がこちらを見た。
「何が?」
セラリスは一拍置いた。
「……歌の練習です」
「そうか?」
「そうです」
強引に押し切り、彼女はリュートを抱え直した。
イモータルへ至る道は長い。
急いで進む必要などないし、むしろ長い時間をかけて経験を積み、慎重に進んでいくつもりだった。
その考え自体はいまも変わっていない。
ただ、最初の一歩からして、予定していたほど静かな旅にはなりそうもなかった。
自分は目立つつもりなどなかった。
宿代を浮かせるために歌っただけだった。
ところが歌えば冒険譚が受け、その内容について質問されれば、初心者が危険なことをしそうなのを見過ごせず、つい本気で答えてしまう。
そして本気で答えれば、それを聞いた者が誰かに話し、その評判を聞きつけて、とうとうアリーナ・ハラランまでやってきた。
結局のところ、セラリスは強いから目立ったのではない。
魔法装備を見せびらかしたからでもない。
初心者を見ると、つい口を出してしまう自分自身の性分によって、目立ち始めていたのである。
「……これ、たぶん今後も直らないな」
そこまで考えて、セラリスは諦めたように小さく笑った。
若い冒険者たちを教えるなら、それも悪くない。
むしろ、もともと慎重な仲間を探そうと思っていたのだから、その候補を自分で育てられると考えれば都合がいいとも言える。
ただし。
「勝手に宝箱を開ける奴だけは、本当に勘弁してほしいな」
その条件だけは、何があっても譲る気はなかった。
こうして、目立たず静かに町へ溶け込み、適当なところで慎重な若者を何人か拾って冒険へ出るつもりだったセラリス・オブ・カラーリーは、スレスホールドへ来てわずか四日目にして、新人冒険者たちの面倒を見る立場へ片足を突っ込むことになった。
イモータルへの道は、たしかに遠い。
そのために焦る必要もない。
けれど、その長い道の第一歩で彼女を待っていたのは、古代遺跡でも、恐ろしい怪物でも、神秘的な試練でもなかった。
勝手に先行し、怪しい宝箱へ手を伸ばし、正体不明の液体を飲もうとするかもしれない、新米冒険者たちだった。