セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
翌日の昼前。
ゴールド・ドラゴン亭の食堂で、セラリス・オブ・カラーリーはアリーナ・ハラランと向かい合っていた。
そしてアリーナの横には、三人の若者が並んでいる。
「この三人です」
アリーナは、いかにも嬉しそうに言った。
「シィアリングに出て、これから自分の力で身を立てたいそうです」
セラリスは膝の横へリュートを置き、三人を順番に見た。
最初は少年。
日に焼けた肌。農作業で鍛えたらしい肩と腕。新しい旅装はまだ身体に馴染んでおらず、緊張で背筋を必要以上に伸ばしている。
「ミハイル・ペトロフです。十六歳です」
「ファイター志望だったね」
「はい!」
返事だけは立派だった。
トララダラ人。農家の四男。
兄たちは家を継ぐ予定があり、自分はシィアリングを機に外へ出て、冒険で金を稼いで帰るつもりらしい。
二人目。
明らかに仕立ての良い服を着た少女が、丁寧に頭を下げる。
「ヴァレリア・コルヴィニウスです。十七歳です」
ティアティス系。
所作だけを見れば一番しっかりしている。
だがセラリスには分かる。
この子はたぶん、井戸から自分で水を汲んだ経験すら怪しい。
「クレリックを目指してる?」
「はい。神に仕え、人々を助けたいと思っています」
「それでシィアリングまで?」
ヴァレリアは少し頬を膨らませた。
「兄だけが外へ出るのは不公平です」
「なるほど」
そこが動機なのか。
三人目は一番小さい。
「ダリヤ・ヴァレスク。十四歳」
こちらは妙に落ち着いていた。
ティアティス人とトララダラ人の混血。
商家の娘。
「シーフ志望」
「そう」
「自分からシィアリングを?」
「兄たちに出来るなら、私にも出来るから」
「なるほど」
セラリスは少し間を置いた。
三人とも、見たところ本当に駆け出しだ。
武器の持ち方にも、旅装のまとめ方にも慣れがない。
この世界には、人の力量を数字で表示してくれる便利な機能などない。
セラリスがアリーナやシャーレーン、あるいは自分自身の強さをゲーム上の数値として知っているのは、あくまで転生前の知識があるからだ。
だから目の前の三人については、実際の動きや体格、装備、受け答えを見て判断するしかない。
「昨日まで、ほとんど家族のところで暮らしてた?」
「はい」
ミハイルが答える。
ヴァレリアも頷いた。
ダリヤだけは、
「店の手伝いで近隣の町には何度か行った」
と付け加えた。
「なるほど」
セラリスは立ち上がった。
「じゃあ、まず買い物に行こう」
「冒険は?」
ミハイルがすぐに聞いた。
「まだ行かない」
「でも――」
「装備なしで外に出て何するの?」
少年が黙った。
「まず武器屋。それから雑貨屋。残った金を見て、必要なら食料」
ダリヤだけがすぐに腰の小袋へ手をやった。
「全部使う?」
「使わない。金貨二十枚くらいは残す」
「どうして?」
「町に戻った時に一文無しだったら困るから」
セラリスは三人を見渡した。
「それと先に言っておく」
三人が姿勢を正す。
「最初に買うのは、一番良い防具」
ミハイルが目を瞬かせた。
「武器じゃなくて?」
「防具」
即答だった。
「でも良い剣があれば敵を早く倒せるんじゃ――」
「死んだらそこで終わりなんだから」
ミハイルの口が閉じた。
「極論を言えば、最初の武器なんて棍棒でもいい」
「棍棒……」
「木の棒で殴ってもゴブリンは倒せる。でも胸を槍で突かれたら君も死ぬ」
セラリスは自分の胸を軽く叩いた。
萌黄色の上衣の下では、エルブン・チェインが身体を覆っている。
見た目にはただの旅装だ。
背中にあるバックパックも普通のもの。
魔法の収納袋――Bag of Holdingは、腰に提げた小さな袋の一つにしか見えない。
「攻撃力は後から増やせる。予備武器も後でいい。まず、一回余計に攻撃を受けても生きていられるようにする」
アリーナが横で感心したように頷いた。
「とても堅実ですね」
「死んでから後悔しても遅いからね」
それだけ言って、セラリスは三人を連れて宿を出た。
武器屋へ向かう道すがら、所持金を確認する。
ミハイル、金貨百二十枚。
