セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
そもそもの始まりは、冒険者訓練所の洗濯物だった。
人間が集まれば、食べる。眠る。汗をかく。そして衣服が汚れる。
まして、そこは冒険者を育てるための訓練所である。朝から走り、木剣を振り、盾を構え、組み討ちをし、転び、起き上がり、時には泥の上を這う。雨が降ったからといって休んでいては、実際の冒険で雨に降られた時に何の役にも立たないという理由から、多少の悪天候ならば訓練そのものが中止されることもなく、一日の終わりともなれば、若者たちのシャツも下着も靴下も、汗と土と草汁を吸い込み、訓練中に擦りむいた傷から出た血までついていることが珍しくなかった。
それを洗う。
毎日。
何十人分も。
訓練所を始めたばかりの頃なら、桶と洗濯板、それに何人かの手があればどうにかなった。ところが利用する若者が増え、宿泊する者まで増えてくると、洗濯を担当する者たちの負担は目に見えて重くなっていった。訓練所の規模が大きくなること自体は喜ばしいのだが、その人数が増えるたびに、当然のように洗濯物も増えるのである。
セラリスが最初に石鹸を改良したのも、そのためだった。
まず固形石鹸を作り、従来のものより使いやすくする。それだけでも洗濯の手間は減ったが、大量の衣類を洗う場合には一つずつ石鹸を擦りつけるより、あらかじめ細かくしておいた方が便利だと気づき、今度は削って粉にした粉石鹸を作った。
そこまで来ると、前世の記憶がごく自然に次のものを呼び起こした。
「……洗濯機だよね」
誰もいない洗濯場で、セラリスは籠いっぱいに積み上げられた汚れ物を眺めながら呟いた。
桶の中の衣類を、人間が一枚一枚こすり続けなければならない理由など、本来はない。
水を入れる。
粉石鹸を入れる。
衣類を入れる。
そして中身を動かす。
それだけである。
しかも、ここには魔法がある。
前世のように電動機を作り、回転軸を作り、歯車やベルトを組み合わせ、壊れないように軸受けを工夫する必要すらない。水そのものを動かしてしまえばよいのだ。
そうして出来上がった最初の洗濯機は、機械と呼ぶにはあまりにも単純な、大きな魔法の桶のような代物だった。
頑丈な木材と石材を組み合わせて円筒形の槽を作り、そこへ水と粉石鹸、それに衣類を入れる。蓋を閉め、側面へ埋め込んだ簡単な魔法回路を起動すると、槽の中の水がゆっくりと回り始める。
ぐるぐると回す。
しばらくすると逆方向へ回す。
また元へ戻す。
別に複雑なことは何もしていない。
「先生」
ミハイルが、初めて動かした洗濯槽の横から中を覗こうとしていた。
「何?」
「これだけですか?」
「うん」
「……本当に?」
「本当に」
傍らにいた洗濯担当の女は、さらに疑わしそうな顔をした。
「擦らなくていいんです?」
「ひどい染みは先に落とした方がいいと思う。でも普通の汗とか泥なら、これでいけるんじゃないかな」
「いけるんじゃないかな」
「試作だから」
その言葉にますます不安そうな顔をされたが、すでに洗濯物は中で回っている。
しばらく待ち、汚れた水を抜き、新しい水を入れて今度はすすぐ。もう一度排水し、衣類を取り出して広げてみる。
洗濯担当の女は、一枚のシャツを手にして表を見、裏を見、匂いまで確かめたあと、しばらく黙っていた。
「……先生」
「何?」
「もう一台作れます?」
「やっぱり楽?」
「比べものになりません」
それで洗濯機は二台になった。
ほどなく三台になった。
洗濯担当者が一日中桶の前へ腰を据えていなくてもよくなり、訓練所の洗濯仕事は目に見えて軽くなった。
問題が出てきたのは、そのあとだった。
*
「水が多い」
セラリスは訓練所の裏手に立ち、少々困った顔で地面を見下ろしていた。
洗濯場から流れ出た水によって、地面には以前にはなかった大きなぬかるみができている。
桶で一枚ずつ手洗いしていた頃とは違う。一度に多くの衣類を洗えるようになったということは、それだけ大量の水を一度に使うということでもあり、さらに洗いとすすぎで何度も水を入れ替えるため、洗濯そのものが容易になったのと引き換えに、今度は排水が大量に発生するようになったのである。
「……これは駄目だね」
ダリヤが近くに落ちていた棒でぬかるみを突いた。
「このままだと臭くなりそうですね」
「なるね」
