セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ミスタメア城の周辺が以前より安全になってきたこと自体は、アリーナも認めていた。
コボルドたちは城の管理人として働き始め、丘の麓では畑まで作っている。
山のゴブリンや獣は、グリーンドラゴンのヴァルザリオンが縄張りを示してから目に見えて近づかなくなった。
訓練所へ出入りする若い冒険者たちも増え、スレスホールドから見れば、かつて怪物の巣だった廃城が、少なくとも以前よりずっとまともな場所になっている。
だから。
多少妙な報告が上がってきても。
最近のアリーナは、まず最後まで話を聞くよう心掛けていた。
その日もそうだった。
「ミスタメア城の近くで?」
「はい」
報告に来た男は、どう説明したものか困っているようだった。
「エルフの娘と、緑色のドラゴンが戦っていたそうです」
アリーナは黙った。
「……戦っていた?」
「目撃した者によれば、かなり激しく」
「怪我人は?」
「いません」
「村や畑への被害は?」
「それもありません。ただ、ドラゴンが空を飛びながら毒の息を吐き、エルフの娘も空を飛んで追いかけていた、と」
アリーナは両手で顔を覆った。
誰のことなのか。
確認する必要すらなかった。
「……分かったわ」
しばらくして。
低い声でそう答えた。
「セラリスを呼んで」
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呼び出されたセラリスは、何か問題でもあったのだろうかという顔でやってきた。
アリーナは机の向こうから彼女を見た。
「セラリス」
「なに?」
「ミスタメア城の近くで」
「うん」
「エルフの娘とグリーンドラゴンが戦っているのを見た、という報告が来ているのだけれど」
セラリスは少し考えた。
それから。
「ああ」
と頷いた。
「ヴァルとのやつ?」
アリーナは額へ手を当てた。
「……何をしているの?」
「え?」
セラリスは、きょとんとした。
「戦闘訓練だけど?」
あまりにも当然のように答えられたため。
今度はアリーナの方が黙った。
「戦闘訓練」
「うん」
「グリーンドラゴンと?」
「そう」
「あなたが?」
「そうだけど」
何がおかしいのだろう。
本気でそう思っている顔だった。
アリーナはゆっくり息を吐いた。
「最初から説明して」
「ヴァルって、強いけど戦い方があんまり上手じゃなかったから」
「その時点で少し待って」
「何?」
「あなた、ドラゴンを『強いけど戦い方が下手』って評価したの?」
「だって本当にそうだったし」
セラリスは指を折りながら説明する。
「最初に戦った時も、狭い場所で待ち伏せするところまではよかったけど、幻影にブレスを吐き切ったあと地上でそのまま待ってたでしょ。飛べるのに」
アリーナは何とも言えない顔になった。
「それで?」
「せっかく近くにいるんだから、訓練したらもっと上手くなるかなって」
「なぜ?」
「強い方がいいでしょう?」
「誰にとって?」
「ヴァルにとって」
少し間を置いて。
「あと、この辺にとっても」
「そこを説明して」
セラリスは素直に頷いた。
「ヴァルは人間を襲わないって約束してる。代わりに山の魔物や獣を狩ってるでしょ」
「ええ」
「だったらヴァルが強くなれば、もっと危ない魔物が来ても追い払える」
アリーナは黙った。
理屈だけなら。
分からなくはない。
非常に認めたくはないが。
分からなくはない。
「でも」
アリーナは言った。
「訓練しているのを知らない人が見たら、どう思うと思う?」
セラリスは少し考えた。
「ドラゴンと戦ってる?」
「そうよ!」
珍しくアリーナの声が大きくなった。
「実際にそう見えたから報告が来ているの!」
「あ」
ようやく。
セラリスも少し理解したらしい。
「そっちか」
「そっちよ」
「でも、人家から離れたところでやってるよ?」
「空を飛ぶドラゴンは遠くからでも見えるの」
「なるほど」
「なるほど、じゃないわ」
アリーナは頭を抱えた。
「しかも毒の息を吐いているという話までついてきたのよ。普通の人は、それを見て『ああ、あれは安全な訓練なのね』とは思わないでしょう?」
「まあ、思わないか」
「思わないわ」
セラリスは反省したように頷いた。
「次から先に言っておく」
「次もやるの?」
「やるよ」
即答だった。
アリーナは再び顔を覆った。
「……そうよね」
もはや、そのくらいで中止するとは思っていなかった。
「何を教えているの?」
諦めて尋ねる。
「最初は、地上に降りないこと」
「ドラゴンに?」
「うん。飛べるのに剣士の間合いに入る必要ないでしょう」
「それは……そうね」
「それから、ブレスを吐いたらその場に残らない。相手が魔法で飛んできたら距離を取る。爪で捕まえることだけ考えない。翼や尾も使う。危ないと思ったら逃げる」
アリーナの表情が、少しずつ変わっていく。
「あなた」
「うん?」
「かなり本格的に教えてない?」
「戦闘訓練だからね」
「つまり」
アリーナは嫌そうに確認した。
「スレスホールドの近くにいるグリーンドラゴンを、あなたがわざわざ鍛えているのね?」
「そうなるね」
沈黙。
「……何か問題ある?」
「今のところ人を襲わないことだけが救いね」
「約束は守ってるよ」
「そこは信用しているわ」
アリーナはため息をついた。
実際。
ヴァルザリオンが人間や家畜を襲ったという報告は一度もない。
逆に。
城周辺のゴブリンや大型の獣は減っている。
コボルドの畑も荒らされなくなった。
農家から買った牛には、きちんと金貨まで払っている。
問題なのは。
その比較的話の通じるグリーンドラゴンを。
セラリスが。
さらに戦上手にしようとしていることだった。
「念のため聞くけれど」
アリーナが言った。
「どのくらい強くなったの?」
セラリスの顔が、少し嬉しそうになった。
「かなり」
アリーナは聞かなければよかったと思った。
「最初は十五回くらい同じところで首を取れたんだけど」
「十五回」
「最近は同じ踏み込みをすると、翼で後ろへ逃げながら爪で牽制して、そのまま上へ抜けるようになった」
「……成長しているのね」
「うん」
本当に嬉しそうである。
まるで弟子の上達を語る教師の顔だった。
アリーナはしばらく彼女を見つめた。
そして。
とうとう諦めた。
「分かったわ」
「続けていい?」
「禁止しても続けるでしょう」
「ちゃんと許可を取るよ?」
「そこだけ妙に真面目なのよね、あなた」
アリーナは指を一本立てた。
「条件があるわ」
「なに?」
「訓練する日は事前に知らせること。周辺の農家にも、ドラゴンが飛ぶ可能性があると伝えること。それから街道の上では絶対にやらない」
「分かった」
「あと」
「まだある?」
「毒の息を人のいる方向へ向けない」
「それは最初からやってないよ」
「あなたの『大丈夫』を信用していないわけではないけれど、報告書には書いておきたいの」
「じゃあ書いて」
アリーナは机に肘をつき、再び額へ手を当てた。
「ミスタメア城を冒険者訓練所にするという話だったはずなのに」
「そうだよ?」
「どうしてドラゴンまで訓練生になっているの」
セラリスは少し考えた。
「近くにいたから?」
「その答えだと思ったわ」
アリーナは深くため息をついた。
そして。
その日の記録には。
スレスホールド周辺の治安に関する注意事項として。
『ミスタメア城付近でグリーンドラゴンとエルフが交戦しているように見える場合、まずセラリスの訓練予定を確認すること』
という。
何とも奇妙な一文が加えられることになった。