ヴァレリア、百枚。
ダリヤ、百二十枚。
「結構あるじゃない」
「父さんと兄さんたちが出してくれました」
ミハイルが少し誇らしそうに言った。
「絶対に無駄にするなよって」
「良い家族だね」
ヴァレリアは少し言いづらそうに、
「私は……両親が、途中で困って戻ってこないようにと」
「それも良い家族」
「でも兄より少ないんです」
「そこはまだ根に持ってるんだ」
「当然です」
ダリヤはというと、
「これは元手だから増やして帰ってこいって」
「商家だなあ」
セラリスは妙に感心した。
武器屋へ入ると、ミハイルの目が輝いた。
壁一面に剣。
槍。
斧。
盾。
そして奥には鎧。
「うわ……」
少年の視線が立派な長剣へ吸い寄せられる。
セラリスは肩を掴んで、そのまま鎧の方へ向きを変えた。
「こっち」
「でも剣――」
「後」
まずミハイル。
「プレートメイル」
「え?」
「着られるよね?」
「たぶん」
「じゃあ試着」
店主が少年の体格を測り始める。
金貨六十枚。
さらに盾が十枚。
これだけで七十。
ミハイルの表情が急に真剣になった。
「高い……」
「命より?」
「……安いです」
「よろしい」
次はヴァレリア。
「あなたもプレート」
「私もですか?」
「クレリックとして前に出る可能性があるなら当然」
「でも、とても重そう……」
「慣れなさい」
「はい……」
「盾も」
「はい……」
妙に素直になった。
アリーナが笑いをこらえている。
「何?」
「いえ。私も若い頃、似たようなことを言われたなと思って」
「叔父さんに?」
「ええ」
「じゃあ正しい」
「そこは即決なんですね」
ダリヤにはレザーアーマー。
「私だけ薄い」
「シーフがプレート着てどうするの」
「丈夫そうなのに」
「君は避ける、隠れる、罠を調べる。それが仕事。鉄板着てガチャガチャ音立ててたら全部台無し」
「なるほど」
ダリヤは納得が早い。
次に武器。
ミハイルが今度こそ壁の剣を見た。
「ソード一本」
「はい!」
セラリスは普通のノーマルソードを選んだ。
「もっと上等な物もありますよ?」
店主が装飾の凝った品を示す。
「いりません」
即答。
ミハイルが少し残念そうな顔をした。
「武器は壊れる。落とす。奪われる。もっと稼いでから良い物を買えばいい」
「はい」
「今はちゃんと切れればいい」
ヴァレリアはメイス。
こちらは金貨五枚程度。
「安いですね」
「だからいい」
「剣ではないんですね」
「それに、骨ばっかりの相手が出たらミハイルより君の方が頼りになるかもしれない」
「私が?」
「斬るより殴った方がいい相手もいる」
ヴァレリアはメイスを見直した。
ちょっと嬉しそうだった。
ダリヤにはショートソード。
「これだけ?」
「当面は」
「短剣も欲しい」
「後で」
「弓は?」
「後」
「投げナイフ」
「後」
ダリヤが不満そうな顔をする。
「予備武器は生き残って金が増えてから」
「セラリスはいっぱい持ってるでしょう?」
「私は必要な物を揃える時間があったから」
嘘ではない。
どのように揃えたかは、今ここで説明する必要もない。
武器屋を出た時点で、三人とも見た目がかなり冒険者らしくなっていた。
特にミハイルとヴァレリア。
プレートに盾。
少年は剣。
少女はメイス。
それだけで、昨日まで家にいた若者とは印象が変わる。
「格好いい……」
ミハイルが自分の盾を見ながら呟いた。
「重いです……」
ヴァレリアは別の意味で感動していた。
「歩ける?」
「歩けます」
「町の中を歩いただけで疲れるなら、外へ出る前に練習ね」
「……はい」
次は雑貨屋。
こちらではセラリスの指示が一気に細かくなった。
「全員バックパック」
三つ。
「水袋」
三つ。
「袋。小さいのと大きいの」
「何に使うの?」
「戦利品。濡らしたくない物。それと、拾った怪しい物を直接バックパックに入れないため」
「怪しい物を拾う前提なんだ」
ダリヤが言った。
「冒険者は拾う」
断言。
「ロープ」
ミハイル担当。
「五十フィート」
「俺が持つんですか?」
「三人で一番力がありそうだから」
「分かりました」
「食料も多めに」
「はい」
「火口箱」
ヴァレリアが手を上げた。
「私が持ちます」
「じゃあ松明も」
