セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
ヴァルザリオンが牛を食べるところを、セラリスは何度か見たことがあった。
真竜というものは、当たり前ながら人間とは食べる量の桁が違う。ましてヴァルザリオンほどの大きさになれば、牛一頭など宴席の主菜というより、少し大きな一皿くらいの感覚なのだろう。肉だけを器用に選り分けて食べるような上品な真似もしない。皮を裂き、肉を噛み、内臓を呑み込み、時には骨まで砕いて食べる。その豪快さを最初に見た時には、いくらセラリスでもしばらく言葉が出なかったものだった。
だからこそ、ふと思いついたのである。
「ヴァル」
食事を終えて岩棚に腹をつけ、満足そうに尾を伸ばしていた緑竜が、巨大な頭だけをこちらへ向けた。
「なんだ、セラリス」
「ヴァルが食べる牛の骨なんだけど、二、三頭分ちょうだい」
金色の瞳が、ゆっくりと瞬いた。
竜というものは表情が分かりにくいと思われがちだが、付き合ってみればそうでもない。少なくともヴァルザリオンは、妙なことを聞いた時にはちゃんと妙な顔をする。
「骨は骨で美味いのだが」
「うん」
「なぜだ」
そこだったらしい。
牛をよこせと言われたのなら分かる。肉を欲しがるのも分かる。皮や角なら、人間が何かに加工するのだろうということくらいはヴァルザリオンにも想像できる。
だが、骨。
それも二、三頭分を、出来ればなるべく壊さずに欲しいという。
セラリスは、さも当たり前のことのように答えた。
「スケルトン牛を作って、畑で使ってみようかと思って」
「畑?」
「そう」
ヴァルザリオンはますます分からないという顔をした。
「骨で畑をどうする」
「牛鋤を引かせるの」
セラリスはしゃがみ込み、地面へ指で簡単な絵を描いた。
牛。
その後ろに鋤。
さらに、その後ろに人間。
「普通の牛でも出来るんだけど、当然疲れるでしょう。餌もいるし、水も飲むし、休ませないといけない。でもスケルトン牛なら疲れないし、力も強いだろうから、畑を耕すのに便利かなって」
ヴァルザリオンは地面の絵を見た。
次にセラリスを見る。
もう一度絵を見る。
「……死んだ牛を働かせるのか」
「そういうことになるね」
「食わず?」
「たぶん」
「眠らず?」
「眠らない」
「疲れず?」
「そこが一番期待してるところ」
しばらく沈黙があった。
やがてヴァルザリオンは、いかにも竜らしい低い声で言った。
「人間というものは妙なことを考える」
「私はエルフだけど」
「お前の妙なところは、人間から来たものだろう」
「それは否定しにくいなあ」
前世の記憶まで含めれば、たしかにそうなのかもしれない。
ただ、この発想そのものは前世にあったものではない。死霊魔法で動かした牛を農耕へ使うなど、少なくとも彼女が生きていた日本では考える必要すらなかった。
この世界に魔法があり。
死体を動かす術があり。
その一方で、農民たちは毎日生きた牛に餌を与え、休ませながら畑を耕している。
ならば組み合わせてみればいい。
セラリスにとっては、そういう話だった。
「二頭でいい?」
「三頭持っていけ」
「いいの?」
「骨を食わなければよいのだろう」
「出来れば関節もあまり壊さないで」
ヴァルザリオンが鼻から大きく息を吐いた。
「注文が多いな」
「ごめん」
「肉だけ食えばよいのだな」
「あと内臓と皮も食べていいよ」
「皮は別に美味くはない」
「そうなんだ」
「食えるから食うだけだ」
「そこは食べるんだ」
竜にとっての食文化というものは、まだよく分からなかった。
ともあれ。
三頭分の牛骨を確保する話は、ひどく簡単に決まった。
/*/
実際にスケルトン牛を作る段になると、話はもう少し面倒だった。
まず、骨を一通り揃えなければならない。
ヴァルザリオンは約束を守った。肉を剥がし、内臓を食べ、普段なら噛み砕いてしまう骨をかなり綺麗な状態で残した。ただし、竜にとって「壊していない」と、人間やエルフが考える「完全な骨格」の間には多少の差があり、一本だけ肋骨に歯形が入り、尾椎の一部が行方不明になっていた。
「ヴァル」
「なんだ」
「尻尾の骨が足りない」
「少しくらいなくても動くだろう」
「たぶん動くけど」
「ならよいではないか」
確かにそうだったので、それ以上は言わなかった。
骨を洗い、泥や肉片を落とし、足りない部分を確認してから組み直す。死霊術そのものは、それほど繊細な骨格標本を要求するわけではない。それでも、農具を引かせるという目的がある以上、脚の関節と背骨はきちんとしていた方がいい。
やがて三頭分の牛骨が並んだ。
生きていた頃なら、ごく普通の農耕牛だったはずの骨である。
