セラリス・オブ・カラーリー ―赤箱世界冒険譚― 作:ぶーく・ぶくぶく
最初にそのことを思いついた時、セラリスは、それが何か新しい産業の始まりになるなどとは少しも考えていなかった。
そもそも、その頃のミスタメアには、産業などという立派な言葉を使えるようなものは、ほとんど何もなかったのである。
人が足りなかった。
職人も足りなかった。
役人も足りなかった。
後になって魔法土木部だの建築部だのと呼ばれるようになる組織は、影も形もなく、道路を直したければセラリスが自分で測り、家を建てたければ自分で図面を引き、井戸が詰まれば覗き込み、橋が壊れれば直しに行くという有様だった。
魔法使いだから何でも一人で出来る、というのは、外から見ている者の勝手な思い込みでしかない。
実際には、一人で何でも出来るということは、一人に何でも持ち込まれるということだった。
「先生、屋根漏る」
「昨日直したでしょう?」
「別の家」
「……あとで行く」
「先生、井戸の水濁った」
「今度は何を落としたの?」
「落としてない」
「じゃあ見に行く」
「先生、道ぬかるむ」
「知ってる」
「先生」
「ちょっと待って!」
そんな時代である。
だから、陶器を作り始めたこと自体も、本来ならもっと後になってから手を出すべきことだったのかもしれない。
だが、必要だった。
皿が足りない。
壺が足りない。
水を入れる甕も足りない。
木器は作れるが、油や水を長く入れておくには向かないものもある。
金属器を使えばよいが、そんなものを日用品にしていたら、ただでさえ乏しい鉄や銅がいくらあっても足りない。
そこで、土を焼けば器になる、という、前世で得たひどく曖昧な知識を思い出したのである。
そうして出来たのが、最初の小さな窯だった。
石を積み、粘土で隙間を埋め、斜面を少し利用して、下から火を入れる。
登り窯と呼んでいいものかどうか、セラリス自身にも自信はなかった。
だが、少なくとも土は焼けた。
何度も割れた。
歪んだ。
爆ぜた。
灰釉をかければ流れすぎた。
薄ければざらついた。
けれど、コボルドたちは面白がった。
そこが大きかった。
失敗すると、もう一度やった。
セラリスがいなくても土を練った。
器の形も少しずつ揃っていった。
最初は彼女が教えていたはずなのに、半年もたたないうちに、
「先生、それ水多い」
「先生、底厚い」
「先生、乾かす前に触るな」
などと叱られるようになっていた。
それでも困ったことが一つあった。
薪である。
*
「……また減ってる」
セラリスは窯場の脇に積まれた薪を見て、少し顔をしかめた。
大した窯場ではない。
窯もまだ三基しかない。
一基は皿や小鉢用。
一基は甕や壺用。
最後の一基は試験用で、その時々で何を入れられるか分からない。
だが、それでも窯焚きを繰り返せば薪は減る。
この頃はまだ周辺の建築もさほど進んでおらず、町が急速に広がっていたわけでもない。
けれど、それは同時に、伐採、乾燥、運搬を専門に行う者などいない、ということでもあった。
必要な薪を得るためには、誰かが木を切らなければならない。
その誰かが足りない。
「先生」
背後から声がした。
「うん?」
「薪、あと少ない」
「見れば分かるよ」
「次の窯、どうする?」
振り返ると、窯場を任せることが増えてきたコボルドが立っていた。
まだ親方と呼ぶほど立派なものではない。
だが、火を見る目だけなら、もうセラリスより上だった。
「薪を集めるしかないかな」
「先生、今日、橋見る」
「ああ」
「そのあと屋根直す」
「……そうだった」
「それから井戸」
「覚えてるよ」
「薪、誰切る?」
セラリスは黙った。
コボルドも黙った。
ひどく現実的な沈黙だった。
やがてセラリスは窯を見た。
窯の中には昨日入れた器がまだ残っている。
その前には次に焼く予定のものが乾かしてある。
薪がない。
人もいない。
その時だった。
「あ」
「なに?」
「火精霊」
コボルドが首を傾げた。
「ひ、せいれい?」
「うん」
セラリスは窯を見たまま云った。
「火を出すものが必要なんだから、火精霊を使えばいいじゃない」