「虫も湧きそう」
「湧くね」
ミハイルが少し考えてから言った。
「じゃあ洗濯機やめます?」
セラリスと洗濯担当の女が同時に振り返った。
「それはない」
「それは困ります」
「はい」
ミハイルは即座に引き下がった。
そこでまず排水路を作った。
洗濯場から石造りの溝を伸ばし、訓練所から離れた場所まで水を流し、そこに深い排水桝を作る。だが、問題は結局のところ、その水をどこへやるのかという一点へ戻ってくる。
そのまま川へ流せば下流を汚す。
地面へ撒き続ければ土が傷む。
砂や砂利、木炭を使った濾過も考えられたが、何十人分もの汗や皮脂や泥、それに粉石鹸を含んだ水を毎日流し込めば、濾材はすぐに汚れ、頻繁に掘り返して交換しなければならなくなる。
「……先に汚れそのものを減らせばいいんだよね」
セラリスは排水桝を覗き込みながら呟いた。
「先生」
ヴァレリアが、いかにも嫌な予感がするという顔をした。
「何?」
「今、何か思いつきましたよね」
「うん」
「聞いてもいいですか」
「ブラック・プディング」
ヴァレリアは目を閉じた。
「聞かなきゃよかった」
「まだ何も言ってないでしょう」
「ブラック・プディングって言った時点で十分です」
セラリスとしては、別に怪物を訓練所へ放し飼いにしようというわけではなかった。
ブラック・プディングは石材をほとんど侵さず、それ以外のかなり多くのものを消化する。肉や骨、木材、布、金属まで侵す厄介な怪物だが、その性質を逆に考えれば、有機物を処理する能力は極めて高い。
要は、絶対に逃がさなければよい。
そこでセラリスが作ったのは、最初から排水全部をブラック・プディングへ流し込むような乱暴な仕組みではなかった。
洗濯排水をまず石造りの沈殿槽へ落とし、砂や泥を沈ませる。その上澄みから布くず、髪、皮脂、垢などを分離し、それらを別に設けた完全石造りの処理槽へ送り込む。その中にブラック・プディングを収容し、集められた有機物だけを食わせる。
ブラック・プディングの入っている槽から直接水を流すことはせず、処理後の液体は別の沈殿区画を通してから、砂利、砂、木炭を重ねた濾過槽へ送る。そうして最後に浸透槽へ流す。
最初からすべてを濾過材へ押しつけるより、ずっと目詰まりが少ない。
もっとも問題がないわけではなかった。
「先生」
ミハイルが、ブラック・プディングを収めた石槽を遠巻きに眺めながら尋ねた。
「これ、出てきません?」
「出られないようにしてある」
「鉄格子とか?」
「溶かされる」
「木の蓋は?」
「食べられる」
「……本当に飼っていい怪物なんですか?」
「だから石で囲ってるんでしょう」
「先生、それ、この前ギルド長も似たようなこと言ってませんでした?」
「そうだっけ」
スレスホールド南方のブラックストーン・ヒースには、魔術師ギルド長ミロシュ・ヴァルチェクが以前から運営に関わっているブラック・プディング式のごみ処理施設がある。
かつて冒険中に捕らえ、魔法によって制御したブラック・プディングを、深い石造りの処理穴へ入れ、町から出る生ごみや不要な有機物を処理させている施設である。
セラリス自身も当然その存在を知っていたが、今回は町のごみを処理するのとは少し目的が違った。
こちらは、水を使う設備から出る排水の前処理である。
そして、その小さな違いに真っ先に気づいたのが、そのミロシュ本人だった。
*
ミロシュ・ヴァルチェクが訓練所を訪れたのは、新しい排水処理装置が安定して動き始めてから間もない頃だった。
本来はブラック・プディングの収容法について意見を求めるために呼んだのだが、彼は石槽を見て、流入口を見て、沈殿槽を見て、そこから濾過槽へ続く水路まで順番に確認すると、それまでほとんど何も言わなかった。
こういう時のミロシュは、黙っている方が危ない。
セラリスはすでに、それを少しずつ理解し始めていた。
「どう?」
「もう一度流してみろ」
「水を?」
「そうだ」
洗濯場から排水を流す。
濁った水が最初の沈殿槽へ入り、流れが緩くなったところで重い泥や砂を落とし、次の区画へ進む。そこで浮遊する汚れが集められ、その一部がブラック・プディングを収容した処理槽へ導かれてゆく。
ミロシュはその流れを最後まで見ていた。
「なるほど」
「何が?」
「私の施設は、ごみを持って行かなければ処理できない」
「そうだね」
「これは水がごみを運んでくる」
