セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚―   作:ぶーく・ぶくぶく

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ミスタメア商会

 

 訓練所を始めてからしばらくして、セラリスは、自分がずいぶん根本的なことを見落としていたのだと気がついた。

 

 それは剣の振り方でもなければ、鎧を着たまま走る方法でもなく、まして怪物を見たときにどう逃げるかというようなことでもなかった。そんなものは毎日教えていたし、ミハイルやヴァレリア、ダリヤを相手に、何度も何度も同じことを繰り返していた。新人たちには走らせ、転ばせ、荷物を背負わせ、剣を抜かせ、また納めさせ、夜になれば明かりのない場所を歩かせた。

 

 ところが、その夜間訓練を始めようとした日のことである。

 

「松明は?」

 

 セラリスが訊くと、少年の一人がきょとんとした。

 

「一本あります」

 

「一本?」

 

「はい」

 

「予備は?」

 

「ないです」

 

「油は?」

 

「持ってません」

 

「火口箱は?」

 

「それはあります」

 

「水袋は?」

 

「あります」

 

「いくつ?」

 

「ひとつです」

 

 セラリスはしばらく黙って少年を見た。

 

 それから、その隣にいた別の少女を見る。

 

「あなたは?」

 

「松明二本と、水袋ひとつです」

 

「縄は?」

 

「持ってません」

 

「毛布」

 

「家にあります」

 

「今ここには?」

 

「ありません」

 

「……うん」

 

 セラリスはそれ以上何も云わず、今度は全員の荷物を一度地面へ出させてみた。

 

 すると、ひどいものだった。

 

 剣は持っている。

 

 父親のお下がりらしい槍を持ってきた者もいる。革鎧を買うために何か月も働いたという少年もいたし、妙に立派な短剣だけ腰に差している少女もいた。

 

 だが、冒険をするための道具となると、途端に怪しくなるのである。

 

 縄がない。予備の水袋がない。袋そのものを持っていない者がいる。松明は一本だけ、油はなし、火を起こす道具は家に置いてきた。毛布は重いから持ってこなかった。釘も木槌もない。怪我をしたときに巻く布すら持っていない者までいる。

 

「ねえ」

 

 セラリスはとうとう云った。

 

「みんな、これでどこへ冒険に行くつもりだったの?」

 

 若者たちは顔を見合わせた。

 

「遺跡とか……」

 

「遺跡、暗いよ」

 

「松明があります」

 

「一本でしょう?」

 

「……はい」

 

「二時間くらいでなくなるよ」

 

 少し沈黙があった。

 

「じゃあ、そのあとどうするの?」

 

「帰ります」

 

「帰るときも暗いよ」

 

「あ」

 

 その「あ」があまりにも素直だったので、セラリスは怒る気にもなれなかった。

 

 横で聞いていたミハイルが、何とも云えない顔で額を掻いた。

 

「先生。俺たちも最初、そんなに変わらなかったと思う」

 

「そうだった?」

 

「俺、剣と鎧ばっかり考えてたし」

 

「……そういえばそうだったね」

 

 ヴァレリアも小さく頷いた。

 

「武器と防具を買うと、お金がほとんど残りませんから」

 

 それでセラリスにも分かった。

 

 冒険者になりたい若者が最初に考えるものは、剣なのである。

 

 次が鎧。

 

 少し余裕があれば盾。

 

 それで財布が軽くなり、縄や油や毛布や袋などという、怪物を倒すこととは直接関係のなさそうなものは後回しになる。

 

 そして実際に死ぬ原因になるのは、そういうものがないときだった。

 

「これ、駄目だね」

 

 セラリスは云った。

 

 ダリヤが振り返った。

 

「何がです?」

 

「訓練だけしても、道具が揃わない」

 

「買わせればいいんじゃないですか?」

 

「どこで?」

 

「スレスホールドで」

 

「縄はあの店、油は別の店、薬は薬屋、矢は武器屋、毛布は織物屋でしょう?」

 

「そうですね」

 

「初心者が全部分かると思う?」

 

 ダリヤは少し考えてから、

 

「分からないでしょうね」

 