コボルドはしばらく何も言わなかった。
「薪、いらない?」
「ほとんど」
「ずっと燃える?」
「契約がちゃんとしてれば」
「火、強くできる?」
「できる」
「弱くも?」
「できるよ」
「……先生」
「なに?」
「なんで今までしなかった?」
セラリスは口を閉じた。
「皿、いっぱい割れた」
「うん」
「夜、ずっと薪入れた」
「うん」
「煙いっぱい」
「……うん」
「なんで?」
「思いつかなかったんだよ!」
*
問題は、それを誰が作るかだった。
後年なら、専門の魔法技師に頼めば済む。
設計を渡す。
固定術式を組んでもらう。
安全試験を行う。
それで終わる。
だが、この頃にはそんな者はいない。
だからセラリスがやるしかなかった。
窯を調べた。
石を外した。
焚口の奥を広げた。
火精霊を固定するための魔法陣を刻んだ。
その間にも別の用事が来る。
「先生、牛が逃げた」
「それは私じゃなくてもいいでしょう!」
「でも大きい」
「みんなで捕まえて!」
「先生、屋根」
「明日!」
「橋」
「夕方!」
窯の前に座り込んで魔法陣を刻んでいたセラリスが、とうとう頭を抱えるのを見て、コボルドたちは近寄らなくなった。
「先生、怒ってる」
「窯に?」
「たぶん世界に」
聞こえていたが、反論する気力もなかった。
*
三日後。
ようやく最初の火精霊窯が出来た。
もっとも、完成したと言ってよいのか、セラリス自身にはまだ分からなかった。
焚口の奥で、赤橙色の炎がゆらゆらと揺れている。
火精霊は大きくはない。
窯を一基温める程度の力しか持たせていない。
だからこそ扱いやすい。
精霊が強すぎれば窯そのものを壊しかねなかった。
「これ?」
コボルドが覗き込んだ。
「これ」
「燃やす?」
「窯を温める」
「薪は?」
「今日は使わない」
「本当に?」
「たぶん」
コボルドの耳が動いた。
「たぶん?」
「初めてなんだから仕方ないでしょう」
火精霊が、ぼう、と鳴った。
「ほら、本人もやる気はあるし」
「先生、火と話した?」
「一応」
「なんて?」
「暇だったって」
「……火、暇ある?」
「知らないよ」
だが、窯に火が入ると、そんな会話をしている余裕はなくなった。
温度が上がる。
今までとはまったく違う。
薪なら、炎は生き物のように変わる。
木の乾き方で変わる。
風で変わる。
炭の崩れ方で変わる。
焚口を開けた時間でも変わる。
ところが今日は違った。
「少し弱く」
セラリスが精霊へ伝える。
火が弱くなる。
「ここで止めて」
止まる。
それから大きくは変わらない。
コボルドは何度も覗き穴を覗いた。
「同じ」
「うん」
「ずっと同じ」
「そうだね」
「変」
「便利でしょう?」
「変」
彼らにとって、火というのは本来、言うことを聞かないものだった。
調子の良い日もあれば悪い日もある。
そこを読むのが窯焚きだった。
ところが精霊の火は、命じれば同じ熱を保つ。
最初は、それがかえって気味悪かった。
だが、数時間後には、
「もうちょっと上げる」
「はい」
「ここで止める」
「うん」
「夜もこのまま」
「分かった」
と、すっかり使いこなすつもりになっていた。
*
焼き上がった器を見て、コボルドたちは黙った。
全部成功したわけではない。
割れたものもある。
歪んだものもある。
灰釉が流れたものもある。
だが、同じ場所に並べた器は、これまでよりはるかに同じように焼けていた。
色が揃っている。
硬さも近い。
それまで、同じ釉薬を塗ったはずなのに、一枚は淡い緑、一枚は茶色、一枚は灰色などということが普通にあった。
今日は違う。
「同じ」
一人が云った。
「同じだね」
「これも」
「うん」
「これも」
「うん」
少しの間、誰も口をきかなかった。
それから、最初期から窯場にいたコボルドが云った。
「次」
「え?」
「次焼く」
「もう?」
「火、まだいる」
「精霊は消えないよ」
「じゃあ焼ける」
セラリスは笑った。
「休んでもいいんだよ」
「なんで?」
「……いや、いいけど」
結局、その日の午後にはもう次の土を練り始めていた。