「まあ、そうなるね」
ミロシュは黙った。
そして、非常に嫌なことを思いついた人間の顔をした。
「……ギルド長?」
「町中の排水を集めればいい」
セラリスは瞬いた。
「何?」
「家々から出る汚水だ。洗濯、厨房、浴場、工房、宿屋。今はそれぞれが勝手に捨てている。それを水路で集め、沈殿させ、汚泥を分離し、ブラック・プディングに処理させればよい」
セラリスは、目の前の小さな処理槽を見た。
次にミロシュを見る。
もう一度処理槽を見る。
「街中にブラックプティングを入れるの?」
「脱出しないように改良を繰り返してきた。今のところは脱走されてない実績がある」
「その言い方、ものすごく不安なんだけど」
「何がだ」
「『今のところ』ってところ」
「事実だから仕方あるまい」
ミロシュは平然としていた。
彼がブラックストーン・ヒースの施設を作って以来、収容槽には何度も改良が加えられている。壁面の角度を変え、流入口を細くし、返しを増やし、上蓋の構造を見直し、点検口も二重化した。初期型に比べれば、現在の収容設備はかなり洗練されている。
そして何より重要なのは、長年使ってきて実際に一度もブラック・プディングを町へ逃がしていないという事実だった。
「でも、今のごみ処理場は町の外でしょう」
「それはごみを荷車で運べるからだ」
「汚水は?」
「毎日荷車で運ぶわけにはいかん」
「まあね」
「ならば水路で運ぶ」
「それで処理場を町の近くへ?」
「全部を一か所に集める必要もない。区域ごとに処理槽を置いてもいい」
「だから街中にブラック・プディングを置くことになるでしょう」
「地下だ」
「地下ならいいという問題かなあ」
ミロシュは腕を組み、しばらく考えた。
「ならば町の外縁に大型処理場を置き、そこまで幹線排水路を通す」
「あ、それならまだ分かる」
「だが勾配が必要だ」
「《測地》で取ればいいよ」
「なるほど」
即座に次の問題へ進んだ。
セラリスは少しだけ後悔した。
「ギルド長」
「何だ」
「もう作る気でしょう」
「当然だろう」
「まだ相談の段階なんだけど」
「相談した結果、出来ると分かった」
「そういう意味じゃないんだけどなあ」
*
ところが、その話をしているうちに、ミロシュの関心は別のところへも移っていった。
「ところで」
「何?」
「さっきから水が大量に出てくるが、何をしている」
「洗濯」
「これほどの量を?」
「洗濯機を使ってるから」
「洗濯機?」
ミロシュが動きを止めた。
セラリスは、しまった、と思った。
「見せろ」
「今?」
「今だ」
魔術師というものは、好奇心を刺激された時だけ妙に行動が早い。
洗濯場へ入ったミロシュは、並んでいる大きな洗濯槽を一周し、中を見る。側面の魔法回路を見る。水の流れを見る。回転方向が変わるところまでじっと観察する。
途中で蓋を開けようとして、洗濯担当の女に止められた。
「回っている時は開けないでください」
「何故だ」
「水が飛び散ります」
「なるほど」
また術式を見る。
セラリスには、今度こそ確実に分かった。
「ミロシュ」
「何だ」
「作る気でしょう」
「当然だ」
「やっぱり」
「これほど単純な仕組みで、これほど人手を減らせるものを、何故お前の訓練所だけで使う」
ミロシュはすでに槽の寸法を測り始めていた。
「回転させるだけなのだな?」
「基本的には」
「逆転は?」
「一定時間ごとに」
「水量は?」
「多すぎると衣類がうまく動かない」
「なら投入量に応じて二段階程度に調整出来ればよい」
「もう改良案出してるし」
「当然だろう」
ミハイルが少し離れたところから、小声で言った。
「先生」
「何?」
「似た人ですね」
「誰と誰が?」
「先生とギルド長」
「全然違うよ」
ダリヤが横で首を振った。
「いや、似てる」
セラリスは聞かなかったことにした。
*
数日後、ミロシュは図面を持ってきた。
「町にも作る」
セラリスは図面を覗き込んだ。
「排水処理場?」
「それもだが、まず洗濯場だ」
「ああ」
「各家庭へ一台ずつ売るには高すぎる」
「そうだね」
「ならば一か所へ集めて、皆で使えばよい」
考え方は単純だった。
洗濯槽そのものだけでなく、給水設備、排水設備、処理施設まで含めれば、各家庭へ設置するにはまだ高価すぎる。しかし、一つの施設へ何台もの洗濯槽を並べ、町の住民が料金を払って共用するならば、一台あたり何十世帯も利用出来る。
