セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ミスタメア城から少し離れた街道沿いの宿で、そんな噂が語られるようになったのは、ヴァルザリオンが二頭目の竜を従えた頃からだった。
「知ってるか。ミスタメアの緑竜」
旅装の戦士が、酒杯を傾けながら声を潜めた。
向かいに座る男が鼻を鳴らす。
「知ってるも何も、あの辺じゃ有名だろ。城の上を飛んでる奴だ」
「ただの縄張り持ちじゃないらしいぞ」
「何だよ」
戦士は少し身を乗り出した。
「若い竜なのに、とんでもない量の財宝を持ってる」
その一言で。
隣の卓にいた冒険者まで、さりげなく耳を傾けた。
ドラゴン。
財宝。
冒険者にとって、この二つほど興味を引く組み合わせもそう多くない。
「そりゃドラゴンなら宝くらい持ってるだろ」
「違う。自分で集めた分だけじゃないんだ」
「?」
「近くにいる他のドラゴンを襲ってる」
宿の主人が、杯を磨く手を止めた。
「襲って?」
「倒して、従わせる。殺しはしない。その代わり、財宝を差し出させるんだと」
一瞬。
卓を囲んでいた者たちが黙った。
「……本当か?」
「赤竜が一頭、黒竜も一頭。ほかにもいるって話だ」
実際には、どこまで本当なのか分からない。
一頭が二頭になり。
二頭が「何頭も」になり。
一度財宝を徴収した話が、近隣のドラゴンすべてから貢ぎ物を取っている。
という噂へ変わるまでに、そう時間はかからなかった。
「待てよ」
若いシーフが言った。
「じゃあ、その緑竜を倒したら?」
皆が彼を見る。
青年の目が輝いていた。
「そいつの財宝に、従えてる竜から取り上げた分まで全部あるってことだろ?」
莫大。
そんな言葉では足りないかもしれない。
金貨。
宝石。
魔法の武器。
何代にもわたってドラゴンが集めてきた財宝。
もし噂が本当なら。
一頭倒すだけで。
人生どころか、一族が何代も遊んで暮らせるほどの富が手に入る。
だが。
年配の冒険者が。
静かに言った。
「やめとけ」
「なんでだよ」
「今、自分で言っただろ」
酒杯を置く。
「何頭ものドラゴンを従えてる竜なんだぞ」
若いシーフが黙る。
「若いらしいじゃないか」
「若いのに、それをやってるんだ」
その方が怖い。
年経た竜が周辺を支配しているなら、まだ分かる。
長い年月。
巨大な身体。
積み重ねた経験。
だからこそ、他の竜が服従する。
だが。
ミスタメアの緑竜は、噂ではまだ若い。
それなのに。
自分と同じ竜を次々と叩き伏せ。
殺さず服従させ。
貢ぎ物を取る。
「しかも」
別の男が口を挟んだ。
「人間まで使ってる」
「人間?」
「ミスタメアの冒険者どもだよ。あとコボルド」
「……何に?」
「財宝運び」
沈黙。
「竜が、人間を雇ってるのか?」
「そうらしい。ちゃんと金貨を払って」
「なんで?」
「知らん」
そこが。
妙に恐ろしかった。
人間を食う竜なら分かる。
人間を奴隷にする竜も、昔話なら聞く。
だが。
人間やコボルドを。
賃金を払って雇用するドラゴン。
それは既存の怪物譚のどこにも綺麗に収まらなかった。
「待て待て」
一人が数え始める。
「ミスタメアの城が根城」
「そう」
「コボルドが百匹くらい住んでる」
「城の管理人らしい」
「人間の冒険者も出入りしてる」
「訓練所だからな」
「近くの竜を何頭も従えてる」
「らしい」
「財宝を貢がせる」
「そう」
「その財宝を運ぶ人足まで雇ってる」
「そうだな」
長い沈黙。
やがて。
誰かが言った。
「……魔王じゃないか?」
誰も。
すぐには否定できなかった。
城を持つ。
異種族の配下がいる。
冒険者を使う。
複数のドラゴンを臣従させる。
財宝を集積する。
武力は強大。
しかも勢力は現在進行形で拡大中。
昔話なら。
この後に勇者が旅立つところである。
「それどころか」
宿の主人が苦笑した。
「その緑竜には、さらに師匠がいるそうだぞ」
一同の顔が上がった。
「……師匠?」
「ミスタメアにいるエルフの娘」
静まり返った。
「何を教えるんだよ」
「戦い方」
「ドラゴンに?」
「空の飛び方から、ブレスの使い方、相手との間合いまで教えてるとか」
若いシーフが。
ゆっくりと椅子へ座り直した。
「……やっぱりやめとく」
「何を?」
「緑竜の財宝」
年配の冒険者が頷いた。
「賢明だ」
すると別の男が呟いた。
「でも、そのエルフを先に倒せば――」
「馬鹿」
今度は三人くらいが同時に止めた。
「ドラゴンを何頭も従えてる竜を鍛えてる奴だぞ」
「そっちが魔王なんじゃないか?」
「いや」
宿の主人が真面目な顔で言った。
「俺の聞いた話じゃ、本人は冒険者に十フィート棒の使い方を教えてるだけらしい」
「余計わからん」
その夜。
また一つ。
噂が増えた。
ミスタメアには若き緑竜王ヴァルザリオンが君臨し、複数の竜から貢ぎ物を取り立てている。
その背後には、竜王すら鍛える謎のエルフがいる。
翌週には。
さらに話が大きくなった。
そして。
当のミスタメア城では。
「ヴァルー」
セラリスが中庭から空へ向かって叫んでいた。
降りてきたグリーンドラゴンへ。
「次の牛、農家の都合で二日遅れるって」
「何だと!」
近隣を震え上がらせつつある『緑竜王』は。
その日最大の問題を聞かされ。
心底困った顔をした。