セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ヴァルザリオンとの約束を結んでから、数日後。
ミスタメア城の裏手では、朝から妙な作業が行われていた。
「そっち、もう少し持ち上げて」
セラリスの声に、四匹のコボルドが一斉に力を込める。
太い棒に吊られているのは、処理を済ませた牛が丸ごと一頭。すでに血は抜かれ、内臓も取り除かれている。別の一輪車には、その内臓だけがまとめて積まれていた。
最初にこの話を聞いたダリヤは、
「ドラゴンへの差し入れ?」
と尋ねたが、セラリスとしては、もう少し実務的な理由があった。
ヴァルザリオンとは、今後必要に応じて報酬を支払い、仕事を頼む約束になっている。
しかし、竜にとって価値があるものが金貨だけとは限らない。
食料を報酬として提示できるなら、こちらにとっても選択肢が増える。何より、相手の好みを知っておいて損はなかった。
やがて山腹の洞窟へ到着すると、奥から鱗の擦れる音がした。
緑色の長い首が現れ、その後ろからヴァルザリオンの身体がゆっくりと姿を見せる。
竜はまずセラリスを見た。
次に、その後ろ。
そして牛を見た。
「……何だ、それは」
「牛」
「それは見れば分かる」
セラリスは少し笑った。
「生で良いのかな? 血を抜いて、内臓も抜いたけど。内臓も欲しい?」
後ろでは、コボルドが一輪車の取っ手を握ったまま待っている。
ヴァルザリオンは牛へ鼻先を近づけ、しばらく匂いを嗅いだ。
「腸のあたりは苦いから、ないならないで助かる」
「そうなんだ」
「それで、どうした?」
竜の目が細くなる。
ただ食事を持ってきたとは思っていないらしい。
「取引する時に、牛とかでも良いのかと思って」
セラリスは正直に答えた。
「あと、好みを把握しておこうかと思ってね」
「俺の?」
「仕事を頼む相手の好きなものくらい知っておいた方が便利でしょ」
ヴァルザリオンはしばらくセラリスを眺め、それから牛へ視線を戻した。
「食ってよいのか?」
「そのために持ってきたんだから」
許可を得るや、竜は牛の胴へ牙を立てた。
骨が砕けるような音が洞窟に響き、コボルドたちが思わず一歩下がる。
だが、ヴァルザリオンは彼らには目もくれず、しばらく肉を噛み、やがて意外そうに首を傾けた。
「血の匂いがしないな」
「抜いたからね」
「いつも食う獲物とは随分違う」
さらに一口。
今度は、ゆっくり味わうように噛んだ。
「……これはこれで、肉の甘味が強く感じられて美味い」
「へえ」
セラリスとしても、その感想は興味深かった。
竜だからといって、血の滴る肉しか好まないというわけでもないらしい。
ヴァルザリオンは残りの牛を見ながら尋ねた。
「さっき内臓もあると言ったな」
「あるよ」
「腸の中身を捨てたものを貰えるか?」
セラリスは一輪車を見る。
そこにはまだ、処理した際に取り出された内臓がそのまま積まれていた。
「洗えばいい?」
「おそらく」
セラリスが振り返る。
「お願いできる?」
コボルドたちは顔を見合わせた。
一匹が一輪車の取っ手を持ち直す。
「川で洗う?」
「うん。腸の中身は全部出して、よく洗ってきて」
「分かった」
がらがらと一輪車を転がしながら、数匹のコボルドが山を下っていった。
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しばらくして。
洗われた内臓を載せた一輪車が戻ってきた。
ヴァルザリオンは鼻先を寄せ、一度匂いを確かめてから口にした。
そして。
目を見開いた。
「おお」
もう一口。
今度は明らかに気に入ったらしい。
「糞が詰まっていない内臓は、こんなに美味いものだったのか」
セラリスは思わず笑った。
「普段は獲物を丸ごと食べるもんね」
「腹を裂いて選り分けるなど面倒だからな」
「でしょうね」
「これは良いな!」
思っていた以上の高評価だった。
ヴァルザリオンは肝臓や心臓を特に気に入ったようで、最後には洗われた腸まで綺麗に食べてしまった。
「気に入ったなら良かった」
セラリスは満足して頷く。
「何か頼みがある時に持ってくるよ」
そこで帰ろうとした。
「……待て」
背後から呼び止められる。
振り返る。
ヴァルザリオンが、いささか真剣な顔をしていた。
「金貨を払う」
「うん?」
「だから、偶に持ってこい」
セラリスは一瞬だけ目を瞬いた。
どうやら。
仕事の報酬として牛を受け取るどころか、普通に買いたくなったらしい。
「いいよ」
少し考える。
「月一で良い?」
「それでよい」
即答だった。
こうして。
グリーンドラゴンとスレスホールド周辺の農家との間に、本人たちも予想しなかった商売が始まった。
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セラリスが近隣の農家へ話を持っていくと、最初こそ皆、何ともいえない顔をした。
「牛を一頭、毎月?」
「うん」
「誰が買うんで?」
「お客さん」
「どこの?」
セラリスは少し考えた。
「山の方」
嘘ではない。
もっとも。
事情を知る必要がある農家には、後できちんと説明した。
さすがに、
グリーンドラゴンに食わせる。
と聞いた時は皆言葉を失ったものの、話の最後まで聞けば反応は変わった。
牛は盗まれない。
代金は前払い。
処理費用も出る。
そして毎月一頭。
一軒の農家から固定で買うのではなく、近隣で順番に回す。
農家にとっては悪い話ではなかった。
牛一頭を確実に現金で買い取る相手が毎月いるというのは、かなり大きい。
ある農夫は、代金の入った袋を手にして呟いた。
「ドラゴン相手に牛を売る日が来るとは思わなかったな」
隣にいた農夫が答える。
「食われるよりいいだろ」
「それはそうだ」
その意見には全員が納得した。
さらに。
注文にも特徴がある。
血抜き済み。
内臓は別。
腸は中身を除いてよく洗う。
この仕様まで定着すると、屠畜を手伝う者にも仕事が発生した。
ヴァルザリオン自身も、次の牛が届く日をかなり正確に覚えるようになった。
月が変わる頃。
セラリスが洞窟へ顔を出すと、開口一番、
「今日は牛の日ではないのか?」
と尋ねてくる。
「明日だよ」
「一日くらい早くてもよいではないか」
「農家にも都合があるの」
「金貨は払うぞ」
「そういう問題じゃないから」
そんな会話まで交わすようになった。
結果として。
人間を襲えば討伐されるかもしれない若いグリーンドラゴンが、近隣の魔物や野生動物を狩りながら暮らし、月に一度だけ正規に牛を買って食べる。
農家には定期的な現金収入が入る。
山の魔物は減る。
ヴァルザリオンも満足する。
セラリスとしては。
「……なんか思ってた以上に丸く収まったね」
という感想しかなかった。
ミハイルは後でその話を聞き、
「ドラゴンって牛を買うんですね」
と呟いた。
ダリヤは即座に訂正した。
「先生がドラゴンに通販を教えたんでしょ」
ヴァレリアは少し考えてから言った。
「でも、家畜を盗られるよりはずっといいですよ」
結局。
誰も反論できなかった。