場所は水場に近いところ。
ただし生活用井戸からは離す。
床は石張りにし、排水溝を設ける。
横一列に大型洗濯槽を並べ、手前には洗濯物を仕分ける台、奥にはすすぎ用の清水槽を置く。さらに屋外には広い物干し場を設ける。
客は洗濯物を持ってきて受付で料金を払い、粉石鹸を買うか、自分で持ち込む。空いている槽へ洗濯物を入れ、係員が魔法回路を起動する。
終わればすすぐ。
自分で持ち帰るならそこで終わり。
追加料金を払えば、干して乾かすところまで任せられる。
「……これ」
セラリスは図面を見ながら言った。
「コインランドリーだ」
「何だ、それは」
「共同洗濯場みたいなもの。硬貨を入れると勝手に洗濯機が動くの」
ミロシュの目が光った。
セラリスはすぐに手を振った。
「そこまで作らなくていいから」
「何故だ」
「硬貨を判別する魔法装置まで付けたら、その装置の方が高くなるよ」
ミロシュは一瞬考えた。
「……確かに」
「珍しく素直だね」
「受付へ人間を一人置けば済むものに、魔法具を一つ増やす理由はない」
「うん。それでいいと思う」
こうして、スレスホールド最初の有料共同洗濯場が出来上がった。
*
開業初日、客はそれほど多くなかった。
何となく不安だったのである。
魔法で洗濯する。
それだけのことなのだが、普通の住民にとっては、それまで自分の手でこすっていた衣類を得体の知れない大きな桶へ放り込み、魔法で水をぐるぐる回すという行為そのものが、少しばかり奇妙に見えた。
「服、破れない?」
「破れません」
「色落ちしない?」
「普通に洗った場合と同じです」
「呪われたりしない?」
「どうして洗濯しただけで呪われるんですか」
受付係の女は、開業から半刻もしないうちに少々疲れていた。
最初に実際に利用したのは、近くの宿屋の女将だった。
大量のシーツを抱えてきた。
宿屋というところは、とにかく洗濯物が多い。
寝具。
タオル。
厨房布。
使用人の衣類。
客が汚したもの。
それらを毎日のように人間が洗わなければならない。
「これ、全部?」
「全部」
「一度には入りません」
「何回?」
「四回ですね」
「やって」
洗う。
待つ。
すすぐ。
取り出す。
女将は洗い上がったシーツを広げ、表を見て、裏を見て、鼻を近づけて匂いまで確かめた。
そして一言だけ言った。
「……明日も来るわ」
それで十分だった。
三日目には宿屋が二軒になった。
五日目には三軒。
そのあと食堂が来た。
冒険者が来た。
子供の多い家の母親たちも来るようになった。
そして独身の男まで来た。
「ここ、洗ってくれるって聞いた」
「自分で槽を使うならこの料金です。全部こちらに任せるなら追加料金がかかります」
「払う」
「干すところまで?」
「頼む」
それで話は終わった。
その男にとって重要なのは、魔法の洗濯機そのものではなかった。
汚れた衣類を持って行き、金を払い、あとで綺麗になったものを受け取れる。
それこそが革新的だったのである。
*
一月もしないうちに、共同洗濯場は朝から混み合うようになっていた。
石造りの槽が並び、その中では洗濯物と水が規則正しく回っている。順番を待っている女たちは世間話をし、宿屋の使用人は大量のシーツを抱え、冒険者は酒場で聞いた噂を仲間へ話し、子供を連れてきた母親は洗濯を預けている間に市場へ買い物へ向かう。
いつの間にか、洗濯場そのものが町の小さな社交場になり始めていた。
セラリスは入口に立ち、その光景を眺めた。
「ずいぶん増えたね」
「二台追加する」
隣に立つミロシュは、当然のように言った。
「もう?」
「待ち時間が長い」
「排水は大丈夫?」
「今の処理槽ならまだ余裕がある」
「ブラック・プディングは?」
「よく食っている」
「太った?」
「少しな」
「増えない?」
「分裂させるな」
「はい」
そこだけは、妙に厳しい声で言われた。
便利であっても、ブラック・プディングが危険な怪物であることに変わりはない。ミロシュが長年にわたって収容設備を改良してきたのも、その危険性を誰よりよく知っているからだった。
しばらくして、彼は洗濯場の床を流れてゆく排水へ目を向けた。
「これだけの水が、毎日出る」
「うん」
「宿屋も同じだろう」
「お風呂とか厨房もあるから、もっと多いと思う」
「食堂もだ」
「そうだね」
「一般家庭からも出る」
「出るね」
ミロシュは黙り込んだ。