それが今は肉も皮もなく、白い骨だけになって地面へ横たわっている。
「……先生」
見物に来ていたミハイルが、何ともいえない声を出した。
「何?」
「これ、本当に畑で使うんですか?」
「そのつもり」
「夜に見たら絶対怖いですよ」
「夜は畑耕させないから大丈夫」
「そういう問題かなあ」
ヴァレリアも複雑そうだった。
死者を動かす魔法は、僧侶にとって無条件に気持ちのよいものではない。まして人間やエルフの死体を働かせるとなれば、セラリス自身もそんなことをするつもりはなかった。
だが牛である。
人間の言葉を話していた者でもない。
生前の人格が残っているわけでもない。
もともと農耕に使われ、死ねば肉や皮や骨まで人間に利用される家畜だったものを、今度は骨になったあとにも使う。
そこにどこまで忌避感を持つかは、結局のところ文化の問題でもあった。
「人の骨ではやらないよ」
セラリスが言うと、ヴァレリアは少しだけ安心した顔をした。
「それはお願いします」
「ゴブリンとかコボルドとかもやらない」
「はい」
「牛とか馬とかなら、用途を考えて使ってもいいかなって」
ダリヤが骨を見ながら言った。
「馬も作るんですか?」
「上手くいったら考える」
「馬車?」
「そう」
ミハイルが呻いた。
「増えるんだ……」
「まだ牛も動いてないよ」
それから術を施した。
魔力が骨の間を走り。
目のない頭蓋の奥に、不自然な淡い光が灯る。
最初の一頭が。
骨を鳴らしながら立ち上がった。
カラカラと。
乾いた音がした。
三人が一歩下がった。
セラリスだけは近づいた。
「立って」
立つ。
「前へ」
歩く。
「止まって」
止まる。
「右」
曲がる。
「左」
曲がる。
「伏せて」
牛の骨格がその場へぎこちなく身を伏せた。
セラリスはしばらく見てから頷いた。
「命令は通る」
「見れば分かります」
ミハイルは言ったが、その声はまだ少し引きつっていた。
/*/
翌日。
本当の試験が始まった。
訓練所の外れに借りた畑へ、普通の牛鋤を持ち込む。
問題は、骨だけの牛へどうやって牽具を取り付けるかだった。
生きた牛なら肩や胸の肉が荷重を受ける。
だがスケルトン牛には肉がない。
普通の牛と同じように縄や木枠を掛ければ、骨の一点へ力が集中し、いくら魔法で動いていても関節を壊す恐れがあった。
そこでセラリスは、胸郭全体へ力を分散させる木製の牽具を作らせた。
肩甲骨と肋骨を包む。
背骨だけへ荷重を掛けない。
内側には革を巻き、木と骨が直接ぶつからないようにする。
「死んでるのに革で保護するんですね」
ダリヤが言った。
「骨は壊れるからね」
「なんか変な感じ」
「道具として使うなら、壊れないようにしないと」
それは生きているか死んでいるかとは関係がない。
剣でも。
荷車でも。
スケルトンでも。
長く使いたければ手入れがいる。
鋤を繋ぐ。
農夫が持ち手を握る。
その男は最初、かなり嫌そうな顔をしていた。
「本当にこいつで?」
「試すだけだから」
「襲ってこない?」
「命令しなければ襲わないようにしてあるよ」
「先生の『大丈夫』って、たまに大丈夫じゃないからなあ」
「ひどい」
「ブラック・プディング飼ってる人が言うことじゃねえよ」
反論しにくかった。
ともあれ。
セラリスがスケルトン牛へ命じた。
「ゆっくり前へ」
骨の牛が歩き始めた。
鋤が土へ食い込む。
最初は浅い。
農夫が角度を変える。
「もう少し速く」
歩調が上がる。
鋤の刃が土を割り、黒い土が左右へ返されていく。
「……おお」
農夫の声が変わった。
十歩。
二十歩。
畑の端まで行く。
「止まって」
止まる。
「右へ回って」
ぎこちないが、回る。
もう一度。
「前へ」
鋤が走る。
二列目が出来る。
三列目。
四列目。
そこで農夫の顔から、気味悪そうな表情が少しずつ消えていった。
「先生」
「何?」
「こいつ、疲れねえんですよね」
「たぶん」
「水は?」
「要らない」
「餌は?」
「要らない」
「休ませるのは?」
「必要ないと思う」
「病気は?」
「しない」
農夫は黙った。
そして畑の向こうまで進んでいく白骨の牛を見た。
「……便利だな」
「でしょう?」
「気味は悪いけど」
「そこは慣れて」
「慣れるかなあ」
だが。
農民というものは、実際に役に立つものに対しては存外に現実的だった。
半日が過ぎた。
普通の牛なら、そろそろ休ませなければならない。
水も飲ませる。
餌も必要になる。
夏なら暑さにも気を配らなければならない。
けれどスケルトン牛は。
同じ歩調で歩き続けた。
呼吸もしない。
汗もかかない。
脚が重くなることもない。
夕方になっても速度が落ちなかった。