「何本ですか?」
「十二本」
「十二?」
「多い?」
「いえ……」
「暗い場所で明かりがなくなったら、その時点で先へ進めなくなるから」
ヴァレリアは真剣な顔になった。
「では、もう六本?」
「重量見てから」
セラリスは少し嬉しくなった。
こういう反応をする新人は嫌いではない。
教えたことをすぐ過剰に実践しようとする。
ダリヤにはシーフ道具。
鏡。
油。
小型ハンマー。
鉄の杭。
細いロープ。
十フィート棒。
「待って」
ダリヤが棒を見た。
「これ持って歩くの?」
「持つ」
「長い」
「十フィートあるからね」
「なんで?」
「怪しい床を、自分の足で踏まずに突くため」
「……」
ダリヤは棒を見る。
自分の足を見る。
もう一度棒を見る。
「持つ」
「賢い」
ヴァレリアが大量の松明をバックパックへ詰めながら尋ねた。
「でも、セラリスさんは荷物が少ないですよね?」
「そう見える?」
「はい」
実際、セラリスの背中にあるのは普通のバックパックだった。
着替えや、すぐ取り出したい日用品などが入っているだけ。
魔法の収納袋は腰の小袋の一つ。
他の小袋と並べてあるので、外見ではまず分からない。
「私は私なりに持ってるよ」
「どこに?」
「秘密」
ダリヤの目がすぐ腰の小袋へ向いた。
商家育ちらしく、こういうところはよく見ている。
だがセラリスは何も言わなかった。
「それより、自分の荷物は自分で持ちなさい」
「セラリスさんが余分に持てるなら、入れてもらえば軽くなるのでは?」
やはりダリヤ。
鋭い。
「だからこそ入れない」
「どうして?」
「私がいなくなったらどうするの?」
三人が黙った。
「冒険ではぐれることもある。私が怪我して動けなくなることもある。荷物を失うことだってある」
セラリスはヴァレリアのバックパックから松明を一本抜いた。
「これはヴァレリアの明かり」
ミハイルのロープを指す。
「これはミハイルのロープ」
ダリヤの道具を指す。
「これはダリヤの仕事道具」
それから三人を見た。
「誰か一人がいなくなっても、残った人間だけで生きて帰れるように荷物を分ける」
ミハイルがゆっくり頷いた。
ヴァレリアも。
ダリヤはしばらく考えて、
「じゃあ火口箱、ヴァレリアだけじゃ駄目じゃない?」
と言った。
セラリスの口元が緩んだ。
「正解」
もう一つ買った。
ミハイルへ渡す。
「片方をなくしても火を起こせる」
「なるほど」
「水も同じ。食料も完全には一人へ集中させない」
雑貨屋の店主が、妙な顔でこちらを見ていた。
「嬢ちゃん、随分慣れてるな」
「長生きしてますから」
便利な回答だった。
買い物を終え、店の外で財布を確認する。
それぞれ多少の差はあるが、手元にはおおむね金貨二十枚前後。
「全部使わなかった」
ミハイルが言う。
「それでいい」
「もっと装備買えるのに」
「町へ帰ったら宿代がいる。食事代がいる。鎧の修理もいる。情報を買うことだってある」
「情報にお金を払うんですか?」
ヴァレリアが驚く。
「払うよ」
セラリスは当然のように答えた。
「命がかかってるなら、酒一杯奢って危険な場所を聞ける方が安い」
三人は、それぞれ新しい装備を背負っていた。
まだ歩き方もぎこちない。
プレートに振り回されるヴァレリア。
剣を何度も確認するミハイル。
十フィート棒の扱いに困っているダリヤ。
どう見ても新人だった。
セラリスは三人を眺めた。
「よし」
「次は冒険ですか?」
ミハイルが期待に満ちた顔をする。
「違う」
「え」
「プレート着て歩く練習」
「……」
「盾構えたまま走る練習」
「……」
「バックパック背負って転ばない練習」
ダリヤが笑い始めた。
「冒険は?」
ヴァレリアが恐る恐る尋ねる。
「装備を使えるようになったら」
セラリスは三人を見渡した。
「買っただけで強くなった気になるのが、一番危ないから」
ミハイルが剣を見た。
ヴァレリアがプレートを見た。
ダリヤが十フィート棒を見た。
三人とも、先ほどまでより少しだけ真面目な顔になった。
それを見て。
セラリスは小さく頷いた。
まだダンジョンには入らない。
ゴブリン一匹とも戦わない。
だが。
生きて帰るための冒険は、もう始まっていた。