セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ある日、いつものように牛を届けた帰り際、セラリスは洞窟の奥で満足そうに食後の身体を休めているヴァルザリオンへ、まるで散歩にでも誘うような調子で声をかけた。
「ヴァル。ちょっと戦闘訓練やらない?」
「戦闘訓練?」
緑竜は片目を開き、しばらくセラリスを見つめた。
ヴァルザリオンにとって、戦いとは獲物を狩るか、敵を殺すか、そのどちらかであった。わざわざ殺さないよう加減しながら戦うという発想そのものが、あまり馴染みのないものらしい。
「そう。私と模擬戦」
「お前とか?」
「うん」
ヴァルザリオンは、セラリスの腰にあるソーンウォッチを見た。
そして、以前その剣の一撃を受けた時のことを思い出したのだろう。わずかに首を引いた。
「……殺さないのだろうな」
「訓練で殺してどうするの」
「お前の場合、確認しておいた方がよい」
「失礼だなあ」
もっとも、あの時は本気で降伏させるつもりだったので、ヴァルザリオンが慎重になるのも無理はない。
セラリスは洞窟の外を指した。
「洞窟の中ではヴァルが不利だから、外でやろう」
それを聞くと、ヴァルザリオンは意外そうに首を傾けた。
「洞窟の中なら、ブレスから逃げられない。そちらが不利ではないのか?」
「普通ならね。でも私はブレス耐性が高いから」
セラリスは平然と続けた。
「真正面から吐いてる間に突っ込んで、殴れるよ」
ヴァルザリオンは黙った。
かつてバーグルと共に待ち伏せした時。
幻影へブレスを無駄撃ちし、その直後に本物のセラリスに踏み込まれ、ソーンウォッチの一撃で壁際まで吹き飛ばされた。
あの記憶は、まだ鮮明らしい。
「……それなら外でやろう」
「そうしよう」
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訓練場所には、ミスタメア城から少し離れた山腹の草地を選んだ。
周囲に人家はない。
木々も疎らで、ヴァルザリオンが翼を広げても問題がなく、多少ブレスを吐いても火事になりにくい岩場が多い。
セラリスが手にしているのはソーンウォッチではなく、訓練用に作った頑丈な木剣だった。
ヴァルザリオンが鼻を鳴らす。
「そんなもので俺の鱗を傷つけられるのか?」
「傷つけないために持ってきたんだけど」
「それでは訓練にならんだろう」
「当たったら分かるよ」
その言葉に何か引っ掛かるものを感じたらしいが、ヴァルザリオンはそれ以上追及しなかった。
セラリスが十分に距離を取る。
「じゃあ、始めようか」
ヴァルザリオンは躊躇しなかった。
長い首を引き、胸を大きく膨らませる。
次の瞬間、黄緑色の毒気を含んだブレスが草地を薙ぎ払った。
最初から最大の武器。
それ自体は悪くない。
むしろ、自分の持つ最大火力を、相手が対応する前に叩き込むという判断そのものは正しかった。
問題は。
ヴァルザリオンが地上に降りたまま、それを行ったことである。
「初手で最大攻撃を叩き込むのは間違ってないよ!」
セラリスの声が、毒の息の向こうから聞こえた。
ヴァルザリオンの目が見開かれる。
普通なら、避ける。
あるいは逃げる。
だが。
セラリスは突っ込んできた。
ブレスの中を。
真正面から。
「でも地上に降りちゃ駄目!」
毒気を突き抜けたエルフが、一瞬で懐へ入る。
「な――」
木剣が振り抜かれた。
ばあん!