*
火精霊窯が本当に役に立ったのは、薪を使わなくなったことだけではなかった。
同じ火を再現できる。
それが大きかった。
「昨日と同じ火」
「はい」
「灰を増やす」
「うん」
「次は薄く塗る」
「はい」
「今度はもっと高くする」
「分かった」
それまでなら、何が原因で成功したのか分からなかった。
火がよかったのか。
土がよかったのか。
灰の配合が偶然よかったのか。
今は火を固定できる。
だから別のものだけを変えられる。
少しずつ。
一つずつ。
コボルドたちは器の底につける印を増やした。
線が一本。
二本。
三角。
丸。
爪跡。
それぞれが、土の種類、灰の量、焼いた位置、火の強さを意味する。
文字を大量に書くよりも、その方が早かった。
やがて窯場の壁には板が一枚掛けられた。
そこにセラリスが、簡単な記録表を書いた。
「これは?」
「この前うまくいったやつ」
「この線は?」
「灰、一」
「こっちは?」
「粘土、一」
「この丸は?」
「真ん中」
「じゃあ次はここだけ変える」
「うん」
実験というほど大げさではない。
学問でもない。
ただ、同じ失敗を繰り返さないための記録だった。
しかし、それが積み重なると、次第に器の出来が揃ってきた。
*
それからしばらくして、少し妙なものが出来た。
その頃には、窯場の近くで採れる土だけではなく、周辺を歩くたびにセラリスが適当な粘土を拾ってくるようになっていた。
「これも焼いてみて」
「また土?」
「うん」
「どこ?」
「北の丘の下」
「先生、何しに行った?」
「道を見に」
「なんで土持って帰る?」
「そこにあったから」
コボルドはもう訊かなかった。
その土は、いつもの赤茶色の粘土より少し灰色がかっていた。
粘りはあるが、手触りが違う。
それを成形し、火精霊窯で今までより高い温度まで上げてみた。
最初の一回は割れた。
二回目も半分失敗した。
三回目。
取り出された小さな壺を、コボルドが爪で軽く叩いた。
きん。
今までとは違う音がした。
「……先生」
「うん?」
「硬い」
セラリスも手に取った。
重い。
表面はそれほど美しくない。
灰褐色で、いかにも地味だ。
だが素地が締まっている。
水を入れてみても、今までの陶器ほど染みてこない。
「これ、炻器に近いかも」
「せっき?」
「もっと高い温度で焼いた、硬い焼き物」
「皿にする?」
「できる」
「壺?」
「できる」
「管?」
「それもいいかも」
コボルドの目が少し輝いた。
「もっと焼く?」
「焼こうか」
それ以上のものは、まだ出来なかった。
白く薄い器など、この頃には誰も知らない。
まして磁器など、セラリスも頭の片隅にそういうものがあると知っているだけで、どんな土をどう配合すればよいのかまでは分からなかった。
今ある土で、今ある窯で、今できるものを少し良くする。
それで十分だった。
*
その頃になると、器は少しずつ売れるようになっていた。
大きな商売ではない。
町そのものがまだ小さい。
人口も多くない。
だが、周辺の村から来た者が、
「この壺はいくらだ」
「皿を六枚ほしい」
「水甕はあるか」
と買っていく。
たまに通りかかった商人が、十個、二十個とまとめて持っていくこともあった。
それで少し金が入る。
入った金で、道具を買う。
窯を直す。
土を運ぶ籠を増やす。
誰かがそれを見て、今度は別の器を作ってみる。
それだけだった。
それなのに、ある日、大公府から人が来た。
*
「セラリス・オブ・カラーリー殿」
「はい」
「こちらで陶器の販売を行っていると聞きました」
やってきた男は、帳簿を持っていた。
身なりからして、大公府の徴税関係の役人らしい。
「販売ってほどじゃないよ」
「しかし金銭のやり取りがある」
「まあ、あるけど」
「継続的に?」
「最近は」
「では税の取り扱いを確認しなければなりません」
「ああ」
セラリスは納得した。
商売をしているなら税はかかる。
それ自体はおかしくない。
「売っている者の名前を」
「コボルドたち」
役人の筆が止まった。
「……はい?」
「コボルド」
「……」