 と答えた。

 

「私も面倒だと思う」

 

「先生の場合は《テレポート》できるじゃないですか」

 

「買い物の話をしてるんだけど」

 

「だから余計に説得力ないですよ」

 

 ともかく、その日の夜間訓練は、訓練所にある予備の松明と油を貸し出して行った。

 

 その翌朝には、セラリスは紙を一枚広げていた。

 

 必要なものを書き出すことにしたのである。

 

 縄。袋。水袋。毛布。松明。ランタン。油。火口箱。蝋燭。チョーク。小さな鏡。鉄釘。木槌。革紐。包帯。簡単な傷薬。保存食。小鍋。食器。砥石。矢。弩なら矢弾。弓弦の予備。地図を書くための紙と筆記具。

 

 書いているうちに増えた。

 

「多いね」

 

 ミハイルが覗き込んだ。

 

「冒険って荷物多いんだよ」

 

「先生、普段あんまり持ってないよね」

 

「魔法の袋とかあるから」

 

「だから説得力ないんですよ」

 

「さっきダリヤにも似たようなこと云われた」

 

 武器と鎧は入れなかった。

 

 それは町の武器屋や鎧職人から買えばよい。品質を見て選ぶ必要もあるし、訓練所がそこまで商売を始める必要はない。

 

 問題は、どこにでもありそうで、ひとつずつ買い集めるとなると妙に面倒な品々だった。

 

「まとめて仕入れよう」

 

 セラリスは云った。

 

 ダリヤがすぐに反応した。

 

「どのくらい?」

 

「最初は十人分くらい?」

 

「少なすぎます」

 

「じゃあ二十人」

 

「縄とか油は訓練でも使いますよね」

 

「使うね」

 

「なら五十人分くらい買っても腐りません」

 

「油は腐らないけど、保存食は駄目でしょう」

 

「それは回転させます」

 

「……なんか急に商売の話になったね」

 

「先生が売るって云ったんでしょう?」

 

「売るとはまだ云ってないよ」

 

「ただで配るんですか?」

 

 そこまで云われて、セラリスは黙った。

 

「……売ろう」

 

「ですよね」

 

 こうして、訓練所の隣に小さな売店ができた。

 

 最初は店と呼ぶほどのものでもなかった。

 

 木造の小屋を一つ建て、前面に窓口を作り、内側へ棚を並べただけである。縄は太さごとに束ねて壁へ掛け、水袋は棚の上へ積み、油は陶器の壺から決まった量ずつ量って売った。松明は十本ずつ束ね、火口箱、蝋燭、釘、チョークなどの細かなものは箱に分けた。

 

 ダリヤの提案で、最初から値札も付けた。

 

「値段、書くんだ」

 

「毎回訊かれる方が面倒です」

 

「それもそうだね」

 

 さらに、初心者が何を買えばよいか分からないという、そもそもの問題を解決するために、ひとまとめにした一式まで作った。

 

 背負い袋の中に、縄、袋、水袋、毛布、松明、火口箱、蝋燭、チョーク、革紐、簡単な包帯、小さな鏡などを入れる。

 

「《初心者用冒険装備一式》?」

 

 ミハイルが読み上げた。

 

「名前そのままだね」

 

「分かればいいでしょう」

 

「先生、こういうところ本当に名前考えないよね」

 

「格好いい名前つけても中身は縄と毛布だよ」

 

 それはよく売れた。

 

 驚くほど売れた。

 

 剣を一本買ったあと、財布に残った硬貨を数えているような若者でも、

 

「これだけ持っていけば最低限困らない」

 

 と云われれば買った。

 

 親が息子を連れてきて、

 

「これを一つ持たせてください」

 

 と買っていくこともあった。

 

 訓練所へ通っていない若者まで売店へ来るようになった。

 

 そのうち商人や旅人まで縄や油を買っていった。

 

「なんか普通の雑貨屋になってない?」

 

 セラリスが云うと、ダリヤは帳面から目も上げずに答えた。

 

「売れるならいいじゃないですか」

 

「訓練所の売店なんだけど」

 

「旅人が買ってはいけない理由あります?」

 