セラリスは横顔を見た。
「また考えてる?」
「町全体の排水路を調べる」
「やっぱり」
「全部を一度に変える必要はない。まず宿屋や浴場の多い区域から試せばいい」
「本気でやるの?」
「お前の装置がすでに動いている」
「小規模だけどね」
「だから拡大出来るか試す価値がある」
彼の考えは、単純な洗濯排水の処理をすでに越えていた。
町の家々から出る汚水を集める。
石造りの排水路を通す。
大きな沈殿槽へ導く。
汚泥や有機物を分離する。
それを、長年の実績があるブラック・プディング処理施設で処理する。
最後に濾過し、必要ならさらに浄化してから流す。
これまで町の外で「ごみを食わせる穴」だったブラックストーン・ヒースの施設を、町の衛生そのものを支える設備へ変える。
そんな構想だった。
「でも、本当に街中へ入れるなら、安全装置は増やしてよ」
セラリスが念を押した。
「地下の処理槽にして、二重封鎖。点検口も二重。流入口も、プディングが逆流出来ない構造にする」
「分かっている」
「それと非常時に閉鎖出来るように」
「それも入れる」
「人が落ちないように」
「当然だ」
「子供が覗けないように」
「お前は私を何だと思っている」
「ブラック・プディングを町のごみ処理に使った人」
「便利だっただろう」
「便利だけど」
二人は顔を見合わせた。
しばらくして、セラリスの方が笑った。
「やっぱり似てるって言われる理由、ちょっと分かった」
「何の話だ」
「何でもない」
*
こうして始まったものは、洗濯機だった。
人間が毎日、何十枚もの服を手で擦るのは大変だから、魔法で水を動かして洗えばよい。
それだけのことだった。
ところが洗濯が容易になると、水を大量に使うようになった。
水を大量に使えば、今度は排水を処理しなければならなくなった。
排水を処理するために、沈殿槽を作り、ブラック・プディングを使い、濾過槽を作った。
それを見たミロシュは、自分が以前から運営していたごみ処理施設を、町全体の汚水処理へ利用出来ないかと考え始めた。
一つの便利な道具が、別の問題を生み、その問題を解決するための仕組みが、さらに別の用途を見つけてゆく。
魔法というものが、冒険者の武器でもなければ、魔術師だけが塔の中で研究する秘術でもなく、貴族が権威を示すための奇跡でもなくなりつつあった。
服を洗う。
ごみを処理する。
汚れた水を綺麗にする。
人が毎日やらなければならなかった仕事を、一つずつ減らしてゆく。
セラリスは並んだ洗濯槽を眺めながら、ぽつりと言った。
「こういう魔法の使い方、もっとあっていいんだよね」
ミロシュはすぐには答えなかった。
洗濯場の床を流れていく水を見て、その水がこれから沈殿槽へ入り、汚れを分けられ、その一部をブラック・プディングが処理し、最後には濾過されて地中へ戻っていく、その一連の流れを思い浮かべていた。
「そうだな」
やがて彼は言った。
「それに、まだかなり改良出来る」
「そっちなんだ」
「当然だろう」
洗濯場の入口には、すでに新しい札が掛けられていた。
《本日の洗濯受付》
《大型一槽 銀貨一枚》
《少量洗濯 銅貨》
《粉石鹸 別売》
《乾燥・物干し代行 追加料金》
まだ硬貨を投入すれば自動で動く機械ではなかった。
受付には人がいる。
洗濯物を仕分けるのも人間であり、水量を確認するのも、終わった衣類を取り出すのも人間だった。
前世のコインランドリーから見れば、ひどく原始的なものに違いない。
だが、スレスホールドの人々にとっては、汚れた衣類を持っていき、少しの金を払い、買い物でもしている間に、それが綺麗になって戻ってくるというだけで、これまでとはまるで違う暮らしだった。
そして、その床下を流れてゆく水の先には、さらに大きな変化が待っていた。
いまはまだ訓練所と共同洗濯場だけで使われている、小さなブラック・プディング式排水浄化装置。
だがミロシュの頭の中では、すでにその石造りの槽が何倍にも大きくなり、スレスホールドの宿屋や浴場、食堂や家庭から集められた汚水を受け入れていた。
町の南でごみを食べ続けてきたブラック・プディングが、やがて町そのものの衛生を支える。
そんな未来を、その時点でどれほどの人間が想像していたかは分からない。
少なくともミロシュは、すでに図面を描き始めていた。
そしてセラリスは、その横顔を見ながら、たぶん止めても無駄だろうな、と考えていた。