「……先生」
今度はミハイルだった。
「何?」
「これ、すごくないですか?」
「上手くいってるね」
「朝からずっと歩いてますよ」
「アンデッドだからね」
確かに強かった。
生きた牛より瞬間的な力がどれほど上かは、もう少し試験しないと分からない。
だが最大の利点は力そのものではなかった。
その力を。
延々と使えることだった。
一時間。
二時間。
三時間。
同じ速度。
同じ力。
同じ歩幅。
これは農作業にとって非常に大きい。
ただし。
問題もすぐ見えた。
「止まれ!」
農夫が叫んだ。
スケルトン牛は止まらなかった。
セラリスがすぐ命じる。
「止まって」
止まった。
農夫が振り返る。
「俺の言うこと聞かねえぞ!」
「あ」
当然だった。
命令権をセラリスにしか設定していない。
「それじゃ駄目じゃないですか」
ダリヤが笑った。
「うん。駄目だね」
自分が毎日畑へ来て命令するわけにはいかない。
ならば使用者を登録する。
あるいは簡単な命令語を決める。
前進。
停止。
右。
左。
後退。
これだけでも鋤を引かせるには足りる。
さらに、勝手な判断をさせないことも重要だった。
普通の牛なら、穴があれば避ける。
崖があれば止まる。
人を踏みそうなら多少は避ける。
スケルトン牛にはそれがない。
命じられた通りに歩く。
だから扱う人間がきちんと見ていなければならない。
「便利だけど、自動じゃないね」
セラリスが言った。
「当たり前ですよ」
ヴァレリアが答えた。
「牛の代わりにはなっても、農夫の代わりにはなりません」
「うん」
そこが大事だった。
スケルトン牛に農業を任せるのではない。
人間が農業をする。
その力仕事だけを、疲れない骨の牛に手伝わせる。
そう考えればいい。
/*/
日が傾き。
試験を終えたスケルトン牛を畑の端に立たせた。
朝から働き続けていたにもかかわらず、当然のことながら疲れた様子など一つもない。
農夫が腕を組んで眺めていた。
「これ、夜もやらせられるな」
「出来るけど」
セラリスは少し考えた。
「やめた方がいいと思う」
「なんで?」
「人が疲れるから」
農夫は目を瞬いた。
「そりゃそうだ」
「それに暗いと危ないし」
「骨の牛だけ働けても駄目か」
「そういうこと」
魔法によって疲れない労働力を作ったからといって、人間まで疲れなくなるわけではない。
そこを間違えると。
便利な道具が、今度は人間を道具へ合わせて働かせるものになる。
セラリスはそれを望んでいなかった。
「昼間、牛を休ませる時間が減る。それで充分じゃないかな」
「二頭いれば、もっと広い畑を一日で耕せる」
「そうだね」
「生きた牛はどうする?」
農夫が尋ねた。
セラリスは少し考えた。
「全部置き換える必要はないよ」
牛は肉になる。
乳も取れる。
子も産む。
糞は肥料にもなる。
それに農村というものは、単純に一つの仕事だけで成り立っているわけではない。
スケルトン牛は餌を食べない代わりに、糞も出さない。
繁殖もしない。
壊れた骨は修理しなければならない。
魔法による維持が必要になる可能性もある。
「耕すのが大変な時期だけ、こういうのを使えばいいんじゃない?」
「春とか?」
「春とか、収穫後の耕起とか」
「なるほどな」
全部を変えない。
必要なところだけ楽にする。
それでいい。
セラリスは、夕日に白く照らされているスケルトン牛を見た。
見た目だけなら。
どう考えても不吉である。
目の穴には淡い魔力の光があり、皮も肉もない牛が、農具を背負って畑の端に立っている。
吟遊詩人が物語にすれば、死霊術師の呪われた農場にしか見えないだろう。
だが。
その後ろには、今日一日で綺麗に耕された畑が広がっている。
誰も襲っていない。
人間の死体も使っていない。
ただ、死んだ牛の骨が鋤を引いただけだ。
「悪くないよね」
セラリスが呟いた。
ミハイルが横から言う。
「見た目以外は」
「見た目はどうしようもないよ」
「布でも掛けます?」
「余計怖くならない?」
「夜に白骨の牛が立ってるよりは……」
ダリヤが言った。
「目印に色のついた布を首に巻けばいいんじゃない?」
「それいいね」
ヴァレリアが笑う。
「家畜みたいですね」
「元々家畜だよ」
それで皆も笑った。
セラリスは最後に、ヴァルザリオンへ結果を見せに行こうと思った。
骨を三頭分も譲ってもらったのだから、何に使われたかくらいは見せるべきだろう。
たぶんヴァルは。
畑を黙々と耕す、自分が食べ残した牛の骨を見て。
「骨まで働かせるのか」
と呆れるに違いない。
それでも。
次に牛を食べる時には。
「また骨を残しておくか?」
くらいは言ってくれるのではないか。
そんな気がした。