乾いたというにはあまりにも重い音が響く。
ヴァルザリオンの頭が横へ弾かれ、その巨体が数歩よろめいた。
木剣。
ただの木剣である。
それなのに。
剣を極めたセラリスが振るえば話は別だった。
ヴァルザリオン自身の感覚では、生命力を半分近く持っていかれたのではないかと思えるほどの衝撃が、鱗越しに身体へ響いている。
「……木だぞ、それ」
「木だよ」
「何故こんなに痛い!」
「私が振ってるから?」
「説明になっていない!」
セラリスは笑った。
「今の問題はそこじゃないよ。ヴァルは飛べるでしょう?」
「飛べる」
「だったら、地上で私を待っちゃ駄目。空からブレスを吐けば、私は普通なら届かない」
ヴァルザリオンはしばらく考えた。
それから翼を広げる。
「もう一度だ」
「いいよ」
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二度目。
今度は最初から飛んだ。
上空を旋回しながら距離を取り、セラリスが真下に入るタイミングを見てブレスを吐く。
先ほどよりずっといい。
「そうそう!」
セラリスは横へ走って射線から外れた。
ヴァルザリオンは得意そうに高度を上げる。
「どうだ!」
「うん。かなりいい」
そしてセラリスが呪文を唱えた。
【飛行】。
ふわり、と。
エルフの身体が地面を離れた。
ヴァルザリオンの顔が固まった。
「……飛べるのか?」
「魔法使い相手なら、そういうこともあるよ」
「先に言え!」
「敵は教えてくれないでしょ」
セラリスは笑いながら高度を上げた。
そこから。
ヴァルザリオンにとって、ひどく長い訓練が始まった。
竜には翼がある。
空では自分の方が圧倒的に有利だと、最初は思っていた。
だが、飛べることと空中で戦えることは同じではない。
セラリスは真っ直ぐ追ってこない。
視界から外れる。
翼の死角へ入り込む。
首が向きにくい方向を使う。
ブレスを吐こうとして胸を膨らませれば、その一瞬を見逃さず距離を詰めてくる。
ヴァルザリオンが爪を振るえば、その内側へ入られる。
噛みつこうとすれば、頭をかわされる。
尾を振れば、それを利用して反対側へ回られる。
そして。
「今度こそ捕らえた!」
ヴァルザリオンの両前脚が空中で閉じる。
確かに。
今度こそ。
セラリスを挟み込んだ。
――と思った。
「はい、首」
冷たい感触。
いつの間にか、訓練を一段進めるために木剣から持ち替えていたソーンウォッチの切っ先が、ヴァルザリオンの喉元へ軽く触れていた。
もちろん刃は立てていない。
だが。
実戦なら。
終わっている。
ヴァルザリオンはしばらく動かなかった。
やがて。
「……もう一度だ」
「十五回目だけど?」
「もう一度だ!」
「元気だねえ」
「黙れ!」
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それから。
戦闘訓練は定期的に行われるようになった。
セラリスはヴァルザリオンへ、単に攻撃の方法だけを教えたわけではない。
戦わない判断。
逃げる判断。
相手の武器を見ること。
魔法使いの手元を見ること。
一度ブレスを吐いたあと、同じ場所へ留まらないこと。
地上の剣士を相手にするなら、わざわざその剣が届く場所へ降りないこと。
どうしても近接戦闘へ入るなら、牙だけに頼らず、爪、翼、尾、巨体そのものを組み合わせること。
何より。
一度通じなかった攻撃を、意地になって繰り返さないこと。
ヴァルザリオンは負けず嫌いだった。
そして、意外なほど熱心だった。
セラリスに何度打ち落とされても。
何度喉元へ剣を当てられても。
翌日には、
「今日はやるのか?」
と聞いてくる。
数か月が過ぎた頃。
セラリスがいつものようにヴァルザリオンの懐へ踏み込んだ。
これまでなら。
竜は爪で迎え撃つ。
そして、その爪をかわされ。
首元へ入られる。
何度も繰り返した形だった。
ところが。
この日は違った。
ヴァルザリオンは爪を振らなかった。
セラリスの踏み込みと同時に翼を強く打ち、一気に後方へ滑る。
同時に首を引き。
前脚を伸ばして牽制。
セラリスがさらに追おうとした瞬間には、もう翼が高度を稼ぎ始めていた。
間合いが外れる。
セラリスの剣は。
届かない。
「お」
思わず。
声が出た。
ヴァルザリオンはそのまま上空へ逃れ、得意そうに旋回した。
「今のは死ななかったぞ!」
「うん」
セラリスは地上から見上げた。
そして笑う。
「やっとね」
「余計な一言をつけるな!」
山腹に竜の怒鳴り声が響いた。
それでも。
その声には。
どこか嬉しそうな響きが混じっていた。
ヴァルザリオンはまだ八ヒットダイスの若いグリーンドラゴンである。
身体が突然大きくなったわけでも。
鱗が急に硬くなったわけでも。
ブレスそのものの威力が増したわけでもない。
けれど。
バーグルに言われるまま狭い洞窟でブレスを構え、幻影へ最大攻撃を吐き切ったあの日の竜と。
今。
上空から相手を観察し、間合いを外し、危険と見れば迷わず離脱する竜とでは。
同じヒットダイスでも。
戦う相手から見れば。
まったく別の怪物になりつつあった。
そしてセラリスは。
そんなヴァルザリオンを見上げながら。
少しだけ満足そうに笑った。
強くなるというのは。
何も。
力そのものを増やすことだけではないのだから。