「そこにいるでしょう」
少し離れたところで、何人かのコボルドがこちらを見ている。
役人は彼らを見た。
帳簿を見た。
もう一度彼らを見た。
「コボルド……」
「うん」
「これを……彼らが?」
「作ってるよ」
「売って?」
「るね」
「利益も?」
「窯の維持費とか材料費を引いて、残った分は彼らのもの」
役人はしばらく黙っていた。
それから、おそるおそる云った。
「しかし、その……」
「なに?」
「税の徴収対象として扱うとなりますと……」
そこでセラリスの目が少し細くなった。
「税を徴収するなら、国民として認めてくれるんだよね」
役人が固まった。
「……」
「税だけ取って、『でもコボルドだから住民扱いしません』はなしだよ」
「……」
「税を払うなら、商売する権利もある。土地を借りる権利もある。大公府の裁判も使える。盗まれたら訴えられる。そういうことでいいんでしょう?」
役人は帳簿を閉じた。
「……ちょっと待ってください」
「うん」
「上と相談します」
「相談してきて」
役人は来た時よりずっと重い顔で帰っていった。
*
その背中を見送りながら、コボルドの一人が訊いた。
「税、払う?」
「たぶん」
「嫌」
「みんな嫌だよ」
「でも払う?」
「国民としてちゃんと扱ってくれるならね」
「国民?」
セラリスは少し考えた。
「ここに住んで、働いて、税を払って、困った時には守ってもらえる人」
「先生も?」
「私も」
「人間も?」
「人間も」
「コボルドも?」
「だから今、その話をしに行ったんでしょう」
コボルドはしばらく考えていた。
「税、高い?」
「そこが一番気になるんだ」
「先生も?」
「もちろん」
その答えで、どうやら納得したらしい。
*
後になって振り返れば、その日の出来事は、コボルド焼きが売れ始めたことよりも、たぶん少しだけ大きな意味を持っていた。
税を取る。
それは国家が、そこに経済活動があると認めることである。
誰が作ったかを問わず。
誰が売ったかを問わず。
そして税を取るなら、当然そこには義務だけでなく、権利の問題も生まれる。
そのことを大公府の役人がどこまで考えていたのか、セラリスには分からない。
おそらく、最初はただ帳簿へ新しい収入源を一つ追加するつもりだっただけなのだろう。
だが、ミスタメアにはコボルドがいた。
彼らは土を掘り。
器を作り。
火精霊の窯を使い。
自分たちで値段を決め。
そして金を受け取っていた。
ならば彼らは、ただそこに住み着いた亜人ではない。
この土地で働く者だった。
それを最初に公の形で認めることになったのが、皮肉にも税だった。
*
セラリスは、そんなことを深く考えてはいなかった。
その日の夕方には、もう別の仕事が待っていた。
「先生、橋」
「分かってる!」
「屋根も」
「明日!」
「窯は?」
「今日はあなたたちで見て!」
「火精霊、強くしたがる」
「言うこと聞かせて!」
「先生の精霊」
「もうあなたたちの窯でしょう!」
叫びながら走っていくセラリスを、コボルドたちは見送った。
それから一人が窯の中を覗いた。
火精霊が、ぼう、と少し大きくなった。
「だめ」
コボルドが云った。
「今はそのまま」
火は小さくなった。
「そう」
彼は満足して頷いた。
その隣では、昨日焼き上がった炻器の壺が並んでいた。
まだ形は少し歪んでいる。
釉薬も均一ではない。
高級品などではない。
けれど、硬かった。
水を入れられた。
売れた。
そして作った者には、税を払えという役人まで来た。
産業というものが、いつ始まったと呼べるのかは分からない。
最初の器を焼いた時か。
最初に金を取って売った時か。
火精霊を窯へ入れた時か。
あるいは、徴税官が帳簿を持って現れた時なのか。
ただ確かなのは、その頃のミスタメアにはまだ立派な役所もなく、魔法土木部も建築部もなく、何か問題が起こればセラリスが一人で走っていかなければならないような場所だったということだけだった。
そんな土地で、コボルドたちは今日も土をこねていた。
そして窯の中では、薪を食わない小さな火が、静かに次の器を焼いていたのである。