「ないけど」

 

「じゃあ問題ないです」

 

 それから何年かたって、ハイフォージとの取引が始まると、その小さな店の棚には、さらに妙なものまで並ぶようになった。

 

 最初にそれを持ってきたのは、ノームの細工師だった。

 

「何これ?」

 

 セラリスは銀灰色の棒を手に取った。

 

「金属」

 

「それは見れば分かるよ」

 

「変な金属だ。軽い。柔らかい。それから燃える」

 

「金属が?」

 

「燃える」

 

 ノームは得意そうに、小刀で棒の端を削ってみせた。

 

 薄い削り屑が落ちる。

 

 それを乾いた火口の上へ集め、火打石で火花を飛ばした。

 

 一瞬遅れて、白く眩しい火が走った。

 

「うわ」

 

 セラリスは思わず顔を引いた。

 

 炎は小さいが強烈だった。

 

「これ何に使ってるの?」

 

「まだあんまり使ってない。燃えるから面白い」

 

「……火をつけるのに使えるよね」

 

「火をつける?」

 

「薪とか」

 

 ノームは少し考えた。

 

「つくな」

 

「雨のあとでも、乾いた削り屑を作れればかなり楽じゃない?」

 

「つくな」

 

 こうしてまた、ひとつ商品が増えた。

 

 棒そのものを燃やすのではない。小刀や専用の削り具で表面から細かな削り屑を作り、それへ火花を落とす。普通の火口に火を移すよりずっと強い熱が得られるため、少々湿った細枝でも火を育てやすかった。

 

 売店では、小さなマグネシウム棒と削り具、それに火花を出すための火打石を一組にして売った。

 

 最初に買った若者は半信半疑だったが、雨上がりの野営で使った翌日には、友人を連れてもう一本買いに来た。

 

「火口箱より楽です」

 

「でしょう?」

 

「先生、これもっと早くなかったんですか?」

 

「金属そのものが最近来たんだよ」

 

 それからしばらくすると、ミスタメアの若い冒険者たちの腰や背負い袋には、銀灰色の短い棒を収めた革筒が目立つようになった。

 

 昔ながらの火口箱が消えたわけではない。

 

 安いし、どこでも手に入るし、きちんと扱えば十分役に立つ。

 

 ただ、雨に降られ、風に吹かれ、日が落ちてからようやく野営場所を見つけた若者にとって、削って火花を落とせば強い白火を作れる小さな棒は、ほんの少し余分に金を払う価値があった。

 

 もっともセラリスにしてみれば、それもまた、特別な発明をしたつもりなどなかった。

 

 若い冒険者たちが縄を持っていないのを見た。

 

 だから縄を仕入れた。

 

 火をつけるのに苦労していた。

 

 だから、火をつけやすいものを棚に置いた。

 

 ただそれだけである。

 

 だが後になって訓練所へ入ってきた少年たちは、最初からその売店をそこにあるものとして知っていた。

 

 訓練を申し込む。

 

 装備表を渡される。

 

 隣の店へ行く。

 

 必要なものを買う。

 

 背負い袋の底には予備の弦を入れ、横には縄を括り、水袋を吊るし、そして革筒に入った火つけ棒をしまう。

 

 彼らにとっては、それが冒険者になるということの、ごく当たり前の最初の手順になっていた。

 

 ある日、そんな新人たちを眺めていたミハイルが、ふと思い出したように云った。

 

「先生」

 

「なに?」

 

「俺たちのとき、こんな便利な店なかったよね」

 

「なかったね」

 

「ずるくない?」

 

「私に云われても」

 

「先生が作ったんでしょう」

 

「あなたたちが何も持ってなかったから作ったんだよ」

 

 ミハイルはしばらく考え、それから売店から出てきた少年の背負い袋を見た。縄も、水袋も、毛布も、松明もきちんと揃っている。

 

「……俺たちが役に立ったってことでいいか」

 

「そういうことにしよう」

 

 セラリスは笑った。

 

 そしてその隣では、ダリヤが新しく届いたマグネシウム棒の箱を数えながら、もう次の仕入れ量を計算していた。

 

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